以下のテーマは高校で数学を学んだ人にはわかる話で、そんなに難しいことではないが、広くいえば、数学のテーマなので一般の読者の方には誠に申し訳ない。お詫び申し上げておきます。
カルダノの公式というと言わずと知れた3次方程式の解の公式である。昨日、すでに2月末に書いていたエッセイ「虚数とカルダノの公式」に補遺をつけ加えた。
そして、自宅に帰って夕食後にテレビを見ている間にちょっと計算をしてみたら、どうも私の示した解の公式の求め方と文献に与えられた式で1カ所符号が一致しないことに気がついた。
その点は未解決のまま就寝したのだが、今朝の夜明けごろに目が覚めたという意識はないのだが、その符号の違いがどこから来るのか解決した。
カルダノの公式では未知数x=y+zとおいて、1つの未知数xだったものを2つの未知数 y, z にするといわれる。これは奇想天外な発想だと小島寛之さんの本に書いてあった。
そうかもしれないが、私のエッセイではx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyzを因数分解をするという風に話を進める。すぐわかることは上に挙げた3次式はx+y+zという因数があることは高校生でも知っている。
そうだとすれば、x^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0という方程式を解けば、x=-(y+z)とという解があることになる。これで違いができた理由がわかった。解の予想をx=y+zではなく、x=-(y+z)とすれば、私の場合と普通の方法での解とが一致する。
わかってしまうと「なあーんだ」ということである。このエッセイは『数学・物理通信』5巻3号(6月発行予定)に載せるつもりである。乞う、ご期待。
(注1)いま普通の解法でx=y+zとおいたということは、x-(y+z)という因数があることを仮定したことになる。ところがすべての3次方程式をx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0に帰着すると考える方法では因数としてx+y+zがある。だから、普通の解法と同じ式を得るためにははじめの解をX=-(y+z)とおけばよい。
フォンタナの奇想天外と思われたアディアは3次方程式が因数としてx-(y+z)をもつと仮定したことになる。一方、すべての3次方程式をx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0に帰着させるという考えだとその因数としてはx+y+zがあるのだから、解としてはx=-(y+z)とおくことになる。
(注2)すべての3次方程式をx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0に帰着させるという考えは私は遠山啓の『数学入門』上(岩波新書)から知った。
カルダノの公式というと言わずと知れた3次方程式の解の公式である。昨日、すでに2月末に書いていたエッセイ「虚数とカルダノの公式」に補遺をつけ加えた。
そして、自宅に帰って夕食後にテレビを見ている間にちょっと計算をしてみたら、どうも私の示した解の公式の求め方と文献に与えられた式で1カ所符号が一致しないことに気がついた。
その点は未解決のまま就寝したのだが、今朝の夜明けごろに目が覚めたという意識はないのだが、その符号の違いがどこから来るのか解決した。
カルダノの公式では未知数x=y+zとおいて、1つの未知数xだったものを2つの未知数 y, z にするといわれる。これは奇想天外な発想だと小島寛之さんの本に書いてあった。
そうかもしれないが、私のエッセイではx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyzを因数分解をするという風に話を進める。すぐわかることは上に挙げた3次式はx+y+zという因数があることは高校生でも知っている。
そうだとすれば、x^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0という方程式を解けば、x=-(y+z)とという解があることになる。これで違いができた理由がわかった。解の予想をx=y+zではなく、x=-(y+z)とすれば、私の場合と普通の方法での解とが一致する。
わかってしまうと「なあーんだ」ということである。このエッセイは『数学・物理通信』5巻3号(6月発行予定)に載せるつもりである。乞う、ご期待。
(注1)いま普通の解法でx=y+zとおいたということは、x-(y+z)という因数があることを仮定したことになる。ところがすべての3次方程式をx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0に帰着すると考える方法では因数としてx+y+zがある。だから、普通の解法と同じ式を得るためにははじめの解をX=-(y+z)とおけばよい。
フォンタナの奇想天外と思われたアディアは3次方程式が因数としてx-(y+z)をもつと仮定したことになる。一方、すべての3次方程式をx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0に帰着させるという考えだとその因数としてはx+y+zがあるのだから、解としてはx=-(y+z)とおくことになる。
(注2)すべての3次方程式をx^{3}+y^{3}+z^{3}-3xyz=0に帰着させるという考えは私は遠山啓の『数学入門』上(岩波新書)から知った。