札幌学院大学コミュニティ・カレッジで「アイヌ民族の碑が訴えていること」(3回講座)を受講している。先日のその第1回講座があったのだが、その中でちょっと辛い話を聴いた。そのことに特化してレポートしてみようと思う。
5月14日(水)午後、札幌学院大学社会連携センターにおいて「アイヌ民族の碑が訴えていること」の第1回講座が行われた。講師は学院大の杉山四郎教授である。
杉山氏は、もともとは高校の社会科教諭で趣味としてアイヌ語の習得・研究に力を注ぐうちにアイヌ文化全般に興味が移り、そのことが注目されて大学教諭として現在に至っている方である。
そうした経歴の持ち主であるから、杉山氏の視点はどうしてもアイヌ民族の側からの視点となるは避けられないようであり、そのことは私も理解できた。

※ アイヌの碑について講義する杉山四郎札幌学院大学教授です。
第1回目の講座のテーマは「北海道各地のアイヌ民族の碑を訪ねる」と題して、北海道内に建立されている100碑以上の碑の中から8つを選んで、その碑が建立された背景や碑文の意味等々について説明された。
その説明の最初の江別市に建つ「乗沸本願生彼國(ジョウブツホンガンセイカコク)」碑について説明された後、その横には「樺太移住旧土人先祖之墓」碑があると説明された。そのとき、杉山氏は「この碑の土人という文字の土のところに`(テン)が付いているんですよね」と言いながら多くを語らなかった。
私はそのことがとても気になった。
講座の最後に質問時間が設けられていたので、私は気になっていたことを率直に訊いた。
「土人という碑文の土のところに`(テン)を付けた意味は何か?」と…。
すると杉山氏は言いにくそうな表情をみせながらも黒板に「ア、イヌが来た」と書いた。そして当時アイヌ民族を侮辱する意味で使われていた言葉で、その意味を碑文に込めたのではないかと説明された。
さらに私は訊いた。碑を建てたのはアイヌ民族を慰霊しようとする人たちである。その人たちがそうした意味を碑に込めるはずがない。そこで私は「ということは、その`(テン)を付けたのは碑を彫刻した業者ということだろうか?」と問うと、杉山氏は「おそらく誰かの指示があって、業者がそうしたのではないか思われる」と答えられた。
受講生の中から杉山氏の考えに反論する考えも述べられたが、論拠としては少し弱いように思われた。
私はここで杉山氏の判断の是非を論ずるつもりはない。
それより、私自身の体験の中でアイヌ民族を侮辱する行為を見聞したことが記憶に深く刻まれていることを披歴しておきたいと思ったのだ。
私が生まれ育った身近な地域にアイヌの方々は存在しなかった。しかし、列車で1時間も離れた町にはアイヌの人たちが住んでいる町があった。その町へ遊びに行ったとき、駅前で遊んでいた子どもたちがアイヌの子を揶揄している場面に遭遇した体験があった。
私はそのときは深い意味は分からずじまいだったのだが、感覚的に嫌な思いが残ったのは事実だった。
アイヌの人たちが身近にはいなかった私でさえこうした体験があるのだから、アイヌの人たちが暮らしていた地域においては推して知るべしという思いである。
そうした意味で、私はアイヌの人たちに対する贖罪の思いが私の底流にあることを意識する。私がアイヌのことを学びたいと思っている理由はそこにある。