桜井新さんが亡くなったそうです。
NHKが報じたところでは、桜井新・元衆議院議員・元参議院議員・元環境庁長官が、肝臓がんのため、ゆうべ、平成29年2017年11月9日(木)夜に亡くなったそうです、享年84。
心より哀悼の意を表します。
桜井さんと言えば、NHKの原稿にもある通り、「桜井氏は新潟県出身で、故田中角栄元総理大臣の後援会組織「越山会」の青年部長などを務めたあと、昭和55年の衆議院選挙で旧新潟3区から立候補して初当選し、連続6期務めました」
越山会青年部長の県議の「造反」ともみられた、初出馬や、初当選のときに、大きく報じられました。政治少年の私もさすがに、小学1年生ですから、リアルタイムでは知らなかったかもしれませんが、この経緯はたびたび報じられました。
私が新卒で、日経新聞政治部で総理番記者をしていた1997年4月15日から1998年3月8日。この間に桜井さんは3回、首相官邸で、橋本龍太郎・首相(自民党総裁)と会っているようです。今、データーベースで調べたら、桜井さんは、平成9年1997年6月7日、同年7月12日、同年8月30日の3回総理に会っています。月1回総理に会っているとは大物政治家の風情。
このころ、桜井さんは、当選6回で、5回生のときに、橋本さんの同僚として大臣、環境庁長官をしていたことになります。64歳だった時期です。
この3回ですが、そのうち、2回は桜井さんと会った後に、首相が環境庁関連のイベントに参加しているようです。
おそらく1997年6月7日の午前11時45分から十数分から数十分、首相と会った後、桜井さんが一人で、首相執務室(に続く)首相秘書官室から出てきました。そこで、各社番記者が質問。「総理とはどんな話を?」。私は、内心「新潟、元越山会青年部長の桜井代議士だ~~」と思っていたと思います。ところが、何を聞いても答えてくれません。全員で右折して、よくテレビに映っていた正面の階段を一緒に降りていきます。玄関を出て、再度、数段の階段を下りて、車寄せへ。そこに、すでに車が入ってきていました。そのとき、毎日新聞の上野央絵記者が「政局の話は?」と聞くと、桜井さんは「あっ!」と一言。
初めて私たちを振り返り、「僕はね。そういうのとは関係ないんだよ。今、君たちにそうやって聞いてもらえただけで、光栄だよ」。
派手な国政デビューから、17年、連続当選で、大臣も経験した。そういう議員でも、政局とは関係ないんだな、というのは、政治少年から政治記者になろうとしていた私には衝撃でした。その日以降20年間、与野党とも政局は、主流派のごく一部の議員で動いているんだ、という認識は一向に変わりません。
心より哀悼の意を表します。
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[写真]国会議事堂、2016年5月、衆議院第16控室から、宮崎信行が撮影。
【衆議院 平成29年2017年11月10日(金)】
【参議院 同日】
審議は有りませんでした。
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