田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

記憶の中のユーラシア

2014-05-17 23:53:19 | 大学公開講座
 受講している北大スラブ・ユーラシア研究センターが開催する公開講座名である。講座名にしては詩的な響きがする。7回講座のうち、2回の講座を終え講座のねらいを考えてみた。 

 ユーラシアというと、アジアとヨーロッパを合せた六大陸最大の大陸で、人口も地球総人口の72%が住むという。歴史的に見ても地球の歴史のほとんどはこの地域で紡がれてきたといっても過言ではないことに気づかされる。
 そのユーラシアの歴史の中でエポックメーキング的な出来事を研究者の視点から取り上げて、リレー式に7回にわたって解説するというのが本講座の趣旨のようである。

          
          ※ 講義をする北大スラブ・ユーラシア研究センターの望月哲男教授です。

 第1回目は5月12日(月)夜、「未来へ向けた記憶:帝政ロシアをカラーで撮った写真家」と題して、北大アラブ・ユーラシア研究センターの望月哲男教授が務めた。
 ロシアは17世紀初頭から20世紀初頭にかけてはロマノフ王朝が支配したが、1917年のロシア革命によって王朝は倒された。
 そのロマノフ王朝が倒れる前の10数年間、開発されたばかりのカラー写真を用いて当時のロシアの状況を克明に記録した写真家がいた。それはプロクーディン=ゴールスキーという写真家だったという。

 ゴールスキーは20世紀初頭(正確には1902-1918)、当時開発されたばかりのカラー写真の技術を用いてロシア各地に赴き、総数にして約3,500点のカラーで写した風景写真を残したという。当時において最先端技術だったカラーによって3,500点も撮るということは莫大な費用を要したようだ。したがって帝国政府からの手厚い援助が不可欠であったが、帝国が傾くにつれ援助も難しくなって、ゴールスキーはフランスに亡命したという。

 その写真がいろいろな経過を辿り、20世紀末になってその意義が見直され、世に出たということのようだ。
 講座の後半は実際にゴールスキーが写した写真を見ながらの講義だった。
 カラー写真が思っていたより鮮明だったのが意外だったが、デジタル修整技術の発達が鮮明さを表現したということだった。

 講座ではゴールスキーが遺した写真についての芸術性に論及したが、私自身はゴールスキーが遺した写真は記録性だけで十分ではないのかと思った。何故なら、その写真には構図的にも、人物の動きのなさにしても私の撮る写真とそう違わないのではと思われたからだ。ただし、その時代の様相を切り取った映像ということでは十分に価値ある写真だと思われた。

 「記憶の中のユーラシア」第2講は5月16日(金)夜、「中国の革命観光」と題して亜細亜大学の高山陽子准教授が務められたが、こちらも興味深いお話だったので、日を改めてレポートすることにする。