これは世界のトップニュースになった。私も一度だけここに行ったことがある。
世界の人々でパリ観光をする人はここに行かない人はないだろう。パリといえば、エッフェル塔とノートルダム寺院とルーブル美術館、それに凱旋門であろう。
それに、あわてて付け加えて言えば、モンマルトルのサクレ―クール寺院だろう。サクレクール寺院へはケーブルカーで登った。そうそうパンテオンもあった。
仏教の考えでは考えでは「形ある物必ず滅す」ともいうが、それだから仕方がないなどと言ったらフランス人に叱られよう。
これは世界のトップニュースになった。私も一度だけここに行ったことがある。
世界の人々でパリ観光をする人はここに行かない人はないだろう。パリといえば、エッフェル塔とノートルダム寺院とルーブル美術館、それに凱旋門であろう。
それに、あわてて付け加えて言えば、モンマルトルのサクレ―クール寺院だろう。サクレクール寺院へはケーブルカーで登った。そうそうパンテオンもあった。
仏教の考えでは考えでは「形ある物必ず滅す」ともいうが、それだから仕方がないなどと言ったらフランス人に叱られよう。
昨日、ラプラス演算子の極座標変換について何を見たらいいかについて参考文献を示した。理論を学ぶのに時間がかかるかもしれないが、それを学べばあとは計算が簡単なのは直交曲線座標の理論による変換である。
一度、直交曲線座標系のことを学んで、それを身につけると後はこんなに簡単に計算できていいのと思われるくらい簡単である。実は私の『数学散歩』(国土社)(『物理数学散歩』(国土社)に再録)にははじめに直交曲線座標の公式を示してあり、それを使ってラプラス演算子の極座標変換を導いてある。もっとも直交曲線座標系の説明はしていない。
直交曲線座標系のことは大抵のベクトル解析の本の一つの章があてられている。実は直交曲線座標の公式を用いたラプラス演算子の極座標の導出は自分で書いておきながら忘れてしまっていた。
今朝、この本を探し出して読んでみたら、書いていた。私の本はあまり大部数の発行ではないので、あまり多くの人の目には触れなかったであろう。だが、古本で高価な価格がついていたりするのはこの本の価値を認める人が少数だが、おられるのであろうか(注)。
もっとも『物理数学散歩』に関しては私の手元にはまだ数百冊の在庫があるのだから、複雑な気持である。出版社が一時的に破産したりして、あまり私の本を売る気持ちがないこともある。しかし、これは出版社を責めてもしかたがない。本のタイトルもよくないのであろう。
定価が1200円+消費税ととても安価なので、価値のない本だと誤解をされているのだろうと思っている。安くても価値のある本も存在しているのに。
(2019.4.18 注)アマゾンの古本では5万円とか10万円の値段がついている。これではだれも買う人はいないだろう。なぜこういうことが起こるのかわからない。本の価値があることは本当は本人が一番よく知っているのだが、それでもこんな値段がつくことがいいことだとは思っていない。
行列力学の章を編集することになって、またヒッポファミリークラブの『量子力学の冒険』(ヒッポファミリークラブ)を読みだした。
もともと物理学とは関係がなかった人たちが書いた本だが、なかなかわかりやすく書いてある。これくらいわかりやすく書けば、だれでも行列力学がわかるだろう。
もともと朝永の『量子力学』I (みすず書房)を理解するために読み始めたのだが、もう何十年も前に朝永の『量子力学』を数回テクストとして使ったことがある。そしてその時のノートはカードで取って今でも残っている。しかし、なかなか今読んでもよくわからない。
じっくりと読めばわかるはずだが、どうも気が焦ってゆっくりと読むことができない。だいたい、なんでもじっくりと読むという気構えができていない。
(2019.4.17付記)
昨夜、この章をまがりなりに終わりまで読んだ。いつかの納得できないこともあったが、それは棚に上げておいた。そういうところはあるが、わかりやすく書けている。
よくないと思われるのは目次にこの章の扱うテーマの詳細を書いてないことだ。やはり読者のためにある程度目次を詳しくすべきではなかったろうか。目次は索引の役目もするので、詳しくするべきだった。
『ゼロから学ぶベクトル解析』(講談社)を古書で購入して、ちらっと見たら、この本に冗談めかして3次元のラプラス演算子を直交座標から極座標に変換する方法を大学の物理の先生か誰かに計算をやらせたら(それができないと遠足のお昼ご飯は食べさせないとか言って)、それはまちがいなく成功するだろうと書いてあった。
N先生くらい計算も達者な人は別として、やはりこの本の著者の西野友年さんの言うとおりになるだろう。かく申すこのブログの筆者である、私もご同様に引っかかって昼食どころか夕食もお預けとなるほうの筆頭である。
西野さんはこの計算のプロセスを書いてあるテクストはほとんどないという風に書いていたと思う。それはその通りであるが、それでも皆無というわけでもない。
少なくとも私は私以外に3つの日本語で書かれた本を見たことがある(注)。それに私自身も3回ほどそれについて書いたことがある。はじめの1回は『数学散歩』(国土社)に収録されたが、やはりミスプリントが多かった。つぎはN先生のアドバイスにしたがって書いた、円柱座標を経由するやり方であり、これは「数学・物理通信」に掲載したので、だれでもすぐにインターネットで検索できる。
さらにもう一度はじめと同じ直交座標系から直接的に3次元の極座標に変換する方法も、文字の置き換えを有効に活用した変換のプロセスをこれも「数学・物理通信」に掲載した。これは江沢洋先生の『微分積分の基礎と応用』(サイエンス社)に書かれた式を小分けにするという考えでの計算であるが、複雑な式を文字で置き換えて計算した。
この計算には2日ほどかかったが、それでもまともにやれば、1週間ほどかかって、それでもなお計算の結果が一致しなかった学生時代とは違った。
すくなくとも、これから学ぶ学生さんたちはN先生や私たちのやり方を学んで、貴重な青春の時間をロスしないでほしいと思っている。
(注)その3つの本とは、一つは上に書いた江沢洋先生の本である。第2は佐々木重吉『微分方程式概論』下(槙書店)である。第3は宮原豊『量子力学』(培風館)である。
それにつけ加えて、いまでは小著『数学散歩』(国土社)(『物理数学散歩』(国土社)再録、こちらの方はミスプリントをかなり修正したが、それでもミスプリが皆無とはいかない)がある。
だが、インターネットで検索できる人はこれらにたよることもない。「数学・物理通信」で検索されたら、すぐに名古屋大学の谷村さんのサイトにたどり着く。
高林武彦『量子力学』(海鳴社)の最後の章の終わりの方だけ昨日の日曜に読んでみた。
もっとも、de Broglieの物質波仮説のところからしか読んでいない。ところがこのde Broglieのアイディアの数式の部分はフォロウできなかった。
これは、いま編集している、小川修三『量子力学講義ノート』を読むのにあきたための気分転換であった。昨日、第5章「連続固有値」のおよそ半分だけ読んで間違っていたところを直した。結構ミスがあった。
午前中から先ほどまでこの部分の修正をした。それで昨日読んだ部分についてはようやく修正ができたので、さらに、これからこの章の残りの部分を読まなければならない。
どうも一つの章を修正するのにやはり4,5日かかる。図の入力をする前に数式と文章は直しておいたつもりだったが、なかなかそうではなかった。それに元の講義ノートの小さなミスもあった。人のやることにはミスがつきものである。
onは英語では「接触して上に」という意味だろうが、フランス語では「人は」という意味である。ドイツ語を知っている人になら、manと一緒の意味をもっている。
ドイツ語のmanは英語のmanとはちがって「男」という意味ではない。そういう意味のドイツ語はder Mannである。ちなみにいうとder Mannに対応して、女性はdie Frauである。men and womenに対応するドイツ語ではMann und Frau(または Herr und Dame)である。
マインツ大学の外国人課に登録に行ったときに、トイレへ行きたくなり、そこにいた人に聞いたら、近くにあるというのでそこへ行こうとした。ところがどこかよくわからない。実はそのトイレの前を通っていたのだが、気がつかなかった。
というのは、トイレにはHerrenとかDamenとか書かれていると思ってそういうところを探していたのである。ところがそういうところがない。それでトイレの前を気かずに通っていたのだ。何回も前を行き過ぎたのだが、よく見るとDとHとが扉に書かれてあった。
もちろん、Dは女性トイレであり、Hは男性トイレである。大学生のときにドイツ語の先生がDamenは「ダメ」であり、Herrenは「入れん」だと冗談で言われていたのを覚えているが、それが単にDとHになっているとは気がつかなかった。
昨日は日曜日だったが、アクセス数が多かった。なぜなのか。
「対数とは何か」だとか「e の導入」だとかの数学に関係したブログの記事が閲覧されている。そういえば、対数の意味は常用対数ならば、対数は十進法でいっての桁数(すなわち、10の何乗かを示す数)であり、自然対数ならば、その数が底eの何乗であるかを示す。
また自然対数の底 e は連続無限小期間の複利の利率である。これらはもし「数学・物理通信」を検索すれば、どこかにエッセイが出ている。
そういう疑問を持つ人がすくなからずいるとすれば、日本もまんざら捨てたものでもないと感じている。
凛々しい人として記憶に残っている第一は哲学者であった、小林登先生であった。この先生の亡くなったときの葬儀にも参列させてもらったが、その死顔も凛々しいものであった。
第二に思いつくのは、物理学者の T さんである。彼は私よりも数歳年下であるが、N 大学の名誉教授である。
この凛々しいというのはいわゆる顔がイケメンだとか美人だとかというのとはちがう。もちろん、私が思い出して例としてあげたこの二人の方はいわゆるイケメンでもあったし、ある。
この凛々しいという感覚がどこから来るのかわからない。いわゆる、この凛々しい感じの人にはあまりお目にかからない。
テレビに出てくるタレントさんでもたいていイケメンか美女ではあるが、凛々しい感じの方はまれである。
私のブログをほぼ毎日訪ねてくださるSさんが、8つの地球上の電波望遠鏡で見たブラックホールを見た視力が300万に相当することを彼のブログで計算されていた。
その計算には問題はないのだが、「この視力は月の上のゴルフボールを見るくらいの視力である」と書かれてある。それでそのことを計算してみようかと思ったがよくわからない。
それで、2010年に「数学・物理通信」に書いた「視力の基準」というエッセイを取り出してきて、どうやってこういう数値が出るのか理解しようとしたが、すぐにはわからない。
そのうちに、このことをこのブログに書いておけば、Sさんが自ら計算をしてくださるかもしれない。そうしたら、そのことを「数学・物理通信」に書いてくださいと頼べば、すむのだが。はてさて?
Herman Weylの山内恭彦訳『群論と量子力学』(裳華房)を武谷三男が大学2年から3年生の春休みに読んだという。
この本は難しいことで知られており、比較的短期間で武谷が読んだということに疑問がないわけでもない。
しかし、書き込みのある本が残っており、それもほとんど真ん中から二つにちぎれている現物を2016年だったかにその当時に武谷の史料を管理していた三本さんのところでちらっとではあるが、見たことがある。
だから、この本がどれくらいきちんと武谷によって読み見込まれていたのかを知る機会は、後世の私たちに残されている。
武谷は計算があまり達者ではなかったというのが、彼よりも若い学者たちの一致した見方である。だが、一方で、この『群論と量子力学』を読破した若い研究者と思われてもいる。
そして、亡くなる直前にも、この『群論と量子力学』が彼の枕頭にあったという東大名誉教授の西村肇さんによる目撃証言もある。
これを私は西村さんの星野芳郎さんの追悼記で読んだのであり、西村さんは武谷さんを星野さんとはちがって具体的に手を下して何かをできるタイプの人という判断をしていたと思う。
西谷正さんの新しい論文「若き日の武谷三男(2)」の原稿をみたところでは、武谷自身が自分の特徴を方法学者、批判学者と自覚していたらしいことを書いている。
西村さんの、話の記述の主な論点は、化学者の近藤完一さんと技術評論家の星野さんの対比に重点があった。
black holeはドイツ語ではSchwarzes Loch(黒い穴)(シュバルツェス ロッホ)とということを最近知った。これは今週の木曜にあったドイツ語のクラスでの話題であった(注)。
それで、クラスの中でただ一人の物理屋である、私に説明せよと要請されたが、私だって素人である。それでもなんとか説明はしたのだが、専門の人から見たら、見当違いの説明をしてているのだろう。
(注)「黒い」はドイツ語ではschwarzという。ところがこれが名詞の前にくると格語尾の変化をする。ドイツ語が嫌われる大きな原因の一つが、名詞の前のこの形容詞の格語尾変化である。
名詞に不定冠詞がつくか、定冠詞がつくか、なにも冠詞がつかないかによって、形容詞の格変化語尾が変わるから面倒である。
Schwarzes Lochの場合には冠詞はなにもついていないから、それの代用を形容詞がする。それでSchwarzesと語尾として-esがついている。これで、名詞Lochは中性名詞の単数だということがわかる。
語尾の-esは中性の定冠詞dasに似ていることに注意してほしい。これが冠詞が何もつかないときの単数の中性名詞につく形容詞の語尾である。
ああ、説明するのも面倒くさい。
ちなみにドイツ語の名詞は自然の性に従って、男性と女性とがもちろんあるが、それ以外に中性がある。もっともTisch(机)がなぜ男性名詞でder Tischなのか誰も知らない。またHaus(家)は中性名詞でdas Hausなのかは誰も知らない。さらにStrasse(通り)が女性名詞でdie Strasseなのか誰もしらない。
der, die, dasはそれぞれ、単数名詞につける男性、女性、中性の定冠詞である。これを -r, -e, -s とドイツ人はしばしば省略して書く。
土日を除く毎日NHKの第2放送で「まいにちフランス語」を聞いている。とはいっても11時からと14時30分の2回である。
もっとも11時からのは聞き逃すときが多い。それで14時30分の放送を聞き逃さないようにと思いながら、聞いている。ところが途中で眠ってしまうことが多くなってきた。困ったことである。
大体、フランス語の音に通常の生活で触れることは私には皆無である。だが、そういうフランス語をラジオで聞くという生活を何十年も続けているおかげで、数年前に高松のJRの駅でフランス人と知り合って、数日私の家に泊めるということも経験できた。
逆格子ベクトルの逆格子ベクトルは元の直接格子のベクトルに帰るのだろうか。
これを調べておきたいという気が起きたが、すぐにそれができる時間がない。北野正雄先生の『マクスウェル方程式』(サイエンス社)によれば、元に戻るはずだが。
双対空間だとか相反空間だとかいう概念がわかりにくい。これは概念そのものが分かるのが難しいのか、単に説明が悪いだけなのかわからない。
どれを読んでもわかりやすく書いた本はないのが困る。
(2019.4.13付記)
双対空間(または相反空間)について詳しく書いたものがないかと、自分の持っている本を探したが、どれもあまり詳しくとりあげたものがない。それで双対空間があまり理解されていない現状は、そういう事実からも明らかであろう。どこかに詳しい説明がないのか探してみるつもりである。
第一、結晶学とか固体物理学でも、逆格子ベクトルの記述のない本はないが、それでももう一歩突っ込んだ記述は見つからない。もっとも逆格子ベクトルは双対空間の一つの具体例を示しているので、それをつかっていろいろ調べることができるのかもしれない。
小川修三「量子力学講義ノート」第2部の図の入力がようやく終わった。1部だけプリントしてこれから検討に入る。
数式の部分は前にずいぶん見たので大丈夫だとは思うが、やはりミスプリは避けられないであろうから、すこしでも見つけて修正をしたい。
目次も含めて52ページとなった。簡単にプリントのできるページ数ではない。
これの検討が完全にできて、投稿がすめば、つぎの第3部の入力にとりかかる。
Black holeの写真が撮られた。それを昨夜テレビで見たが、今日の新聞にも載っていた。
なんでも医療でつかわれるMRI診技術の応用で今回の写真が撮れたとか。人間は途方もないことをするものである。
遠く離れた地球上の8つの電波望遠鏡を使って観測した電波を総合して、このblack holeの写真をとったとか。
昨年だったか一昨年だったか二つのブラックホールが合一したときに生じた重力波の検出が報告されたが、それと並ぶ業績であろうか。
素粒子物理学が華やかだった時代は過ぎたという感じがする。
私の先生には流体力学の専門だった方がおられて、彼は自分が若いときは乱流論が物理の分野の花形だったのだがと回想されておられたが、その気持ちがわかる気がする。