空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。
ブドウの実る田園の丘ルート

雪が融け、約半年ぶりのフットパスウォークである。歩くと汗ばむくらいの陽気の中、静かな、静かな三笠市の田園地帯のウォークを楽しんだ。しかし、最後に待っていたものは!?
気の多い私が今年やり遂げたいと思っていることの一つが、このそらちフットパスウォークである。昨年、一昨年の2年間で16市町村のルートを巡ることができた。残り8市町村である。なんとか今年中にはやり遂げたいと思っている。
そこで今日、天候が良かったことも手伝い、三笠市に車を走らせた。
三笠市のルートはワンウェイコースである。つまり三笠市の中心から国道12号線に向かうコースなのだ。
そこで私は国道沿いにある「道の駅 三笠」に車を置いて、バスでスタート地点のある三笠市中心部に向かった。(2時間に1本程度しかないバス路線を予めネットでチェックして出発時間に合わせて車で向かったのだ)

※ スタート地点の三笠市市民会館の建物です。
スタート地点の三笠市市民会館前に立ったのは、午前9時40分だった。
三笠市は典型的な炭鉱の街だった。最盛時には4万人を数えた人口も今では1万人を割り込んでいるらしい。
そのことを裏書きするように街の中は静かな感じだった。(ゴールデンウィークだったこともあるのだろうが)

※ 三笠市は「北海盆歌」の発祥の地として知られています。そのことの表示が誇らしげに掲げられていました。
最初にルートは街の外れにある「千人塚史跡公園」に導かれる。北海道開拓に従事しながら命を落とした囚人1,158人の魂が弔らわれているということだ。中には政治犯も含まれていて、福島の自由民権運動家だった原利八の墓も立てられていた。

※ 千人塚史跡公園の入口の表示です。

※ 右側が1,158人の合葬の墓、左側が原利八の墓です。
ルートは三笠市の住宅街を往くが、ようやく巡ってきた春を喜ぶように各家庭の庭先では菜園の準備をする人、花壇の世話をする人たちの姿が目立った。
そして一つ気付いたことだが、以前だとこの時期は各家庭の庭先にこいのぼりがゆらめいていたものだが、今回は小さなこいのぼりを上げている家が一軒だけだった。子どもが少ないのか?こいのぼりを上げる風習がなくなりつつあるのだろうか?

※ ルート上、唯一見かけた小さなこいのぼりです。
もう一つ気付かされたことは、公営住宅の類がたくさん目に入ったことだ。あるいは炭鉱労働者のために建てられた住宅だったのでは、と推測してみたのだがはたして真実は?

※ ご覧のような建物を市内のあちこちで見かけました。

※ 三笠山へ向かう途中の道路上で見かけた桜の花です。
さらにコースは三笠市のシンボル(?)でもある「三笠山(観音山)」に導かれる。三笠山とは、この地に収容された囚人たちが故郷・奈良の三笠山に似ていたことからそう呼ばれるようになり、やがては地名にまで使われるようになったようだ。
ただ、私が地域の方に「三笠山の入口はどちらですか?」と尋ねたとき、「観音山ですか?」と問い直されたことから、地元の人は「観音山」と呼んでいるのだろうか?

※ 三笠山へ至る登り口ですね。

※ 地元の人が「観音山」いうように山腹にはたくさんのお地蔵が立っていました。

※ 三笠山山中で咲き誇っていた桜の花です。
山に分け入ってみると、ちょうど桜の花が開花の時期を迎えていた。地元の人にとっては桜の山としても慕われているらしい。
頂上まで目ざそうかとも思ったが、実はこのルートでもう一つ頂を目ざすところがあったので、山腹から折り返すことにした。
(残りは後編に続きます。そこで事件は起こった!?)
ブドウの実る田園の丘ルート

雪が融け、約半年ぶりのフットパスウォークである。歩くと汗ばむくらいの陽気の中、静かな、静かな三笠市の田園地帯のウォークを楽しんだ。しかし、最後に待っていたものは!?
気の多い私が今年やり遂げたいと思っていることの一つが、このそらちフットパスウォークである。昨年、一昨年の2年間で16市町村のルートを巡ることができた。残り8市町村である。なんとか今年中にはやり遂げたいと思っている。
そこで今日、天候が良かったことも手伝い、三笠市に車を走らせた。
三笠市のルートはワンウェイコースである。つまり三笠市の中心から国道12号線に向かうコースなのだ。
そこで私は国道沿いにある「道の駅 三笠」に車を置いて、バスでスタート地点のある三笠市中心部に向かった。(2時間に1本程度しかないバス路線を予めネットでチェックして出発時間に合わせて車で向かったのだ)

※ スタート地点の三笠市市民会館の建物です。
スタート地点の三笠市市民会館前に立ったのは、午前9時40分だった。
三笠市は典型的な炭鉱の街だった。最盛時には4万人を数えた人口も今では1万人を割り込んでいるらしい。
そのことを裏書きするように街の中は静かな感じだった。(ゴールデンウィークだったこともあるのだろうが)

※ 三笠市は「北海盆歌」の発祥の地として知られています。そのことの表示が誇らしげに掲げられていました。
最初にルートは街の外れにある「千人塚史跡公園」に導かれる。北海道開拓に従事しながら命を落とした囚人1,158人の魂が弔らわれているということだ。中には政治犯も含まれていて、福島の自由民権運動家だった原利八の墓も立てられていた。

※ 千人塚史跡公園の入口の表示です。

※ 右側が1,158人の合葬の墓、左側が原利八の墓です。
ルートは三笠市の住宅街を往くが、ようやく巡ってきた春を喜ぶように各家庭の庭先では菜園の準備をする人、花壇の世話をする人たちの姿が目立った。
そして一つ気付いたことだが、以前だとこの時期は各家庭の庭先にこいのぼりがゆらめいていたものだが、今回は小さなこいのぼりを上げている家が一軒だけだった。子どもが少ないのか?こいのぼりを上げる風習がなくなりつつあるのだろうか?

※ ルート上、唯一見かけた小さなこいのぼりです。
もう一つ気付かされたことは、公営住宅の類がたくさん目に入ったことだ。あるいは炭鉱労働者のために建てられた住宅だったのでは、と推測してみたのだがはたして真実は?

※ ご覧のような建物を市内のあちこちで見かけました。

※ 三笠山へ向かう途中の道路上で見かけた桜の花です。
さらにコースは三笠市のシンボル(?)でもある「三笠山(観音山)」に導かれる。三笠山とは、この地に収容された囚人たちが故郷・奈良の三笠山に似ていたことからそう呼ばれるようになり、やがては地名にまで使われるようになったようだ。
ただ、私が地域の方に「三笠山の入口はどちらですか?」と尋ねたとき、「観音山ですか?」と問い直されたことから、地元の人は「観音山」と呼んでいるのだろうか?

※ 三笠山へ至る登り口ですね。

※ 地元の人が「観音山」いうように山腹にはたくさんのお地蔵が立っていました。

※ 三笠山山中で咲き誇っていた桜の花です。
山に分け入ってみると、ちょうど桜の花が開花の時期を迎えていた。地元の人にとっては桜の山としても慕われているらしい。
頂上まで目ざそうかとも思ったが、実はこのルートでもう一つ頂を目ざすところがあったので、山腹から折り返すことにした。
(残りは後編に続きます。そこで事件は起こった!?)