非常に遅まきながら、今回学習して「なぜ富士山が世界遺産の中の自然遺産ではなく、文化遺産で選定されたか」その理由が分かったような気がした。富士山は古来から信仰の対象として、また芸術の源泉として日本人の中に深く根を下ろしていることが理解できた。
※ 富士山はどのような角度からも、どのような季節でもその優美さが群れを抜いています。
(本日掲載の写真は全てウェブ上から拝借しました)
3月11日(月)午後、「めだかの学校」の3月1回目の学習会がもたれた。今回は以前積み残していたDVD(ビデオ)視聴学習だった。今回視聴したのは、山梨放送制作のDVD「世界遺産 富士山~信仰の対象と芸術の源泉~」とNHK制作のビデオテープ「新日本紀行 富士山と野仏」という2本だった。
私が特に新鮮な思いで見入ったのは山梨放送制作の一本だった。NHK制作の新日本紀行は昭和48年制作という古いもので、富士山ブームが起こる前の話ではあるが、登山客を馬で案内し生計を立てる人と、富士山北麓の痩せた土地で苦労する農民の姿を新日本紀行流に描いたものだが、私は内容よりテーマ音楽を懐かしく聴かせてもらった。
※ 富士山の行者による登拝は昭和14(1039)年に廃止となったが、
平成23(2011)年に復活したそうだが、その時の登拝の様子です。
山梨放送の方は、富士山が古来から日本人の“信仰の山”として崇められてきた歴史を描いたもので、中世以降国内的に富士山への登拝が盛んになったそうだ。登拝のために始まったのが富士講である。登拝の行者は富士山麓に到ると浅間神社の御師の経営する宿坊に宿泊し、御師たちの世話を受けたという。このようにして富士山は信仰の山として今に至っているようである。
※ 静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社です。
続いて、“芸術の源泉”としての富士山についてはよく理解できるし、富士山に関する絵画や写真もよく目にする。特に富士山を描いた絵画は、名だたる画家たちがその対象として特徴のある絵を描いている。どこから見ても独立峰の優美な姿を見せる富士山が芸術の対象となるのは大いに理解できることである。
※ 富士山山頂にある浅間神社奥宮です。私も参拝しました。
私はこれまで2度の富士山登山をしているが、もっぱら登山の対象としての富士山であり、信仰自体については無関心だった。次はないと思うが、もし三度目の登山があるとすれば、その際には信仰に関する施設などにも目を向けたいと思う。