西村肇さんの星野芳郎さんの追悼文で、星野さんは視点の新しさの発見を追求したが、事実の発見はしなかったと書いている。
それに反して近藤完一さんは細かなデータから新しい事実を発見することに長けていたという。当然のことながら、近藤完一さんと星野さんは相いれなかったという。
武谷三男は近藤完一さんが亡くなったということを聞いたときにがっくりきたということを誰かが武谷さんの死後に書いていた。
星野さんは西村さんによれば、まさに武谷スクールのプリンスだったというが、武谷はそれでも近藤完一のよさもまた知っていたのであろう。
人の個性はいろいろである。
また私が意外だったのは岩波の基礎工学講座シリーズに書いた星野の「技術の体系」は失敗であったという、西村の評価であった。そこに星野さんらしさが出ていると私は思っていたのだが。