物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

詩人となった、いじめらっれ子

2013-07-23 10:55:44 | テレビ番組

またまたTEDの話で恐縮だが、昨夜のTEDではかつていじめられっ子だった詩人がいじめられっ子を励ましためにいろいろの試みをしているという話だった。

シェ-ン・コイサン(?)は小さいときに両親が離婚して、祖母に引き取られカナダの北の方の小さな町で育った。

かれは太っていたためにいじめに会い、いじけてしまうがそれでも今では詩人となり、冬季オリンピックの開会式で自作の詩を朗読するくらいに有名になり、多くの人に知られるようになった。

今でも(up to today)いじけていないとは言えないし、心が傷ついてはいるが、それでも雄々しくいじめに立ち向かっており、いじめられている子どもたちを激励している。

そのためのサイトを開いたり、多くの人の協力を得て、漫画やアニメをつくってもらっている。そしてそれを自作の詩と共にサイトに掲載している。

もちろん、いじめは現在でもなくなってはいないし、その言葉は以前よりも激しさを増しているともいう。

それでもそれらのいじめに対して果敢に立ち向かう人々が現れたということは知っておきたい。


2222回達成

2013-07-23 10:38:47 | 日記・エッセイ・コラム

この回でめでたく2222回を達成した。よくも、よくもこんなに書くことがあったなと感慨深い。

このブログを書くためには自分自身がいろいろなことに関心をもっていなければ2000回を越える、このブログを書くことなどできなかった。

そのためにはNHKのテレビや朝日新聞を中心とした新聞記事、岩波のPR誌『図書』とか私の長年聞いているラジオのフランス語とドイツ語の講座や私の関心のある、数学や物理学とかそのほかのありとあらゆるものを使ってきたし、それらについて語ってきた。

それでもまだ自分の全部を使っているわけではなく、触れるべきであったのに見過ごしてしまった事柄が多くあるであろう。それらはひょっとしたら、私の感受性のなさのために見過ごされているかもしれない。

しかし、一人の人間のやれることなど高が知れているわけだから、すべての読者(おられるとしての話だが)にお詫びをしなくてはならないだろう。

だが、記念すべき今回の2222は単に私のブログの単に1回にしかすぎない。ブログはこれからもまだまだ続けるつもりである。


ジョルジュ・ムスタキのヒロシマ

2013-07-23 10:24:36 | インポート

googleで検索したら、ムスタキのヒロシマという歌が出ていた。これは日本語の歌詞とはかなり違うということで検索したサイトでは原詩とその忠実な訳が載っていたので、無断で転載をする。意味は後の訳を見てください。

一つだけ余計なことを言うと、colombeは鳩のことだが、昔イタリア語を半年だけクラスに通ってイタリア人から学んでいたとき、彼はアメリカ大陸の発見者コロンブスのことをコロンボと言っていた。「Mr. 鳩さんがアメリカを発見した」というと親近感が増すであろう。

さらに言うとテレビ映画で有名な「刑事コロンボ」もコロンボの意味は鳩のはずである。なお、日本語では「刑事」という言葉がついているが、原題は単に「コロンボ」というらしいことをドイツはフライブルクのゲーテ・インスティチュートでのドイツ語のクラスで知った。

この「コロンボ」は世界各国で人気のテレビドラマのシリーズである。

なお、Peut-être viendra-t-elle demain. (プテートル ビヤンドラ テール ドマン:おそらく彼女は(平和)は明日やってくるだろう)とある、elleは人間の女性ではなく、la paix(平和)であることが詩の最後でわかるとは元のサイトの解説にある。

あとはご自分で訳詩を参照されてこの詩を味わってください。

Hiroshima
      Georges Moustaki                  

      Par la colombe et l'olivier, 
Par la détresse du prisonnier,
      Par l'enfant qui n'y est pour rien, 
Peut-être viendra-t-elle demain. 

Avec les mots de tous les jours,
      Avec les gestes de l'amour,
      Avec la peur, avec la faim, 
Peut-être viendra-t-elle demain.

      Par tous ceux qui sont déjà morts,
      Par tous ceux qui vivent encore,
      Par ceux qui voudraient vivre enfin,
      Peut-être viendra-t-elle demain.

      Avec les faibles, avec les forts,
      Avec tous ceux qui sont d'accord,
      Ne seraient-ils que quelques-uns, 
Peut-être viendra-t-elle demain.

      Par tous les rêves piétinés,
      Par l'espérance abandonnée,
      À Hiroshima, ou plus loin,
      Peut-être viendra-t-elle demain,

      La Paix!


ヒロシマ
      ジョルジュ・ムスタキ

鳩とオリーブによって
囚人の苦しみによって
罪のない子どもによって
      たぶん明日来るだろう

日常の言葉とともに
愛の仕草とともに
恐怖と飢えとともに
      たぶん明日来るだろう

      すでに死んだすべての者たちによって
      まだ生きているすべての者たちによって
      とにかく生きようとする者たちによって
      たぶん明日来るだろう

弱い者たちとともに、強い者たちとともに
合意するすべての者たちとともに
      それが一握りの人々でしかなかろうが
      たぶん明日来るだろう

踏みにじられた夢によって
打ち捨てられた希望によって
      ヒロシマに、あるいはもっと遠くに
      たぶん明日来るだろう

平和が!