松田信行さんの「戦後日本の数学教育改革」(明治図書、1981)をアマゾンコムの古本で手に入れた。
この本はどうしたものか、古本市場では結構値段が高くて、手に入れられなかったのだが、格安の値段で手に入れた。
もっともこの本は消してあったが、透かして見ると東京都東中野区立図書館の所蔵であったものだとわかった。
朝永の量子力学IIの英訳を古書で手に入れたときにどこかの外国の会社の研究所の蔵書であったことがあったので、蔵書を古本業者に引き取らせることがあるのだなと始めて知ったのだが、そういうことが日本でも普通に行われているらしいとは最近になってそういう書を手に入れることになりはじめて知った。
この本がなぜ古本市場で5,000円以上の値がつけられているかはわからないが、古本業界は意外と本の情報に詳しいのだと思っている。
さて、昨夜手に入れたばかりなので、終章の『「あとがき」に代えて』しか読んでいないのだが、これは二つの松田さんの論考と言っていいかと思う。
それらは「小倉金之助と数学教育」と「遠山啓と数学教育」とから成り立っており、いずれも優れた論考と思った。ただ、この二つについて、この書に収録した時点では書き換えたいところとか、削除したいところもあるが、そのまま載せたとあった。
それについてひとこと言わせてもらえば、私なら意に満たないなら、書き換えたかそのままにしても脚注等のコメントをつけ加えるかをしただろう。それが読者に親切というものであろう。もっとも私自身はこの二つの論考を読んで違和感を感じたところはなかった。
だから、松田さんのことわりの前書きはもしかしたら、彼の謙遜を示しているのかもしれない。それならしかたがないが、本当に書き換えたり、削除したりしたかったのなら、どしどし最新の見解に書き換えるべきであろう。
小口鈴実さんの「こども、ばんざいだ!」(数学教育研究会、2009)がこの松田さんの本を参照しているかなと思ってこの本の参考文献を調べてみたが、どうもあげていないようだ。
小口さんには悪いが、彼女の本を読んで力作にはちがいがないが、どうも欲求不満になるような気がしたことを覚えている。そういう点が松田さんの本にはない。
高知であった数学教育協議会の全国大会の会場で一度だけ、松田さんを見かけたことがある。痩身の白髪交じりの方であったように思う。松田さんも数年前に亡くなったことは新聞で読んだ。