いよいよ木曽路行ウォークがスタートしました。今日のところは贄川宿から奈良井宿までの8キロ弱ですから、その序曲といった程度です。しかも行程のほとんどが国道沿いだったのでその趣もイマイチという感じです。ただ、平沢地区や奈良井宿の町並は「よくぞこれほど保存したもの!」と唸らされました。
本シリーズ№5で贄川宿をスタートしたことを伝えましたが、けっこうな重量の荷物を背負っていることもあって、ゆっくりゆっくりと歩を進めました。
贄川宿を出てまもなく樹齢千年といわれる「贄川の栃の大木」に出会いました。なるほど大木です。以前訪れた屋久島の縄文杉には及びませんが、その根元の太い幹のところは千年の風格が漂っているような感じを受けました。
ブログでも触れましたが、「信州木曽路 中山道を歩く」の小冊子を片手にウォークを進めているのですが、詳細に説明してくれていると思っていましたが、実際に現地に立ってみるとそれだけでは十分ではないことを知らされました。短い今日のコースの中でも私は2度ほど説明とは違う道を歩いていたようです。
大きく外れるわけではないので問題はありませんが、初めての道なので注意深く歩を進めることが肝心と教えられた思いです。
さて、今日訪れた贄川宿は現在宿を営業しているところもなく、街並みも特別保存はされてはいませんでした。
奈良井宿へ向かう途中で通過した平沢地区は「漆器の町 木曽平沢」として有名なところのようです。町に入る前から漆器店の看板が目立ち始め、町中に入るといたるところが漆器店といった感じでした。
街角には「町並保存会」などという看板が目につきましたから、きっと地区全体で古い町並みを保存する努力を続けていると思われました。
※ この写真が平沢地区の町並みを最もよく表した写真とはいえません。もっと良いのがあったはず…。
その平沢地区からそれほど離れた距離ではないところに奈良井宿が目に入ってきました。
平沢地区の町並でも驚いていた私ですが、その規模といい、建物の本格さといい、平沢地区のそれを大きく上回るものでした。資料によると昭和53年に国から「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたとのこと。街中には大型バスでやってきたたくさんの観光客がかっ歩していました。
宿はもちろんのこと、土産物屋、飲食店、その他もろもろの家が全て往時の造りを保っている町並はなるほど観光的価値が十分と思えました。
※ 奈良井宿では太陽光が強すぎて影になった部分が暗くなってよく見えません。明日の朝、もう一度チャレンジします。
おーっと、忘れるところでした。平沢地区の街並みに入る前に「文化財修復工房」なる立派な建物の前に松尾芭蕉の句碑が立っていました。碑の文字は薄くて読めませんでしたが、資料によると「送られつ をくりつ果ては 木曽の秋」。う~ん、さすが芭蕉ですなぁ。私には詩心も俳句の素養も全くない木偶の坊ですので、ただ唸るだけがせいぜいです。
※ かすかに「芭蕉翁」という文字が読み取れると思うのですが…。
ところで私はこちらに来る前まで、私のような物好きがけっこういるのではと予想していたのですが…。案に相違して、私が出会ったのはたった一人でした。4軒の宿を予約した時に2軒の宿から「歩いて来られるのですか?」と聞かれたので、けっこうな人が歩いていると予想したのですが…。シーズンが違うということでしょうか?
出会った一人は私と反対方向に進んでいたのですが、ちょっと言葉を交わしたとき、彼は「江戸まで行きますよ!」と言っていましたが、その道の達人はどの世界にもいるものなんですねぇ…。
さあて、明日は難所と言われている鳥居峠越えです。
今日と同じように、あちこちキョロキョロしながら、ゆっくりゆっくり歩みながら大いに楽しみますわ~。
《今日の歩数 24,073歩 約17.4キロ》
※ 相当数の写真を撮っていますが、旅の途中では十分に整理できませんので代表的なものだけ載せることにします。残りは帰宅して落ち着いてから、と思っています。
いよいよ木曽路行の始発点にたちました。
贄川宿の天候は晴れ。それでも微風が吹いているのでそれほど暑さ感じません。これから奈良井宿まで約8キロのウォークです。
写真は贄川関所を再現した建物です。
特急スーパーあずさ5号の車内からです。木曽路の始発点贄川宿に向かっています。
東京は昨日ほどではありませんが北海道人には暑く感じられ、今朝もホテルからザックを背負い駅に来るまでで汗をかいてしまいました。
はたして木曽路はどうでしょう?
列車は一路木曽路に向かっています。
途中からのレポートができずに本日最後のレポートになりました。その後の私、そして久方ぶりの東京について若干レポートをすることにします。
上野公園ではその後「精養軒」で昼食を摂り、私が一カ月研修をした「国立社会教育研修センター」も見つけることができました。そしてその後…。
上野の森の「精養軒」は、いわばおのぼりさんの定番なのかもしれません。私は以前には一度も訪れることがありませんでした・。今回は迷わずに昼食をここで摂ることにしました。オーダーはもちろんこの店の名物であった(?)「ハヤシカレー」(1360円)です。コクのあるなかなかの味でした。
※ 上野公園の一つの名物「精養軒」のレストランらしからぬ建物の威容です。
その後目ざす「国立社会教育研修センター」を上野の森の奥の方で見つけることができました。私の中ではかすかな記憶が残っているだけでしたが、休日ということで門が閉じられていたのがちょっと残念でした。
※ 私が一カ月研修に努めた(?)国立社会教育研修センターです。休日のため扉は閉じていました。
その後、宿舎としている新宿に移動してホテルにチェックインした後、友人夫妻と約束した町田に向かいました。
友人夫妻との久しぶりの出会いは思い出を語り合い、とっても楽しい一時を過ごすとができました。
今は心地よい酔いの中で、ようやく文章を創りだしています。
※ 友人夫妻と会った後、新宿に還ってきた後の新宿駅前の雑踏です。
明日からはいよいよ木曽路です。
心を引き締めて、しっかり歩きながら、先人の思いに迫ることができたら、と思っています。
上野公園に来ています。東京泊まりの主たる理由は今夕友人夫妻に会うためです。
それまでの間、少しの時間があるのですが、どう過ごすかについてはノーアイデアでした。飛行機の中で急遽「上野公園に行ってみよう!」と思い立ちました。
30年前に1ヶ月間研修通った研修所が公園内にあるのです。
果たして見つけることができるか、これから探してみます。
いよいよ旅立ちです。と言っても、今日は東京泊まりなのですが…。
まずは無事にJR札幌駅から新千歳空港行きの列車に乗りました。
写真は札幌駅のシンボル(?)安田かん氏の彫刻「妙夢」です。まだ薄暗いのがお分かりいただけると思います。
旅に出る前の心境とはこういうことか、ということを今味わっています。「準備は万端だろうか」、「忘れているものはないだろうか」、「どんな出会いがあるのだろうか」…。わくわくする気持ちと、無事に旅を終えられるだろうかという気持ちが交錯してします。
先ほどようやく旅に出るためのパッキングを終えました。
旅の装具すべてを背負いながら移動する今回の旅においては、必要最小限のものに絞りに絞り、しかし必要なものは欠かさないように、という作業は悩ましいことであり、楽しいことでもありました。
きっと、旅に出てから「あー、しまった!」と思うこともあるのかもしれません。
そんなこんなで、ドキドキしながら最後のパッキングを終えました。
これもまた旅の醍醐味なのかもしれません。
明日は東京泊まりで、木曽路に入るのは24日になるのですが、私自身の中では明日から木曽路への旅は始まります。
明日からの私のブログのタイトルは「深秋の木曽路を往く」と決めています。「深秋」は「信州」と掛けたりしましてね…。
一年半ぶりの本格的な旅を前にして、いささか興奮している私です。
それでは一眠りして、行ってきま~す。
木曽路の紅葉情報を得ようと木曽観光連盟に問い合わせたところ、木曽観光連盟から木曽路を歩くための恰好の小冊子が送られてきました。それは私が買い求めたガイドブックよりはるかに詳しく、私にとって心強い味方になりそうな小冊子でした。
「信州木曽路 中山道を歩く」という小冊子の表紙裏には次のような言葉が添えられていました。
贄川宿からいよいよ険しい道が始まる。
上洛の木曽路。
急坂な峠道を越え、深い谷を歩き、
谷の底を縫うだけに、
それぞれの宿場町にたどり着いた時の安堵、
旅籠で身体を休める有り難さは、
さぞかし深かったことでしょう。
華やかさはありませんが、
ひしひしと旅人の思いが伝わってくる、
人間味のある道がいまも延々と伸びています。
はたしてどのような急坂なのか、どれほど深い谷なのか、その険しさはいかほどか、何も分からぬままの旅立ちですが、小冊子「信州木曽路 中山道を歩く」は私の今回の木曽路行の心強い味方になりそうです。というのも、この小冊子は私と同じように贄川宿から馬篭宿までを歩く人向けの案内本になっているのです。
道の曲がり角のしるし、旧道の歩けないところ、道中で見逃せない名所旧跡などなど実に細やかに案内してくれています。
この小冊子一冊あれば、道に迷うこともあり得ないと思えるほど親切丁寧な記述です。
急坂な峠道を越え、深い谷を歩きながら4泊5日の間、古の旅人の思いを追体験してこようと思っています。
小冊子「信州木曽路 中山道を歩く」を片手にしながら…。
木曽路行がいよいよ近づいてきましたが、明後日に札幌を発つ予定です。そこで今回の旅をどのように発信しようか考えてみました。少し悩みましたが、今回は2ウェイでの発信を考えてみました…。
これまで一昨年の八重山諸島の旅では携帯電話からの発信でした。昨年の屋久島・種子島の旅では携帯から発信するとともに、宿のPCをお借りしてその日のまとめのような形で発信しました。
今回も基本的には昨年同様、携帯とPCからと両方で発信しようと思っています。
ただ、昨年と違うところは今回は私自身のPCを持参しようとしていることです。
このことはずいぶん悩んだ末の決断でした。
というのも、PC自体の重さが1.8Kgあります。
長距離を歩くという行為の中で1.8Kgが重荷になってくるのではないか、という不安がありした。一方で現地へ行ってからも、現地の見どころや天気予報などの情報を得るために自由に使えるPCがあると何かと有利だという思いもあり、どうしようか悩みました。
そこで先日、江別・大麻の友人宅までウォーキングしたときザックの中にPCを入れて歩いてみました。すると、その時はそれほどの負担を感じなかったことから持参することを決断しました。
はたしてこの決断が吉と出るか、凶と出るか??
ということで今回の旅では、以前の旅と同じように旅の途中からも随時携帯からレポートを入れ、その日の終わりに持参したPCから一日の中で感じたことをレポートしていきたいと思います。
時間のある方は時おり覗いていただければ嬉しいなぁ、と思います。
昨日、木曽路で宿泊する宿に確認の電話を入れました。そして紅葉の状況を伺いました。すると、どうやら木曽路では紅葉が始まりつつある段階とか…。う~ん、目算がちょっと狂ったかな?という思いがありますが、きっと私が歩く木曽路は鮮やかな紅葉で迎えてくれるものと思います。
そう信じて明後日木曽路を目さして出発します。
今年で2年目になる道立近代美術館前の“ART”文字ですが、美術館を訪れた人、そして道行く人に楽しんでもらえたのではないかと思います。

※ こちらの写真は9/21に撮影したものです。赤葉がまだそれほど鮮やかではありません。
特に秋になり、赤葉が一段と鮮やかな色を呈してくれました。
しかし、この“ART”文字を象るアルテルナンテラは極端に寒さに弱い植物です。先日見てみると一部が寒さのために枯れかかっていました。
そこで本格的な寒さがやってきて全滅する前に鉢上げせねばと思い、昨日(19日)黄葉と赤葉の一部を鉢上げし、他は全部抜き取って整理しました。

※ こちらは整理する直前の10/19に撮影したものです。赤葉がきれいに発色しています。
これからは室内で冬越しさせ、来春温かくなるころに冬越しさせた苗から挿し芽で増やして、初夏のころにまた花壇に植えることになります。
昨年冬は我がマンションの狭い部屋で冬越しさせたのですが、今年は某高校に相談したところ高校の理科室において冬越しさせていただくことになりました。
無事に冬を越すことができたら、高校の生徒さんたちと共同で挿し芽の作業ができたらと思っています。
そして“ART”文字のデザインも彼らと一緒に考案することができたら楽しいだろうなぁ、と夢見ているところです。
そして今、思いついたことがあります。
それは、拙ブログ名は「丸尾清一の札幌を見る!観る!視る!」ですが、“ART”文字の取り組みによって、多少は「札幌を見せる(観せる、視せる、魅せる)」側にも立てたのかなぁ…、なぁんてひとりごちしているところです。