先週のNHKのTEDカンファランスの放送であったが、色盲の方が色をそれに対応すると思われる音で聞くようになって、色についての感性が生まれたというか、豊富になったという話であった。
色を音に翻訳する手伝いをした、科学者の発想もおもしろいが、その経験をより多くの人に伝えたいと思ったご本人の考えがすばらしい。そして、彼が聞いている音をカンファランスに来た人は彼の装置から聞くことができたというわけである。
そういえば、思い出したのだが、もしカラーブラインドの人に色の違いを伝えるということを物理のテキストで取り上げていたのは、有名なThe Eeynman Lectures on Physics(日本語の翻訳は岩波書店発行)であった。
内容がどうであったかはよく覚えていないが、さすがにそういう想像をするということはFeynmanらしいと思ったものである。(まったく、余談だがいまFeynman Lecturesには定冠詞のTheがついていることに気がついた)。
TEDカンファランスでは灰色の音を聞いたりしたが、なんだか重苦しい感じの音であった。ただ、色の識別がつかない人にその感覚を伝えるという点では成功だろうが、その感覚をどれくらい本当のところはわかってもらえるのだろうかという気がした。
そんなことを言うと目の見えない人とか音の聞けない人への差別だといわれると困るが、そういった差別的な感情ではなくて、本当のところはわかるのだろうかという本質的なことである。
ただ、人間は類推ということがあるので、その類推の力を利用するというのはとてもいいアイディアである。よく4次元世界とかそれよりも高次元の世界を数学で定義したり、取り扱ったりするが、それはやはりある種の類推の力をつかっているのであろう。
色の識別のつかない人に色の違いを音の振動数の違いで感じさせるというアイディアはそれがある種の類推にしか過ぎないとしてもやはりその人の人生を豊富にしてくれるのだろう。