「自分の理解に関心をもつ」ことを『数学ガール』(ソフトバンク・パブリシング)のシリーズの著者、結城浩さんが雑誌「数学セミナー」6月号の巻頭言で述べておられる。
「自分の理解に関心をもつ」で、結城さんは難しいことを提起されておられるのではない。単に「自分は理解しているだろうか」と考えることだけを問題にされている。
それはなんでも「すべてを理解せよ」と言っているのでもないし、「理解できなくてはだめだ」という意味でもない。また、「理解することを好きになれ」と指示することでもないという。
いまさら言われてみるとなるほどと思うが、こういうことに頓着しない人がいるという事実そのものに私は気がつかなかった。