【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【クライマーズハイ】「群馬県警、弊社を家宅捜索」を報じた記者が国政へ 宮崎岳志さん

2008年12月09日 20時44分10秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

 写真左NHKドラマ「クライマーズ・ハイ」から、上毛新聞社記者を演じる佐藤浩市さんら、右は群馬1区第1次公認候補(予定者)の宮崎岳志(みやざき・たけし)さんです

 「クライマーズ・ハイ」という作品をご存じですか?新聞記者はだれでも知っている作品でございます。

 横山秀夫の作品ですが、推理小説ではありません。かつて上毛新聞(じょうもうしんぶん)記者だった横山が「これだけは書いておかねばならない」と書き上げた「日航123便と御巣鷹山をめぐる新聞記者たちの1985年夏」の物語です。NHKがドラマ化し、大きな反響を呼びました。今夏は、東映が映画版をロードショーしました。

 横山と入れ違いに上毛新聞社の記者となったのが、宮崎岳志(宮崎タケシ)さんです。

 上毛新聞社に入社後、県警を1年間、沼田支局長を2年間、経済部を3年間、労組役員を経て、どの社でも取材記者の最高峰とされる「社会部県警キャップ」にコマを進めました。2001年3月のことです。

 この抜擢人事について、同僚は異口同音に「大変だね」と言いました。実はその1年前、同社は群馬県警察本部に「S元社長が個人的に経営していた会社の債務をわが社につけかえた」としてS元社長を刑事告訴したのです。捜査のメスが進んでいることは公然の事実でした。

 この報道には、本社内にも専従記者が1人ついて、全体を統括しました。とはいえ、県警本部内で取材する現場監督をつとめたのは宮崎さんです。他社の記者からも「大変だね」と同情されながら、その日を迎えました。

 9月8日、県警捜査2課と前橋署は、S元社長の特別背任(商法)の容疑で、上毛新聞社など3カ所を家宅捜索しました。

 そのもようを報じた翌日付の上毛新聞です。


[「群馬県警が上毛新聞社捜索」を伝える2001年9月9日付上毛新聞1面]


[「本社捜索で社長記者会見」の一問一答を報じる同日付上毛新聞第1社会面]

 この2本、宮崎さんたちが書き上げた渾身の記事です。

 前橋市立図書館で、この日の上毛新聞をCD-ROMでみつけて司書さんにコピーサービスをお願いした私は、記者経験者というよりも会社員経験者として宮崎タケシさんを尊敬しました。考えてみてください。自分の会社に警察が家宅捜索に入って、総務部員として全社員向けのメールにまとめたり、労組役員としてビラに書くよう言われたら、どれだけ大変なことでしょう。

 宮崎さんは本社内にある自分のロッカーに荷物を取りに行こうとして、捜査2課の広報官から「取材はおひかえください!」とイヤミを言われました。

 TV記者が、「上毛さんの広報が『捜査中なのでコメントできません』としか答えてくれないんですよ」と泣きついてきたので、役員室に電話を入れ「ふだんのうちの報道姿勢と矛盾してますよ。そんなコメントが全国ニュースにのっていいんですか?」と説得し、コメントを出し直させたそうです。

 そんな長い一日に、宮崎さんが書いた記事が、上毛新聞31万部として群馬県民のみなさんの貴重なメディアとして配られたのです。

 宮崎さんのお父さんは現在も前橋赤十字病院の院長で、かねてから医療問題に興味を持ち、取材を通して現場を学びました。そんな彼が世直しのために選んだのは民主党でした。


[政権交代をめざす小沢一郎さん(左)と宮崎タケシさん]

 前橋市医師会は宮崎さんを組織として推薦状を出しました(自民党にも出しましたが、民主党候補への推薦状は初めて)。対抗馬は自民党清和会尾身元財務相

 ちなみに「宮崎タケシ」とカタカナを使っていることに、違和感があったのですが、これは、同じ県内の自治体議員で同姓同名さんがいるので、混同をさけるために「宮崎タケシ」にしたようです。

(宮崎タケシ公式ブログから引用)
[お知らせ]
 次の土曜日(13日)、前橋に鳩山由紀夫さんがやってきます。お近くの皆さんは、ぜひ鳩山さん、宮崎タケシさんに会ってみてください。

詳細は↓宮崎タケシホームページ
http://www.miyazakitakeshi.jp/

 【追記 2008-12-4 17:00】 集会は成功裏に終わったようです。当日のもようが民主党ニュースに載っています。ずいぶん立ち見の方も出たようです。前橋市で国民の声を活かした政治の実現を呼びかける 幹事長、宮崎・群馬1区総支部長(民主党ニュース)




 ただ、これを見ると錯覚しますが、宮崎岳志さんは対抗馬の尾身元財務相の6ポイント以上負けています。これからが長い道程です。上州から政権交代を実現してください。

> 宮崎たけし様
みどり市議会議員の方でしょうか?
名前が紛らわしく、御迷惑をお掛けしていると思います。申し訳ありません。実は区別しやすいように、当方の名前の表記をカタカナにした経緯があったりします(漢字が読みにくいもので)。
この世界の先輩として、御指導御鞭撻をお願いいたします。


(引用おわり)

 ちなみにほかのエントリーにもありますが、私と同じ「宮崎」ですが、親戚ではありません。

 さて、事前に連絡して宮崎さんのもとを訪れた9月の風景。私をこのように歓待してくれました。

   

 宮崎タケシさんと群馬1区総支部の日常活動のようすです・・・って宮崎さん、解散前からこんなに派手な自転車遊説じゃ、本番まで持たないでしょ!(笑) こうやって僕を迎えてくれた本当にやさしい宮崎タケシさんをぜひ国政に送り出してください。

 上毛新聞についてもう少し書かせてください。

 上毛新聞は群馬県最大の発行部数31万部を誇ります。これは全国紙の朝日、読売を上回ります。また、NHK前橋放送局はありますが、ローカルニュースは東京・渋谷のNHK放送センターがつくる「首都圏ネットワーク」のエリアで、民放もフジ、日テレなど東京の放送局ですから、県内報道では圧倒的なメディアです。

 その上毛新聞で「県警、上毛新聞社を家宅捜索」を報じることの重要さ、プレッシャーがどれほどのものか。

 4人の自民党総裁(総理大臣)を輩出した群馬県も変わり始めています。群馬のみなさん、政権交代へ一歩ふみだす勇気を宮崎タケシにぶつけてください。


郵政株式売却凍結法案、1年間の眠りから覚める

2008年12月09日 17時19分00秒 | その他
【衆院総務委 2008-12-9】

 1年前に参院で可決した「郵政株式売却凍結法案」がようやく衆院で審議入りしました。自民党の無責任な対応で、衆院でたなざらしにされていました。国民新党“原作”で、参院会派「民主党・新緑風会・国民新・日本」が提出しました。

 きょうは筆頭発議者の参院議員(国民新党副代表)の自見庄三郎さんが趣旨説明しました。

 私は自見さん大好きです。北九州の政治家と言えば、麻生太郎か自見庄三郎。自見さんはまさに“北九州の良心”、“北九州の政策通”、“北九州のお行儀の良い方の政治家”“北九州の真の経済通”の自見さんはまさに逆麻生(ぎゃくあそう)。おそらく北九州地方での自見さんと麻生さんの支持率も先週末あたりに逆転したのではないでしょうか。早く民主党入りしてください。

 一方、参院農水委では平野達男さんがJAバンクとゆうちょ銀行(郵政民営化)について、面白い質問をしていました。

 ちょっとうっかり、昼過ぎにこういう重大法案の審議がされていると気付いたので、これからビデオライブラリで見ます。

 見たら、このエントリーを書き変える形でまとめますが、しんどくなったらこのままですので、ご容赦ください。なんせ当ブログはひとりでやっているので、大変ですわ(^^;)

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宮澤邸“夜討ち“事件 与党議員なら総理の悪口は総理に言え!

2008年12月09日 15時31分16秒 | 第170臨時会(2008年9月~12月)麻生兵糧攻め


 日曜日のテレビジョンで、自民党の連中が麻生首相の悪口をいろいろ言っていたようです。しかし、与党議員だったら、総理大臣の悪口は総理に直接会って言ったらどうですか。

 思い出すのは、1993年6月14日の若手議員20人による「宮澤総理邸“夜討ち”事件」。

 岡田克也さん、簗瀬進さんら当時の自民党1年生議員たちは「思い余って、有志20名ほどで夜中いきなり、総理の自宅に押しかけて直談判するに及んだ。いま思えば、すいぶん乱暴なことをしたものだ」「通された玄関近くの部屋で我々が車座になると、総理も床にあぐらをかいて座り、若い議員が口々に訴える改革の必要性にじっと耳を傾けていた」(岡田克也『政権交代』19頁から引用)。

 総理に会わずに、テレビジョンで総理の悪口を言い、政界再編を企てる腰抜け、渡辺某、中川秀某、山崎某、加藤某。テレヴィジョンの語源はラテン語で「遠くが見える」という意味合いです。遠くと話せる「テレフォン」と同じ語源です。テレビジョン越しにしか総理大臣(自分の所の党首)に物を言えない人間など、与党議員たる資格はありません。悪口は麻生本人に言え。そんな腰抜けの新党など期待できるわけがありません。

 さて、翌日(1993年6月15日)付産経新聞第1社会面です。私自身、当時の報道で覚えている部分がありましたので、4行ほど付け加えさせて頂きました。

[産経新聞から引用]

(前略)

 この夜、自民党の改革推進派の若手国会議員らは東京都渋谷区の宮沢首相の私邸に集団で“討ち入り”。あくまでも今国会中に改革実現の姿勢を貫くようにと首相に強く迫った。

 午後八時半過ぎ、黒塗りの車が首相私邸前の狭い通りに続々と集結。「政治改革を実現する若手議員の会」代表世話人の石破茂氏を先頭に、簗瀬進氏、岡田克也氏、河村建夫氏ら十九人の若手議員が、門前のインターホンの前に集まって出てきた秘書と交渉した。

 秘書は門を閉ざしたままで、いったん中へ。

 「(首相が)居留守を使うなら、何時間でも待とう」「帰っていることは確認済みなんだ」。議員らの間からはこんな声も。

 私邸の前は議員や報道陣の車と人でごった返し、原宿署から応援の警官が出て整理に当たった。

 約十分後、宮沢首相は、にこやかな表情で門まで出てきた。ふだん着のシャツに背広の上着を羽織っただけの姿。

 押しかけた議員らは事前に来意を電話で伝えていたのに、首相は「おやおや、みんな。どうしました」と、突然の来訪に驚いたような表情で、おとぼけ。

 石破氏 「恐縮ですが総裁、どうしてもお話ししたいことが…」

 首相 「何なの? ここでやろう(話そう)か?」

 石破氏 「政治改革の断行について…」

(このあとの部分は私の記憶から再現します)

 首相 「遅いけど、君ら、(家に)上がるかい?」

 石破氏「・・・」

 岡田氏「お願いします!」

 一同「お願いします!!」


(再び、産経記事に戻ります)

 短いやり取りの末、議員らは結局、首相にうながされて中へ。首相は終始、笑顔を崩さなかった。

 議員らはこの日夕方から、拠点にしている東京・赤坂の事務所に三々五々集まり、梶山静六幹事長の「断念」発言などについて話し合ったが「自然発生的に私邸へ討ち入ることになった」(秘書の一人)という。

 この後も、遅れて駆け付けた議員計七人が次々と中に入り、約三十五分後、話し合いを終えて全員がそろって私邸から出てきた。

 石破氏らによると、首相への申し入れは「両院議員総会を開いて改革実現の決意を明言してもらいたい」というのが主眼。

 これに対して首相は「多数決をとるとなれば、我が党はどういうことになるのかな」と考え込んで見せ、難色を示したという。

 議員らは「総理の決意は今までと変わっていない」と分析したが、一部からは「首相は今まで、テレビなどでは改革断行を約束したが、党の機関では一言も言ってない」と批判の声も。この後再び拠点の事務所に戻り深夜まで協議した。

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 このエントリーでご紹介した1993年6月14日午後8時40分からの「政治改革を推進する若手議員の会」の宮沢首相私邸“夜討ち”事件に関する写真、映像をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか? いろいろ探していますが、なかなか見つかりません。何か手がかりをお持ちの方がいらっしゃればご連絡ください。

 宮崎信行
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