胡同(フートン)というなんだか懐かしいような音の響きの中国語である。この語を知っていたが、その意味をよく知っていたわけではない。
この胡同(フートン)は「中国の路地」を意味するという。リービ英雄さんだったかどなただったかは忘れたが、アメリカ出身の詩人で日本在住の方が、以前に中国の胡同という語を彼のエッセイに書いていたので、その語を知っていたのである。
昨日の朝日新聞の書評欄に「老北京の胡同」という題の書の書評を隈研吾さんがされていた。
その一節を引用しておく。
(引用はじめ)時々の為政者による上からの抑圧的システムにかかわらず、中国人は胡同という装置によって自らを支え続けてきた。(中略)
中国に昔から存在していた貧富の差や地方の格差の問題の解決にも、都市の中の胡同という装置が大きく寄与していたことに驚いた。地方から出てくると、まず胡同という迷宮に入り込んで、同郷人で助け合う。住居の形式が、デザインが、社会的格差から人間を救い出していたのである。
だから、胡同が近年の不動産ブームで激減したことは、文革の時以上の、中国システムの破壊だと、僕は感じた。(引用おわり)
いうまでもなくここにある「僕」は隈さん本人である。
この胡同(フートン)は「中国の路地」を意味するという。リービ英雄さんだったかどなただったかは忘れたが、アメリカ出身の詩人で日本在住の方が、以前に中国の胡同という語を彼のエッセイに書いていたので、その語を知っていたのである。
昨日の朝日新聞の書評欄に「老北京の胡同」という題の書の書評を隈研吾さんがされていた。
その一節を引用しておく。
(引用はじめ)時々の為政者による上からの抑圧的システムにかかわらず、中国人は胡同という装置によって自らを支え続けてきた。(中略)
中国に昔から存在していた貧富の差や地方の格差の問題の解決にも、都市の中の胡同という装置が大きく寄与していたことに驚いた。地方から出てくると、まず胡同という迷宮に入り込んで、同郷人で助け合う。住居の形式が、デザインが、社会的格差から人間を救い出していたのである。
だから、胡同が近年の不動産ブームで激減したことは、文革の時以上の、中国システムの破壊だと、僕は感じた。(引用おわり)
いうまでもなくここにある「僕」は隈さん本人である。