時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

行動の人マーガレット・サッチャーのある日

2012年04月01日 | グローバル化の断面

 

 

  映画評論家ではないので、映画「鉄の女」The Iron Ladyがどう評価されているか、特に興味はないのだが、やはりそうではないかと思ったことはいくつかある。

 そのひとつは、マーガレット・サッチャーを演じたメリル・ストリープの演技評価だ。ざっと目にした限りでは、ほとんどの評論が絶賛しているのだが、これが客観的なサッチャー像かという点については、かなり議論があるようだ。マーガレット・サッチャーの映画ではなく、メリル・サッチャーの映画だという評もある。確かに、メリル・ストリープのこの役への入れ込みようはすごい。

 さらに、映画がイギリスではなくアメリカの映画会社(WB)の制作になったということは、多くのイギリス人とって、かつてのサッチャー首相への政治的立場を超えて、複雑な心情を生んだようだ。2時間足らずの映画に、この世界の注目を集めたひとりの女性の政治家が過ごした濃密な時空を描き出すことはもとよりできることではない。しかし、よくここまで描きこんだという批評も多い。

緊迫の日々
 
折しも昨日、BBCがフォークランド紛争勃発30周年の日が近いことを告げていた。最近フォークランド諸島は新たな紛争の火種を内在している。30年前の4月2日、アルゼンチン軍はフォークランド諸島に上陸した。サッチャー首相は極度に緊迫した時間を過ごしていた。紛争の場が遠く離れ、戦略的にはきわめて不利な地勢学的状況で、国内に開戦反対の議論が沸騰する中でフォークランド諸島への大量の軍隊、艦船、航空機などの投入を決断した。彼女の心情は同時代人 contemporary として生き、自ら事態の一部始終に没入しないかぎり、理解できないだろう。このフォークランド紛争の部分だけでも、十分映画化できる内容を持っている。

 同じアングロサクソンの国とはいえ、戦争当事国イギリスと同盟国アメリカの間にも微妙な受け取り方の相違があった。サッチャー首相は盟友レーガン大統領を通して、多大な支援をとりつけた。当時、多くの日本人にとっては、対岸の出来事のように感じられていたのではないか。

 さらに、サッチャー首相の在任中は、同僚議員との確執、炭鉱争議、労働組合の没落、労働党の変質、IRAのテロ事件など、めまぐるしく背景が移り変わった。11年半にわたる年月を乗り切った彼女の強い意志は、チャーチル以来の政治家という評価をも生んだ。

記憶に残る一齣
 
筆者の網膜に小さな残像として残っているのは、日産自動車のイギリス、北イングランド、サンダーランドへの直接投資にかかわる一幕である。John Cambellの伝記にも現れてこない出来事ではある。

 サッチャー首相は就任当時から、炭鉱閉鎖などで失業者が多いイングランド北東部地域における雇用創出のために、地域の内発的な産業・雇用の活性化を強調していた。さらに、国内資本が投資をしないならば、外国資本を積極的に導入して、産業基盤の育成、雇用の創出を促進するとし、産業が地域に生まれないならば、外国資本に優遇措置を与え、産業育成を図ろうとしてきた。

 その重要な事例のひとつが、日産自動車のイングランド北東部サンダーランドにおける工場設立の育成・助成であった。今では日本の自動車企業の海外工場は珍しくないが、当時は投資リスクが大きいとして、慎重な企業が多かった。とりわけ、労働党政権以来、強力であった労働組合の力を恐れる日本の企業が多かった。日本企業はおとなしい企業別組合に慣れていて、同一企業内に多数の労働組合が存在し、経営者に強力な交渉力を発揮することを恐れて、投資をためらう風潮があった。

 1986年9月、たまたま、この地に近いダーラム大学で教壇に立っていた友人Bと、日産自動車を初めとする日本の自動車関連企業の地域開発に与える実態調査を行っていた筆者は、工場開所式の前日、旧知のイギリス人人事部長へのインタビューを行っていた。話には「カイゼン」、「カンバン」、「ジャスト・イン・タイム」などの言葉が頻発した。帰りがけに、明日の開所式のテープカットには大変興味深い人が来られるよとのリーク?があった。その時は誰だか分からなかったが、翌日の新聞を見て驚いた。サッチャー首相自らが現れたのだった。外国企業の工場開所式に首相自ら足を運ぶとは、当時の状況からも想像していなかった。あたりはまだ企業も少なく草深い荒野のような状況だった。

 実は、この2年ほど前に来日した彼女は、日産自動車の社長に自ら北イングランドへの工場進出を強く働きかけていた。その結果、彼女の説得が実り、およそ2年間という短時日で、サンダーランドに年産30万台の乗用車生産工場が建設されたのである。筆者が訪れた頃は、工場周辺は身の丈ほどの草が生い茂る、ほとんどなにもない荒野だった。英国日産は今や20万台を欧州などへ輸出、英国にとって最大の輸出企業に成長している。 

 日系メーカーの在英工場はサッチャー首相就任前には十指に満たなかったが、80年代の後半以降急増した。雇用の増加を通じて英国経済の活性化に寄与する外資を国内企業以上に優遇すべしとの割り切った考え方の成果といえる。

 サッチャー首相は決断と行動の人であった。日本も輝いてみえた時だった。

 

 

 

 NISSAN サンダーランド工場開所記念

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