日本の高校の普通科が特色がないとかで、どこかで議論になっているらしいと妻から今朝聞いた。
昔の、旧制高校の卒業生はその時代を懐かしむということがあって、そういうことはあまり好ましく思わないという、作家の中野孝二さんの『体験的教育論』(岩波新書)を最近拾い読みした。
旧制高校のその卒業生が、その若き時代を懐かしむかどうかは私にはどうでもいいが、普通科が特色ないというのはいくらか政治色があるような気がする。専門学校に生徒を取られるとかいう議論かもしらないが、やはり教養ある日本人が育つのはやはり高校時代の過ごし方だと思う。
そういえば、昔の大学教養部の時代に英語でsnobという概念を教わった。これはサマセット・モームの小説の中に出てくる概念ではなかったかと思う。
日本語では「俗物根性」とかいうのかもしれないが、そういう単純な概念ではないとかいうのが、その英語の小説を担当された T 教授の話であった。この先生はそのころ私には私の学んでいた教養部の前身の旧制の H 高校の出身者であったと思う。
英語は第一外国語だったから、8単位をとったはずだが、英語の講義で覚えているのはそれくらいしかない。教育とはそんな役に立つかたたないか、ほとんど分からないところにある。