物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

T君のこと

2015-03-13 12:11:20 | 日記
S 先生の「虹の科学」を読んでいたら、その参考文献に昔の友人の T 君が訳者の一人となっているらしい書籍があった。S 先生のそのことをメールで伝えたら、どうも T 君本人に間違いないらしいことがわかった。

T 君がまだ元気でいるかどうかはわからない。多分元気でいるだろう。彼は大学の教養部時代には天文クラブに所属していて、昼の時間になると天体望遠鏡を校庭に出して、通る人たちがその望遠鏡を覗いて太陽を見ることができたり、また自分自身が太陽の観測をしていた。

私は教養部の在学中に一年留年したので、彼は一年下であったが、彼も一年浪人をしていたと後で聞いたのでやはり実年齢も一歳年下である。多分1940年生まれか1941年生まれかであろう。

彼は高校では自分の好きな天体観測だったか、そういったことにまったく自由に生きてきたので、大学はすぐには入学できるところはなかったという。彼は言っていた。「僕は2次方程式に解の公式があるということは予備校に入ってようやく知ったんです」

大学で理系を目指すいまどきの人にそういう人がいるのかどうかわからないが、それくらい自分の好きなことだけをやってきた人だということである。

もっとも1年の浪人生活で大学に入学できたのだから、優秀な人である。その後も彼は挫折をしている。すでに大学院の入試では合格をしていたのに、数学の微積分の単位を一つ落としていた。

そのために卒業できず一年留年してしまった。つぎの年にその単位をとって卒業したが、大学院は K 大学の宇宙物理学専攻に入った。そしてそこを卒業後 N 大学の研究所に勤めていたが、最後は I 大学に勤めていた。

数学の微積分というと理学部では多分集合論の初歩を教えることで有名であり、計算することにかけては自慢の人の多い物理学科の学生でもその「哲学みたいなと悪評された」その科目の単位を落とすことはよくあった。

それでも2年生のときに落としても大抵に人は3年の再試験のときに単位をとることが普通であったが、それでもときには4年生のときにもその単位をとれない人も結構いた。

大抵はその学生の所属研究室の教授が微積分担当の数学の先生に頭を下げて単位をもらってくれたという例もあるはずである。

だが、T 君にはその頭を下げてくれる教授がいなかった。彼が指導を受けていた教授は理学部の教授ではなく、H大学付属の研究所の教授だった。

彼が書いたとは思わないが、物理学科の学生の集まりが出していた機関誌HBKにこの微積分担当の教授を揶揄したかと思われるような文章がその直前に掲載されていた。このとこをどこかで知った担当教授が腹を立てたのであろう。

その当時の機関誌の発行人をしていた T 君がその責任をとらされたという格好であった。別にこのことを T 君は愚痴るでもなく淡々としていた。なかなかできないことである。