物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

昔の学生の感想

2010-07-27 14:48:29 | 日記・エッセイ・コラム

physicomathで検索をしていたら、下のようなブログが見つかった。このブログにコメントを入れようとしたが携帯からしか入力できないので、、ここでコメントを書いておく。

「ひよこ茶屋さん」今日は。私は約38年にわたる、大学教員生活で、力学を教えたことは一回か二回くらいしかないので、教え方が下手だったかもしれません。

それはともかく学校はあくまで学校であって、社会に出て無事に働いておられるのなら、学校の成績はどうってことはありません。学校の秀才は社会の成功者にはならないことも多いのです。(もっとも私自身はこのときの講義ノートをもとにして力学の本を書いてみたいという夢をまだ捨ててはいません)

だからかどうかは知りませんが、何十年もたって私の下手の講義から受けた悪い印象が少しでも改善?されたとすれば、それは私の努力の結果ではありませんが、貴兄の進歩の証でしょう。もっともこりんざい先生を許さないといわれても仕方がありませんが。 Y より

ひよこ茶屋


専門基礎の力学の授業は不可だった。

調べ物をしていたら、たまたま大学時代に授業を受けたことがあるY先生のブログを発見した。その先生の授業は難しく、当時1年生だった私は、最初のうちは授業に行っていたものの、延々と黒板に複雑な数式を書くだけの授業にやる気が萎えて、そのうちサボるようになった。たしか、ほとんど勉強せずに試験は受けたが「不可」だった。

Y先生はすでに退官されているらしく、ブログは退官されてから始めたらしい。そして、ブログを見て知ったのだが、Y先生は宇宙物理学が専門だったようだ。湯川先生とも会ったことあると書いてあった。正直、驚いた。というのも、Y先生の所属が、私が入学した当初は機械系で、その後、電気系に変わっていたので、私は、すっかり機械の先生だと思っていた。

ブログの内容は、物理、物理、物理していて、当時はY先生の話に全く興味が持てなかった私だが、今日は、少し興味を持って読んでみた。

ブログを読みながら、当時の私の目線と今の私の目線が変わっていることに自分自身が気付き、不思議な気分になった。


数学者、森毅氏の死去

2010-07-27 14:29:22 | 数学

数学者、森毅氏が亡くなったと昨日の新聞が報じていた。葬儀は行わないという。今日の朝日新聞の天声人語でも取り上げられていたぐらいに影響の大きかった方である。たくさんの著書を書いておられる。

彼の数学書を数冊はもっているけれども、それ以上にエッセイの方を多くもっている。でも彼の書いたエッセイのごく一部しかもっていないだろう。一時かなりむきになって買い集めたがとても数が多くて買い集められるというものではないことがわかり諦めた。

民間の教育団体である、数学教育協議会での活動では彼の森ダイアグラムは大学の基礎数学までの見通しを表したものとして有名である。要するに正比例の概念がいろいろに拡張されて、微分積分と線形代数となり、それがベクトル解析へと収束していく。これが森ダイアグラムである。

数学者や物理学者や工学者にとっては数学はどこまで学んでもきりがないものだが、大学の専門基礎の数学としては「ベクトル解析」が一応の目標であるとしたのはなんといっても卓見であったろう。

もっとも彼の数学書は他の数学者の数学書とは違ってくだけた体裁が多いが、それでもそれほどわかりやすいものではない。読み解くにはある程度の努力を要することはいうまでもない。

『現代の古典解析』とか『ベクトル解析』とか日本評論社のgay mathのシリーズに入っていた書は最近ではちくま書房の文庫にもなっているが、これはこれらの書が古典として認められたといってもいいからであろう。

彼の生前、高知の数教協の全国大会で一回だけご本人に会って話をしたことがある。なかなか話も面白い人であるが、彼はお酒を飲まない人だと始めて知った。

これはその後、何年も後になって面識を得た、鶴見俊輔さんもアルコールを飲まない人であったから、鶴見さんと森さんとが気があった理由がわかる気がする。

森さんは東京大学の出身だが、東大嫌いの鶴見さんも森さんを嫌ってはいなかったというより、気があっていたように感じた。

鶴見さんは「ラプラスの魔」というのがどこに文献として出ているのかを森さんに頼んで調べてもらったが、森さんがきちんと調べて教えてくれたと言っていたので、彼のエッセイなどを読むとちゃらんぽらんな人ではないかというイメージを森さんにもつが、そういうことはない人だとの感想をもっておられた。

もっとも当然のことながら、ちゃらんぽらんなら、数学者にはなれないことはいうまでもない。

優れた方を日本はまた失った。