遅ればせながら篠山紀信の写真展を観賞してきた。まずは、写真のサイズの大きさに驚かされた。そして、私が最も注目したのはあるダンサーの肉体美だった。ギリシャ彫刻のように無駄を削ぎ落とした最も美しい瞬間を切り取った3枚に目を奪われた。

※ 芸術の森美術館のエントランスに掲示されていた展覧会の案内です。
文字どおり遅ればせながらである。前売り券を購入したのが4月25日に行われた篠山紀信氏の講演会のときだった。それからちょうど1ヶ月後となる5月25日(日)に写真展が開催されている札幌芸術の森美術館にようやく足を運んだというわけだ。
新緑に囲まれた芸術の森は、音楽や美術を語るに相応しい空間といった雰囲気を醸し出していた。
さて、写真展だが「篠山紀信展 写真力」は【GOD】、【STAR】、【SPECTACLE】、【BPDY】、【ACCIDENTS】という五つのテーマからなっていて、展示室もテーマ別に区切られていた。
まず度肝を抜かれるのが、その写真のサイズの大きさである。正確な大きさは調べたけれど分からなかったが、それは3mとか、5mというサイズで驚かされる。ちなみに、篠山紀信が山口百恵の水着姿の前でポーズを撮る写真が転載可能のようなので、その写真から大きさをイメージしてもらえると思う。その山口百恵の写真より大きなサイズの写真が大相撲の全力士を一堂に集めた写真や、ディーズニーランドを撮った写真などだった。

※ 写真の前に立った篠山紀信氏の姿から写真の大きさがイメージできると思います。
そして私が最も目が釘付けになったのが【BODY】のコーナーに展示されていたVLADIMIR MALAKHOV(ウラジミール・マラーホフ)というダンサーの肉体美だった。説明によると1/3000秒でシャッターを切ったとなっている。まさに一瞬の美を切り取った3枚といえるだろう。

※ 写真展のものとは違いますが、イメージとしてはこの写真のような感じでした。
篠山はテーマごとに短い一文を寄せていた。それが印象的だったので書き留めてきた。その一部を紹介すると、既に鬼籍に入った人たちのコーナーの【GOD】のところでは「写真家は『時の死』の立会人だ」と記している。その他にも「写真を単純に真実の記録だと考えるのではなく、むしろ嘘と実のあいだにはからずも生ずるリアリティに写真の力がある」、「写真家は時代の映し鏡であり、突出した出来事や人を撮らねばならない」といった言葉が印象的だった。

※ 新緑の囲まれた札幌芸術の森美術館の全景です。
私の関心事ではないが、「篠山の写真は芸術か?」などということが話題になることがあるという。私にはそのことを議論すること自体詮無いことのように思える。彼自身が「私は有名人しか撮りません」と言っていること自体が芸術性というところから距離を置いているように思える。そして彼の写真の発表媒体は週刊誌や芸能誌が主だったことからもそう言えると思うのだが…。
ただ、今回全国各地の美術館で展覧会を開催しているということは、これまで芸術性ということに距離を置いてきた彼も、若干はそうした称号を欲し始めたということなのだろうか?

※ 芸術の森美術館のエントランスに掲示されていた展覧会の案内です。
文字どおり遅ればせながらである。前売り券を購入したのが4月25日に行われた篠山紀信氏の講演会のときだった。それからちょうど1ヶ月後となる5月25日(日)に写真展が開催されている札幌芸術の森美術館にようやく足を運んだというわけだ。
新緑に囲まれた芸術の森は、音楽や美術を語るに相応しい空間といった雰囲気を醸し出していた。
さて、写真展だが「篠山紀信展 写真力」は【GOD】、【STAR】、【SPECTACLE】、【BPDY】、【ACCIDENTS】という五つのテーマからなっていて、展示室もテーマ別に区切られていた。
まず度肝を抜かれるのが、その写真のサイズの大きさである。正確な大きさは調べたけれど分からなかったが、それは3mとか、5mというサイズで驚かされる。ちなみに、篠山紀信が山口百恵の水着姿の前でポーズを撮る写真が転載可能のようなので、その写真から大きさをイメージしてもらえると思う。その山口百恵の写真より大きなサイズの写真が大相撲の全力士を一堂に集めた写真や、ディーズニーランドを撮った写真などだった。

※ 写真の前に立った篠山紀信氏の姿から写真の大きさがイメージできると思います。
そして私が最も目が釘付けになったのが【BODY】のコーナーに展示されていたVLADIMIR MALAKHOV(ウラジミール・マラーホフ)というダンサーの肉体美だった。説明によると1/3000秒でシャッターを切ったとなっている。まさに一瞬の美を切り取った3枚といえるだろう。

※ 写真展のものとは違いますが、イメージとしてはこの写真のような感じでした。
篠山はテーマごとに短い一文を寄せていた。それが印象的だったので書き留めてきた。その一部を紹介すると、既に鬼籍に入った人たちのコーナーの【GOD】のところでは「写真家は『時の死』の立会人だ」と記している。その他にも「写真を単純に真実の記録だと考えるのではなく、むしろ嘘と実のあいだにはからずも生ずるリアリティに写真の力がある」、「写真家は時代の映し鏡であり、突出した出来事や人を撮らねばならない」といった言葉が印象的だった。

※ 新緑の囲まれた札幌芸術の森美術館の全景です。
私の関心事ではないが、「篠山の写真は芸術か?」などということが話題になることがあるという。私にはそのことを議論すること自体詮無いことのように思える。彼自身が「私は有名人しか撮りません」と言っていること自体が芸術性というところから距離を置いているように思える。そして彼の写真の発表媒体は週刊誌や芸能誌が主だったことからもそう言えると思うのだが…。
ただ、今回全国各地の美術館で展覧会を開催しているということは、これまで芸術性ということに距離を置いてきた彼も、若干はそうした称号を欲し始めたということなのだろうか?