ヴァーチャル(virtual)とは何か。前にも書いたことがあるような気がするが、再度気になったので書く。
岩波書店発行の「図書」11月号に見田宗介さんと安田常雄さんとかが対談している中で、見田さんが1975年から1990年までが日本史における虚構の時代だと定義されており、1990年以降はヴァーチャルな時代だと言ってもいいが、ヴァチャルとは虚構のことですよねと言っている。
ここでは、この見田さんの見解ウンウンを議論したい訳ではない。そうではなくて、英語としてのヴァーチャルとは一体なんだろうということである。
以前、この語について書いたときの驚きはヴァーチャリーが実質的にという訳語がついていたので私の認識が改まったということだった。
いま、手元のProgressive 英和辞典(小学館)を開いてみると、実質上の、事実上のという訳が最初に来ている。光学用語の「虚像の」という意味が2番目にあり、3番目にようやく理系の用語としての「仮の、仮想の」ができて、4番目に「ヴァーチャルな、ネットワーク上の」という訳語が出てくる。
実は日本の現在ではこの4番目の使い方が一番普及しているのではなかろうか。私自身は3番目の訳語でvirtualという語に学生時代から親しんでおり、このvirtualはrealに対する語であった(と思う)。
そして私の理解が正しければ、realということはエネルギーが保存していることを示しており、virtualということは必ずしもエネルギーが保存されていることではない。しかし、エネルギーが保存される現象だけがあるという訳ではないと理解している。
もちろん、私たちの現実の日常生活の世界ではエネルギーや運動量が保存していなくては困るのだが、エネルギー保存を確かめるだけの測定時間がとれない、きわめて短時間の過程ではいろいろの可能性がありうる。
こういう風に理解をしてきたように思う。そうだとすると私の理解してきた、「仮想的な」という3番目の訳語の分野でもひょっとして「実質的な、に」と書き換えることが可能なのだろうか。