田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

長友佑都の母が語る子育て論

2018-02-16 19:02:22 | 講演・講義・フォーラム等

 サッカー日本代表の長友佑都選手の母は語る。「子どもの能力を最大限に伸ばすのは親の責任である」と…。長友佑都の母親、長友りえさんの子育て論を聴いた。

 2月14日(水)夜、札幌市教育委員会主催の「親育ち応援団」なるイベントが道新ホールで開催され、参加券を入手できたので参加した。
 その「親育ち応援団」の講師が長友佑都選手の母親である長友りえさんだった。彼女は「子どもの夢を叶える長友家 五感の子育て」と題して講演された。

                    
                    ※ 講演中の長友りえさん。

 長友さんは全国各地で講演活動をされていると聞いていたので、理路整然とお話しされるのではと思っていたのだが、案に相違して話はあちこちへと飛んだ話となった。
 そこでこのレポでは、印象に残った“長友語録”を私なりに構成して紹介することにする。

 まず長友佑都の家庭的な背景だが、彼が小学3年生のときに両親は離婚し、母親に育てられたということだ。彼には1才上の姉と、2才下の弟との3人兄弟である。つまり長友りえさんは、シングルマザーとして愛媛県西条市において女手一つで3人を育てたということである。
 彼女は冠婚葬祭の司会業で生計を立てていたということだが、3人の子どもを養うために、朝早くから夜遅くまで仕事づくめだったそうだ。

                    
                    ※ 長友佑都選手の母親りえさんは、子育て論を著し発刊したという著書です。

 そうした中でも、彼女は母親として役割を忘れなかった。彼女の中での母親の理想像である、いつも明るく子どもに接すること、ブレない母親であることを自分に課したという。
 貧しくとも子どもにはやりたいことを精いっぱいやらせたそうだ。学習塾にこそ行かなかったが、子どもがやりたいということを止めることはなかったそうだ。そして、命令形は言い方は一切なく、怒ることもなかったという。

 サッカーは小さいころから取り組んでいたが、中学進学の際にFC愛媛のジュニアの入団試験に合格できず、地元中学校のサッカー部に入部したそうだ。しかし、弱小チームであったこともあり、友人たちとゲームセンターに入り浸りするようになったという。
 その際も、彼女はゲームセンターに行くなとは言わず、ゲームセンターまで弁当を届けたこともあったという。彼女は徹底的に我が子を信頼したということなのだろう。
 そうした気持ちは長友の気持ちを動かし、やがてサッカーに熱を入れだしたそうだ。

 彼女が“勝負をかけた”と話したのは長友の高校進学の際だった。彼女は佑都のサッカーを伸ばしたいと考え、サッカー強豪校に行ってほしいと思い描いていた。しかし、彼女はそのことを直接口にすることはせず、見えないところでレールを敷いてあげたそうだ。
 その結果、佑都の口から「強豪校へ行きたい」という思いを引き出し、サッカー強豪校であり、進学も可能な東福岡高校への進学を決めた。
 周りは家計のことを心配したが、彼女は子どものためなら、と意に介さなかった。
 母の苦労、覚悟を知っている佑都は、入学式を終え愛媛に帰る母親に「母さん、俺絶対にレギュラー取るからね」と誓ったと言う。

               
               ※ 長友佑都選手と食事をする母親りえさんです。

 佑都は東福岡高校で2年からレギュラーとなるが、大学進学に当たってスポーツ推薦は得られず、指定校推薦で明治大学に入学した。明大入学後には故障の挫折を乗り越えてプロ注目の選手となり、在学中にFC東京に入団している。

 彼女は言う。「佑都は努力とメンタルの人」と話した。身体的に優れていない佑都はサッカーが好きなだけに人一倍の努力をした。また、何度もの挫折を乗り越えて今があると…。

 そして講演タイトルの“五感”とは、親である自身の「目」・「耳」・「口」と「手」と「足」だという。彼女が言いたいことは、子どもを目と耳と口でしっかり把握し、子どもの思いを叶えるために手と足を使って奔走すること、ということのようだ。

 会場には多くの若いお母さんが詰めかけていた。長友りえさんの言葉はきっと彼女らにも届いたのではないだろうか。

 本日の投稿内容とは直接関係ない話である。
 長友佑都選手は、今春長く在籍したイタリアのインテルから、トルコのガタサライに移籍した。来るロシアWCで日本代表として活躍するためだという。彼の活躍を祈りたいと思う。