田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

藤原流教育論を聴く

2012-11-20 21:33:27 | 講演・講義・フォーラム等
 東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長として教育界に刺激を与え続けた藤原和博氏の話を聴く機会があった。軽快な話術と時代を考察する鋭い分析眼で聴衆を魅了し続けた講演会だった。

 
          
 11月18日(日)午前、ワオコーポレーション(学習塾大手?)主催の藤原和博氏講演会がロイトン札幌(中央区北1西11)で開催され受講した。藤原氏は「今、求められる教育とは何なのか」と題してお話された。
 藤原氏はまず20世紀社会と21世紀社会を次のように分析した。

《20世紀 成長社会》
 ・みんな一緒
 ・「情報処理力」が問われ、「正解」を求められる。 ⇒ 正解主義
 ・「ジグソーパズル」型

《21世紀社会 成熟社会》
 ・それぞれ一人
 ・「情報編集力」が問われ、「納得解」が求められる。 ⇒ 修正主義(つなげる力)
 ・「レゴ」型

          

 以上のように20世紀社会と21世紀社会を対比させて提示し、それぞれについて解説したり、ワークショップ形式で聴衆に具体的に体感させたりしながら、求められる能力の違いを説明した。
 時代を対比させる方法はよく識者が用いる方法であるが、あまりにも一元的に時代を分析してしまう方法には疑問も感じるが、一方で分析力・表現力の素晴らしさに感嘆している自分もいる。

          

 講演中、藤原氏は何度もワークショップ形式で21世紀に求められる柔軟な発想からの「情報編集力」を試す問いを発せられたが、私の場合はまるで求められるような発想が湧いてこないのだ。すっかり頭の固くなった私などは21世紀の世界ではまるで生きていけない存在のようだ。
 例えば次のような問いがあった。「未来のタイヤにはどのようなタイヤが考えられるか」という問いに対して、「速く走れるタイヤ」とか「ブレーキ力のあるタイヤ」などというのはつまらぬ回答だというのだ。例えば「四角いタイヤ」とか「匂いの出るタイヤ」など奇想天外とも思えるアイデアが求められるという。そうした奇想天外なアイデアを編集(つなげる)する力こそが21世紀には求められると云う。

               

 そして最後に藤原氏は次のようにまとめられた。
《これから確実に起こる未来》
①「情報処理」業務はなくなる。
②「情報編集力(つなげる力)」の勝負になる。
③日本人の人生観が変わる!!

 藤原氏の考えを確実に伝えられたかどうか自信はないが、その雰囲気だけは伝わったのではと思う。
 藤原氏は言葉を繋ぐときに必ずといって良いほど「~てなわけで」という言葉を発し、そのひょうひょう感がなんとも云えない魅力を醸し出していた。面白い、魅力のある方である。

龍馬と海援隊

2012-11-19 23:10:28 | 講演・講義・フォーラム等
 ご存じ坂本龍馬である。「北海道龍馬会」という龍馬マニアが集まった団体が定期的に塾を開催している。名付けて「世界龍馬塾」…。なんともたいそうな名称であるが、過日その世界龍馬塾に潜入(?)してみた。 

 11月17日(土)午後、かでる2・7(中央区北2西7)において北海道龍馬会が「世界龍馬塾 第4講話」を開催すると知り参加した。北海道龍馬会の講座には以前にも参加したこともあり、会のスタッフの方から「会に入会しませんか?」と声をかけられた。

 講座は北海道龍馬会の理事である小野寺繁氏が「龍馬と海援隊」と題して講話された。
 坂本龍馬については司馬遼太郎著の「竜馬がゆく」をはじめとして数々の本が刊行され、またTVの大河ドラマ「龍馬伝」などでその活躍ぶりは誰もが知るところである。
 今回の小野寺氏の話は特に目新しいものではなく、これまで伝えられていることを今一度整理して受講者に提示したという形だった。

          
          ※ 講話をする北海道龍馬会の小野寺繁氏です。

 話は龍馬が、勝海舟が組織した神戸海軍操練所が元治2年廃止されたことに伴い、「亀山社中」を結成した時から、慶応3年京都・近江屋で暗殺されるまでを追ったものだった。
 龍馬が組織した日本で最初の総合商社とも云われる「亀山社中」も、その延長線上にある「海援隊」も金銭的には厳しい舟渡り的経営であったことは良く知られているが、それは当時まだ商習慣といったものがなかったために、仲介手数料的なものを十分得ることができなかったためと小野寺氏が指摘した点は私にとっては新たな発見である。

 また、慶応3年3月6日付で印藤肇に宛てた手紙の中で「小弟ハエゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出ニ候間、何卒一人でなりともやり付申べくと存居申候。」と書き送っているが、その中の“新国”とは「蝦夷地」と「竹島」を指すと云われた点が目新しかった。龍馬は現在の島根県竹島の開拓も目指していたということだ。

          
          ※ 画面に映った龍馬像をカメラに収めました。

 龍馬塾の方は、小野寺氏の講話が終わった後、2011年7月8日にNHK・BSで放送されたBS歴史館「龍馬は誰が殺したか?」のDVDが放映された。
 龍馬の刺客については諸説入り乱れていまだに結論は出ていないが、番組は新たな資料の発見によって推理するというものだった。
 新たな資料とは、京都見廻り組隊長佐々木唯三郎が家族に宛てた手紙の中で龍馬暗殺について告白する手紙を残していたというものだ。これまで同じ見廻り組の今井信郎や渡辺篤が自供している。しかし研究者によると両者には売名行為的な疑いがあるが、佐々木の場合は世間に知れることなく家族に真実を伝えようとしている点に信憑性があると指摘する研究者もいる。
 ただ、番組は「真犯人を特定することは謎のままにしておきましょう」ということで終わっている。

 龍馬は志半ばに若くしてこの世を去った。志半ばだったから…。若くしてこの世を去ったから…。龍馬はヒーローになり得たのかもしれない…。
 「世界龍馬塾」…、またお邪魔してみようかな?

あら、そんな機能もあったの?

2012-11-18 21:52:11 | 講演・講義・フォーラム等
 「あら、そんな機能もあったの?」 という気分だった。自分がいかに自己流に拘泥したパソコンの使い方をしていたかを痛感させられた思いだった。北海道立図書館の「インターネット活用」講座に参加した。 

 巷にパソコン講座は数多く開設されているけれど、これまでそうした類の講座には参加することはなく、自己流で使い続けていた。
 北海道立図書館(江別市文京台東町41番地)で2回にわたり「インターネット活用」講座が開設されると聞き、これまでの自己流の使い方を見直してみようと思い参加した。
 11月15日(木)はその1回目で「検索エンジンを上手使おう」というテーマだった。

 会場が道立図書館ではなく、図書館の近くにある北海道立教育研究所附属情報処理教育センターだったことは、私には懐かしさも手伝った。(教育研究所は現職時代に何度もお世話になったところだった)

          
          ※ 会場の北海道立教育研究所附属情報処理教育センターの建物です。

 参加者は機器を使用するため募集人員が限られていたこともあり10名と少なく、ほとんどが私と同年代の暇人(?)ばかりで、パソコン操作のレベルもほぼ同程度のようで安心して受講できた。
 講座は検索エンジンの基本について学んだ後、便利な検索方法についての紹介があった。
 それは①AND検索、②OR検索、③NOT検索、④フレーズ検索の四つの方法だった。
 パソコンに堪能な方には「何を今さら」的な方法なのだろうが、私は①のAND検索しか知らなかった。それぞれの検索方法を実習したが、特に③のNOT機能はなかなか便利な機能だと思った。
 また、これらの機能がYAHOO!でもGoogleでも窓を開きさえすれば一括して活用できることも知った。

 その他にも、GoogleのI’m Feeling Lucky機能とか、さまざまなサービス機能、YAHOO!のサーチタブ機能などについて紹介があり、実際にその機能を使って検索することで便利さを実感した。
 いずれもパソコン本などを開くと紹介されていることばかりなのだろうが、その手間を面倒がり、そのために面倒な方法で検索していたというのが私の実態だった。
 便利な機能は使わにゃ損々ということを教えられた講座だった。
 と云いながら今後どれだけ使うかな??

北海道の農業を考える

2012-11-17 23:36:28 | 講演・講義・フォーラム等
「北海道の食と農を考える」緊急シンポジウムと銘打って、北海道内の錚々たる顔ぶれが揃って登壇し意見交換がなされた。しかし、錚々たる顔ぶれゆえか?予定調和的な議論に終始したようにも感じられた…。 

 このところ講座・講演会を受講したレポートばかり続いている。面白味に欠けるきらいがあるがご容赦いただきたい。これもこの季節ゆえの特徴なのだろうか?(最近の私はアウトドアでの活動が極端に少なくなってしまった…)

               
               ※ 基調講演をした近藤龍夫氏です
 。

 11月14日(水)午後、日本経済新聞社札幌支社開設50周年記念と銘打ってのシンポジウムが札幌パークホテル(中央区南10西3)で開催されたので受講した。
 錚々たる顔ぶれと表現したが、その登壇者たちは・・・
 ◇北海道経済連合会会長       近藤 龍夫 氏
 ◇北海道農業協同組合中央会会長 飛田 稔章 氏
 ◇北洋銀行会長             横内 龍三 氏
 ◇伊藤忠商事北海道支社長      高杉  豪 氏
 ◇慶応大学大学院特任教授      林 美香子 氏
という顔ぶれだった。

             
               ※ パネラーを務めた飛田稔章氏です。

 シンポジウムは2部構成となっていて、第1部の基調講演を「我が国と北海道の農業・食産業」と題して近藤龍夫氏が講演された。続いて第2部のパネルディスカッションは林氏をコーディネーターに3氏が所見を述べ合うというものだった。

               
               ※ パネラーを務めた横内龍三氏です。

 近藤氏はパワーポイントで非常にたくさんの資料を提示してくれたが、短い時間内での提示はかえって理解を難しくしてしまった感があった。
 話の筋は、北海道(日本)の農業がおかれている厳しい実態を指摘しながら、我が国の食料自給率を一定程度維持するために政治の力が必要であるとした。そのためには国民の応分の負担も必要と指摘した。
 TPPについては日本経済の発展のために重要であるとしつつ、農業関連には必要な対策を講じる必要があるとした。

               
               ※ パネラーを務めた高杉豪氏です。
               
 続いて行われたパネルディスカッションは、冒頭にも触れたとおりどの方のお話もどこかで一度聞いたことがあるような話が多く、予定調和的な感じが拭えなかった。
 そう感じさせたのは、コーディネーターの林氏が発言のテーマを次々と提示し、それにパネラーが答えるという繰り返しで、パネラー同士の発言の交流が一度もなかったために、シナリオ通りに進行したという感じが拭えなかった。
・北海道農業の可能性 ・第6次産業化の振興 ・海外市場を含めた販売ルートの開拓の必要性 ・後継者対策の緊急性 ・TPP問題について
ということについて、各氏が総花的に意見を開陳し合ったといった感じであった。

               
               ※ コーディネーターを務めた林美香子氏です。

 残念ながらハッとするような提案や角度を変えた考え方などを伺うことはできなかったように思う。錚々たるメンバーが一堂に会しても名案が浮かばないところに現在の北海道(日本)農業が抱える深刻さが浮き彫りにされているよう思われた。
 「どこへ行く北海道(日本)農業?」などと呑気なことを言ってはいられないのだが…。

土づくりを学ぶ

2012-11-16 23:25:32 | 講演・講義・フォーラム等
 “土を団塊構造に!”という講師のメッセージが心に残った。この3年間、近美前に花壇を作ってきた私たちとしては「より良い花壇のために」早速行動に移さなくては、と思った…。

 11月13日(火)午後、「さっぽろ花と緑のネットワーク」が主催する「土づくり学習会」が北海道立文学館(中央区中島公園1-4)で開催され参加してきた。
 私は「さっぽろ花と緑のネットワーク」が主宰する「さっぽろタウンガーデナー」の一員として登録している。今回の講座はそのタウンガーデナーを対象にした講座だった。これまであまりこの種の講座に積極的には顔を出していなかった私だが、今回は花壇づくりに役立つのでは、との思いから参加することにした。

          
          ※ 講師を務められた山田岳志さんです。

 ところで「土づくり」の学習会が文学館で行うとは少々違和感があったのだが、その理由が後から分かった。
 講師は札幌市公園緑化協会の職員である山田岳志さんという意外に若い方だった。
 講座は座学と現地学習の二つからなっていた。なぜ文学館が会場になったかというと、講師の山田さんが中島公園の花壇などを管理されていて、現地学習が中島公園で行われたからだった。

          
          ※ 中島公園内での現地学習の様子です。

 「良い土づくり」について、山田さんはその基礎からいろいろと話されたが、結論として、植物にとって良い土とは…、
 ①排水性、保水性、通気性に優れていること
 ②養分のバランスが良いこと
 ③適度な固さが必要なこと
と説かれた。
 そして花壇の土づくりためには、火山礫(ゴロ)、もみがら堆肥などを入れることで排水性、保水性、通気性を良くし、落ち葉堆肥、バーク堆肥などを入れることで地力が強化されるとした。
 最後に山田さんは「土を団塊構造に!」と強調されて講座を締めた。

          
          ※ 中島公園の露地を実際に掘って土の組成の説明をする山田さんです。

 その後、中島公園に移っていろいろなところの露地を掘ってみせ、植物にとって適した土、適さない土を実際に見せてくれて、花壇の土の最適化を私たちに促してくれた。

 これまで近美前の花壇づくりにおいて、肥料はそこそこに与えていたが、土づくりにはそれほど関心を払っていなかった。講座を受講し、それではならじと早速ホームセンターに出向き、赤玉土ともみがらくん炭を購入してきた。
 冬が近づいているが、グループの人たちに呼びかけて雪が降る前に花壇に購入した土壌改良剤を土にすき込むことができたら、と考えている。
 来春は花たちが喜んで美しい花をたくさん咲かせてくれるかな ('_'?)

 

初冬の野幌森林公園

2012-11-15 21:17:14 | 環境 & 自然 & 観察会
 初冬を迎えた森林の木々はほとんどがその葉を落としどこか寂しげに見えた。しかし、ガイドと共に森の中に入っていき足元を子細に見ると、寒さの中で小さな草花が健気に生きていた。 

 11月11日(日)午前、野幌森林公園自然ふれあい交流館と北海道ボランティア・レンジャー協議会の共催で「秋のありがとう観察会」が開催され参加してきた。
 「秋」と冠が付いているが紅葉も終わり、木の葉が落ちた状態は「初冬」と称した方が相応しいのではと考えタイトルを「初冬の~」とした。「ありがとう~」は、夏の間いろいろお世話になった森林公園内を“ありがとう”の意味を込めて森林内のゴミ拾いをしながら観察会をしようということで、このような行事名になったそうで、今年で11年目にあたるとのことだった。

          
          ※ この時期としては好天にも恵まれ多くの参加者があった。

 観察会にはおよそ50名を超えるほどのたくさんの人たちが参加した。参加者は4~5名のグループに分けられ、それぞれにボランティア・レンジャーの方がガイドとして付いてくれた。私のグループのガイドは室田さんというベテランの方だった。
 当然と云えば当然だが、室田さんは草花に相当に詳しい方で次から次と草花の名を紹介してくれたが、私の方は写真を撮り、名前をメモするのに大変だった。いくら教えられても記憶できないという情けなさを感じながらも懸命にメモした。

          
          ※ 森の中は写真のように一部の針葉樹を除いてほとんどの木は落葉し笹だけが目立った。

 今回はその中でも、あるいは私も憶えられそうかな?と思われる草花のみをピックアップして写真と共にレポートすることにした。ということで、野幌森林公園で初冬に生きる草花たちを紹介することにします。

          
          ※ ヤナギ科に属する「エゾノバッコヤナギ」は来春のための芽を付けていました。通称「ネコヤナギ」とも呼ばれています。

          
          ※ グループの一人が昆虫を見つけました。オサムシ科の近縁にあたる甲虫で「ハンミョウ」というそうです。

          
          ※ まだ落葉せずに残っていた「ツルアジサイ」です。アジサイ科の落葉つる性木本です。

          
          ※ ジンチョウゲ科の「ナニワズ」です。「ナツボウズ」とも称され、「夏坊主」と表記するように夏に葉を落とします。春一番に黄色い花を付けるそうです。

          
          ※ ラン科の多年草で「ツチアゲビ」の果実です。その姿がアケビに似ていることから付けられた名前です。

          
          ※ アカネ科の多年草で「クルマバソウ」です。葉の形が車に似ていることから命名されたようです。

          
          ※ カヤツリグサ科の多年草の「ミヤマノジュズスゲ」です。野幌森林公園では目立ちました。

          
          ※ イヌガヤ科の常緑低木の「ハイイヌガヤ」です。

          
          ※ ユズリハ科の常緑低木の「エゾノユズリハ」です。野幌森林公園にはこの低木が沢山生育している場所を「エゾノユズリハコース」と称していて、そこではたくさん目立ちます。

          
          ※ シジュウカラ科の「ヤマガラ」です。人懐っこくじっとしていたので望遠で撮ることができました。

          
          ※ 落葉性つる植物の「チョウセンゴミシ」の紅い実です。実は漢方薬の強壮薬として活用されているとのことです。

          
          ※ 森林公園内には昭和10年、昭和天皇、秩父宮殿下、三笠宮殿下が立ち寄り休憩したという「駐蹕(ちゅうひつ)の碑」があります。

 まだまだたくさん紹介されたのですがこれくらいにしておきます。
 今年も何度となく野幌森林公園に通いました。何度通っても魅力の尽きない公園です。何度通ってもなかなか憶えることのできない公園の植物たちです。
 つまるところは能力の問題なのですが、“憶えよう!”という意志も薄弱なことも事実です。名前は憶えられなくてもガイドの説明を聞きながら森の中を散歩することで心地良さを感ずることができれば、それでTha't all right と開き直って、来年からも機会があれば野幌森林公園に通いたいと思っています。

          


対雁に移住させられた樺太アイヌ

2012-11-14 23:35:21 | 札幌学 & ほっかいどう学
 樺太の先住民族であるアイヌが国の都合で北海道の対雁(現在の石狩市)に移住させられ、移住してからも国の都合に翻弄されてという樺太アイヌの悲哀の歴史を学んだ…。 

 国の都合とは、…。
 1875(明治8)年、日本とロシアの間で樺太千島交換条約が締結され、それまで樺太で生活していた先住民族のアイヌが国籍の選択を迫られ、841名ものアイヌが海を渡りいったん宗谷へ移住後、翌1876年に対雁に強制移住させられたという。

 11月11日(日)午後、北海道開拓記念館(厚別区厚別町小野幌53-2)が開催する歴史講座「対雁に移住させられた樺太アイヌの暮らし」に参加した。会場の地下室講堂には50名くらいの受講者が集まり意外に関心が高いことを教えられた。
 講座は2部に分かれていて、第1部が「勧業政策と対雁の樺太アイヌ」と題して記念館学芸員の山田伸一氏が、第2部が「対雁学校の歴史」と題して道立アイヌ民族文化研究センターの研究職員の小川正人氏がそれぞれ講師を務められた。

          
          ※ 講義をする学芸員の山田伸一氏です。

 ここでは樺太アイヌが対雁に移住させられた経緯とその後を中心にレポートすることにする。
 樺太は北海道と同様にアイヌ民族が先住民族として生活をしていたが、そこへ和人が進出し、続いて南下を狙うロシア人も進出し、一時は三者が混在する形が続いた。
 そこで日本とロシアが樺太の領有をめぐって諍いが絶えなかったのだが、上述したように1875年に日本政府は樺太を捨て、見返りに千島列島全域を領有するということで交換条約が締結された。
 その際、アイヌ民族に対して、日本かロシアかの国籍選択を迫り、108戸841名が日本国籍を選択し、宗谷へ移住した。(当時の日本政府は宗谷へ移住という約束をアイヌと交わした)

          
          ※ 質問に答える研究職員の小川正人氏です。

 しかし、日本政府としては北海道の産業振興のため対雁に移住させて労働力として活用しようと考えたようだ。この移住はかなり強制的だったようだ。
 対雁に移ったアイヌは官営事業(農業試験場、製網所、馬具製造所、靴製造場、製革所など)の手伝いに従事するがほとんどは上手くゆかず、サケ漁やニシン漁に従事することになったようだ。対雁の生活はかなり劣悪で、1879~87年にはコレラや天然痘で大量の死者を出したという。
 そんな中、靴製造場、製革所などに従事した者の中から技術を習得し開業した者も中にはいたという。しかし、大多数の者は馴染めずに悲惨な暮らしをしていたようだ。

          
          ※ スライドで対雁のアイヌの様子を写した貴重な写真が提供されました。

 
 そのような樺太アイヌは、1905年日本が日露戦争に勝利し樺太の南半分が返還されるとほとんどの者が樺太に帰っていったという。

 北海道のアイヌとはまた違った意味で時の政府に翻弄された樺太アイヌ…。彼らの末裔は太平洋戦争によって再び樺太がロシア(当時はソ連)領となってしまった。私が調べたところでは樺太アイヌのほとんどが日本に強制送還されたらしい。しかし、中には樺太にそのまま居ついたアイヌもいたということだ。

 アメリカの先住民もそうだったが、日本(樺太、北海道)における先住民も後から襲ってきた時の政府に翻弄されるという屈辱を負わされたようだ・・・・・・・・・。
 

TVコマーシャルに見るアメリカ

2012-11-13 22:12:44 | 講演・講義・フォーラム等
 TVの民放においては毎日洪水のように流れているコマーシャルだが、日本とアメリカではコマーシャルに対する考え方がずいぶん違っていることを知ることができた講座だった。 

 武蔵女子短大が主催する「武蔵教養セミナー」は今年3回にわたって開催されたが、第2回目は同じ日に北海道開拓記念館の講座を受講したため、私にとっては今回が2回目の受講である。
 今回はタイトルにもあるとおり「TVコマーシャルに見るアメリカ」と題して武蔵短大の村上佳寿子准教授による講座だった。村上淳教授は3年間ユタ大学で学んだ経験があるそうだ。

          

 冒頭、村上氏は今回のアメリカ大統領選のTVコマーシャルについて触れた。今回の大統領選のTVコマーシャルで両陣営が相手候補を非難・中傷するコマーシャルを大量に放映したことはマスコミでも話題になったのでご記憶の方もあると思う。
 このように競争相手を批判するようなコマーシャルは大統領選のみならず、アメリカでは普通にみられることらしい。日本においても比較広告は禁じられてはいないようだが、アメリカのような露骨なものは視聴者に歓迎されないため、穏やかな比較広告が見られる程度のようである。

 そして村上氏は日本とアメリカのTVコマーシャルのそれぞれの特徴を次のように分析した。
  《日本の特徴》            《アメリカの特徴》
 1.音楽重視             1.ナレーション重視
 2.有名人起用            2.有名人を起用しない
 3.イメージ重視           3.事実重視
 4.ストーリー性            4.日常生活の断面を写す
 5.ユーモア              5.ユーモア

 上記の中で、“有名人”の起用に関してはまったく反対の傾向にあることが面白い。アメリカでは有名人がTVコマーシャルに出演することはある種のステイタスを失うことのように考えられているということだ。
 そうした中で例外は、公共のコマーシャルには無償で有名人が出演する場合があるらしい。これは社会的に有益なコマーシャルに出演することでその人のステイタスを上げこそすれ、下げたり、失ったりはしないからだろう。

 アメリカのTVコマーシャルなどほとんど目にする機会はないが、それぞれの特徴を聞いていると「なるほど」と思わされる。TVコマーシャルひとつ取ってみても、アメリカと日本の文化の違いがあって面白いものだなぁ、と思わせられる。

七五三

2012-11-12 20:52:08 | イベント

 孫娘の七五三のお詣りに同行し、初めて北海道神宮の拝殿内に入ることができた。さすがに北海道の神社を統括する立場の北海道神宮だけに広壮で荘厳な感じであった。

          
          ※ 手前が拝殿、向こう側が本殿(神殿)と称するのだと思うのだが…。

 たまあにはおじいちゃんらしいことをしなくてはと、3歳になった孫娘の健康な成長を祈るために11月10日(土)北海道神宮(中央区宮ケ丘474)にお詣りするのに同行した。私はカメラマン役として同行したのだ。
 雨天続きの最近の天候だったが10日はなんとか晴れてくれ、孫娘の着物姿も映えるお詣り日和となった。
 お詣り日和の上、土曜休日とあって神宮の駐車場は混雑していて入口でしばらく待たされた上で入場することができた。

          
          ※ 祝詞をあげる神職の方です。

 私たちと同じようにおじいちゃん、おばあちゃんが同行している家族が多いようだった。
 控室で待たされたあと、時間が来て拝殿内に案内された。
 拝殿は広々とした空間となっていて、そこに座席が用意されていた。そして拝殿の前が本殿(神殿)になるのだろうか。その本殿前で神職が祝詞をあげた。

          
          ※ 七五三をはじめいろいろなお祈りをする参列者です。

 祝詞の中でお詣りした人たちの名が読み上げられたが、札幌市内はもちろんだが、地方からも北海道神宮まで来てお詣りする人がいたようだ。また、七五三だけではなく、還暦のお祝い、合格祈願、車の交通安全祈願など、いろいろな目的でお詣りされている方がいることも分かった。
 神職の祝詞の後、巫女が舞いを舞って儀式は終了した。

          
          ※ 前を見るのが一瞬のためシャッターチャンスを逃してしまいました。          

 会場を出た後、神宮から「千歳飴」を配られ、いっさいが終了した。
 けっして信心深いとはいえない私であるが、孫娘が七五三を迎えるにあたって息子夫婦が記念写真だけでいいのではと考えていたようなので、「ぜひ参拝もするべき」と勧めて実現した北海道神宮のお詣りであった。
 それがどれだけの効用があるかなどというより、まずは孫娘の通過儀礼のひとつを果たしたという安心感を抱くことができた七五三のお詣りだった。

          
          ※ お詣りが終わった後の境内で記念写真を撮りました。

          
          ※ 上空を仰ぐ孫娘です。こちらは最も気に入った一枚です。


ミュージカル マンマ・ミーア

2012-11-11 23:07:09 | ステージ & エンターテイメント
 やっぱり劇団四季のミュージカルはいい! やっぱり劇団四季のミュージカルは楽しい! 歌とダンスと演技の完成度が抜群の四季の舞台はいつ観ても楽しい! 主演の樋口麻美が輝いて見えた…。 

               

 またまた遅ればせながら北海道四季劇場(中央区大通東1)で現在かかっている「マンマ・ミーア」を観た。ふだんあまり自らの感想など口にしない妻が「観終わって、なんだかスッキリしたね」という言葉がこのミュージカルが持つ良さを如実に言い表しているように思えた…。

 なかなか気軽にミュージカル観賞を楽しむという環境にはないが、ある日妻と衆議一決「久しぶりにミュージカルを楽しもう!」ということになった。
 さっそく直近の公開日を確認し、11月8日(木)13時30分開演分を予約した。
 予約した席はS席とはいかず、B席 5,000円の席だった。

          

 当日は平日の昼間とあってか満席とはいかず、およそ7割の入りという感じだったが、私たちの周りは満席状態だ。
 幕が開くとさっそく主演の樋口麻美の透明感のある歌声が会場内を支配した。
 劇団四季の特徴の一つ(?)のように思うのだが、特殊なピンマイクの使用によって歌もセリフも非常にクリアな状態で私たちの耳に届く。だからストーリーが良く呑み込めてステージに没頭することができる。
 「マンマ・ミーア」は愉快なラブコメディーという触れ込みだったが、その愉快さが良く伝わってきた。

 「マンマ・ミーア」は「オペラ座の怪人」や「ライオンキング」と比べると、舞台装置などはそれほど凝った大がかりなものではなく、劇団四季としてはむしろ中型の作品なのかもしれない。
 しかし、演技陣が躍動する舞台は十分に観客を楽しませてくれるものだった。
 特に舞台の最後に出演者全員がステージで歌い踊るダンスシーンが圧巻だった。

          

 先に書いたが、歌・ダンス・演技などの完成度のことだが、私はこれまで少ないながらもいろいろな舞台を観賞した経験があるが、日本のミュージカル界においてはダントツのレベルを維持する劇団だと思っている。(残念ながら宝塚の観劇経験はないが、テレビなどを拝見するかぎり少し傾向は違うのかな、と?)
 そう思っている私としては、これからもできるだけ劇団四季を楽しみたいと思っている。

※耳より情報
 四季ファンにとっては常識なのかもしれないが、主演で母親のドナを演ずる樋口麻美は劇団四季が「マンマ・ミーア」をミュージカル化した当初は娘役のソフィ役を演じていたそうです。