ブログにおいてネガティブな話題はできるだけ避けたいと思っている。しかし、我慢ならない場合もある。大学の先生たちは講義をする際に、自らの考えを「より良く伝える」ということを意識しているのだろうか?と思うことがある。我慢ならないケースに遭遇した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/b8/a69968e15263fd3342563a88d2033360.jpg)
拙ブログで1週間前に「講座の受講を楽しんでいます」という文を投稿した。
大学の先生をはじめ、さまざまな人から長年研究してきたり、実践してきたりした専門的なことを伺うことは楽しいひと時である。
しかし、受講する側からすると、中には「もっと内容を整理して話してほしい」と思えるような人たちがけっこういるのも事実である。私から見ると、特に大学の先生にその傾向が強いように思える。最近、我慢ならない講義に遭遇した。
ここではその講義、その講師が特定されないように留意しながらその事例をレポートすることにしたい。
ある講座において、パワーポイントがスクリーンに映らないというトラブルがあった。関係者が修復を試みたが、結局修復せずに講師が用意したパワーポイントのソフトが使えないまま講義が始まった。
パワーポイントとは別にレジュメが用意されていたのだが、どうも話がレジュメとは全く関係のない方向に話が進んでいく。おまけに、話の折々に「パワーポイントがあれば私の話も分かるのですが…」的な言葉が頻出するのである。
話があちこちへと飛び、まったく脈絡のない話が続く。聴いている私はイライラしてきた。
同じように思っていた人が多かったのだと思う。ついに、我慢しきれなかったのか女性の受講者から「もっと話を整理して話してくれないか」という注文が飛びだした。こんな注文が飛びだしたのはたくさんの受講経験がある私にも初めてのことだった。そのことで少しは話の内容が改善されるのではないか、と期待した。
しかし、講師はその要請にひるむことなく、いや無視するかのように同じ調子で話し続けたのだった。
結局、私はその講義から何も得るものがなかったといってよい状態だった。私にとって空虚な、座っているのが苦痛の90分間だった。
少ないながらも受講料を払って受講している者に対して失礼な話ではないだろうか。
だいたい、パワーポイントの不調にしたって、事前にテストしていたら講義に使えないという事態は避けられたはずである。
まるで「話を聴く側が、話の内容を整理して聴け」と言われているようにさえ思えた。
大学の先生は研究と同時に、学生に伝える(教える)ことが主たる任務ではないだろうか。だとすると、大学の先生たちの「伝える力」はあまりにも貧弱な気がしてならない。
私の思いは一般論であり、もちろん中には講義の内容を工夫され、分かりやすくお話される先生もたくさんいることも記しておかねばならないが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/b8/a69968e15263fd3342563a88d2033360.jpg)
拙ブログで1週間前に「講座の受講を楽しんでいます」という文を投稿した。
大学の先生をはじめ、さまざまな人から長年研究してきたり、実践してきたりした専門的なことを伺うことは楽しいひと時である。
しかし、受講する側からすると、中には「もっと内容を整理して話してほしい」と思えるような人たちがけっこういるのも事実である。私から見ると、特に大学の先生にその傾向が強いように思える。最近、我慢ならない講義に遭遇した。
ここではその講義、その講師が特定されないように留意しながらその事例をレポートすることにしたい。
ある講座において、パワーポイントがスクリーンに映らないというトラブルがあった。関係者が修復を試みたが、結局修復せずに講師が用意したパワーポイントのソフトが使えないまま講義が始まった。
パワーポイントとは別にレジュメが用意されていたのだが、どうも話がレジュメとは全く関係のない方向に話が進んでいく。おまけに、話の折々に「パワーポイントがあれば私の話も分かるのですが…」的な言葉が頻出するのである。
話があちこちへと飛び、まったく脈絡のない話が続く。聴いている私はイライラしてきた。
同じように思っていた人が多かったのだと思う。ついに、我慢しきれなかったのか女性の受講者から「もっと話を整理して話してくれないか」という注文が飛びだした。こんな注文が飛びだしたのはたくさんの受講経験がある私にも初めてのことだった。そのことで少しは話の内容が改善されるのではないか、と期待した。
しかし、講師はその要請にひるむことなく、いや無視するかのように同じ調子で話し続けたのだった。
結局、私はその講義から何も得るものがなかったといってよい状態だった。私にとって空虚な、座っているのが苦痛の90分間だった。
少ないながらも受講料を払って受講している者に対して失礼な話ではないだろうか。
だいたい、パワーポイントの不調にしたって、事前にテストしていたら講義に使えないという事態は避けられたはずである。
まるで「話を聴く側が、話の内容を整理して聴け」と言われているようにさえ思えた。
大学の先生は研究と同時に、学生に伝える(教える)ことが主たる任務ではないだろうか。だとすると、大学の先生たちの「伝える力」はあまりにも貧弱な気がしてならない。
私の思いは一般論であり、もちろん中には講義の内容を工夫され、分かりやすくお話される先生もたくさんいることも記しておかねばならないが…。