物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

胡同(フートン)

2015-03-23 10:59:55 | 日記
胡同(フートン)というなんだか懐かしいような音の響きの中国語である。この語を知っていたが、その意味をよく知っていたわけではない。

この胡同(フートン)は「中国の路地」を意味するという。リービ英雄さんだったかどなただったかは忘れたが、アメリカ出身の詩人で日本在住の方が、以前に中国の胡同という語を彼のエッセイに書いていたので、その語を知っていたのである。

昨日の朝日新聞の書評欄に「老北京の胡同」という題の書の書評を隈研吾さんがされていた。
その一節を引用しておく。

(引用はじめ)時々の為政者による上からの抑圧的システムにかかわらず、中国人は胡同という装置によって自らを支え続けてきた。(中略)

中国に昔から存在していた貧富の差や地方の格差の問題の解決にも、都市の中の胡同という装置が大きく寄与していたことに驚いた。地方から出てくると、まず胡同という迷宮に入り込んで、同郷人で助け合う。住居の形式が、デザインが、社会的格差から人間を救い出していたのである。

だから、胡同が近年の不動産ブームで激減したことは、文革の時以上の、中国システムの破壊だと、僕は感じた。(引用おわり)

いうまでもなくここにある「僕」は隈さん本人である。




















冠飾句雑感

2015-03-23 10:34:34 | 日記
冠飾句などといってもわかる人はドイツ語の専門家ぐらいであろうか。

ドイツ語の構文的な特徴として

1. 文の枠構造
2. 冠飾句

だといわれる。文の枠構造の方は初歩のドイツ語で強調して教えられるが、冠飾句の方はあまり初歩のドイツ語では触れられない。これについてこのブログでも何度か触れたことがある。

それがどんなものかということは今日は話題にしない。いつだったかこのことが木曜夜のドイツ語のクラスで話題になったことがあった。

冠飾句はLinksattributと言われることもわかったが、そのときにドイツ人である R 氏から日本語の方がこの冠飾句構造が強いのではないかという指摘があった。

それに関した一例である。昨日、読書欄を朝日新聞で読んでいたら、「日本のまんが」1-3の水無田気流さんの書評があった。その内容をここでは問題するわけではない。

以下はちょっとそこの一文から私が考えたことである。

松本(零士)の陸軍パイロットだった父の話も強烈な印象を放つ (カッコ内は引用者追加)

とあった。「松本の」という語を父の直前にもってきた方がいいのではないかと一瞬思ったのだった。そう思ってこの入れ替えをしてみると

陸軍パイロットだった松本の父の話も・・・

としてみるとあたかも松本が陸軍パイロットだったかのような錯覚起こさせる文章となってしまう。それでやっぱり元の文の方がよいことがわかった。

この主語の部分を英語に訳して見れば、

Matsumoto's father who was a army pilot, ・・・

でもなろうか。そうだと英語ではあまり誤解が起きない気がする。