梅棹忠夫氏の死去を新聞が報じていた。氏の著書は岩波新書の「知的生産の技術」しか読んでいないが、この書には影響を受けた。いわゆる京大カードを一万枚購入してとかいうことはしなかったが、それでも5千枚は購入したがそれほどは使わなかった。カードはノートに比べてスペースが狭くて、数式の多い私のノート代わりにはならなかった。
もっともまったく使わなかったわけではない。電気工学科と電子工学科に教えていた量子力学で、朝永さんの「量子力学 I 」をテキストにしたときにはちょうどこの「知的生産の技術」を読んだ直後だったこともあって、ノート代わりにカードをつくって、これをもって行って講義した。
もう一回くらいこの本を使ったが、以後は量子力学を要領よく教えるために3度は朝永の「量子力学」を講義のテキストにすることはなかった。しかし、私が読んで感動した物理書はこの朝永の「量子力学 I」 しかない。良書の類はもちろん他にもあるが、感動という言葉を使ってもいいのはこの書だけであろう。
その後、大学院の講義で学生に数年にわたってDiracの量子力学の一部を読んでもらったが、確かに叙述が簡潔できれいだったが、それほど感動はしなかった。これは私の理解がまだDiracの書を評価できるほど進んでいないことの証なのであろう。