西村肇さんが書いた、星野芳郎の追悼記「観念的で行動的」(現代化学?)を前にも読んだが、大事なことに気がつかなかった。
西村さんはその追悼記の終わりに、
『(引用者追加:星野さんは)50年変わらず評価する友人としては板倉聖宣をあげました。第3巻(引用者注:『自然科学概論』第3巻(勁草書房)のこと)の骨格作りに協力し、仮説実験授業を発想し確立した板倉さんです。星野さんに言われて板倉さんの多数の著書を読み出しましたが、青年時代とまったく変わらない態度で、科学史、経済学、日本史でつぎつぎ発見に満ちた仕事をしている驚くべき哲学者、思想家であることがわかりました。実際に仮説実験授業をする会員が2万人いることもすごいことです。その彼が日本の知識人の間でほとんどまったく知られていないのは、「自らの思想をつぶされない」ために徹底して「目立つことを避けて」生きて来たからでしょう。星野さんはそこを評価して私に教えたのだと思います。』
とある。この追悼記からは前にも武谷のことを、このブログでとりあげたことがあるが、前にはここの箇所を読み過ごしていた。