物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

遺伝子

2019-05-13 13:51:48 | 科学・技術
昨夜のNHKの9時からは「人体」のシリーズで「遺伝子」を取り上げた第2回であった。
 
新聞の番組紹介欄に紹介があったことだし、それにそろそろ今年の徳島科学史研究会で話すテーマを決めなければならないので、関心をもってこの番組を見た。
 
というのは数年前に伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』(風媒社)が出版されて、武谷三男がメンデルの遺伝学を認めなかったというので、だいぶん批判されたからである。
 
その後、メンデルの遺伝学自身は基本的に正しいものの、その遺伝子の発現させるかさせないかのスイッチがあるということ知られるようになり、これは「エピジェネティクス」と呼ばれている。
 
昨夜の話では2万もの遺伝子のスイッチがあるという。だから、昔風の獲得形質の遺伝は否定されているものの、遺伝子の影響はスイッチのオンとオフでその影響は大いに異なるということがわかってきた。
 
また、環境によって、遺伝子が変わってくるという可能性もあるかもしれないということになってきた。
 
だから、伊藤康彦さんの武谷批判は昔風の意味では正しいのだろうが、現代的な意味では果たして正しいのかどうか。というか、自然のいろいろの可能性までを考慮すると、そんなに簡単に批判してすむものなのか。
 
これが、今私の考えているところである。
 

Je ne suis jamais seul

2019-05-13 13:39:54 | 日記

これはシャンソンのフレーズの一つである。Je ne suis jamais seulは「いまだかって一人ぽっちであったことはない」とでも訳せようか。この後ろにはavec ma solitude(私の孤独と一緒だから)という文句が続いていたと思う。

これは男性歌手でもう亡くなった方の歌である。名前を失念してしまったが、有名な歌手の一人であることはまちがいがない。たぶんギリシャ系のフランス人ではなかったろうか。

これはやはり若いときにNHKのフランス語講座で聞いたリ、見たりしたシャンソンである。それが今朝ひょっとなぜか思い出された。

だいたい、孤独をわるいなどとは思っていない。私は誰かと仲良くすることなど苦手である。別に仲良くなりたくないわけではない。ただ、人とつき合うのがあまり上手ではないだけのことである。

しかし、Je ne suis jamais seulは、フランス語をあまり知らなくてもしゃれた言い回しではないだろうか。