物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

反数余談

2010-07-16 13:18:14 | 数学

「反数と倍分」について書いたのは2005.11のことだったが、麟太郎さんのサイトhttp://www.kyo-iku.info/によれば、2006.1に水道方式について書いてある方がおり、そこで「反数と倍分」は遠山啓がつくった用語だとある。

倍分にかんしてはどうも遠山のつくった用語だと思われるが、反数については昔からある語ではないかと私のブログで書いたのだが(反数は少なくとも広辞苑に出ている)、麟太郎さんのサイトではその部分が省略されていた。

その後、麟太郎さんの知人の小口先生から注意があったとかで、反数についても遠山が書いていることが麟太郎さんのブログにあった。反数は明治時代に使われていたらしい。

もっとも麟太郎さんは倍分はともかくも反数の方は多分私のブログを見ているから、(再)定義としている。

他人のブログの全部を引用するのは気が引けるのだろうが、それにしても都合のいいところだけを引用されたという気がしないでもない。というのは2005.11.15に反数の題でブログを書いて、数日して2005.11.25だったかに私はすでに訂正しているから。

いや、別に気分を悪くしているなどということはまったくないのだが、私なら気になるところである。もっとも私も話の筋の都合上で私の勘違いのいきさつをそのブログについては書き換えなかったから、あまり人のことを言える筋ではない。

遠山啓が優れた数学者でまた、数学教育者であったことはいまさらいうまでもないし、彼のお陰で私自身も反数という語を知ったのだから、現代からすれば反数という語も遠山によるといってもいいだろう。しかし、昔からあった用語を再生させたといっても何の遠山の傷にはなるまい。

これは数学教育協議会の量の理論に使われている、外延量と内包量という用語もそうらしい。この二つの用語は明治時代か大正時代に哲学者が使っていた用語を遠山が再生利用したものである。

というのも外延量とか内包量とかいう語は難しそうなので、それらの用語について水道方式を標榜する数学教育協議会を攻撃するという人々がいたからでもあろう。

私には熱力学ででてくる示量変数と示強変数は、示量変数と外延量が対応し、また示強変数と内包量が対応しているように見えるが、これはWikipediaの量の説明では違うものであるとの記述がある。これが本当かどうかは私にはまだわかっていない。

また、反数の議論の後ろに逆数について簡単にふれ、結晶学や固体物理学で使われる逆格子の概念についても触れたのだが、それについて敷衍してくださる方はいないのだろうか。

かつて大学院の固体物理学のセミナーで逆格子を説明するときに、いつも数の逆数から説明をはじめていた。私は固体物理の専攻ではないけれども。


矢野健太郎氏

2010-07-14 12:40:00 | 数学

矢野健太郎氏は微分幾何学が専門の有名な数学者である。

若いときにフランスで学位をとられた方であるが、その後アメリカ、オランダ、イギリスと世界の至るところで研究生活を送り、また軽妙なエッセイを書いて出されている。

もちろんのことだが、彼の名のついた大学程度のテキストとか受験参考書の類も事欠かない。

私の学生時代の高学年には東京大学から東京工大に勤務先がすでに変わられていたと思う。

私が使った大学での数学のテキストは彼の著書で「代数学と幾何学」「微分積分学」の両方とも東京大学の助教授の肩書きだったが、今私のもっているこの本たちは後の版で東京工大の所属になっている。

ちなみに「線形代数」と「微分積分学」が大学の基礎教育の定番として定着するのは私などよりも数年後のことである。

矢野先生が亡くなってからずいぶん経つので彼の書いた書籍が書店にたくさん並ぶという状況ではないが、私の学生時代は書店に彼の書いたエッセイ本がたくさん並んでいたものである。文章も上手な数学者という定評があった。

これもいつかのブログに書いたことだが、矢野先生の講義はおもしろくてその授業の時間が経つのが早かったと彼の授業を聞いた私の大学のときの物理の大内先生から聞いた。残念ながら私自身はそんな授業をあまり経験したことがない。

ちょっと違った経験だが、物理の授業で体感的に感じることができた講義は私の先生、小川さんの講義であった。

この講義でも毎時間そんな風だということではなく、いくつかの授業でそうであったというにすぎない。だが、それでもそういう講義ができる先生は少ない。


お祝い

2010-07-13 11:31:21 | 日記・エッセイ・コラム

友人というか知人というか、一人はある会社の社長にこの4月就任した方がおり、もう一人は4月に大学の教授に昇進した。この二人のお祝いをしたいと思っていたが、なかなか機会がなかった。それが今月末にその機会がもてそうである。

二人とも私とつき合いのある方でそれほど頻繁なつき合いではないが、それぞれにある期間のつき合いをすでにもっている。会社もいろいろであるから、社長に就任したといってもお祝いをするほどのことでもないとの考えもあるだろう。これは大学の教授についても同様である。だが、私は二人を祝福したいと考えている。

もともとこの二人は私との縁で知り合ったのだが、二人とも堅実な人である。一人は私の前からの友人の知り合いであり、私の40数年ほど前にいた下宿の同宿人であったということを友人の紹介で知った。この友人もこの下宿の同宿人であった。もう一人は私の同僚だった人の下の助教授(いまなら準教授)だった方である。

ともかくも知人が社長に就任するということも、また教授になるということも喜ばしいことである。その日は楽しみたいと思っている。ただ、私はもうアルコールに強くない。


選挙には行ったが、・・・

2010-07-12 17:20:05 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、正午の1時間ほど前に参議院議員の選挙に行った。妻はすでに期日前投票を済ませていたので、車を出してもらって、投票所の前で待機してもらった。比例区では前から応援をしたいと思っていたA候補が当選したのでよかったが、選挙結果全体では日本の地方はもう一度保守に逆もどりである。

国民の程度にあったほどの政治しかもてないとの感が強い。国民の程度が低いなどとは口が裂けても言ってはいけないのだろうが、ちょっと失望である。

新聞か何かで現在は国民の程度よりも低い政府だと誰かが書いていたらしいが、どうもそうは思わない。国民のレベルが低いのではないか。というかそれほどまでに生活が困っているという証拠かもしれない。それだともうその解決策をどの政党、政府も国民ももっていないのではないかと思われる。

どの政党も自分の勢力を伸ばすことにのみ、執心していて実際は有効な手は誰ももっていない。とりわけ自民党の責任はとても大きいはずだ。もし自民党が有効な手段をもっていたのなら、この8ヶ月を除いてここ5年くらいに限って見ても自民党が政権をもっていたのだから、すでに有効な手が打てたはずである。ところがそうでなかったから、国民が愛想をつかせて現政権に主導権を与えたのであろう。そしてそうなら、なぜもう少し時間を掛けて見守ることができないのか。

現実はそんなに悠長に待つことはできないかもしれない。それでもある時間を与えることは必要である。十分に時間を与えてもその成果を挙げることができないのなら、別の政党に政府を委ねることは仕方がない。

いかにも短絡思考的人間が多すぎる。私もせっかちの方だが、しかし、成果がでるためにはどうしてもある程度の時間はかかると思う。


なぜe-Learningか

2010-07-10 15:30:08 | 数学

参議院選挙の投票が明日に迫った。新聞とかテレビの報道見ていると政治のできることは限られていると強く感じる。政治だけではない。経済も同様らしい。すなわち、産業もあまり展望が開けていないということである。そのうちに展望を開くような概念を出し、かつそれを実行できる人が出て来るのかもしれないが、今しばらくはすべての分野で混迷が続きそうである。

日本は資源のない国だから、どうしても科学技術に立った国の発展が望まれるが、その科学技術をまじめに学ぼうとする若者はぐっと減っている。ではどこに希望を見出すのだ。しかし、やはり科学技術によって日本の国を立て直して行かなければならないだろうと考えている。その基盤の一つは数学や科学であろう。

それならば、数学とか物理を誰にでもとっつきやすくする方法を考えないといけないだろう。そういう考えを基礎にもっている。いや、こんなことはまったく意識はしていなかったのだが。別にいますぐによいテキストを書いて、出版業界で成功を収めようとはまるで考えてはいないが、タダでいい内容を多くの人にアクセスできるようにしたい。そんな考えが無意識の内にある。

もちろんそうは言っても、なかなか普通の人には私のつくっているようなコンテンツですら、難しいであろう。それは認めるが、それでもずいぶんとくだけたものにしている。しかし、ことがことだけに高校数学の内容だといえども簡単にはアクセスしてもらえそうにない。

それに改訂に改訂を重ねているので、公開がだんだんと遅くなっている。


私のフランス語修業8

2010-07-09 13:27:54 | 外国語

「大学へ行く」とはJe vais a la facult'e という。facult'eは正確には日本でいう学部なのだろうが、a la facと約めてもいうらしい。ドイツ語ならさしずめ Ich gehe zur Uni にあたる。どちらもuniversit'eとか言わないで省略形を使うことが面白い。日本語では「大」といっても大学を意味するとは誰も思うまい。

もっともドイツ語で英語のfaculty、日本語の学部というのはあまり聞いたことがないようである。Fakult"atという語があるが、Fachbereichという語をむしろ聞いたと思う。だが、このごろはドイツも学制が変わってきている。また私の経験は少ないし、見聞が狭いので間違っている可能性は大きい。

Universit’e ’a la Sorbonneをソルボンヌ大学と訳されているのを見たのも一度ならずあるが、これは正式にはどういうのだろうか。パリ大学のSorbonne校というのが正しいのであろうか。私の勤めていた工学部にもフランスのパリへ研究留学した数学者が何人もいたから、いつか彼らに出会ったら聞いてみたい。

フランスでは大学に入るにはリセーの卒業試験のバカロレアに合格する必要があるが、これは結構難しいらしい。一方でフランスで権威があるのはgrandes ’ecolesといわれる大学で、政治や経済界やその他の各界の指導者になるような人はここを出ているらしい。grandes ’ecolesは独自の試験があり、バカロレアだけでは十分ではない。

フランスは自由な国というイメージがあり、それは確かなのだろうが、一方で中央集権の国でもある。そこらが日本と似ていてちょっと気持ちが重くなるところでもある。


私のフランス語修業7

2010-07-08 15:15:55 | 外国語

cauchemerとは悪夢という意味らしい。長い間フランス語も学んでいるのにこういう言葉も知らなかった。英語ではnightmareだろうし、ドイツ語だったら、Alptraumであろうか。休暇の意味のフランス語を何回か学んだと思うのに覚えられなかった。最近cong'eをやっと覚えた。

そういえば、このcong'eはカミュの「異邦人」のはじめのところに「今日、母さんが死んだ」Aujourd'hui, maman est morte.---。「店の主人に二日の休暇を願い出た」J'ai demand'e deux jours de cong'e a mon patron.とかいうのがあるのに、このcong'eを覚えられなかった。

だから、言葉が即座に出てくるというのはすごいことなのであろう。初級のフランス語から中級のフランス語へと移っていかなければならないのだが、いつまでも初級に留まっている。それでも少しづつは語彙は増えてはいるのかもしれないが、歳のせいで昔は覚えていた語彙までも出にくくなっている。

フランス語でなんというか知らないが、ドイツ語なら知っているんだがなと思っていたのが、スリッパという語であった。これはPantoffelというはずだ。そう思ってフランス語のクラスで先生がなんというか聞いていたら、une pantoufleだという。それで先生にドイツ語でもPantoffelというと話すとそれはフランス語から来たのだという。

このときはE大学で1学期間フランス語のコースを聞いた3回目のときで、フランス語の先生はフランス人かとおもったが、カナダ人の先生であった。このときは法文学部の夜間主コースの時間でこの授業のあとに、私は歴史の講義を法文学部の夜間主コースの学生にする必要があったので、その直前にあったフランス語の教室に先生に許可を得て出席したのだった。

このときは学期の最後には口頭試問のテストまで受けた。成績を大学の事務に提出をしようかと先生に言われたが、その必要はありませんと答えて断った。

このときには他の学生のために授業の邪魔にならないようにしながら、ときどきフランス語で質問をしたが、その直後の私の授業の学生から「先生はなんでそんなにフランス語ができるのですか」と授業の最後に私がいつもとっていた、アンケートの欄外に書き込まれたりもしたが、もちろんそんなにできるはずがない。いいたいことの1/3もいえるものではない。

フランス語とドイツ語は語族としては違うのだが、それでも隣り合った国だから、ネクタイune cravateだとか人形une pouppeとか発音も同じような語がある。また、フランス語から来たドイツ語もある。Chanceなどは発音もフランス語風にシャーンスと発音する。ドイツ語のChefなどもフランス語からきているだろう。形容詞のcharmantなどもそうであろう。シャルーマンとかドイツ語でも発音する。

物理にcharmed particleというがあるが、これなどドイツ語ではcharmantes Teilchen(シャルマンテス・タイルヘン)とかドイツ語ではいっていたと思う。

また、このカナダ人の先生(名前は失念した、失礼、先生)のクラスで箸をune baguetteというのを知った。パンのバゲットも箸と同じように長いところから来ているだそうである。


梅棹忠夫氏の死去

2010-07-07 13:05:56 | 学問

梅棹忠夫氏の死去を新聞が報じていた。氏の著書は岩波新書の「知的生産の技術」しか読んでいないが、この書には影響を受けた。いわゆる京大カードを一万枚購入してとかいうことはしなかったが、それでも5千枚は購入したがそれほどは使わなかった。カードはノートに比べてスペースが狭くて、数式の多い私のノート代わりにはならなかった。

もっともまったく使わなかったわけではない。電気工学科と電子工学科に教えていた量子力学で、朝永さんの「量子力学 I 」をテキストにしたときにはちょうどこの「知的生産の技術」を読んだ直後だったこともあって、ノート代わりにカードをつくって、これをもって行って講義した。

もう一回くらいこの本を使ったが、以後は量子力学を要領よく教えるために3度は朝永の「量子力学」を講義のテキストにすることはなかった。しかし、私が読んで感動した物理書はこの朝永の「量子力学 I」 しかない。良書の類はもちろん他にもあるが、感動という言葉を使ってもいいのはこの書だけであろう。

その後、大学院の講義で学生に数年にわたってDiracの量子力学の一部を読んでもらったが、確かに叙述が簡潔できれいだったが、それほど感動はしなかった。これは私の理解がまだDiracの書を評価できるほど進んでいないことの証なのであろう。


例は説教よりも重要2

2010-07-06 11:33:41 | 数学

Examples are more important than precepts.

これはニュートンが書いた代数のテクストの中で言っている言葉だとどこかで読んだ。この言葉を私は中学生のころに覚えたが、これはニュートンがいろいろな説明と同様に例を大事と考えていた証拠であろう。

昨日以来、グレブナー基底を用いて連立方程式を解くやり方を理解しようとしている。

Ikuroさんのページにあった説明を読んでいるのだが、昨夜この解説の中にある例の連立方程式の答えが一つだけなかなかあわなかった。

どうしてかわからず、私のいつものクセでどこか計算間違いをしたのだと思い、昨夜3時まで頑張った結果、計算間違いは私ではなく、ikuroさんがされているということがわかった。

人間だから間違いをするのは仕方がない。だが、グレブナー基底での解法をある程度進めるまではわからなかった。その前に与えられている解をもとの連立方程式に入れて検算をしてみたら、どうもおかしいことがわかった。

それで、グレブナー基底での計算の方も間違っていることが予想されたので、計算を見直したら、間違った箇所が意外と早く発見された。これらの例からグレブナー基底での解法の一般論を理解していきたい。


グレブナー基底で

2010-07-05 16:32:10 | 数学

e-Learningのコンテンツの中で、「グレブナー基底で連立代数方程式が解ける」と書いたら、閲読者からそんなことを書くのなら、「グレブナー基底をわかりやすく説明せよ」とのコメントをもらった。

それであわてて、インターネット上で簡単な説明例がないかと探したら、ikuroさんの説明があった。ikuroさんのサイトは優れたサイトなのだが、式の入力が悪くて読みにくい。

いつだったかこのサイトの主ikuroさんとやりとりをしたことがあって、数式の入力をなんとかもっと見やすくできませんかとメールをしたら、まだ現役で働いている現在は時間がないので、式の入力の仕方を変更することはできませんとの返事をもらった。

宮城県かどこかの医学研究所に勤務する医師の方だったと思う。世の中には優れた才能を持った方が居られるものだと感心をしたが、彼の書くことは私には難しいことが多い。

しかし、彼の書いたグレブナー基底の話は私にもある程度努力をすると分かりそうである。彼の書いたものを数式を入力しなおし、説明を付加して書き直したら、e-Learningでのグレブナー基底の説明になりそうなので、やってみようかと思っている。

彼の説明の文章を手直しして、e-Learningに入れるときには、一言ikuroさんにお断りを入れる必要があるかと思うが。

(2013.8.2付記)e-Learningのコンテンツは出来上がって久しいが、なかなか狭い範囲にしか公開されていないので、今に至るもikuroさんのお断りのメールも入れていない。本当は彼のサイトでの計算がすこしばかり間違っていたので、訂正箇所を指摘してあげた方が親切であるのだが。


7月

2010-07-05 12:00:41 | 日記・エッセイ・コラム

今年は5月が長く感じられていたが、6月は早く過ぎて7月となった。7月、8月、9月は暑くてやりきれない季節となる。もっとも若いときには夏は好きな季節であり、冬になると冬眠してしまうみたいであった。

もっとも、冬の記憶としては大学の受験勉強をしていたときがある。それまで演習問題を解いていたのが、参考書や教科書を読み直すことにしたときである。いままで、霧中のようだったところが少しづつ霧が晴れてくるような感じがした。その後このような感じをもったことはあまりない。

昨夜はウインブルドンの男子決勝戦の中継放送があって、下馬評通りナダルが圧倒的な強さでセットを一つもおとさず、優勝した。ここ数年はフェデラーの活躍がすばらしかったが、さすがのフェデラーもそろそろ主役交替の時期を迎えたのだろうか。すこし、淋しい思いがしないでもない。

だが、夏の暑さはまだまだこれからである。


加法、乗法の基本法則

2010-07-03 16:47:04 | 数学

加法と乗法との交換則、結合則、分配則を面積図や体積図またはテープ図で表すということを半年かもっと前に思いついて、いつかそのことを数学エッセイに書いてみようと思っていた。

これは誰かに教えてもらったわけでもなく、本を読んで知ったわけではないので、いわば自分のオリジナルと密かに思っていた。ところが昨日以前からもっている、「大道を行く高校数学」(現代数学社)の代数・幾何編を必要があって読んでみたら、私のアイディアとまったく同じことが図に描かれていた。説明に使われていた記号こそ私の考えていた記号とは違っていたが、アイディアは同じである。

同じような環境下にあれば、同じ発想をするというだけのことであるが、この本は約30年も前に書かれた本の新版である。この本を数年前には購入していたから、この本の記述を前に読んでいた可能性がないわけではないが、多分そうではないであろう。

この本を買って読んだ箇所はCauchy-Lagrangeの恒等式のところだけであり、他のところは読んだことがなかったと思う。この本は題名が示すように本格的な高校数学の本であり、なかなか通読しようという気を起こさせるようではない。だが、細かなところもなかなか気配りのされた本である。


ユークリッドの互除法2

2010-07-02 13:20:36 | 数学

いくつかの数の最大公約数や二つ以上の多項式の共通因数を求める方法の一つとしてユークリッドの互除法がある。

e-Learningのコンテンツに、二つ以上の式の共通因数を探す一つの方法としてのユークリッドの互除法があると書いた。

その説明が面倒だと思ったので、読者が各自で調べてくださいと書いたら、ユークリッドの互除法に言及するのなら、それをコンテンツにきちんと説明すべきだと一人の閲読者にコメントをもらった。

それで、昨日、e-Learningのコンテンツに「雑談」というコラムに書き加えたが、実は私は大学に入って矢野健太郎著「代数学と幾何学」(裳華房)で学ぶまでこの方法があるということを知らなかった。

説明が簡単ではないから、もし高校でユークリッドの互除法を学んでも理解したかどうかはわからないが、そういう方法があるといった言及(必ずしも説明でなくてもよい)は高校数学でもあってしかるべきだと思う。

そういうことで、コンテンツに項目としては上げたのだが、それでは不親切でしょうというのが、閲読者のご意見である。

誠にその通りであるが、e-Learningのコンテンツを書くことはなかなか大変なのでどうしても手を抜きたくなる。その怠け心を叱咤された。もっとも叱咤されると人間とはそれに応えようとするものであるから、そのコメントは成功である。


梅雨

2010-07-01 17:43:16 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨とはいうもののこのごろは陽性の梅雨で雨の降るときはひどく降るが降らないときは暑い。もっとも湿度は高いのであろうから、さらっとしているというわけにはいかない。それでも50年くらい昔と比べれば、道路の舗装の影響もあって、かなり気候が陽性化している。

また、会社勤めをしている人とかは会社にエアコンが入っているから、通勤のときとか自宅でとかに湿度を感じるくらいであろうか。ビールが飲みたくなる季節でもあるが、このごろはストレスが少ないせいかまたはもともとビールが好きでないせいか、このごろはビールを飲むことがほとんどない。

先日のビーアパーティでは久しぶりに数杯は飲んだが、大体は2杯くらいで十分である。だから、先日のテニスクラブのビアーパーティは参加を断った。どうしても飲みたい体質の人には悪いが、どうもそれほど飲みたいという感じがしない。これが老化なら老化もいいのではないかと思ったりしている。