物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

人工光合成

2013-06-18 12:00:26 | 学問

最近、光合成のメカニズムが分かってきたという。昨日、NHKの「クローズアップ現代」でその話をしていたが、はじめの方を見ただけで最後までよく見たわけではない。

朝日新聞でも同じことを以前に読んだような記憶があるが、それほど感銘を受けた覚えがないから、やはり音声と画像での放送はインパクトが大きいと感じた。

これは世界中の研究者が光合成のメカニズムの解明をしようとしていたのだが、それにもう一つ届いていなかった。

それが最近日本で解明されたらしい。新聞で見たときに神谷教授とか沈教授とかの名前だけを覚えがあった。シンクロトロン放射光の施設がそのメカニズムの解明に役立ったらしいとか放送していたらしいが、よく聞かなかった。

そして、これから人工光合成ができるといろいろな応用が期待されるらしいが、それに多額の予算を投入して、成果を上げるということを言ったのはオバマ大統領らしい。

日本でこの光合成のメカニズムが基本的に解明されたと言ってもすぐに世界的な競争にさらされている。


ミラーとブロック塀

2013-06-17 10:53:10 | 日記・エッセイ・コラム

自宅から国道に出るまでは市の細い道でブロック塀のある、家が続く。そして最近はカーブ・ミラーのようなミラーがとても増えている。

これは車で歩行者とぶつかるというような交通事故を未然に防ごうとの意図でミラーが増えているのであろう。そして私もそのミラーに注意して運転を心がけてはいる。

だが、ドイツ人のR氏によれば、このブロック塀にとても違和感をもつらしい。彼は言う。もしドイツでブロック塀の向こうから人が出て来て、その人と車がもし衝突すれば、ブロック塀の持ち主が警察から責任を問われるであろうと。

確かに日本では普通のブロック塀はドイツではあまり見たことがない。絶対ということは何でもありえないが、普通にはブロック塀などないであろう。アメリカに行ったことがないが、多分同様であろう。

一方、ミラーはドイツでもないわけではない。道が曲がっていて見通しが利かないところではカーブ・ミラーが設置されていた。そして特にそこに踏切があった。

あるとき、そこを車で通りかかったとき、道路の保守をする労働者がしきりにそのカーブ・ミラーのくもりをとるためにモップで磨いていた。とても理にかなった行為であるが、そのことを見てまことに典型的にドイツ的だと感じた。

帰国後にあるとき、日本に来たあるドイツ人にそのことを話したら、彼も「それは典型的にドイツ的だね(das ist typisch deutsch)」と同意をしてくれた。

まだ、日本でミラーを磨いている現場に出くわしたことはない。


ますます、おいしくなりました

2013-06-17 10:36:43 | 日記・エッセイ・コラム

インスタントラーメンかなにかのテレビのCMで「ますます、おいしくなりました」というのがある。

ところが食品の技術者によれば、どんなにインスタントラーメンがおいしくなっても生のラーメンには及ばないという。

別にここでインスタントラーメンが怪しからんとか言いたいわけではない。そうではなくて、私の書いている数学エッセイの推敲のことを言いたいだけである。

それはもうすでに出来上がっていると思っていた自分のエッセイを昨日見直したときにやはり修正個所を見つけたと妻に言ったら、「ますますよくなった訳ね」と軽くいなされた。

それは私がいつも言っている、インスタントラーメンの話と通じている。どんなに磨いてみてもそれは実は高が知れている。そういうニューアンスが妻の言い方に表れている。

文章の書きはじめから考えると何回読み返したかわからないが、私の頭が粗雑なためになかなか収束をしない。でも、いつかは止めることが必要なので、そろそろ終わりにしたい。

ということで、原稿の最終修正を終えれば、今日か明日にでも数学・物理通信3巻4号の発行をしたい。


ハリウッド白熱教室

2013-06-15 13:10:12 | 映画

NHKの「ハリウッド白熱教室」は映画に関するものであり、なかなか映画とはこういう風にしてつくられているのかということの一端が窺えるものである。

映画製作などに関心をもったことがなかったので、興味深く見ている。昨夜は第2回であったが、この白熱教室のメモなどをとると面白さが台無しになると思って、見るだけにした。

ヴィジュアル・エフェクトで映画はいろいろのことを示しているということを初めて知った。とはいっても門外漢もいいところだから、それが身につくとか記憶にとどまるなどということはあまり期待できない。

このころはしばしばインターネットの無料オンライン講座とかが新聞等でも話題になるが、なかなかそれを実際に見ることなどない。

「MITの物理の実験の講義がインターネットで見えるよ」と教えてくれたのは私の子どもであったし、また、TEDカンファランスのサイトがあると教えてくれたのは長男の嫁であった。

しかし、なかなか忙しくてこれらの情報をうまくいかせるところまでは行っていない。

知的好奇心をもって世の中のことに対処したいとは思っているが、日常生活の忙しさにかまけてなかなかいつも新鮮な気持ちでいることは難しい。


父の日のプレンゼント

2013-06-14 13:30:56 | 日記・エッセイ・コラム

今日は父の日ということで、長男の嫁のTさんからお菓子と花との組み合わせのプレゼントが届いた。午前中にその中のお菓子の一つを早速いただいてみたが、甘くておいしいお菓子である。

お花もなかなかきれいである。

Tさん有難う。

妻も「私たちも両親に母の日とか父の日にプレンゼントをしてあげればよかったのにね」と今更ながらに、つぶやいていた。

私の両親にも妻の両親にも十分なことができたかと自分が問われるとなかなか答が難しい。私などはそれ相応に尽くしたと思っているが、妻などはいくら尽くしたとしてもやっぱり後悔が残るものらしい。親子とはそういうものであろう。

最近、長男夫婦が月に一度くらいの割合で帰郷しているので、急にお互いが近しく感じていることは確かである。

妻は母親業が開業できてうれしそうである。なかなかそういう風にはいままでいかなかったからである。

別に親子が不仲であったわけではないが、なかなか帰郷することがいろいろな身体的事情から難しかった。

それが全面的に解決したのかどうかはわからないが、いろいろと改善されているらしい。そのことがまずはうれしい。



眼から鱗が

2013-06-14 12:57:41 | 外国語

先日、夏の到来をドイツ語でどういうのだろうかとこのブログで書いた。

昨夜、R氏にこの質問をしたところ、それは

Sommer ist da

だろうと言われた。まことに簡単であり、ドイツ語を学んだ大学1年生でも知らない単語がないような簡単な表現である。

だが、その表現がなかなか思い浮かばない。Sommer kommtとは言わないのかと尋ねたが、そうは言わないらしい。

Ankunft des Sommersの方はそういう表現も可能だろうが、普通はSommer ist daだろうと言われる。

そういえば、先日「写真には私の父が写っていました」をドイツ語で

Auf dem Foto war mein Vater

というと知ってびっくりした。

いやいや、こんな表現は1度や2度ではなく、聞いているはずだが、やはり日本語からドイツ語を考えるときにはなかなかすぐに

写真の上には父がいた

という発想にはならないのである。

知らず知らずに日本語をドイツ語や英語に直訳しようとする癖が抜けない。やはり発想が異なる言語であるからだろう。


数学・物理通信3巻4号

2013-06-13 12:53:33 | 数学

数学・物理通信3巻4号の発行の準備ができた。先日3巻3号を発行したばかりではあるが、以前から3号の発行ができれば、4号を発行しようと思っていた。

それがようやく準備ができたのだが、私はあわて者でいつもつまらないミスをしばしばするので、これも数日おいて来週のはじめにでも発行することにしたい。

4号は私の投稿原稿が2つ同時掲載される。これについては昨年の12月には原稿ができていたのだが、他の方の原稿を優先するという方針もあり、いままで掲載を伸ばしてきた。

それで今回4号の編集が終わって、自分の原稿を読み直しをしたら、やはりいくつか細かなミスが見つかった。あわてて掲載しないでよかった。これらは注意深い人なら、しないような凡ミスである。

以前から数学・物理通信でも話題となってきた、自然数のべき乗の和に関するものである。新しい方法ということではないが、インターネットのサイトで紹介された方法とかを自分なりに納得できるように書き直したものである。


「模倣と創造」を読む

2013-06-13 11:03:15 | インポート

以前に購入していた、板倉聖宣(きよのぶ)著、増補版「模倣と創造」(仮説社)を読んでいる。家の階段のところに置いてあった、この書を日曜にとって来て読み始めた。

これは西條先生から最近日本科学史会の会長に板倉さんが自ら立候補してなったという、メールをもらったので、それが陰に陽に影響をしているという気がする。

板倉さんは広重徹氏からひどく批判を受けた人の一人であり、武谷三男のエピゴーネンという感じで批判されたと思う。

もっとも板倉さんの別の書を読んで見ると、広重氏の批判に対して、自分は仮説を立てて科学史を見てきたが、広重氏は大胆な仮説を立てずに常識的な小さな仮説しか立てないという点で立場が異なるという。

公式には彼の見解を発表するとかの方法では、広重氏の批判に答えることをもうしないことにしたと書いてあったのを読んだ。

その気持ちは痛いほどよくわかったので、なるほどと思ったが、これにはいろいろな立場や考えの方がおられるであろう。

私にしても若いときに広重氏の「戦後日本の科学者運動」(中央公論社)を読んで、感銘を受けた一人であり、そのことがきっかけで私のペンネームの香山 徹は広重徹の徹からとっている。

「模倣と創造」は日本では創造はいいが、模倣はよくないと思われてはいるが、本当はどしどし模倣を適切に行って、それから独創性を発揮できるようになりたいという、板倉さんの主張である。その考えに私は賛同している。

それにしても久しぶりに読み応えがあった。もっとも全部を読み終えているわけではないが、この書の主なところは読んでしまったと思う。


夏の暑さ

2013-06-13 10:44:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨日も梅雨の中休みで最高気温が松山でも30度を越えた。

今日も昨日と同じような天候であるから、確実に最高気温は30度を越すであろう。東側の部屋と西側の部屋とでは午前中は3度くらいは気温が違うであろう。特にパソコンの前が風も通らず毎年暑い。

それでも仕事はパソコンに依存しているので、ここから離れて仕事をするのは難しい。しかたがない。今日は一計を案じてベランダに少し水をまいた。

水を流すことはマンションの管理組合で禁止されているが、私のバルコニーは人工芝に似たものを敷いているので、そこに水をまけばそこから水が蒸発して気温をいくらか下げてくれるだろうという作戦である。

これが成功するかどうかはわからないが、こういうことも考えなくてはならない蒸し暑い季節になった。まだ蒸し暑さはそれほどではないが、気温は急に高くなった。

これから9月末ころまでは一年で過ごしづらい季節が続く。


Selected Papers II (4)

2013-06-12 11:31:03 | 物理学

Yang の論文選集の教訓の4回目である。

(10) Fundamental physics is based on beautiful mathematics.

(11) But not all beautiful mathmatics find their way into physics.

(12) A graduate student had better not choose a field which is becoming overcrowded.

いずれのlessonもまことにもっともという気がする、lessonであったが、少なくとも私にはこれらのlessonは知るのが遅すぎたかもしれない。

これで12のlessonは終りである。Yangは再度(13)で(5)のlessonが繰り返されているが、もうあげることもないだろう。


夏の到来

2013-06-12 10:58:53 | 日記・エッセイ・コラム

暑い夏がやってきた。昨日までは外出するとき上着を着ていたのだが、もう耐えられなくなった。

それで半袖のシャツに着替えた。暑いのに上着を着ていた理由はやはり財布の入れるところが必要であるからである。

もっとも私の財布にはいつも数千円のお札しか入っていない。よく妻が冗談に、もしhold upにあったら、あまりの所持金が少ないので恥ずかしいことだという。

もっともhold upにあったときに、所持金が少なければ、被害が少ないのでいいのではないかと思ったりするのだが、そういう考え方もあろう。

多分アメリカではカードでなんでも支払うので、現金はそれほど持っていないというのが実情であろう。よくパーキングエリアの暗闇でhold up に会うのだとアメリカに留学したことのある人に冗談とも本気ともとれる話を聞いている。

だから、hold up にあうときのことを考えて、胸のポケットに20ドルの紙幣をいつも持っておき、hold upにあったら、その20ドル紙幣を投げて逃げたらよいと聞いたが、本当のところはどうなのだろうか。

「夏の到来」と表題をしたが、これを英語だったらどう表現するのだろうか。Summer arrivesとか文で表現するのだろうか。ドイツ語でなら直訳すれば、Ankunft des Sommersだが、Der Sommer kommtと文で表現するのであろうか。

ドイツ語のクラスで一度聞いてみたい。


高橋康氏の死去

2013-06-11 12:12:06 | 物理学

昨日来た物理学会誌を見ていたら、カナダのEdmonton在住の物理学者、高橋康さんのobituaryを亀渕さんが書かれていた。88歳だった。

ここ数日、物理学者の梅沢博臣さんの亀渕さんのインタビューを聞いて昨日ほぼ聞き終わった。

このインタビューは4時間に及ぶものであり、長かった。梅沢さんと高橋さんとは同じEdmontonのAlberta大学に勤めていた。

二人とも場の量子論を専門とする日本人の学者であり、このブログでときどきコメントを頂く、Nakanishi先生とかも含めて数少ない、優れた日本人の場の量子論の専門家であった。

私は高橋さんの物理のテキストが講談社から出ているのをほとんど購入して持っている。だが、高橋さんの書で割と詳しく読んだのは「物性研究者のための場の量子論」上、下(培風館)だけである。

これはノートをつくりながら、読んだ覚えがあるが、それでも全部は読めなかったように思う。

冥福をお祈りする。

カナダのAlberta大学は友人の故小林正典氏(元岐阜大学)がたびたび研究で訪れたところであるが、私は彼からAlbertaの話を聞いたことがあるだけで自分では訪れたことはない。


なだいなだ氏死去

2013-06-11 11:32:09 | 日記・エッセイ・コラム

作家のなだいなだ氏が6月6日に死去していた。

朝日新聞の天声人語に名著「権威と権力」(岩波新書)のことが書いてあった。

私もこの書を読んで感銘を受けた一人であったが、そのうちに忘れてしまっていた。なだいなださんはアナーキストであったらしい。もっとも別に危険なアナーキストという意味ではない。

それまで、アナーキストとは暴力で政府を転覆させるような人たちだという印象をもっていたのが、そうではない人もいるということであった。

彼の他の書は読んだことが小説も含めてない。

精神科の医師であり、作家であったこととか、朝倉季雄先生がNHKのラジオ講座を担当されていたころ、フランス人のゲストはルネ・ラッガシュさんだったが、ルネさんはなだいなだ夫人であるとはどこかで読んで知った。

発音がきれいで、それでフランス語を勉強するようになったという訳でもないのだが、ラッガシュさんの発音はステキの一言に尽きた。

なださんは享年83歳だったというから、現在ならもう少し長生きしても不思議ではないだろうが、それでも長生きではあろう。


35歳の高校生へのアクセス

2013-06-10 12:00:43 | インポート

アクセスが45件か47件あった。

さすがに今、人気の米倉涼子さんの主演ドラマである。それでも数日でこんなにアクセスがあるとは思わなかった。だって、あまり面白くもない私のブログだから。

先週の土曜日にもこのドラマを見たが、少し話の色調が変わってきそうである。

それは脚本を書く人の意向によっているのだが、どうも課外活動とか放課後ばかりがクロ―ズアップされて本来の授業はどうなったというのが私の不満である。

もっとも対数がどうの三角関数がどうのといったことをドラマで問題にしても、あまり面白くはないであろう。ひとえに脚本を書く人のセンスにこれからの展開は関わっている。

たとえば、「対数と指数とは見方は違うが、同じものだ」と、こういったドラマの数学の授業時間で放映すれば、世の多くの高校の数学の先生はなるほどと思うかもしれないし、また多くの技術者の方はびっくりするかもしれない。そんな風には今まで教わってきた覚えがないからである。

そんなこともあったらおもしろいななどと夢見ているが、これは夢のまた夢であろう。


梅沢博臣、自分自身を語る

2013-06-10 10:50:33 | インポート

H. Umezawa, talking about himself in the summer 1984というCDを明治大学に勤めておられた、K. Nakamuraさんから送って頂いた。

先週の土曜日は午後はそれを聞くことに費やしたが、まだ全部を聞き終わっていない。早く聞いてお礼の手紙を書こうと思っているのだが、パソコンの不調とかもあって遅くなっている。

Nakamuraさんとはいつか武谷著作目録と業績リストの別刷りを送ってあげて以来、手紙のやり取りがある。

もし、このCDを手に入れたいなら、Nakamuraさんに手紙を書いて請求すれば、手に入れられるのではないかと思うが、その内容目次を下に書いておこう。

01. 学生時代

02. 名古屋時代1,  03. 名古屋時代2,  04. 名古屋時代3

05. イギリス時代

06. 東大時代1,  07. 東大時代2(マルセイユを含む)

08. イタリア時代

09. アメリカ時代

10. カナダ時代

11. イデオロギーと物理

12. 梅沢物理の総括と将来

である。

私は08. イタリア時代の途中までしかそのインタビューを聞いていない。私は場の理論とか統計物理学には弱くて梅沢さんのいうことをあまり理解できないが、それでも興味深い内容だと思う。

インタビューアの亀渕迪さんの言葉が聞き取りにくいのが少し残念である。

CDについていた手紙によれば、亀渕さんがこのたびNakamura, Yamanakaさんに頼んでテープをCDにしてもらい、関係者に配布をしたものらしい。関係者のご努力に感謝をしたい。

Nakamuraさんは話の中に武谷三男についての言及があるので、私の関心があるだろうということでこのCDを送ってくれたのだった。