85歳まで現役生活を続けた方、「めだかの学校」に入った動機を語った方、若いころ携わった漁業について語った方と、今回もまたさまざまな人生を聴いた。そして私もまた今回はスピーカーの一人としてお話する機会を得た。
3月25日(月)午後、私が所属する「めだかの学校」は2月に続いて4回目となる「私の体験や学びを語る会」があった。今回でこの企画は最終回だったが、今回は私を含め4人の方がスピーカーを務めた。
最初に登場したのは「90歳の人生を振り返って」と題してお話されたT氏だった。T氏は当年90歳だそうである。T氏は非常に元気で、とても90歳には見えず矍鑠(かくしゃく)としている。T氏は山形出身で北海道に来るつもりはまったくなかったそうだが、偶然がいたずらしてか人生の大半を北海道で過ごすことになったようだ。T氏は長い人生の中で3度の転機があり、49歳で大企業を退社して畑違いの建設会社で16年在職して65歳で定年を迎えたが、そのとき携わっていた仕事の特殊性から請われて勤務会社を変えてメンテナンス業務にそれから20年携わり、85歳になってようやく仕事を終えられたということだった。それにしても85歳まで現役と凄い!十分に社会に尽くされた人生と言えるのではないだろうか。
続いては「私がめだかの学校の魅力にひかれたわけ」と題してO女史がスピーカーを務めた。O女史は「めだかの学校」に関わる某女史から誘いを受け、「めだかの学校」の存在を知ったという。「めだかの学校」はO女史が求めていたことと波長がぴったりと合い、すぐさま入会を決めて現在に至っているという。O女史は言う。「めだかの学校と出会えて、学校の開校日(毎月2回)が待ち遠しい」と…。これからも「めだかの学校」が、そこに集う人たちにとって意味ある存在となるよう皆で高め合い、楽しみ合っていきたいものである。
3番目に登場したのは「利尻での漁業生活を振り返る」と題して話されたS氏である。S氏も生年を聞くと本年で83歳ということだが大変元気な方である。S氏は道北の利尻島出身だという。利尻では実家が漁業を営んでいた関係から自然に漁師の道に進んだそうだ。現代と違い、交通事情(船の便)も良くなかったことから、文明から閉ざされたような島の生活だったようだが、それだけに牧歌的な日常を懐かしがられた。利尻島での漁はニシン漁に始まり、ウニ、コンブ、テングサと漁のサイクルが紹介された。その中でもS氏にとっては、当時はかなりの豊漁だったニシン漁について詳しく話していただいた。その後幾多の変遷の後、札幌に転居されたようだが、若き時代に過ごした利尻島の生活をとても懐かしんでおられたのが印象的だった。
さて、最終スピーカーとなった私はというと、やはりこの2月に6年間をかけてようやく完成をみた「冬の石狩川河岸を遡る」しか思い浮かばなかった。その内容のほとんどは拙ブログでレポしたとおりであるが、発表内容を27頁のパワーポイントにまとめて発表させてもらった。時間が押していて、皆さんがどのような感想を持たれたのか知る由はなかったが、ある意味で一つの生き方を提示することができたのでは、と思っている。
これで会員による「私の体験や学びを語る会」は一応の終止符を打ったが、私にとっては非常に興味深い企画だった。また少し時間をおいて、同様の企画が持ち上がって、皆さんのお話を聴くことができたらなぁ、と思っている。