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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

アイヌ民族の碑が訴えていること

2014-05-31 06:59:07 | 大学公開講座
講師の杉山氏は徹底したアイヌ民族擁護論者である。私もまたそのことに対して異論はない。ただ、あまりにも些末な部分にまで“和人”の行為に対して非難が及ぶと私の中にある天邪鬼的な思いが頭をもたげてくる…。 

          

 札幌学院大学のコミュニティ・カレッジの講座「アイヌ民族の碑が訴えていること」は、その後5月21日に第2講が、5月28日に第3講が行われ、閉講した。
 第2講のテーマは「アイヌ民族と共に歩んだ“和人”の碑を訪ねる」、第3講は「空知地方のアイヌ民族について」というテーマだった。

 第2講で取り上げた碑は、「松浦武四郎」・「永久保秀二郎」・「ジョン・バチラー」・「大川宇八郎」・「ニール・ゴードン・マンロー」・「高橋房次」・「白川柳治郎」・「小助川濱雄」の8人である。私にとっては、松浦武四郎、ジョン・バチラー以外は初耳の人ばかりである。

 ここで注目すべきは“和人”と特記しながら西欧人が二人含まれていることである。このことについて、これは全くの私の想像であるが、人権意識が進んでいた欧米人の行いが“和人”を感化していったという側面はないだろうか?
 そう思えるのは、日本においては封建制が長い間続いていたこともあり、差別ということに対して鈍感であり、当時の和人にしても自分たちとは異なる民族を差別することにそれほどの痛痒を感じていなかったのではないかと思われる。そうした中で、他所から来た西欧人に感化されてアイヌ民族を助けよう、擁護しようとする和人も現れたのではないかと考えたのだが…。

 ここでリード文とも関わることだが、講師の杉山氏は多くの碑を紹介しながら、その碑に書かれている碑文や碑の状態などについて詳細に説明してくれる。その中で、今の感覚から少しでも差別的なものを感じたときにはどのような細かなことでもチェックを入れていた。
 例えば、松浦武四郎の碑を説明したとき「武四郎の蝦夷地探検の際に案内したアイヌ人がひざまずいている姿はまずい」という。私は「そうなのかなぁ?」と思う。その碑は当時の史実に基づいて創られたと思われる。そうした史実を曲げてでも、対等な立場のような碑を建てろと言っているよう聞こえてくる。
 むしろ私は史実に忠実に再現することによって、アイヌ民族が虐げられていたことがよりアピールできるのではないかと思うのだが、それは間違いだと指摘されるのだろうか?

 第3講は、空知地方に生きた一人の女性アイヌ「太田コウテカン」さんの一生を通して、虐げられたアイヌの実態を聞いた。
 太田コウテカン(通称:シモさん)さんは、その一生を〔イチャコタン〕⇒〔ウリウプコタン〕⇒〔ウラシナイコタン〕⇒〔ウリウプコタン〕⇒〔ウシスペツ給与地〕⇒〔ワッカウエンベ給与地〕⇒〔旭川〕へ、と住むところを転々としている。
 このうち、〔給与地〕と表記しているところは、強制的な移住政策によるものだという。それは三重県・十津川村からの移住者のためにそれまで住んでいたところを明け渡し、より不便なところへの移住を強制された結果だという。
 シモさんは「おれら昔からこの北海道で自由に狩りをしていたんだ。なんで後から入って来たシヤモのいうことを聞かんならんか」という言葉にアイヌの人たちの怒りと悲しみがある。

 杉山氏はアイヌ民族に関わる碑を訪ねて、北海道内をかなり詳細に歩かれているようである。まだまだ紹介できていない碑があるという。
 それは来年の講座のお楽しみという。来年もまた受講しなければ…。