日本は八方塞がりである。このことを日本人が気がついているのなら、ある程度処方はあると思う。だが、そのことを気がついていないのではないかと思える。
なんでも財政的な裏付けがないことが多い。そうするとボランティアを募ってやるしかない。ところがいろいろなアイディアがまったくないわけではないのだ。それが手助けをしてもらえずに、孤立無援で頑張っている例が多いらしい。
だが、なんでもはじめは孤立無援なのだ。そういうことから主流になるものが育っていく。だから、本当はこの孤立無援のときをどうやって切り抜けるかが大切なのではないか。
話はちょっと違うかもしれないが、今月、雑談会で話して下さる方は留学生の日本語学習を支援している。ところが日本には国家の運営する日本語教授機関がない。これはヨーロッパの主要な国と比べると違うところである。
ところが、もしそういう機関をつくるためには国家予算が必要であろう。ところがそういう機関はできていない。また、外国人にどのように日本語を教えるかという教授法もあまり研究されていない。それで、すべて各大学の少ない日本語教育スタッフとその支援サポータに任されているという。
彼らの努力を有効にするための最小限の経験集約もいままでのところなされてない。だが、この経験の集約がどうしてもされる必要がある。