「花鳥風月を愛す」などという文句があるが、ついぞ花鳥風月を愛すなどという心境にはなったことがない。
ドイツ語にはWein, Weib, Gesangという文句があり、「ワイン、女性、歌」を愛すというのであろうが、このごろのフェミニズムから見れば、男性視点のけしからん言い草かもしれない。
ドイツ語でも女性の視点のそういう常套句ができてもいいはずだが、そういうものがあるのかどうか。ともかく上の言い方には男性視点のけしからん文句という、批判をお持ちの女性も現在では多いことだろう。
しかし、Wein, Weibと続くところは耳に心地よい。それは男性視点からとかなんとかいうことではなさそうである。これはWein, WeibとWが続くためである。誤解なきように。
前にも書いたことがあるが、Weibは現在では使うことを避けるべき差別用語の一つで女性を指すときに、このような慣用句でなければ、女性のことをWeibなどと言うと眼を剥いて叱られるであろう。普通には女性のことはFrau(フラウ)とかFrauen(フラウエン)と言うのが普通である。
俳句の街、松山に長年住んでいても俳句をひねろうかという気持ちになったこともない。亡くなった叔母はお茶をやっていたためか俳句をつくっていた。
老後に子どもと同居するために茨城へ引越しをしたのだが、生前叔母を茨城に訪ねたときにこちらは愛媛と違って、俳句のレベルが低いと嘆いていた。
ことの真偽のほどはわからないが、叔母は多分俳句の故郷の愛媛で長年俳句をつくってきたという、矜持をもっていたのであろう。
しかし、哲学の教授だった、先輩のKさんはこういう松山特有の文化を批判しておられたが、そういう自分の言葉には忠実ではなく、俳句をつくられる方ではなかったかと思う。ひょっとすると俳句の雅号までお持ちではなかったかしら。
いや、そういう俳句をつくれる人をうらやましく思っても、非難しているわけではない。ただ、私にはそういう才がない。