物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

大切なこと、それは目に見えない

2019-08-19 18:13:17 | 日記

大切なこと、それは目に見えない

『星の王子さま』にでてくるセリフであるが、フランス語ではどういうのか。知らなかったが、今日初めて知った。

Ce qui est important, ca ne voit pas. (スキ エ アンポルタン、サ ヌ ボワ パ) 

だという。caのcの下にセディーユが必要だが、入力できないので、失礼をしている。

 

もう一つこれはよく言われる言葉だが、「明晰でないものはフランス語ではない」というのもある。

これは

(Ce qui n'est pas clair) n'est pas francais. (ス キ ネパ クレール ネパ フランセ)

だという。この語は初歩のフランス語を学んだときにN教授から教わったはずだが、もう忘れてしまっていた。

上の文のカッコは主語を示すためであり、それ以外の意味はない。

(2019.8.20付記)フランス語の発音は難しい。それでカタカナで発音を入れてみた。単なる参考である。

 

 


パワーポイントをようやく

2019-08-19 18:00:11 | 日記

徳島科学史研究会での発表で使う、パワーポイントをようやくつくった。といっても、今年はあまり実がないような気がする。

もっとも9月になって、論文を書くときにならないとわからないのだが。どうも自分一人よがりのような気がしているが、はたしてどうだろうか。

今回は雑誌に掲載された論文とか記事のリストをつくるのが、本当の仕事であろうか。雑誌としては「思想の科学」、「エコノミスト」、「経済評論」、「現代の眼」、「科学画報」等が残っている。

「技術と人間」は一応できたので、大学の図書館で正確かどうかを検査する必要がある。「思想の科学」はその総索引ができているので、総索引をまず調べてリストをつくり、それから各号あたるようにしたい。

もっとも総索引は大きな公共図書館に行かないと見られないであろう。


日曜日はスペアの日

2019-08-19 09:38:53 | 日記

日曜日はスペアの日として使っている。一日中リビングで椅子に座って所在なく庭の木の緑を見るともなく見ている。

二階への階段を上がったところにおいてある、本棚を見ていたら、発見法的に大学受験の問題を解くための本を何年か前に買っていることに気づいた。

塚原成夫さんという人だったか、それを2冊買っていたのだ。いずれも現代数学社という出版社から出版されている。

およそ発見法的に数学を学ぶということを私は重視しているので、こういう本を購入していたのだと思う。この1冊には英語で書かれた参考文献もかなりたくさん載っていた。

私などのあまり読んだことのない本が参考文献として挙がっていた。その中にはPolyaの日本語に訳された本も元の原本が上がっていた。

それと福島原発事故の起きた責任を追及した岩波新書も購入していたのも見つけた。これは今週の土曜日に高松で行われる、徳島科学史会の例会での話に直接のかかわりはないけれども間接的にはかかわりのある文献である。

 


亡くなった人たち

2019-08-17 12:15:29 | 日記

生死の境はわからない。私にも亡くなった父母がおり、兄がいる。兄嫁がいる。それらの人々は私の記憶にしかもう生きてはいない。

それにもうすでに亡くなった友人とか知人も結構ある。予想外に早く亡くなった後輩もいる。それらの人々を思い出すこともときどきある。

いずれは私も人々の記憶にしか生きないのだと思うと不思議な気がしないでもない。親族で一番年がいっていないのは孫であり、まだ3歳にもいかない。

それと比べると私などはもう80歳を越えたので、いくら生きてももうたかだか10年も生きれば、十分すぎるであろう。しかし、頭の鈍い者にとっては80歳になってもわからないことだらけである。

それも自分でわかることが実感をもってわかることを、自分がわかることの指標にしているので、ますますわかったと思うことなどほとんどない。

もう日本で故人を思う時期である、お盆も過ぎたのだが、そんなことを考える時期なのかも知れない。

 

 


昨日はお休みにした

2019-08-16 12:18:08 | 日記

台風が松山の近くを通るという予想だったので、一日自宅にいた。

結果的にはあまり松山には影響はなかったのだが、どうも私にしたらちょっとした日曜気分だった。昼寝もしたし、ほとんど居間から他の所へは行かなかった。

今日は金曜日で読書用のめがねのためにメガネスーパーに出かけた。一週間後に新しい読書用のメガネができる。その次の日は徳島科学史研究会が高松である。


台風来襲

2019-08-14 11:45:37 | 日記

まだ台風が来ているわけではないが、今日は台風が来ることになっている。非常にゆっくりとしか近づかないので、本当に来るのだろうかと疑心暗鬼である。

大体、時速15キロくらいと自転車なみの速さだという。昼過ぎから雨風共に強まるとは天気予報である。しかし、曇りで風が少し吹き出しているが、ひどい台風が来るとは思えないほどである。

それでも仕事場の壁際の植木鉢はすべて床に下ろしておいた。念のための用心である。これは風にあおられて鉢が下に落ちたら大変だから。

年に数回はこういう作業をしている。


球面三角法

2019-08-13 10:18:38 | 数学

球面三角法のわかりやすいテクストは日本語ではあまりないのだろうか。

測地観測センターの河瀬さんが4ページほどの論文を書いておられて、それにも外国語の本を参照しないといけないと書かれている(注)。それによるとTodhunter and Leathman, Spherical  Trigonometry (Macmillan, 1914)が引用されている。

以前に球面三角法の英語の書物をインターネットでプリントアウトしたことがあるのを思い出して、探しに行ったら、Leathmanの名前はなかったが、やはりTodhunterの本(Macmillan, 1886)であった。

どうして球面三角法の日本語の本が少ないのであろうか。これがどうしてなのかはわからないが、球面三角法は天文学とか地図をつくる人といった特殊な人にしか用がないからであろう。

『四元数の発見』(海鳴社)を書いた時にもいつか球面三角法のテクストをまとめてみたいとは書いたのだが、その後そのことはする気が起こっていない。

この本に書いたのは球面三角法を導く方法としてそのとき考えたのは

1.発見法的に導く

2.現代的に導く

3.平面三角法を用いて導く

4.四元数を用いて導く

の4つのやりかたがあるだろうと書いている。

だが、そういう本を残念ながらみたことがない。

詳しく検討したことはないが、堀源一郎『ハミルトンと四元数』(海鳴社)には4の方法による球面三角法の導出があるのではないかと思っているが、その真偽は保証できない。

(注)河瀬和重、球面三角法の簡潔かつ体系的な理解への試み、インターネット

(付記)上に述べた河瀬さんの論文は上に述べた4つ方法の2番目に相当するのではないかと思われる。よく調べていっているわけではないけれども。

球面三角法のほうが平面三角法よりも歴史が古いと数学史の書で読んでいる。それでそれを見つけた発見法的導出法があるのではないかと思っているのだが、はたしてどうであろうか。

普通の本に書いてある方法は3の平面三角法を用いての球面三角法を導出する方法であろう。

(2019.8.21付記) 河瀬和重、球面三角法の簡潔かつ体系的な理解への試み、(インターネット)の球面三角法の正弦法則がなんだか持って回った方法であり、これは英語のwikipediaの方の正弦法則の説明が簡明でいい。

日本語の球面三角法のwikipediaはちょっと英語のwikipediaを見倣ったほうがいい。


三角法の始まりは?

2019-08-12 09:53:19 | 数学

三角法の始まりは? どこにあるか。

武藤徹先生の高校数学読本の第2巻『図形のはなし』(日本評論社)の三角比のはじまりのところを読んでみたら、円の弦について述べた箇所があって、それがのちの三角関数の正弦表にあたるものだとの説明があった。

それはいいのだが、何故そのような円の弦の数表をつくった人がいたのかという目的が書かれてない。それで、この箇所を先週の土曜日に読んだのだが、欲求不満に陥った。

日曜にはそのことを忘れていたのだが、その本を自宅に持ち帰っていたことに昨夜の夜遅く気がついた。

いくら読んでみてもその目的は書かれていない。今日仕事場にきて、グレイゼルの『数学史』II(大竹出版)を読んだら、三角形の解法に役立つからと目的が書いてあった。

武藤先生は私の尊敬する数学者の一人であるが、長い教師生活でそういう疑問が生徒や学生から出ることを忘れてしまわれたのだろうか。本をつくるときには、客観的な読者がいて、ここがわからないという指摘がなければ、いい本は書けない。

武藤先生くらい偉い先生になると書かれたものに注文をつけられる、読者や昔の生徒さんはもうおられないのだろうか。もしそうなら、先生にとっても残念なことである。

一言付言すれば、上に挙げた本が全体として価値がないなどとたいそれたことを言っているのではない。現に私はそのシリーズを全冊購入してときどき参考にしているのだから。


いや、びっくりしたな

2019-08-10 15:09:23 | 日記

「いや、びっくりしたな」『百万人の数学』上、下(日本評論社)の新訳を買おうかと思ってアマゾンコムの書評をみたら、旧版の方がいいとあった。

図がちいさくなってしまったことに大きな原因があるらしい。そういう点では第1版が一番よいという評価であった。

私は第2版を持つているのだが、新訳を買うのをやめた。もっとも第2版もすこし修正をした方がいいとは思っている。

日本語訳の第1版は本の版が少し大きくて、図が大きく描かれていたのだろう。どうしてこの版の日本語を直して出版するということにならなかったのだろう。出版社の再考をお願いしたい。


三角関数をどう書くか

2019-08-10 12:03:35 | 数学

大学を退職してから、数年間ほとんど毎日e-learningのコンテンツを書いて過ごした時期がある。その中身はおよそ高校数学の復習というか、中学高校の数学に関係していた。

『四元数の発見』(海鳴社)を発行する以前にその原稿を海鳴社の辻さんに送ったら、かなり本気で出版しないかといってご自分で辻さんが読んでくれた。だが、そのときはまったくその気がなく、辻さんには失礼をしてしまった。
 
その理由は三角関数に関係した章がまったくなかったからである。最近になってその欠けている「三角関数」の箇所を補って一書にまとめられないかと思い出しているが、なにせ「三角関数」の部分を書くアイディアがとんと湧いてこない。
 
それで三角関数について書かれた、いくつかの本の章の目次を抜き書きして比べて見たりしている。
 
ありきたりのものなら誰かの本をひき写しすれば、できるのかもしれない。しかし、そういうものは誰にとってもおもしろくはないであろう。いや自分自身にとっておもしろくはない。
 
内容として三角関数とはいうものの、三角形とか三角比とかも入ったほうがいい。終わりの方には三角関数のテイラー展開やオイラーの公式についても書きたい。
 
しかし、途中をどうするか。三角方程式や三角不等式をどうあつかうのかだとか、頭を悩ませている。
 
振り返って考えてみると、三角関数についてはいろいろな形で書いたことがある。
 
たとえば、「電気電子工学科ミニマム」には、三角関数の公式とか、三角関数のテイラー展開だとかについて書いた。もっともこれは3ページに足らない短い記述である。
 
『数学散歩』(国土社)にも
 
・三角比の定義の記憶術あれこれ
・加法定理の証明いろいろ
・加法定理は三角関数の「水源池」となりうるか
・余弦定理の証明いろいろ
・単振動の合成
・arcsin x+arccos x=(pi/2)を理解する
 
を書いた。その後も愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」とかメール配布のサーキュラー「数学・物理通信」とかに
 
・余弦定理の証明いろいろ再論
・cos xとsin xをtan x/2で表す
・Euler公式の導出いろいろ
・sin xの級数展開
・正弦法則と余弦法則 ・・・・ 「正弦定理と余弦定理」した方がよかった
・三角関数の還元公式1、2
 
を書いてきた。
 
だから、その数はすくないことはないのだが、まだ核心には入りこめていない。
 

テラー

2019-08-09 17:26:32 | 物理学

テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。

NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。

ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。

量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。

テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。

なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。

ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。

 


他の仕事を

2019-08-09 12:10:41 | 数学

どうしてもしなくてはならない用事ができると、その当面の仕事に向き合えず、他の仕事をしたくなる。困ったものだ。

8月24日に高松である、徳島科学史研究会の講演の準備をしなくてはいけない時期なのに、四元数のことが気になったり、Pauli行列の導出法についてのエッセイを書きたくなったりしている。

どれも実際にはそれらの仕事に携わっていないが、そういう気が起こるから不思議である。生来怠け者の習性が出てくるのであろうか。

昨日も四元数の補遺として書いたエッセイを持ち出してきて読んだりしてしまった。それらを書いたときにはよくわかっていたはずなのに何を書いたのか思い出せなくなっている。なにかそれぞれ、そのときには気になったことがあったので、長々と書いたのである。

それがなかなか思い出せない。実は先日ある方から、本を送ってもらったのだが、それがベクトルの回転子と関係があったということもきっかけとしてはある。

『四元数の発見』(海鳴社)を書いていたときに、書こうと思っていたテーマでも落としてしまったものがある。それをわかりやすく書いておくべきだったかなどと思っていたりする。

ある種の思い切りで、それらのテーマは落としたのだが、『四元数の発見』の英訳をするなら、そのときにはこれらのテーマも含めたほうがいいかもしれないなどと、あらぬことを考えたりしている。


おひさまいち

2019-08-09 11:28:33 | 日記

「太陽市」と書いて「おひさまいち」と読ますらしい。ここに好きな料理をとって自分の盆にいれて、レジで支払って、食べるレストランがあるとか聞いていたのだが、一昨日までそこへ行ったことがなかった。

東京から知人が来たので、その人に会うためにおひさまいちのレストランで一緒に昼食を食べた。松山の農協のスーパーも併設されている

一昨日の私の食べたメニューは

 ロールパン   75円

 サラダ      162円

   チキン南蛮  410円

   きんぴら   182円

であった。

JRの駅の東の温泉青果のビルの横にある。松山の人は一度訪ねてみてはどうだろう。    

 


船でくる・・

2019-08-09 11:19:26 | 日記

     船でくる友もありけり夏座敷    子規 (1888)

英訳は

     Some friends came by boat

              summer guest house

である。

松山の三津浜に渡しがあるので、三津浜のどこかの座敷で宴会を子規の友だちが開いたのかもしれない。そのときの様子をすぐに俳句に詠んだのだろう。この句は1888年(明治21年)の句だというから、亡くなった私の祖母の生まれた年に詠んだ句だということになる。

この句はE大学校友会が送ってくれたカレンダーの8月分に載っている。

 


2005年からブログを

2019-08-08 19:40:10 | 日記

2005年からブログを書いているので、だいたいブログに書くネタなどとうの昔になくなっている。それでも惰性のように書く。文章を書くのが好きなのだ。

プロの作家でもないし、いわゆるエッセイストでもない。単なるどこにでもいる老人にしかすぎない。それでも書くのは好きだ。子どもころは文章は3行も書くと、書くことがなくなった。

母が文章を書くのが好きだったのではなかろうか。貧乏で忙しくしていたから、自分で文章を書くのを見たことはないが、小学校のころに私の宿題の詩をつくってくれたりして、こちらはそれで宿題をしのげたことがある。

目が子どものときから近視がきつかったので、黒板に先生が書いてくれた私の詩(実は母がつくった詩)を立って、読まされたことがあったりしたが、読みにくかったことを覚えている。