時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アメリカ大統領選の混迷:暗転・反転・明暗?

2024年07月26日 | アメリカ政治経済トピックス


Newsweek誌2024年7月30日号 表紙

「私は死んでいるはずだった」トランプ前大統領の言葉。

暗殺未遂事件後のインタビューで、トランプ前大統領は、演説会場のスクリーンを見るために振り返ったことで、奇跡的に死を免れたと語った(Newsweek  2024.7.30, p.5)。


政治の世界は何が起こるかわからない。
アメリカの政治に暴力はつきものだ。『ジャッカルの日』がまぶたに浮かぶ。

前々回のブログに記したセオドア・ローズヴェルト大統領(在任1901/9-1905/3)も、直前に暗殺されたウイリアム・マッキンリー大統領の後を受け、副大統領から大統領に就任している。実際、アメリカ大統領史に徴すると、大統領が病気、暗殺などで任期中に亡くなった例も多く、副大統領がその後を埋める可能性はかなり高い。

他方、バイデン大統領は、一時は楽勝ムードだった。しかし、急激に高まった高齢の不安に加えて、折悪くコロナ・ウイルスに感染し、7月28日、大統領選から撤退の意思を表明した。後継はカマラ・ハリス副大統領が推薦された。11月までの3ヶ月余り、土壇場の決断だった。しかし、残された時間を考えると、対立候補も立候補の時間はなく、(後で振り返ると)最善の時であったと言えるかもしれない。


共和党ヴァンス副大統領候補の出現
共和党大会では、トランプ候補はこれまでほとんど名前の上がっていなかった  J・D・ヴァンス(J.D.Vance 日本語表記はバンスが多い)共和党上院議員を副大統領候補に指名、同議員は7月17日の党大会で指名を受託した。これまでほとんど話題とならなかった候補だが、トランプ候補の勢いに乗った登場だ。アメリカでも日本でも、副大統領候補としてはほとんど注目されなかった候補者である。


ヴァンスって誰のこと?
実は、ヴァンス氏については、日本ではほとんど報じられたことがなく、このブログで初めて取り上げている。2016〜17年、ベストセラーとなった『ヒルビリー・エレジー』で知られる、自らが生まれ育ったアパラチア地方の貧しい労働者の価値観と社会的問題を描いた自伝的作品で、作家としては著名になってはいた。しかし、上院議員として副大統領候補の指名を受託するとは、共和党員を含む多くの人々にとって、意外に思えたようだ。

アメリカ、ディープ・サウスから中西部工業地帯の端にかけて広がる広大な山地の内陸部で、歴史的に国内の最貧地域を包含する。ヴァンスは個人的な能力と努力の結果、貧困から脱却した成功者だが、地域全体の救済、再生は極めて難しいことはこれまでの歴史が物語っている。ブログ筆者にとっては、半世紀以上前、指導教授のアドヴァイスもあって最初にフィールド調査に出かけた場所のひとつで、懐かしい地域だ。アメリカにもこんな所があるのかと思った衰退した貧困地域だった。

ヴァンスは、38歳で中西部オハイオ州上院議員に初当選し、「ラスト・ベルト」で育った生い立ちから、製造業の復活を追求することを強調するが、政治的立場はかなり揺れていて難しい。本来、民主党の基盤である労働者層の支援を標榜するが、民主党側からも強い批判がある。2019年にはカトリックに改宗している。かなり振幅の大きな人物であることが分かる。

同氏はトランプ候補から、共和党の次期副大統領候補に指名された後、民主党ハリス副大統領の過去に侮蔑的な中傷発言をするなどで、女性陣などから激しい反発を受けている。

政治的には、以前は反トランプであった。事実、トランプ主義は「文化的ヘロイン」(自分が抱える問題を忘れてトランプ主義に溺れる)と批判したこともあった。しかし、その後急速に日和見主義に傾斜したようだ。

ヴァンス氏を副大統領候補に選んだ当のトランプ候補としては、世の中の毀誉褒貶など頭にないようだ。唯一、彼の頭にあるのは自分が大統領に当選するか否かだ。


トランプ候補は以前に大統領を経験していることもあって、かなりのカリスマ性はある。『アメリカを再び偉大な国とする』(MAGA: Make America Great Again アメリカ第一主義)のフレーズが、その政策としての意味や手段をほとんど詰めることなく提示されているが、支持者には心地よく響いているようだ。

ハリス副大統領の急浮上;民主党は逆転できるか
バイデン大統領の下では、影の薄かったハリス副大統領だが、トランプ大統領の大統領選撤退宣言で急速にスポットライトが当たった感がある。働き盛りの59歳、女性でリベラルとなれば、政治に絶望、関心を失っていたZ世代の若者にも人気を生む素地がある。女性、黒人、アジア系、そして論争に強い検察官出身となれば、うまく潮流に乗れば遅れた登場を短期間でカヴァーし、勝機を一気に引き寄せることができるかもしれない。少なくとも、バイデン大統領の現在のように、トランプ候補との論争で言葉に詰まることはないだろう。ハリス候補が得意としない国際政治や移民、社会政策などの分野に強い副大統領候補、適切なアドヴァイザーに恵まれれば、移民政策などに見られた発想力不足、決定の遅さなども、取り返すチャンスが生まれよう。

N.B.
リベラルを標榜する民主党側は、政策の意思決定が遅いとされてきた。「ウオーク」woke、「キャンセル・カルチュア」cancel culture など、2010年代以降「文化戦争」culture warと言われる状況の展開で、それまで不可欠だった市民の連帯が分断され、まとまったヴィジョンを共有することができなくなり、危機的状況に追い込まれていた。リベラルが標榜する「多文化主義」は、価値観も多様で政治的意思決定にも時間を要し、急速な事態の変化に対応できなくなっている。国境管理をめぐる対応で、後手にまわったバイデン政権の移民政策が、共和党以上に封鎖的になっているといわれるのは、このひとつの例といえる。


勝敗は両者の中傷・批判合戦に?
政治の舞台は二転三転し、皮肉なことに、バイデン大統領の高齢の不安批判は、今度は候補者中最高齢のトランプ氏自身が受けることになる。両者の論争は、過熱化し、しばしば低次元の中傷や批判に終始している。IT上では、時に不正確で、客観的でもない情報が流通している。

大統領選の11月まで3ヶ月余り、一時はトランプ氏圧勝といわれたが、両候補の支持率は急速に拮抗しているようだ。ハリス候補が大統領選レースを最後で逆転、勝利を手にする可能性も高まっている。しかし、トランプ候補も「強いアメリカの再現」という国際的には孤立も厭わないスローガンを掲げ、強引な選挙活動を推進するだろう。どちらの候補が勝利するにしても、その後のアメリカの分断、混迷は避け難い。



REFERENCES
‘Day of the jackals’, The Economist July 20th 2024
’The Republican Party’s MAGA future’, The Economist July 20th 2024
The American Coal Miner: A Report on Community and Living Conditions in the Coalfields, The President’s Commission on Coal, Washington, 1980
「トランプ銃撃と大統領選」Newsweek, 7月30日、2024
NHK スペシャル 『混迷の世紀』2024年7月21日
『「ハリス氏は子なし、過去に中傷」共和バンス氏に批判』『日本経済新聞』2024年7月20日夕刊



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時空をさまよって20年

2024年07月16日 | 仕事の情景






この行方定まらないブログなるものに手をつけてから20年余り、これまで取り上げた記事は、自分でも即座には分からないほどの数になっている。当初は共に言葉を交わした若い学生諸君との話題にと身近な材料を取り上げていたが、ブログ筆者の関心の在りかもあって、今では内容は大きく変わった。

変化した内容
ブログなるものに慣れなかったこともあって、最初の数年は短い記事が多かったが、その後筆者の物忘れ対策の備忘録(メモ)的になり、ひとつの記事が長くなった。読んでくださる方にとって長すぎることには気づいてはいる。

アクセスしてくださる方々も大きく変わった、開設当初から読んでくださっている国内外の読者も数多くおられることは有り難く、感謝の言葉もない。筆者はそれぞれの記事の読者評価には関心がないので、ブログの表のコメント欄は形骸化しているが、ブログの背後の交信数はかなりの数に上っていて、時には対応に手間取り忙しい。

開設以来、20年余り、短いようで長い年月の間に、時代は大きく移り変わり、取り上げたトピックスも多様なものとなった。しばしばその時々の関心事と重なることもあり、ニュース・メディアの話題となったこともあった。筆者の頭の中では、時間の経過と共に座標軸のようなものが形成されている。しかし、筆者の頭をよぎる事柄が必ずしも収斂していないので、慣れない読者の方々には筆者の意図が伝わらず、申し訳ない思いもある。

『山の郵便配達』の20年後
偶々、2024年7月16日付けのTV(NHK BS1)で、2005年2月2日にブログ記事として取り上げた中国映画『山の郵便配達』が再放映されることになった。筆者がこれまでの人生でほぼ一貫して考えてきた「働くことの意味」を探索する過程で素材としてきたものの一部である。

今ではIT、自動車産業を始めとして、世界の最先端を目指す中国だが、筆者が最初に訪れた当時の中国には、この映画に映し出されるような世界が至る所にあった。農村では、農業機械などはほとんど目にすることなく、素朴な鋤や鍬で荒地を耕す農民の姿が各地で見られた。天安門広場では、国民服姿の人々の自転車の大群が視界を席巻していた。自動車が縦横に走り、スマホ片手の老若男女で街路が溢れている今日では、およそ想像し難い変容ぶりだ。

当時はインターネットの普及以前であり、電話は地域の「単位」と称する数十軒の地域に一本程度しか配置されていないことが普通であった。地域の情報・言論の管理には格好であったかもしれない。そうした社会で、郵便配達は単なる郵便物の各家庭への配達にとどまらなかった。映画に出てくるように視力の不自由な老女に都市へ出た息子からの手紙を読んでやり、代筆まで請け負うのが配達人の仕事だった。

『山の郵便配達』は、険しい山の奥深く住む貧しい人々に郵便を届ける父と息子、そして「次男坊」の愛称で呼ばれる忠実な犬が主人公だ。そこには急峻な山道、流れの早い川、見渡す限りの荒地を苦労して、郵便その他を配達する二人と1匹への深い愛情と感謝が溢れている。ストーリーは、年老いた、と言っても41歳の配達人の父親が足の怪我を機に、24歳の息子に仕事を譲る2泊3日の旅の光景に、彼らの人生の凝縮した次元を巧みに織り込んでいる。配達の経路に当たる村落の人々の父親の労苦に対する深い感謝と寂寞の感情が溢れる光景が感動的だ。

「働くことの重み」を求める旅
そして、長年の労働に心身共に全てを注ぎ込んだ父親が、その仕事を息子に譲る時、当初息子は父親が果たしてきた昔年の仕事への深い思いを理解していないかに見える。しかし、配達の経路を同行するにつれて、父親が自らの仕事へ込めた深い思いに次第に気づくことになる。父親を背負って川を渡る息子は、父の体重が郵便袋よりも軽いことに愕然とする。まさに「働くことの重み」を気付かされる瞬間でもある。

中国を含めて、世界がこの20年くらいの間に得たものは、計り知れないほど大きい。しかし、同時に失ったものの重みもそれに劣らないことを気付かされる。現代における「働くこと」の意味、人間の進歩とはいかなることかを、改めて深く考えさせる。映画と共に年とったブログ筆者の数少ない推薦作の一本だ。


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大統領ご贔屓の画家サージェント

2024年07月14日 | 絵のある部屋

バイデン大統領の高齢不安の問題が、アメリカ、そして世界を駆け巡っている。本ブログで、2024年はアメリカが動乱状態になる可能性が高いことを記したが、その当時はトランプ候補が大統領に選ばれない場合が、動乱発生の最大のリスクであると考えられていた。その可能性は今になっても払拭されずに存続している。

7月13日にはトランプ候補暗殺未遂事件も勃発。本記事執筆時点では詳細不明。

他方、バイデン大統領の高齢に関わる不安という問題が急速に浮上している。バイデン大統領が再選されなかったり、トランプ大統領が復帰再選ということになれば、今度は反トランプ側の圧力が過熱することが懸念される。

いづれにせよ、代わりの候補の浮上の可能性を含め、バイデン、トランプ候補のいづれが当選しても、アメリカは大きな混乱、分裂の危機に直面する可能性は高まるばかりだ。2024年から2025年にかけて、アメリカの動乱突入、社会的分断の進行は、ほとんど不可避だろう。

他方、前回記事の流れで、画家ジョン・サージェントの作品カタログを見ていると、思いがけず脳裏に浮かんできたことがあった。アメリカ合衆国政治史上、最も若くして大統領の座に着いた人物の肖像画を制作した画家が、サージェントだったという事実である。

Q:さて、この若い大統領とは誰でしょう。アメリカ政治史に詳しい人でも、意外と答えられない。

大統領の高齢化
話が前後するが、2017年1月20日をもってドナルド・ジョン・トランプ氏は、第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。就任時の年齢は70歳220日で、第40代大統領ロナルド・レーガンの69歳349日を上回り、歴代最高齢の大統領となった。後に現在大統領の地位にあるジョン・バイデン氏によりこの記録は更新された。

話を戻すと、今日の段階でアメリカ合衆国の歴史で、最も若くして大統領の座に就いたのは、セオドア・ローズベルト・ジュニア(Theodore Roosevelt Jr, 1858-1919)氏で、42歳10ヶ月でアメリカ合衆国第26代大統領となった(ルーズヴェルト、ルーズベルトとも表記)。愛称テディ(Teddy)、イニシャルT.R.でも知られる。N.B.

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N.B.
ここでは同大統領のことを詳しく記すことは目的ではないが、政治家としての業績、その過程での軍人、作家、探検家、自然主義者など、多彩な活動を精力的に行い、1901年、ウイリアム・マッキンリー大統領が暗殺された後、米国史上最年少の42歳10ヶ月で大統領に就任。日露戦争の停戦を仲介、ノーベル平和賞を授与され、ノーベル賞を受賞した初のアメリカ人となった。政治的には共和党だが、後に短命に終わった進歩党へ傾斜した。アメリカ政治史上、大変優れた大統領としてフランクリン・ローズヴェルト大統領(FDR)と並び、10指の中にはほとんど常に数えられるひとりである。
ちなみに、第32代大統領フランクリン・ローズヴェルト(FDR)は、5従弟(12親等)に当たり、フランクリンの妻エレノアは姪に当たる。
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前置きが長くなってしまったが、今日ホワイト・ハウスに残るセオドア・ローズベルト大統領の公式肖像画を制作したのは、ジョン・シンガー・サージェントであった。実はサージェントより前に大統領夫妻の肖像画を描いた画家がいたが、大統領自身が気に入らず、最終的に破棄されてしまったといわれる。

その後、大統領が期待した画家として登場したのが、サージェントであった。アメリカ生まれの医師の息子としてイタリア、フィレンツェに生まれたが、ロンドンを主な活動の舞台としていたサージェントは、アメリカ国籍を取得し、1905年頃からほぼ毎年アメリカに戻ることがあった。1903年2月、ホワイト・ハウスのゲストとして1週間滞在することが決まった。この間に大統領の肖像画制作に当たろうという計画だった。

二人が考えた大統領の肖像画のイメージはそれぞれ異なり、大統領側の多忙もあって制作途上はかなりギクシャクしたようだ。大統領がポーズをとった場所も、2階へ上がる階段の踊り場であった。多忙な大統領は、週数回昼食後の30分程度しか、落ち着いて画家の前に立つことなく、丁寧な仕事で知られるサージェントは大変不満だったようだ。しかし、大統領は作品を大変気に入り、終生、大事に扱ってきた。その結果、第1級のアングロ・アメリカンの肖像画として評価され、連邦政府の決定で、公式のホワイトハウスの肖像画となった。

作品は正確に大統領の風格、目の輝き、エネルギッシュな性格を捉えている。屈指の肖像画家としての地位を確保していたサージェントの的確な人物像の把握が素晴らしい。ブログ筆者もかつてホワイトハウス見学の際、作品に接する機会があったが、1週間という短期間によくこれだけの作品に仕上げたものだと感銘した。同時期の肖像写真と比較しても、その的確な人物イメージの把握が素晴らしい。

作品は見事に大統領の風格、目の輝き、エネルギッシュな性格を捉えていると思われる。屈指の肖像画家としての地位を確保していたサージェントの的確な人物像の把握が素晴らしい。実際に作品に接する機会を得て、1週間という短期間によくこれだけの作品に仕上げたものだと感嘆した。同時期の肖像写真と比較しても、その的確な人物イメージの把握が素晴らしい。



第26代アメリカ合衆国セオドア・ローズヴェルト大統領の公式肖像画、ジョン・シンガー・サージェント制作、油彩、カンヴァス、1903年。
The official White House portrait of President Thodore Roosevelt(1858–1919),twenty-sixth president of the United States. John Singer Sargent (1856-1925), oil on canvas, 1903, The White House, Washington, D.C.



REFERENCE
Stephanie L.Herdrich, The Sargent: Masterworks, Rizzoli Electa, 2018
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