物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『ガロアの数学』

2018-11-05 12:24:07 | 数学
という本を図書館から借りてきた。これは金重明という作家の方が書いた数学の解説書である。前に序文だけを読んでいたのだが、だいたいガロアの数学など私にわかるはずがないと思っていたし、そういう話にはほとんど関心がなかった。

『数学ガール』ーガロア理論ー(ソフトバンククリエイティブ)を読んでいるから、それの理解の助けになるかと思ったりしたのだ。まだほとんど読んでいないのだが、序章に数学者には耳の痛いことが書かれているので、ここに記しておこう。

すべての数学者に咎があるわけではないが、こういう考えの人が存在することは間違いがないので、少しは耳の痛いことは我慢してもらいたい。以下は引用である。

(引用はじめ)

本当は数学者も、普通の数学書にあるように、定理ーー証明ーー定理ーー証明の繰り返しによって数学を勉強しているわけではない、とわたしは思っている。中にはモーツアルトのように、スコアを書く前に頭の中で音楽が流れはじめる、というような天才もいるだろうが、大部分はそうではないはずだ。並みの数学者は、難問を前にして悩み、あれやこれや実験をしたり、具体的場合について調べたりという方法を使って、なんとか解決しているに違いない。

しかし、数学者というのは皆「いい格好しい」なのである。いったん問題を解決してしまうと、泥沼の中を這いずりまわった忌まわしい過去はきれいにぬぐい去り、論文には美しくエレガントな解法や証明だけを記す。

数学書を書く場合でも、このスタイルそのままなのだ。

ガロア理論の本を読みながら、わたしは心の中でこうつぶやいていた。「こいつら、理解してもらおうなどとは考えていないに違いない。むしろおまえらにはわからないかもしれないが、おれはこんなすばらしい理論を考え出したんだぞ、と自慢したいだけなんだ」

(引用おわり)

ガロア理論についてではないが、数学者ないしは数学教師に対して注文をひどくつけている書にホグベンの『百万人の数学』(ちくま書房)がある。いつかそれも引用してみたいと思うが、今日はこのくらいにしよう。

予期せぬ2連休

2018-11-05 11:46:52 | 日記
11月3日、4日とよきせぬ2連休をとった。

普通は祝日にも私は休みをとらないのだが、11月3日の文化の日に晩翠荘でギターのコンサートがあり、知人がそれに出演するというので聞きに行ったのである。そのために本来は祝日も仕事場に来るのだが、そのことがあったので、仕事場には来なかった。

ギターのコンサートはなかなか興味深くよかった。知人が演奏に加わっていないのではないかと思ったが、コンサートから帰ろうと思ったら、知人にあったので、私たちが気がつかなかったためとわかった。

晩翠荘は昔は藩主の別荘だとかいうの建物であり、いまではこういう催しものの会場となっている。ちなみにコンサートは無料であった。有名なプロのギタリスト青木一雄さんのギター教室に学ぶ人たちであるが、退職後の楽しみにギターを学んでいるという風な人がほとんどと思われた。



Nullbockの夜話

2018-11-02 12:33:00 | 日記
昨夜、ドイツ語のクラスがあったので、Nullbockは独和辞書に出ていなかったといったら、ドイツ人の R 氏から次のような話を聞いた。

正しく理解しているかどうかは保証の限りではないが、一つの話題としたい。

1980年代から2000年代にかけて勤勉に働くことを徳とする、ドイツでもいくら働いても多くのドイツ人が自分の家を手にいれることもできなかった。(どこの国でもそういう時代はある)。

そういう自分の両親を見て育った子どもたちには無気力な子どもが多く育った。この世代は無気力世代Nullbockgeneration(ヌルボックゲネラチオン)と言われるようになった。(これは子どもせいなのか。それともその時代のせいなのか)

もともとBockはオスのヤギを意味する。だからnull Bock haben (気力がない)という言い回しができた。それでNullbockという名詞はないのだ。(これが本当に独和辞典にNullbockという名詞がない理由かどうかはわからない。R 氏は辞書Dudenの最新版にはNullbockが出ているのではないかという風にも言っていた。私たちのもっている独和辞典はすでに古いものだ。独独辞典も同様である。)

ちなみに R 氏は日本で発行されている独和辞典は優れているもので、一番発行年度のあたらしい辞書がそれまでのドイツ語研究の成果がとりれられおり、買うなら一番発行年度の新しいものを買うべきだという意見である。

もっともその彼の意見に素直に従えないのは、そうはいっても収録語数が大学生用の辞書の場合にはどうしてもその収録語数が少ないものがあるからである。

すなわち、大学生となってはじめてドイツ語を学ぶのなら、R 氏の意見に従って買うのもいいだろう。しかし、私たちはもう何十年もドイツ語の学習をしているのである。収録語数が多いのがいいのはずである。

独和辞典の充実度と比べて和独辞典のほうはあまり褒められたものではないというのが、一方での R 氏の和独辞典への評価である。

日独の協力で和独辞典を編纂する試みが数年前に始まったと聞いたが、その試みは中途で挫折しているとかとも聞く。それはやはり大変な作業であるからであろう。(労力もさることながら、資金も相当な額がいるであろう)インターネットでこの和独辞典が使えるとかも聞くが、その詳しい事情は知らない。

ちょっとクイズ

2018-11-02 11:52:17 | 日記
これは妻が2週に1回行っている、パソコンクラブの方がつくった(?)クイズ(?)である。

以下では、ちょっと変更して引用する。

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電卓で「12345679」をつかった「好きな数字」

上の並びで抜けている数字 8 をかけると

12345679*8=98765432 (あれ! 8 の代わりに 1 が消えている)
98765432*9=8888888888 になります。


自分の好きな数字を?として12345679*?*9を計算すると、自分の好きな数字が並ぶことになります。

たとえば、12345679*7*9=777777777となります。

それと113355もおもしろい数値です。下の3桁の 355を上の3桁の113でわれば
335/113=3.141592920353982となりますが、この値は円周率にきわめて近い数値です。

3.141592920353982-円周率=0.000000266764189

となり、円周率に 7 桁ほど同じ数値になります。

10^{2}+11^{2}+12^{2}=365 (一年の日にち)

もあります。

お孫さんに自慢してください。

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つくった人はよほどの暇人なのだろう。

「ラプラス演算子の極座標表示」こぼれ話

2018-11-01 16:49:33 | 数学
ラプラス演算子の3次元の極座標表示をまともに求めるととても大変な計算になってしまう。もう何十年も前の学生時代にこれをそれでも求めようとして、1週間ぐらいかかってとうとう正しい答えは導けなかったという記憶が残っている。

それをラプラス演算子をまず円柱座標で表示して、それからその円柱座標から3次元の極座標に変換するという方法をとってようやくその式を導いた。

それが3次元のラプラス演算子の極座標表示を求める正攻法だという N 先生のご主張はもっともと思うようになったが、それでも円柱座標系を経由せずに、そのままで計算できないかと思って係数を文字で置き換えて表すことにして、学生の頃の計算をやり直してみた。

それは面倒な係数を簡単な文字に置きなおしているが、計算はそれでも面倒だが、予想に反して2,3日で計算できた。そしてそのやりかたを書いたエッセイも「数学・物理通信」に載せたが、それなら2次元のラプラス演算子も同じ方法で計算できると思って、それをやっておこうとしばらくしてから思いついた。

それでその原稿を書こうかと元の原稿を見なおしたら、自分では忘れてしまっていたのだが、私が書こうと思っていたことはすでに付録のところに書いてあった。自分で書いておきながら、まったく忘れてしまっているという始末であった。

これは全く別のことになるが、大学院の学生のころに O 先生が自分が以前に言ったことでもう学生の間では周知となったあるアイディアを、本人は忘れてしまってまた思いついたとして話しているのに出会ったことがある。

このときは「あなた自身がそのアイディアをもうずっと以前に話されていましたよ」ということで終わっただが、本人は半信半疑であった。

こんにちは

2018-11-01 11:56:52 | 日記
というのは難しい。これは「難しくないよ」という人もおられようが、ちょっと話を聞いてほしい。

いまも近所の郵便局に行って郵便を出してきたのだが、局内に入っていったとき、なかなか「こんにちは」と私には言えないのである。「その必要はないよ」というだろうか。

いや、いやそうではない。その挨拶は外国では大切なのである。だから、外国で郵便局へ、銀行へと行くことがあれば、そのほかの店でも、店に入るときには「こんにちは」は絶対必要なのである。

そうしないと店員が対応してくれないことさえある。

だから、外国語を教える先生は「お店に入ったときにはこんにちはと必ず言いましょう」と教えているのが普通であるが、それ以上にこの「こんにちは」の挨拶は必要不可欠なのである。

言語は言語以前のもとになっているというのは、友人のドイツ語学者の M さんが常に私たちに注意を喚起していることである。そういうことを言語学者は教えてくれないと困る。

外国語を教える先生は言語以前のことも、教えないと困るのである。単に言葉を教えるだけでは十分ではない。

こんなことはひょっとしたら、すでに友人の M さんの論文になっているのかもしれないのだが。