旧ソ連圏内の一員だったウズベキスタンでは、伝統の職人文化がソ連の集団化政策によって壊滅の危機に瀕したが、ソ連崩壊によって独立国となったことで細々と継いできた職人文化が今復活し、新たな産業として根付きつつあるそうだ。
3月14日(木)午後、札幌市民交流プラザSCARTSにおいて「シルクロード教養講座」が開催され、受講した。実はこの教養講座は(株)ワールド航空サービスの主催で、ワールド航空サービスが催行するシルクロード関連の旅行商品の紹介を兼ねたものだった。
しかし、趣旨はあくまで教養講座である。第1回の今回は「ウズベキスタンの職人文化 シルクロードの伝統を受け継ぐ親方たち」と題して北大スラブ・ユーラシア研究センターの菊田悠助教が講師を務められた。
ウズベキスタンは古来からシルクロードの交易点として東西の文化が交流する中で工芸の技術が発達したという。それは「刺繍」、「木工細工」、「織物」、「銅製品、ナイフ」、「石膏」、「宝飾品」、「陶器、タイル」と多岐にわたったそうだ。その間、8世紀にはイスラム化されてその影響を受け、14~16世紀にはティムール朝時代を経ることで作られる工芸品にも時代、時代の影響を受けながらも受け継がれてきたという。そこには、日本にもみられたウズベキスタン流の徒弟制度があったようだ。
そうした伝統を根底から覆したのが1917年に起きたロシア革命だった。革命により社会主義国のソビエト連邦が誕生し、ウズベキスタンもその一員に加えられた。ソビエト連邦は私有財産を許さなかったため、多くの工房も国に没収され、工芸品も工場で生産されるようになった。また、国の求める工芸品もきらびやかなものが求められ、伝統の芸は廃れていったという。
時代は移り1991年、ソ連邦は崩壊し、ウズベキスタンは再び独立国となった。廃れてしまっていた工芸の技術は、紆余曲折を経て復活し、徒弟制度も元に戻ったという。そうした中でシルクロードブームが興り、伝統のウズベキスタンの工芸が見直され、今や大きな観光資源となっているということだ。
講義はさらに講師の菊田氏の関心事である陶器の国内事情について触れていったが、その点についてのレポは割愛したい。
私は以前、NHK・BSの旅番組で「沸騰するアジア」(題名は正確ではない)という番組でソ連邦から独立した各国をレポートする番組を視聴した記憶がある。その番組では、旧ソ連邦から独立した各国が急激な近代化が進んでいる様子を、TVを通して知ることができた。日本では、近代化とともに我が国の伝統工芸が一部を除き急激に衰退していったことを知っている。はたしてせっかく復活したウズベキスタンの工芸が日本と同じ道を辿りはしまいか、ということが気がかりなのだがはたしてどうなのだろうか?