私が思想的に影響を受けたと思っている人は数人いるが、その中の一人に松田道雄がいる。
私には松田の岩波新書になった、「私は赤ちゃん」「私は二歳」の印象が圧倒的に強い。
これらの書はベストセラーになったが、それよりも前にこれは多分妹が高校の図書館から借りて帰った、「君たちの天分を生かそう」だったかを読んで、松田道雄という人に関心をもった。
松田道雄は京都市で開業している、小児科医であった。これは私が大学生の頃のことであり、初めは朝日新聞の大阪版に私は赤ちゃんというシリーズのエッセイを書いており、これが評判となって岩波新書になったと思う。
「君たちの天分を生かそう」というのは、いま私には本当に松田の著書であったかどうかもわからない。それに自分には数学とか物理とかの学問をする才能はなさそうだから、医者となろうというようなことが書かれてあったと思う。
彼のお父さんも小児科医の医師であり、茨城県から出て来て京都大学で医学を学び、小児科を開業したと書いていたと思う。
松田は大正時代の自由の気風を持った思想家でもあり、マルクス主義にも親しんでいたが、過激な活動には手を染めなかった。そして、戦中は結核の予防に尽力をしていた。
その彼の思想はマルクス主義の立場から言えば、不徹底ともいえるが、寛容な気に満ちており、その当時までキリキリしたところがあった、私の気質にいくらか柔軟性というかゆとりというかを与えてくれた。これは私には大切なことであったと考えている。
しかし、松田道雄が評論家として忙しくなり、小児科医であることを止めたと聞いたときには残念な気がした。やはり小児科医として現場からの発言にやはり聞くべきところがあったと思ったからであった。
友人の数学者Kさんによれば、松田道雄の子息には数学者になった方もおられる。また、長男は奇術家であるという。数学者の方は数学書を、奇術家の方は奇術の書をそれぞれ岩波書店から出されている。