【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

蓮舫代表、国籍問題で臨時記者会見、「国・共」の共感性は特になく「さまざまな生き方を祖母の代からしてきた」

2017年07月18日 20時48分32秒 | 人物

[写真]蓮舫代表の臨時記者会見にそなえる、報道陣、2017年7月18日、民進党本部内、筆者・宮崎信行撮影、写りの関係などでモノクロ風に加工しました、他意はありません。

 民進党の蓮舫代表は、平成29年2017年7月18日(月)、臨時記者会見を開きました。1年前の、民進党代表(ネクスト総理)選挙の前後からずっとくすぶっていた、台湾(中華民国)と日本との二重国籍問題についてです。

 筆者としては、その経緯はさほど興味があるわけでなく、略しますが、私としては二重国籍問題は解消したんだろうと思います。資料として配られた、戸籍謄本ないし戸籍抄本の個人部分の一部に、「国籍選択の宣言日 平成28年10月7日」と書いてあり、代表選後に国籍選択をしたことは事実でしょう。私としては、これをもって、了としたいところです。

●メディア側も「なんでこんな大きな話になったのだろう」

 私自身がメディア側の者ですが、きょうの150名ほどの報道陣は何人も「なんでこんな大きい話になったんだろう」と言っていました。そういっても、「逃げれば追いかける」ことをしないと、商売あがったりなので、やはり蓮舫さんが説明から逃げる姿勢があったことが、ここまでくすぶったことになると考えます。

 また、きょうの記者会見では、国籍法の改正議論に言及。これは悪い表現ですが、「泥縄」のように感じます。ここは、黙って世論がおさまるのを待つべきではないでしょうか。

●国共関係なく、「様々な生き方をしてきた」

 会見では、私が聞きたかったことを聞きました。1年前の外国人特派員協会で代表選3候補の記者会見。蓮舫さんは17歳のときに、台北駐日経済文化代表処(日本・東京)で、お父さんと職員が台湾語で話しているのを聞いた、としていました。私はこの発言を1年間疑問に思っていました。これについてただすと、今日の蓮舫さんは「私は17歳のときに、あまり北京語と台湾語の区別がつきませんでした。北京語とは違うイントネーションのやりとりが要所要所であった」とのことでした。

 国民党(中国国民党)は、1949年に台湾を占領して以来、北京語を強制しました。なので、国外とはいえ、国家公務員であり、外交官ともいえる、職員は北京語を話すはず。もちろん、その当時、台湾関係者で北京語を話す人は少ないから、日本語で便宜を図ることはあったでしょう。ただ、台湾語でやり取りをするものだろうか、と思っていました。まして、蓮舫さんはその後、北京に留学しています。きょう聞いたら、やはり、台湾なまりがある北京語だった、と考えていいだろう、と私は理解しました。

 もう一つ、1971年の日華断交以後も、台湾国民党(中国国民党)に共感し、中国共産党を拒む感情を持っていた人はかなり多かったはず。これが国籍離脱の時期に関係しているのかと、私は心に引っかかっていました。このへんも質問しましたが、蓮舫さんは「(1989年の)天安門事件があって、自分で勉強した」と話し「台湾人が必ずしも国民党を歓迎していたわけではない」としました。そして、国民党、共産党、台湾、大陸というよりも、「様々な生き方を祖母の代からしている」と語りました。間を縫うことで貿易で財を成したということでしょう。機を見るに敏、風見鶏。私は良い意味だと考えます。

●記者会見で出なかった、「名の変更」。

 実は事前のブリーフィングで質問が出ながら、記者会見では質問にならなかった部分で、「戸籍に記載されている者 【名】蓮舫」の下に、身分事項として、上から下に、出生、名の変更、婚姻とあります。この「名の変更」というのはあまりないもので、芸名としても本名としても親しまれている、「蓮舫」という名前が、変更されていたのかもしれません。私の関心事ではありませんから、女性週刊誌などに譲ります。

●差別の対象にならないよう気をつけることも必要ではないか。

 排外主義者、レイシストの差別につながるという話が出ましたが、きょうの会見には、独立系インターネットメディアの主宰者や記者が多く集いました。無料が基本のインターネットでは、差別や弱者叩きが横行しがちなのかもしれません。ただ、何らかの劣等感は誰にでもあり、差別が絶対に無い社会など、人間が人間である限りあり得ません。その対象にならないように気をつける、という考えがあってもいいのではないでしょうか。

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