物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

友人からの電話

2010-09-13 10:34:55 | 日記・エッセイ・コラム

「友あり、遠方より来る」とは50年以上も前に高校の漢文で習った覚えがある。もっとも「友」ではなくて、「朋」であったような気がする。

友人から電話がかかってくることもほとんどないが、土曜日の夜に久しぶりに友人から電話があった。Nさんからで、latexのインストールをしたのだが、うまく行かないので、明日にでも見に来てくれないかとのことである。

実は私もわからないことではご同様なのだが、それでも一人でやるよりも二人で困難にあたる方がうまくいくこともある。それで昨日の日曜日に午後出かけた。Nさんは松山市の北の方に住んで居られるが、私は東の方に住んでいる。それで松山市中を通って彼の家に行った。

どうもlatexはインストールをされていたのかもしれないが、もう一度インストールをし直したというだけで、それ以上の進展がなかった。「latex美文書作成」という本についているDVDをインストールするということだけだが、どうも数箇所パスが通っていないらしくそこをどうするのか勉強しておくということで昨日は終えた。

この「latex美文書作成」は奥村さんという方が書いていて、少しづつ改訂がされている。今年出されたこの版は第5版だが、かなり変更と追加があったようである。初心者向けのlatexの解説書でこれよりもいい本はないというのが、Nさんの言である。もちろん、latexの上級者のための良書はあるのだろうが。

若い頃にこの奥村さんは物理の研究者だったと思う。学会で彼が10分講演をしているのを見かけたことがあったように思う。それが、いまでは多分latexとか情報関係の研究者として名が通っているらしい。大抵の研究者が彼の「美文書作成」というこの本を愛読しており、私も例外ではない。


疲労

2010-09-11 13:02:59 | 健康・病気

昨日と一昨日は疲労を感じてしまった。それだけではなく、ちょっとなにかをやる気が起こらなかった。ブログは書いたが、それだけでそれ以上のことをする元気が起こらなかった。

気分転換が必要だと思ったが、いまのように暑くては何をする気も起こらない。それで仕方なく昔書いた数学エッセイを取り出して読んでいると居眠りをしてしまった。どのくらいの昼寝をしたのかはっきりしないが、眼が覚めたら少し疲労が取れていると感じた。6時前になっていたので、少し仕事をかたづけて自宅に帰った。

もちろん、暑いから誰でも疲労を感じるのは当然だが、それがしばらく味わったことのない無気力の感覚だったので、気になった。

朝方、Oさんの夢を見た。彼はこの4月に病気で50歳前に亡くなったのだが、夢では元気な姿を見た。背の高いなかなかイケメンの男であったので、一緒にスナックに飲みに行ったら、彼だけがもてるという風であった。幸せな結婚をして子どもさんにも恵まれたが、十年位前から腎臓を患い、闘病しながら勤務を続けてきた。

寡黙な人であったが、見るべきものは見てきちんと判断の出来る人だった。夢の中では彼が亡くなったことなどまったく気がつかなかった。おかしいものである。


刈入れ

2010-09-10 13:03:32 | 日記・エッセイ・コラム

まだ眠っていたのに、機械が動いているすごく大きな音がして、目が覚めた。2階の窓から下を覗いてみると自宅の前の田圃にコンバインが入って稲の刈入れをはじめたようだ。階下に下りて新聞を読んでいるうちに機械の音がしなくなった。朝食の後に支度をして仕事場に出かけようと見たら、完全に稲の刈入れが終わっていた。

ほんの1時間もないくらいの早業であった。騒音のすごさにはまいったが、しかし、人手なら刈入れは5,6人で4時間ぐらいはかかるだろうが、コンバインだからあっという間のできごとだった。この間の台風で筋をなして田圃の稲が倒れていたが、それをものともしない刈入れだった。

今日は台風の後で向こうの山の上に雲があるが、空の真上にはまったく雲がない。これは昔の言い方だと「日本晴れ」であるが、このごろはこの言い方はしないのだろうか。

暑さはまた昨日の一寸した涼しさから厳しい暑さが戻って来ている。でも昨夜は何十日かぶりにエアコンなしで夜が眠れた。朝方には窓を開けてみたら、けっこう涼しい空気が入ってきていた。この暑さもあと1週間ぐらいの辛抱らしい。


科学者は歳を取ったら?

2010-09-09 12:49:24 | 学問

科学者は歳を取ったら、何をするか。これは何十年も昔に「自然」(中央公論社)の巻頭言に載っていた話であり、Weiskopf(物理学者)の言では

1. do nothing

2. do administration

3. do philosophy

であった。これを聞いた朝永振一郎は

4. do nonsense

を付け加えたというのがそれであった。これは前に書いたことだが、

5. do history

6. do education

とかいろいろバリエーションは考えられる。ここまでは前に書いた思う。do historyを行った学者としてはオランダ生まれの物理学者Paisがいるし、相対論的量子場理論のテクストの著者であったSchweberとか、かつてFeynmanとの論文の共著者でもあった、L.N. Brownなどもこの範疇に入るであろう。朝永自身も「スピンはめぐる」(みすず書房)を書いたので、この範疇に入るのかもしれない。

do educationの例はあまりないのではないかと思う。私自身はこのdo educationに入ると思っているが、もともと科学者であったかどうかが私自身は疑われるので、なんともいいようがない。

それはそれとして私自身の友人、知人には意外に定年後も物理を続けている人が多くて、彼らは名誉とか業績のためではなく本当に学問が好きなのだなと感心をしてしまう。その辺がある程度功なり、名遂げた後で科学行政(do administration)にしか関心がない人とは違った人種が育っているという感を強くする。

もっとも科学に強い関心をもっていながら、その人柄のために学部長や学長のような科学行政に携わっている人もいることを忘れてはならない。


台風の影響

2010-09-08 11:00:06 | 日記・エッセイ・コラム

連日の酷暑であったが、台風の影響で少しばかりしのぎやすい。本当に久しぶりのことである。もっとも台風が過ぎるとまた暑さがぶり返すらしい。少なくともあと1週間ほどは暑さが続くことになる。

小学校と中学校で運動会の練習をするのが嫌だった。これは暑い日差しの中をグランドで座って待つことが多かったからである。体育の先生は運動会は自分たちの晴れの舞台であるということもあって生徒をむやみに行進の練習などをさせる。それも今年ほどの暑さの中ではないにしても9月の太陽はまだまだ厳しい。体育の時間の後では教室での授業には身が入らなかった。

今年は熱中症で亡くなる方が多かった。また、100歳を越えて生きていることになっているが、実際にはすでに死亡している人が多かったことも判明した。高齢の方が家族とも無縁に暮らしたり、亡くなったりしているということである。それも日本全国では結構に多いということである。

モラルの低下とかを嘆く前に、それだけ各人の生活や暮らしが厳しいということであろう。また、生活の苦しい人が全国民の1/3くらいになっているらしい。これはもちろん、一人ひとりの個人の努力の問題もあろうが、それだけではない。

グローバル・スタンダードとかで、派遣社員が大幅に増加してそれも企業がちょっと業績が悪化してくると、直ぐにその業績を反映して派遣社員の首を切る。こういった企業のあり方をどういう風に改善していくのか。最近では能力のある人は中国に働きに行く人とか中東に働き行くとかする人もいるらしい。だがそれは能力のある人たちの一部にすぎないだろう。

新しい、希望をもたせるような政治的または経済政策があるのだろうか。


数学・物理通信第4号

2010-09-07 11:31:07 | 数学

ようやく、第4号が発行できた。昨日pdfを送付してほっとしている。新関先生に土曜に見せに行き、一日おいて昨日月曜に発行となった。もっとも昨日は自分の書いたところを読み直したところ4箇所ほど不十分なところを見つけたのでそこを修正した。

私の投稿部分はずっと以前に書き上げてはいたが、やはり十分でないところが時間をおいて読み直すと散見されて、書き直しをしていた。それを数学・物理通信に取り込むとまた、式の番号等を変更することが必要になった。それらを直しているといつの間にか覚えがないミスプリができていたりした。

人間は間違える動物だが、私の場合にはいつもあまり緻密ではないので結局時間をおいて見直すことが必要である。そうしないととんでもないミスを犯したりするのである。

いままでのところ3ヵ月毎の発行を守ってきた。次号は新関さんが彼の原稿を投稿してくれることになっているし、彼の知り合いのTさんにも声をかけてくれている。それにもう欠かさすことができなくなっている中西先生の寄稿もあるだろう。


文化大革命

2010-09-06 13:02:18 | 国際・政治

矢吹晋さんの「文化大革命」という新書を昨日読んだ。これは1989年の書であり、もう20年以上も前の書である。

文化大革命は失敗だったというのが、矢吹さんの評価である。そして四人組ではなくて、毛沢東も入れた五人組だというのが矢吹さんの判断である。

文化大革命では毛沢東は大きな過ちを犯したというが、毛沢東のそれまでの中国の革命の功績に鑑みて中国では毛沢東は功罪相半ばするという公式見解らしい。

それはともかく、中国の現代の歴史は私たちの経験した歴史の一部である。私の出た大学の研究室のS教授は中国に何回か行ったことがあったので、私たちにも中国は近しい感じの国であった。

また、そこから先生がお土産として持ち帰った酒「茅台酒(まおたい)」とか「老酒(らおちゅ)」とかは若いときには親しい酒であった。

中国はプロレタリアート独裁の国であり、西欧風の民主主義国ではない。大学院の頃には北京シンポジウムがあり、同僚の大学院生もメンバーの一人としてシンポに出かけたりしたし、そのための募金活動の責任者を私が在学した大学で勤めた。

これは私がその運動に賛成であったというよりは他の学生がそういう役から逃げてしまい、処世術の下手な私にお鉢が回ってきたということであった。

毛沢東自身にS教授が面接したことがあったと言ったかどうかは覚えていないが、遠山啓氏の毛沢東評はあまり芳しいものではない。遠山氏は毛沢東について陰険な暗い印象をもったらしい。その印象は遠山啓著作集のどこかに載っている。

私は学生の頃には毛沢東をすばらしい政治家と思っていたので、この遠山の毛沢東の印象について読んだときには私はもう大学に勤めていたが、少し意外な感じをしたと思う。

しかし、今考えてみると、この遠山の印象はかなり正しいものだったのだろうと思う。

そういえば、武谷三男は中国本土へは行ったことはないはずだが(武谷は幼少時から旧制の高校までを台湾で過ごした)、毛沢東の「矛盾論」とか「実践論」はあまりにも教訓めいているとして、それほど評価していない。

しかし、一つの毛のエッセイだけは評価している。これはもちろん、毛が延安時代に書いたものらしいが、これが毛の一番いい時代だったのであろう。その後の毛の論文をあまり評価していないようである。

もっとも私は毛の「矛盾論」を読んで得るところがあった。もちろん、思想としては毛沢東の影響だけを受けているわけではないが、ものごとを矛盾の対立として考えるという点でいくぶん考え方を学んだと思う。

私の90年代のある経験(これはまったく学問とは関係のない経験だった)の分析に毛沢東の抗日戦線の状況の予想の分析を真似て推論をしたことがある。

そして、それは完全に予想があたっていたわけではないが、おおまかにはあたっていたと思う。


日本語って難しい

2010-09-04 11:30:30 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、インターネットで見たのだが、「そこの娘さん」とはいえても「そこの息子さん」とはいえないという。確かにそうだ。娘という語には若い女性という意味が含まれているのに対し、息子には若い男性と言う意味が含まれていないのだ。

多分そうだろうと推測して広辞苑を引いてみたら、「あたり(ピンポーン)」であった。どうしてなのだろうか。妻によれば、「そこの息子さん」などと言えば、どうも「俺はお前の息子ではない」といった厳しい返答が帰ってきそうである。

世間的に言うと息子と娘は対になって使われる語だと思うが、だからといっていつでもその語は対称的ではないのである。それがどうしてなのかは面白いところである。

逆に若い男性を呼ぶときにはどういうのだろうか。「そこのお兄さん」とか、年を取った人なら、そこの「若い氏」「若者」「若衆」とかいうだろう。もっとも「そこのお姉さん」とはいうから、お兄さんとお姉さんとは並行的である。


人としての条件

2010-09-03 14:57:39 | 日記・エッセイ・コラム

「人としての条件」とは妻と医療生協の活動をしている人々について今朝行った議論から出てきた観念である。誰か特定の人を批評するというような意味をもっていない。

人としての条件とはいうが、特に優れた人という意味ではない。普通に信頼される人というくらいの意味である。

これはいくつかのことが条件になるだろうか。

まず、ある程度自分のアイディア、意見とか考えがある人ということがまず最初だろう。しかし、それだけでは十分ではない。自分のアイディアを言うだけでそれを自分で実現しようとしない人がままあるからである。だから、そのアイディアなり考えなりを曲がりなりにも実現できる実行力をもつということがつぎに必要だろう。

だから、アイディアは大切だが、それを述べるだけでは十分ではないといえる。それを具体化して実現できる力が必要なのだ。この点では優れた研究者といわれる人にはその点の力が備わっていると感じている。もっともここでは学者とか研究者ではなく、もっと普通の人のことである。

この実行力の中にはもし必要ならば、他人を動かす力をもっているということがある。私自身に欠けているのはこの点においてである。

実行力と密接な関係にあるのだろうが、意欲というかintentionがどうも大切なようである。意欲があってもそれに伴う実行力が伴わないとものごとは実現できないものだが、それでもまずは意欲が必要である。もっとも意欲とアイディアとか考えもある程度結びついた関係にあるという気がする。

まとめれば、信頼される人に必要なのは「アイディア、意欲、および実行力とか組織力」となろうか。これらの3つないしは4つの能力を合せてもっている人は優れた人ということになろう。残念ながら私たち凡人はそのうちのいくつかの能力が欠けているというのが現実だろう。

それでも、それらの欠点を何とか補ってやりくりしているのが、私たち凡人なのである。


初代若の花

2010-09-02 12:53:09 | スポーツ

初代若の花が亡くなったとテレビが報道していたが、今朝、新聞で読むまで忘れていた。

この初代若の花とは中学校の修学旅行で、大阪の天王寺の公園で出会った。すれ違ったのだが、若の花と気がつかなかった。友人のH君が気がついて追いかけていき、写真を撮らせてもらった。

それで、H君からもらった若の花の写真の小さなプリントをもっていたと思うが、どこかに失くしてしまった。春休みの修学旅行のときだったと思うので、春場所の後だったのではないだろうか。

普通の大人と比べて少し背が高いが抜群に背が高いというほどではなかったと思う。すれちがったときにお相撲さんだとは気がつかなかった。コートを着ていて、子どもさんを抱いていたのではないかと思う。ということは奥様と一緒だったのだろうか。その記憶ははっきりとはしない。

まだ彼が関脇か小結の頃で私たちは中学校の2年の終わりであったと思う。異能力士と言う評判はすでに得ていたかもしれないが、大関になり横綱になり、横綱の栃錦との名勝負を演ずるのはそれから数年後のことである。

そういう縁があったからだが、当然私も若の花ファンとなった。私はどちらかというと栃錦のファンではなく若の花ファンであった。中学生の頃だから、私が10数歳の頃である。今朝新聞で見たら、彼は82歳であったというから、私より11歳年上だということになる。

長い間生きているとわずかな縁だが、奇妙な縁もあるものである。


無料塾余談

2010-09-01 12:53:17 | 日記・エッセイ・コラム

4日にわたって医療生協の1支部の活動として宿題無料塾をやってみた。参加人員は初日は1人、2日目4人、3日目1人、4日目2人であった。結果としてはあまり子どもたちは集まらなかったのだが、それでも面白いことがあったらしい。

あるお母さんから冬休みにまた無料塾をするなら、書初めを指導してほしいと言われたことである。具体的には習字の「とめとはね」を指導してほしいと言われた。妻は「字のとめとはね」よりも大事なスペースの配分とか字配りが大切ですよと返答したという。

先生ならば何でもできるという風にこのお母さんは考えておられるらしい。だが、事実はそんなことはないのである。たまたま妻は書道を前から習っており、小学生の習字の指導ぐらいはできる。

私の小学校時代を考えても宿題で嫌なものは習字、作文であった。これらはするのがどうしても後回しになる。それは現在の小学生でも変わらないのだと思う。

これは無料塾とはまったく関係がないが、テニスの同好会を妻が長年主宰していた。これは若い女性のテニス初心者をテニスに誘って一緒に練習をしたり、ゲームをしたりしていた。現在はこの同好会は私が世話をしているが、とはいっても私はテニスが上手なわけではない。どちらかというとクラブ一の落ちこぼれである。しかし、それがいいのか、なんとか20年近くこのクラブは続いている。

昔にある女性から「テニスを教えて下さって有難う。つぎはスキーを教えてください」と妻は言われたことがあった。妻はまったくスキーをしたことがない。テニスとかスキーとかは若い女性が独身時代に嗜んでおきたい趣味だということなのであろうか。

私たちの子どもたちが小さかったときには町内の子ども会が毎年企画して、スケートのアリーナにバスで一日スケートに行くのが慣例であった。このときには毎年父親の私が子どもに同伴するのが恒例であった。少なくともはじめは絶対に妻はスケートについては行かなかった。

それでも,妻がある年に子どもについて行ってスケート靴を履いて氷上に立っていたが、まったく滑れないし、歩くことすらできないので、氷上にただ立っていたら、ちびっ子の女の子に「おばさん、何しているの」と言われたとかで本気で妻は腹を立てていた。

二男は見よう見まねでバランスをひょいひょいととって滑ったが、不器用な長男ははじめまったく滑ることができなかった。それで、まず歩くことから教えてそれから少しづつ滑ることを教えた。いま長男がスケートを滑ることができるかどうかわからないが、多分滑ることができるであろう。二男はいつでも器用だからなんとかするのであろう。

私にしても大学の体育の時間に先生から氷上での歩き方、滑り方と止まり方の説明を10分ほど受けたにすぎない。