物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

花鳥風月

2012-11-13 10:39:39 | 日記・エッセイ・コラム

「花鳥風月を愛す」などという文句があるが、ついぞ花鳥風月を愛すなどという心境にはなったことがない。

ドイツ語にはWein, Weib, Gesangという文句があり、「ワイン、女性、歌」を愛すというのであろうが、このごろのフェミニズムから見れば、男性視点のけしからん言い草かもしれない。

ドイツ語でも女性の視点のそういう常套句ができてもいいはずだが、そういうものがあるのかどうか。ともかく上の言い方には男性視点のけしからん文句という、批判をお持ちの女性も現在では多いことだろう。

しかし、Wein, Weibと続くところは耳に心地よい。それは男性視点からとかなんとかいうことではなさそうである。これはWein, WeibとWが続くためである。誤解なきように。

前にも書いたことがあるが、Weibは現在では使うことを避けるべき差別用語の一つで女性を指すときに、このような慣用句でなければ、女性のことをWeibなどと言うと眼を剥いて叱られるであろう。普通には女性のことはFrau(フラウ)とかFrauen(フラウエン)と言うのが普通である。

俳句の街、松山に長年住んでいても俳句をひねろうかという気持ちになったこともない。亡くなった叔母はお茶をやっていたためか俳句をつくっていた。

老後に子どもと同居するために茨城へ引越しをしたのだが、生前叔母を茨城に訪ねたときにこちらは愛媛と違って、俳句のレベルが低いと嘆いていた。

ことの真偽のほどはわからないが、叔母は多分俳句の故郷の愛媛で長年俳句をつくってきたという、矜持をもっていたのであろう。

しかし、哲学の教授だった、先輩のKさんはこういう松山特有の文化を批判しておられたが、そういう自分の言葉には忠実ではなく、俳句をつくられる方ではなかったかと思う。ひょっとすると俳句の雅号までお持ちではなかったかしら。

いや、そういう俳句をつくれる人をうらやましく思っても、非難しているわけではない。ただ、私にはそういう才がない。


シンガーソングライター

2012-11-12 11:37:22 | 音楽

先週の金曜日の夜のNHK教育放送の「佐野元春のシンガーソングライター」では星野源さんが招かれていた。私は星野さんがどんなシンガーソングライターなのかまったく知らない。

ただ、星野さんが言っていたことで興味を惹いたことは曲が先にできていた場合にはその曲にひきずられて詞のほうが制約を受けることがあり、その曲の制約によって始めに想定した詞が曲にあてはまらないことがしばしば起こるが、そのときに適切な詞が思いつかない場合に、別の言葉を使ったりすることがある。

ところがそのような場合に後から見ると、かえって含蓄が深いいい詩になっていたりするという。だから、そういう意味で曲の制約とか、または反対に詞の制約が曲に深みを与えたりすることもあるのだろう。

形式はえてして人を制約して、嫌なものだが、そういうことまで含めて考えると一概に形式が創造性を奪うとはいえないということがわかる。ある意味で反語的な状況が存在するということであろう。


こうもり(Fledermaus)

2012-11-11 13:12:19 | 音楽

昨夜、愛媛ヴォカルグループ研究演奏会の「ドイツ音楽の愉しみ」という題の演奏会を聞きに行った。

1部はモーツアルトの歌曲であったが、私には東原美和さんの歌った「魔笛」の「私の運命は苦しみに満ちて」がよかったと思う。

2部はシューベルトの歌曲であったが、その中では林直子さんの歌った「音楽に寄せて」「魔王」がよかった。林さんはなんというか深い声で、他の歌い手さんにはない、声質であると思われた。

休憩の後は歌い手の方々も堅さがとれて、自由に歌った感があり、どの歌もよかったが、特にシュトラウスのオペラ「こうもり」よりの「侯爵様、貴方のようなお方は」がよかったように思ったが、私は音楽の素人であるから私の感想などまったく当てにはならないことを前もってお断りしておく。

ドイツ語は初級程度ばかりを実に何十年も学んでいるが、歌の中のドイツ語はなかなか断片が聞き取れるだけでほとんど聞き取ることはできなかった。

音楽、特に声楽をする方々にはドイツ語は必要ということがわかったが、昨夜のコンサートで歌った、どの方ともドイツ語関係のところで出会ったことがないのは残念である。

「こうもり」というドイツ語を知っていると思っていたのだが、どうしても思い出さなかった。昨夜、コンサートから帰って妻と話をしたのだが、思い出せなかった。

妻から和独辞書を引いてみたらと言われたのだが、あいにく自宅には和独辞典をおいていない。それで、仕事場に来て和独辞典を引いてみたら、die Fledermausであった。

Feldermausと間違えて覚えていたのかもしれない。Flattermausというのが原義であるらしい。flatternというのは鳥などが、ぱたぱた飛ぶことをいう。


Im Anfang war das Wort

2012-11-11 11:15:55 | 外国語

Im Anfang war das Wort(イム アンファンク ヴァル ダス ヴォルト: はじめに言葉ありき)というのは聖書の最初の文であるという。

ドイツ語のクラスのリーダーのO氏は元牧師で、それもドイツのマールブルクで4年も神学を学んだ方だから、彼にとってはそんなことはとっくの昔からご存知のことであろう。

私などは聖書を読んだことが一度もない不逞の輩である。

だが、この文句は伏見康治著の『力学』(岩波書店)の序文で伏見さんがミュンヘンの科学技術博物館にIm Anfang war die  Mechanik (イム アンファンク ヴァル ディ メヒャニーク: はじめに力学ありき)とあったとあり、続けてこれは聖書の文章にならったものであると書いてあった。それで、この文章を知った次第である。

ドイツ語の聖書の最初のドイツ語訳はルターによるものだというから、これはルターから来ているのだろうか。

さすがに私のもっている独和辞典にもAnfangの項にこの文章は例文として出ており、聖書からきているとあった。

昨日、Aller Anfang ist schwerのブログを書いたときに、すぐにこのIm Anfang war das Wortという文章を思い出したが、そのときにはこのことまで文章に含めると長くなるので、書くことを止めにした。

Anfangという語が男性名詞であることを始めて昨日になって認識をした。もっともAllerという形容詞がついているので、男性名詞であることは明らかだったかもしれないけれど。

こういうことは前に書いたことで覚えているのはVielen Dankというから、Dankは男性名詞であることにようやく気付いたと、いつかブログで書いたことがある。



ヴァーチャル(virtual)

2012-11-10 16:39:43 | 外国語

ヴァーチャル(virtual)とは何か。前にも書いたことがあるような気がするが、再度気になったので書く。

岩波書店発行の「図書」11月号に見田宗介さんと安田常雄さんとかが対談している中で、見田さんが1975年から1990年までが日本史における虚構の時代だと定義されており、1990年以降はヴァーチャルな時代だと言ってもいいが、ヴァチャルとは虚構のことですよねと言っている。

ここでは、この見田さんの見解ウンウンを議論したい訳ではない。そうではなくて、英語としてのヴァーチャルとは一体なんだろうということである。

以前、この語について書いたときの驚きはヴァーチャリーが実質的にという訳語がついていたので私の認識が改まったということだった。

いま、手元のProgressive 英和辞典(小学館)を開いてみると、実質上の、事実上のという訳が最初に来ている。光学用語の「虚像の」という意味が2番目にあり、3番目にようやく理系の用語としての「仮の、仮想の」ができて、4番目に「ヴァーチャルな、ネットワーク上の」という訳語が出てくる。

実は日本の現在ではこの4番目の使い方が一番普及しているのではなかろうか。私自身は3番目の訳語でvirtualという語に学生時代から親しんでおり、このvirtualはrealに対する語であった(と思う)。

そして私の理解が正しければ、realということはエネルギーが保存していることを示しており、virtualということは必ずしもエネルギーが保存されていることではない。しかし、エネルギーが保存される現象だけがあるという訳ではないと理解している。

もちろん、私たちの現実の日常生活の世界ではエネルギーや運動量が保存していなくては困るのだが、エネルギー保存を確かめるだけの測定時間がとれない、きわめて短時間の過程ではいろいろの可能性がありうる。

こういう風に理解をしてきたように思う。そうだとすると私の理解してきた、「仮想的な」という3番目の訳語の分野でもひょっとして「実質的な、に」と書き換えることが可能なのだろうか。


Aller Anfang ist schwer

2012-11-10 12:00:34 | 外国語

Aller Anfang ist schwer(アッラー アンファンク イスト シュウェア: なんでもはじめが難しい)とはドイツ語のことわざSprichwortだが、大抵のものは確かにはじめがいつでも難しい。

学問でもなんでもある程度初期の段階をなんとか困難なしに切り抜ければ、あとはつぎの困難がでてくるまでにはかなり進んでいる。

ところが、最初が困難なものに、物理学とドイツ語の学習がある。もちろんドイツ語の学習というのはドイツ語を母語にしない人にとってという意味である。ドイツ語を母語とする人にはドイツ語に困難はない。

難かしいものには数学とかあり、数学は難しいものの代表だが、それでもまたその故にかもしれないが、逆に熱狂的なファンがいたりする。

ところが、もちろん、物理学にもファンはいるのだが、そのはじめが難しい。これは私にとってだけではなく、私は直接に教わったことがないのだが、愛媛県高校の理科教育で有名だったK先生からも物理学ははじめが難しかったという述懐を高校生のころに伺ったことがある。

このK先生は今治西高校の物理の先生をしながら、瀬戸内海の島の微細気象の研究を行って、京都大学から理学博士の学位を受けた方であった。

だから普通の意味では物理の理解にそんなに苦労をされたとは思えないくらい優秀な方であるが、高校生のころにそういう話を伺った。

もっとも私が高校生のころはK先生はまだ学位をとられていなかった、学位をとられたのは私が大学の1年か2年のころである。当時はまだコンピュータもなく、データ処理を多くのボランティアの学生を動員されて、今治市のある旅館の大広間でされていたのを見かけた。

なぜ、私が物理の勉学のはじめに困難を感じたかということもいまではもう定かではない。

物理学では初歩の段階で用語の定義があっても、少し考えると論理的な循環論みたいでどうも基礎がぐらぐらしていて、どうもしっかりしないのではないかという感じもったのが、その一因だった。

質量などという力学のはじめに出てくる概念などもちょっと考えると循環論に陥りそうで、どうもしっくりこなかった。そういうところが物理にはあるなどと開き直ることができるようになったのは、これも何年も大学で物理の講義をし、定年まじかなころであったのはなんとしても遅すぎた。

しかし、物理は私の場合にはまだよかった。もっと悪かったのはドイツ語の方であった。これは50年以上も前のドイツ語の教育があまりよくなかったということを今では示すものだと思っている。

私はヨーロッパ系の外国語がその外国語によって独特の語順をとるのだなどとは想像だにしていなかった。英語と同じ語順をとるものとばかり思い込んでいた。

ドイツ語での語順を50年以上も昔の大学のドイツ語教育では特に強調しては教えられなかった。

ドイツ語文法として教えてくれるのは不定冠詞、定冠詞、名詞の格変化、単数、複数形等々語形の変化のみであった。さすがに今ではそんな教え方はされていない。

ドイツ語の先生の弁護をしておくと、動詞を中心とした、ドイツ語の語順についてのちゃんとした教育は昔でもされていたのであろう。

人によっては経験深くおもしろい講義をなさる先生も少なくはなかったに違いない。しかし、そういう先生に私はなかなか出会うことがなかった。

このことは前にも書いたことがあるが、「ドイツ語を理解できる人とはなんと頭のいい人たちなんだろう」と何年も思っていた。

(2013.7.8付記) ドイツ語に関心のある方でドイツ語学習に困っておられる方はこのブログの「ドイツ語の特徴」を参照してほしい。そこにドイツ語の特徴の一つである枠構造について説明をしている。

(2021.4.12付記)ドイツ語を読んだり、話したりできるようになった今では、じゃあ自分の頭がよくなったように感じているかと聞かれれば、別に頭がよくなったなどとはまったく思えないから不思議なものである。うまく教えてもらえれば、誰だってドイツ語くらいマスターできるという気がする。 

古い記憶

2012-11-09 12:03:22 | 日記・エッセイ・コラム

なぜだかどこかで待っていたのになかなか父母とか祖母とかが帰って来なくて一人で家に帰ったことがある。

これは今朝急にその記憶がよみがえってきたのだが、朝鮮(いまの韓国)の鎮海という小さな町での幼児の頃の体験である。

そういった体験は3回記憶にある。一度は祖母とはぐれてしまった記憶である。多分祖母と一緒に郵便局に行ったのだが、そこで何かの理由で郵便局の外で待つように言われていたのだが、なかなか祖母が外に出てこず、私一人が郵便局の外で待っていたのだが、待ちきれずに一人で歩いて家に帰った記憶がある。

家に帰ったときに母が家にいたのかどうかも記憶にはない。家の前で待っていたかもしれないし、母が在宅していてすぐに家の中に入れたのかどうかも覚えてはいない。

待っていなかったことで、叱られた記憶もないから叱られたということはなかったのだろう。いまなら、30分や1時間ぐらいはなんてこともなく待つかもしれないが、幼児(4歳か5歳)の私には少しの時間がとても長く感じられたのであろう。

そこで待つ理由を祖母から説明されたのだと思うが、それを納得できたとは思えない。

別の記憶は父と外出したのだが、父が誰かとの待ち合わせに少し離れたところに立っていたが、そのうちにどこかに姿が見えなくなってしまった。それでしかたなく一人で家に帰ったと思う。このときも父が誰かに会うらしいということを覚えてはいるが、それ以外のことは覚えてはいない。

このときも先に家に帰って来たのだが、叱られたという記憶はないから叱られたりはしなかったのだろう。いまから考えると父が誰か女性と密かに会うためにそのアリバイづくりに私を連れ出したと言うことなども考えられないこともないが、そんなことをしたら、小さな町だからすぐにうわさが立ってしまうので、そんなことができそうには思えない。ちなみに私の父は今風に言えば、なかなかイケメンではあった。

第三の記憶は前の二つと比べれば、少しはっきりしている。このときも私は少しの時間を待つことができなかったためだと思っている。

これは母に連れられて、母の実家である, K家に行った(母の親戚の多くが、この鎮海にそのころいた)。そのときに母は母の姉とか母の母(祖母)との話が弾んでしまって、その後にあるはずの町の山の上にある、鎮海神社でのお祭りに行くことになっていたのだが、私が待ちきれなかったのである。

そのときは待ちきれずに一人で鎮海神社に一人で傘をもって出かけてしまった。鎮海神社へと登っていく階段の下で母がやってくるだろうとしばらくは待っていたのであるが、その時間がどれくらいだったのか時計なんてものをもってはいない年だし、私はイラチなのでまた待ちきれず、仕方なく家に一人で帰ってしまった。このときには祖母が家にいたのかどうか。じっと家の前で待っていたのか。家の中に入ることができたのか覚えてはいない。

このときは母から叱られたことを覚えている。ずいぶん楽しいことがあったのにお前がいなくなってしまったから、その楽しいことを逃してしまったと。くじ引きとかもちをもらって食べることとかその他のことがあったらしい。

脳なんてこういうなんでもないことをそれこそおよそ70年も前のことをそこはかとなく思い出すということは何なのであろう。私は記憶力がそれほどは悪くはないと思うが、それにしても3~5歳くらいのときのことである。

それも思い出す必然性もなにもない。自分の脳ことではあるが、不思議なものである。


ゴミ屋敷

2012-11-08 11:34:05 | 日記・エッセイ・コラム

よくテレビの番組でゴミ屋敷のことが出てくる。家中にゴミがあふれて、その上近隣にも悪臭や衛生上で悪影響を及ぼしているというような話である。

ところが私の家のある部屋はこのゴミ屋敷みたいである。大学をもう7年も前に定年退職したのだが、そのときに大学からもって帰った書類とかその他のものの整理がつかない。

ずっと以前に購入して使ってきたかなり大きな机はいまではもうまったくその機能を発揮していない。どうやってかたづけるのか。整理の専門家は多分できるところから毎日短時間ずつその片付けをすればよいというのだろうが、まったくどうしていいかわからない。

一番いけないのはどうしていいかわからないために整理と片づけをする気がどうしても起きないことである。

それでもすこし快適に知的生活をするためには、このゴミ屋敷ならぬゴミ部屋をなんとか解消しなければならないと7年経ってようやく思うようになった。こういう風にどこに何があるかわからない状況だと知的生産にとっても大いにマイナスであろう。

だが、そうは思うようになってもどこをどうしたらいいのかわからない。

整理学の基本は捨てることだという。それなら、やはり捨てることを決断しなければならないのだろう。ところがなかなかこの決断が難しい。

妻などは不要なもの(いやまだひょっとすると使うかもしれないものも)をすっぱりと捨てることのできる人だが、この部屋は私の領分であるので、彼女も手を出さない。だから、やはり自分で決意をしなければならないのだろう。


数学・物理通信への手紙

2012-11-07 12:02:56 | 数学

数学・物理通信をリンクして下さっている、名古屋大学の谷村さんからメールが送られてきた。それは名古屋在住のHさんからの手紙のPDFコピーであった。

手紙の本文は短くて特に取り立てて、どういうこともないのだが、それにHさんのノートのコピーがついていた。質問なのかコメントなのかはっきりしないのだが、私の書いたエッセイについてと仙台のTさんの書いた論文に関係している。

それで、谷村さんの要請に応えて、メールをTさん宛にも転送をした。Tさんからもコメントなのか質問なのかかはっきりしないということとメールのアドレスでもわかれば、なんらかのやり取りはできるのだがとメールをもらった。

後で、この手紙をくれたHさんの名でインターネットで検索したら、この人のホームページがあったが、プロファイルとかメールのアドレスは昨日検索した限りではわからなかった。

ただ、この人は高校数学レベルかもしれないが、いろいろと自分なりの研究をインターネットに出しているということがわかった。もっとも自分の計算ノートをそのまま載せているようなところがあり、その熱心さはわかったが、もう一つ鮮明さを欠くような印象である。

私の書いた2項定理の係数を求めることに関してはその原理はよくわからないが、なかなか実践的な方法が示唆されており、私も確かめてみたが、その通りである。

Hさんはこの係数の求め方の理屈を求めているのかもしれないが、まだ私にもその理屈はわかっていない。いつかはわかるかもしれないが、それがいつになるかは、また本当にわかるのかどうかもわからない。ただ、現象としてはある決まった手順があるので、それにしたがえば2項定理の係数を求めることができる。

もっとも、普通の方法で階差数列をとって得られた連立方程式から係数を求めていくやり方で特に困ることはなさそうである。だから、これは実用上の問題ではなく、その下に潜んでいるメカニズムの解明をされたいと望んでいるのであろうと推測した。

しかし、世の中は広い。数学などというものを高校レベルに限ったとしてもそれの追求をしている人がいるというのは驚きであった。

このHさんの手紙の中に引用されていた、「おどる数学」(知泉書館)というのをアマゾンの古本で購入してみたが、これは長年高校で数学を教えた方の問題の別解法を述べた書であった。

(2012.11.29付記) 上に書いた未解決の部分はその後解決できた。それについてはそのことを扱ったエッセイを書いているところであるが、なかなか完成しない。しかし、いつか数学・物理通信に載せたいと思っている。

(2013.11.1付記) 上に書いたエッセイはすでに「数学・物理通信」3巻4号(2013.6)に載せている。「数学・物理通信」で検索すれば、名古屋大学の谷村さんのサイトにリンクされて載っている。PDFの文書であるから、簡単にプリントできる。


Learning from barefoot school (TED conference)

2012-11-06 12:26:55 | テレビ番組

一度、この項目で折角入力をしたのに、すべてキャンセルされてしまった。残念である。再度あまり長くならない範囲で入力を試みる。

インドのバンカー・ロイの話である。はだしの人々にソーラー発電の技術を教えて村を電化する。それもbody languageしか通じない中年以降の女性に教えて彼らを発電技師にしてしまう。

ロイは男性には信頼をおいてはいない。いろいろな知識や情報を広めるには女性に話せばいいという。ロイはソーラー発電と生きていくために最低必要な水源の確保を最重要事項としている。

簡単に話を聞けるものならば、行って話を聞いてみたいと思ったほどである。しかし、インドで最低の条件としてのソーラー発電での電気の確保と水源の確保ができたら、次にやらねばならないことは何であろうか。

そういう段階にインドの貧困層は達していないのかもしれないが、そういう時期はやはりいつかは来るだろう。その見通しをどのようにしているのか知りたいと思った。

子どもたちは昼間は働いて、自分の生活を最低限支えているので、夜に学校を開いてはだしの子どもたちを教育をする。壮大な気の長い話である。

やはり最終的には教育が生活を、意識を変えるのであろう。


校正

2012-11-06 12:01:37 | 学問

学問の分野に入れたが、それほど高級な話ではない。

徳島科学史雑誌の投稿原稿の校正が来ている。それを校正するために昨夜の11時半過ぎから校正刷を読み直していたのだが、いつのまにか眠ってしまった。それで気がついたら、1時半を過ぎていた。

それで、歯を磨いて正式に就寝したのだが、そのときもいつのまにか寝入っていた。どうもこのごろはこのような生活を続けている。12時を過ぎたら、きちんと布団に入って寝たほうがいいのだが、どうも30分か1時間でも読書とか何かに時間を使いたいとコタツに入って本を開ける。はじめは読んでいるのだが、そのうちにいつか知らずに寝入ってしまうらしい。

どうも貧乏性でいけない。しかし、地球物理学者の竹内均さんは生前に著書の中で彼は5分の時間でも無駄にしないと書いていた。これこそ合理性というか、私のいう貧乏性の極致であろうか。彼はテープレコーダーに文章をゆっくりと口述して、それを秘書として雇っているお嬢さんにワープロに起こさせる。そういう方法で何百冊かの本を書いたという。

また、それが本になるかとかいうことは別にしてそういうデータの蓄積を生涯されたという。彼は札幌の予備校の校長やNHKの教育テレビの一般理科とか地学の講義や物理の講義を生前やっていた。

その生き方には賛否があるかもしれないが、やはり一つの生き方ではあろう。

東京大学を定年になったとき、竹内さんは専門の地球物理学の雑誌とか書籍とかは全部友人知人や後輩に譲って学問の世界からすっぱり身をひいた。そして科学の啓蒙と普及にその後の人生を尽くしたのであった。こういうところは私にはとてもみならえない。


人が違えば、見方が違う

2012-11-05 12:43:53 | 数学

四元数のシリーズのエッセイを書いているとのことをこのブログでも何回か書いた。

一昨夜に大阪大学の金谷一朗さんのインターネットの講義録「ベクトル・複素数・クォータニオン」のプリントを読んでみたら、これがいままで私が考えたことがなかった観点からクォータニオンを取り扱っているらしい。

もっとも彼の観点はまことにオーソドックスなものである。だが、もうそろそろ四元数のエッセイのシリーズを終えたいと思っている私はまたまた宿題を背負い込むことになった。

ここで、その要約をすることはまだできないが、空間回転を群SO(3)で扱うよりもSU(2)で扱ったほうがいいというようなことであろうか。

四元数と回転については「四元数と回転1」でKuipersの観点から四元数と回転を取り扱ったが、「四元数と回転2」は2回の鏡映変換で空間回転を扱うという観点から四元数と回転を扱った。

さらに、まだ一字も書いていないが、つぎのエッセイでは著名な数学者のポントリャギンの観点にしたがって同形変換から四元数と回転を論じようとしている。

そして、もう一つ標語的に言えば、SO(3)よりもSU(2)で四元数と回転を取り扱うという観点を知ってしまったわけである。

金谷さんの講義録を詳細にはフォローしていないので、その詳細はまだ何も言えないが、これが一番オーソドックスなものであるのかもしれない。


林家染太落語公演

2012-11-05 11:34:03 | 芸能ネタ

いま売り出し中の落語家林家染太さんの落語と彼の企画した一連のショウを内子町の内子座に見に行った。

折角の機会だからということで、少し早めに知人のKさんを誘って9時過ぎには松山を出発した。

途中で土地のマーケットやレストラン等がある、「からり」に寄ってしばらく時を過ごし、それから少し早めに内子町の役場の駐車場に駐車をして、内子町を観光した。女性二人はお店に入ってあれこれ品定めをしたりした。

13時30分前には内子座の前で開場を待った。そのうちに時刻が来て、開場されて中に入ることができた。

落語は桂三幸さんに一つと林家染太さんの3つで途中でマジックとかクラシックの音楽の演奏があったりしたが、最後にクラシック音楽の演奏家とのコラボとしての落語と音楽の演奏があった。

この主題は演歌のメロディーとクラシックの音楽のメロディの類似性を追及したおもしろい企画であり、なかなかのアイディアであった。

ヴァイオリンを演奏された浅野未来さんはとても美人のヴァイオリニストであり、ピアニストの西岡さんも背の高い美人であったが、西岡さんは内子町の出身だとのことであり、浅野未来さんは松山市の出身で染太さんの久米中学校の同級生であったのことであり、大いに楽しむことができた。

こういう企画なら、その頻度はどれくらいがいいかはわからないが、これからも定期的にしたらいいのではないかと思われた。染太プロダクションの再度の企画を期待したい。

帰りは秋ということで夕方の夕闇が早くにやって来たが、高橋龍太郎邸の門前まで行ったが、もう時間が遅く邸内に入ることのできる時刻は過ぎていた。

その後は、暗くなった国道56号線をひたすらに松山へと帰り、Kさんを送った後に、11号線沿いの金牛亭でマッコリを飲みながら、韓国料理のキムチ鍋を食べた。マッコリは韓国で人気のある濁り酒であり、初めて飲んだが、私の飲んだマッコリはあまりきつくはなく、するするとのど越しもよく、気分よく飲めた。


単位導入の4段階

2012-11-03 13:55:15 | 数学

単位導入の4段階とは例えば、長さについていえば、いまはmが国際単位となっているが、その長さをどういう風に意識化してきたかということに対する認識である。

はじめはものをそこに並べて直接どちらが長いかを比較しただろうという。これを直接比較の段階という。

ところが動かせるものならそれも可能だが、そうできないものが普通である。それで何か動かせるもの(例えば縄とか紐)で一つのものの長さを測り、それで間接に長さを比べる段階がある。これを間接比較の段階という。

その後、手の長さとかを単位として長さを測定した段階がある。これを個別単位の段階という。そのうちに中央集権国家ができたりして、例えば王様が両手を広げてその右手の先から、左手の先までを長さの単位としたという段階に至る。この段階を普遍単位の段階という。

この単位導入の4段階を誰がいい出したのかは知らないが、私は数学者の遠山啓が言い出したことだろうと思っている。そういういえば、そういうことを彼の「数学入門」(岩波新書)に書いていたと思う。ところが遠山の処女作ともいうべき「無限と連続」」(岩波新書)にその萌芽とも言える、記述があることに最近気がついた。

最近ではこういう測定される量の単位は国際的な取り決めで決められる。西條敏美先生の著書「単位の成り立ち」(恒星社厚生閣)などはこの普遍単位の事典とでもいうべきものである。

(2012.11.7付記) 鶴見俊輔著作集の月報でこの著作集の編集者だかが書いていた。あるとき鶴見宅を訪れたら、突然そこにあった、座卓の長さを手のひらを拡げて測るということを実演されて、プラグマティズムとはこんなことだと言われたとか。

それを読んで思ったのは単位導入の段階でいえば、上に述べたことで言えば、第三段階の個別単位で測定をするということである。それを指摘しておきたいと前々から思っていた。

ただ、個別単位による測定であろうとなかろうと鶴見さんのプラグマティズムの説明は編集者に十分伝わったであろうと思われる。その鶴見さんからの直接指導に感銘を受けてある編集者がその経験を月報に書かれた。


テーブルクロスと法律的

2012-11-03 13:02:20 | 外国語

先月のドイツ語のクラスだったと思うが、「もじゃもじゃペーター(Der Sturwwelpeter)」の話が出た。

そのときにテーブルの上に普通何があるかとR氏に聞かれて、それはテーブルクロスだなとわかったが、それをドイツ語でどういうかというかはわからなかった。

それで「テーブルクロスね」と呟いたら、TischdeckeというとR氏にフォローしてもらった。だが、そのときにTischdeckeという語はまったく思いつかなかった。

もっとも、後でこのもじゃもじゃペーターの原文を調べたら、Tischdeckeではなく、Tischtuchが使われていた。

何年ドイツ語をやっているのだろう、私は。今週の木曜日にもちょっと違った語であるが、新聞記事でeinige rechtliche "Anderungenとあった。

このrechtliche "Anderungenとは法律的な変更だとすぐにわかったが、それでもそれを表すドイツ語が出てこない。

「法律的にですね」と日本語でこのときも呟いたら、R氏からgesetzlichとフォローがあった。だが、gesetzlichという語を知っているのにもかかわらず、まったく出てこなかった。

年が年だから仕方がないのかもしれないが、情けない話である。