BS1スペシャル「是枝裕和×ケン・ローチ 映画と社会を語る」(10月26日(土)夜10:00-10:50、NHK BS1)*1を見た。是枝裕和監督の作品は、最近の2作ぐらいであまりよく知らないが、ケン・ローチ監督の作品は、一時期かなり見たことがあった。世代は異なるが現代を代表する二人の監督であり、是枝監督がケン・ローチ監督を師と仰ぐこともあって、二人の関心領域はかなり重なるところがある。ケン・ローチの作品で今も印象に残る作品のひとつ「ケス」Kes)は、 1969年制作の作品でヨークシャーの炭鉱町の労働者の家族のストーリーだった 。
イギリス人であるケン・ローチの話には、しばしばclass (階級)という言葉が出ていた。この映画の制作当時は、イギリスの炭鉱労働者はエネルギー革命の進展に伴い、繁栄の時代から厳しい衰退への下り坂へと追い込まれていた。class の概念はイギリスで顕著に共有されてきた。しかし、日本やアメリカではかなり議論が必要な概念だ。日本では戦前はこの概念に相当する実態が存在したが、敗戦により制度上は破壊された。新大陸アメリカでは先住者の上に、ほぼ到着順での社会的階層、トーテムポールが形成された。こうした差異がふたりの監督の制作思想にも微妙に反映しているようで興味深かった。戦後生まれの是枝監督は「階級」についてどんなイメージを抱いているのだろうか。
上記の対談に関連し、今回取り上げるのは、映画ではなく、アメリカにおける労働の実態に関わるスナップショットである。
繁栄から取り残された人々
「アメリカ・ファースト」で始まったトランプ大統領の政権は、アメリカの政治環境を一変させた。ツイッターで次々と強引な政策案を発表し、世論の反対が大きければ臆することなく取り下げ、形骸化し、任命した閣僚と意見が合わなくなると、直ちに更迭という手法は、予想外にしたたかだった。トランプ政策に批判的な層が多い反面、強固な支持層が存在することを示している。彼らの中には一般に知られている保守派層とはかなり異なっているグループも含まれている。以前に記したことのある「ヒルビリー」、「アメリカの繁栄から取り残された白人層」である。今回はその一面を記してみた。
地球温暖化政策の一端として、オバマ政権から脱石炭政策が明瞭に掲げられてきた。雇用も大きく減少してきた。これに対して、トランプ大統領は石炭産業の復活を主張し、炭鉱労働者の雇用確保の発言をしてきた。ともすれば、アメリカは”富んだ国”と考えがちだが、実際には地域的にも貧富の格差がきわめて大きな国である。アパラチア山脈地帯は、ブログ筆者が初めてその存在を知った頃からほとんど半世紀近く、目立った進歩、改善がなく今日に至っていることに驚かされる。
ある争議の顛末
日本ではメディアにも報じられなかったが、アメリカで最近ひとつの労働争議*1が注目を集めた。1970年代以降初めて、炭鉱労働者の争議がケンタッキー州東部の”Bloody” Harlan county “ (通称;”血まみれ”ハーラン郡)で勃発した。ここには、Blackjewel炭鉱(「黒い宝石」の意:主に瀝青炭)と呼ばれるアメリカで6番目の石炭鉱山がある。石炭産業は長らくこの地域の中心的存在だった。ハーラン郡は、アパラチア山脈の奥深い地域に在り、長い間の封鎖性も加わって、この地の企業は、厳しい貧困とアメリカの最も暴力的な労働争議の象徴の場となってきた。1930年代には炭鉱労働者の組織化をめぐる激しい争議があり、労使が激突する中心となった。1970年代に入っての争議では死者が出るほどだった。
ここに立地する企業は、これまでもきわめて劣悪な労働環境のため、しばしば争議の舞台となってきた。7月に労働組合は、賃金不払いを理由に会社を相手取り、争議に入った。しかし、その間に破産した会社は未だ賃金が払われていない炭鉱労働者が採掘した石炭、およそ100貨車分を移動し売却しようとした。
組合側はそのうち、半分程度を取り戻しトラックに積み替え、貨車を引きかえさせた。この間に全米で知られた極左のアナーキストなどが介入、組合を扇動し、労使関係をさらに悪化、混迷させる一因となった。
Blackjewel 社のCEO ジェフ・フープスは、古風な太った悪徳経営者として象徴的存在になった。1700人の炭鉱労働者の雇用機会を奪い、代りに自分の妻の名をつけたアパラチアン・リゾートに資金を投入し、批判の的となった。
今回の紛争で未払いの賃金が正しく払われる見込みはない。残った炭鉱労働者はおよそ6000人(ほとんど未組織)で、ケンタッキー州東部の住民環境は概してきわめて悪い。犯罪も多発し、麻薬の蔓延、雇用の可能性が少ない高齢者の増加など、アメリカ社会の負の断面が根強く存在している。
こうした状況で、トランプがハーラン郡に代表されるこの地域の白人ブルーカラー層の間で人気があるのは、彼が石炭産業を立てなおし、仕事を与えてくれることを期待してのことではない。長年に渡り、新たな雇用が創り出されることはなく労働者の希望が奪われてきた。バーニー・サンダースを始めとするリベラル民主党系の政策も実効があがらず、状況が改善される見通しは少ないことを彼らは肌身に感じている。強欲な経営者や炭鉱労働者を扇動することを仕事にしているようなアジテーターなどが入り込んだ劣悪な労働環境は長年にわたり、この地域をアメリカでも際立って劣悪で貧困な地域としてきた。
黙って耐えている人たち
かくして、炭鉱労働者はトランプ大統領のような地域を活性化・再生するという口先だけのスローガンを掲げる政治家を支持するしかない。自ら発言をすることが少ない「白人労働者層 」 といわれる人たちの象徴的存在となっている。彼らは現代アメリカの労働者の中では「多数派」ではない。しかし、アメリカの貧困を考えるにあたって、無視できない存在なのだ。
*1
https://www4.nhk.or.jp/bs1sp/
*2
“Lessons from Bloody Harlan ” The Economist
September 28th 2019
同上誌が”POOR AMERICA” (「貧しいアメリカ)」と題して、SPECIAL REPORTを掲載している。ここでは、貧困撲滅政策における子供の貧困撲滅の重要性が強調されている。ブログ筆者がアメリカにいた頃、リンドン・ジョンソン(Lyndon B. Johnson, 1908-1973:民主党)が、大統領就任にあたって掲げた「偉大な社会(Great Society) 」政策は、貧困撲滅と公民権確立を骨子とする、非常にリベラル色の強いものであった。