飛び飛びの量からつながった量へと言っても、何を意味するかわからない人もいるだろうか。
数学教育協議会(民間教育団体)の「量の理論」の用語を用いて表現すれば、分離量から連続量へということになるだろう。
分離量という語に対して、物理学者の朝永振一郎さんは「とびとびの量」という極めてくだけた用語を提唱した。
エネルギーは連続量だと古典的には思われていたが、量子論ではとびとびの量、すなわち、分離量であるとの認識は実は量子論の始まりでもある。すなわち、Planckの熱輻射のエネルギーの量子仮説である。この仮説の提唱は1900年のことであり、実は19世紀の年の最後であった(1901年に20世紀ははじまる)。
これは物理学の歴史の上ではとても大きな発見であったが、実は数学では、とびとびの量から連続量を認識したことはもっと大きなBreakthorughではなかったろうか。
何もないことを表す、 0 の発見は数学における重大な発見であるというが、それだけではなく、とびとびの量(分離量)からつながった量(連続量)を発見したことは、多分それ以上の歴史上の大発見であったにちがいない(注)。
「ピースがつながって来た」という風に先日このブログで書いたが、そういうことの認識がどれくらいはっきりとあったのかということを、歴史上で振り返ってみる必要があるのではないかという気がいましている。
連続量だと思われてきたものから、実は分離したとびとびの量(分離量)が
出て来たということが20世紀の量子力学の世界の発見であったが、それ以前にはとびとびの量から連続量への発見があったのだ。
(注)整数、分数から実数へと認識が進んできたということについての私たちの認識はいまではなんでもないことだとして、すぐに実数などは受け入れるのが普通である。その辺の再認識が必要であるとの感慨をもった。
数学では単に「拡張への衝動」(遠山啓『現代数学対話』(岩波新書))だと言われているが、それが本質的な要素の一つであるとの認識であろうか。