時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

希望は遠く海の彼方:地中海難民・移民の苦悩

2016年12月03日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

復活する移民・難民アフリカ・ルート
今日、地中海を超える移民・難民ルートは大別して3つある。
1)東ルート  エーゲ海を渡り、ギリシャへ
2)中央(イタリア)ルート  リビアからイタリアへ
3)西ルート  チュニジアなどからポルトガル、スペインへ
Travelling in hope, The Economist October 22nd 2016 

 

新たな道を求めて
 昨年来のヨーロッパを目指す難民・移民の大移動で世界に広く知られることになった「バルカン・ルート」は、いまや閉ざされてしまった。あの大脱出 Exodus ともいわれた人の流れはほとんど見られなくなった。それでも、あえて危険を冒しても、このルートを辿る人たちもいるが、多くは別の道を探し求める。その道は、すでに知られている。アフリカのリビヤあるいはチュニジアなどの沿岸から地中海を渡り、イタリアやポルトガルを経由し、ドイツなどヨーロッパを目指すルートだ。これにもいくつかの経路がある。

 これまでこのルートを辿ったのは、ほとんどアフリカ内陸部ソマリアやナイジェリアなどからヨーロッパを目指すアフリカ系移民、難民であった。そこへ、シリア、アフガニスタンなど中東紛争国からの難民・移民が加わった。

 IT時代、ある経路が閉ざされると、人々は新たな情報を求め、必死に他の経路を探し求める。スマートフォンひとつが彼らの命をつなぐ。

   昨年は百万人を越える人々が地中海を渡った。際立って大きな流れは、トルコ経由でギリシャへ渡った85万人近いシリア難民だった。この突然の流入は、ヨーロッパの難民救済システムを崩壊の一歩前まで追い込んだ。

遠い解決への道
 この問題の究極の解決は、紛争の根源である彼らの祖国における内戦の集結以外にはない。それはいつになったら達成できるか、まったく光は見えない。人々は戦火に家を焼かれ、家族を失い、故国を捨てる。

 EUはトルコのエルドガン大統領と協定を結び、ギリシャへ渡ろうとする流れをなんとかトルコで引きとどめようとした。しかし、その後のクーデターの失敗などを経て、エルドガン大統領は一段と専横的になり、この協定が果たして守られるか、見通しは暗くなっている。ギリシャへの渡航成功者は今年8月には2月の55,000人から3,000人に激減したが、最近エルドガン大統領は自国のEU加盟を早めないなら、ヨーロッパへ向けて再び国境を開くと脅迫まがいの発言をしている。

危ういアフリカからの海路  
 アフリカに目を転じると、かつてリビアをカダフィ大佐が支配していた頃は、海上に出た難民を軍艦で送り戻していた。しかし、カダフィが2011年に死去すると、EUとの協定は壊れ、2012年にはヨーロッパ人権裁判所は彼らをリビアへ送り戻すのは人道的な違法とした。

  2013年イタリア政府は、Operation Mare Nostrumという難民救済システムを発足させた。これについて、イギリス政府はこうした救済はかえって移民を志すものを増加させると反対した。実際にはこうした危険な旅を試みる者は増加し、海上での溺死者などが増加した

  2015年には、ソフィア作戦と名付けた対応で人身売買業者の小さなボートに満載状態で、イタリアを目指す人々への対応が動き出した。

 シリア、アフガニスタンなどからの中東難民・移民を別にすれば、多くはアフリカ大陸の奥地からやってくる。その経路には、宿舎、車、ブローカーなどさまざまな密航へつながる手段がそろっている。いうまでもなく、手配をしているのは、ヨーロッパという一筋の希望にすがる難民・移民をビジネスの対象とする悪質なブローカー、トラフィッカーである。彼らは、言葉巧みに密航希望者をその術中に誘い込み、多額の金品を奪い取る。

 これらの拠点のひとつは、上掲地図のほぼ中央に位置するニジェールの Agadez である。サワラ砂漠を超える直前に位置する人口約12万人の砂漠の中の都市である。IOM(国際移住機構)によると、今年の2月から9月の間におよそ27万人がここを通過したと推定されている。人身売買などにかかわる業者は、渡航希望者が多く集まる拠点で活動している。

 本年8月からニジェール政府はこうした業者を犯罪取り締まりの対象としたことで、渡航者の数は表面的には減少している。しかし、危険な砂漠を越え、海も渡る移民・難民は各所でブローカーの手を借りねば、目的を達成することは到底できない。


終わりなき旅路
 密航希望者はブローカーに高額な金を手渡し、彼らの手引きで砂漠を通り、地中海沿岸にたどりつく。いかに海が荒れても、彼らには戻るところがなくない。これからの季節は海が荒れ、密航は危険が増す。しかし、新年になり海が穏やかになれば、再び密航の船が増える。

 人道的観点から、彼らを救出し、収容することは、EU諸国にとっては思いがけない結果につながる。海上での救出体制が充実するほど、難民・移民にとって危険度は減少する。地中海を渡りきることのできない老朽ボートで洋上まで乗り出し、ITなどの手段で近くを航行中の船舶、救援組織に救助を求めることが増えてきた。通報を受けた当事者としては、救助を求める人々を目前にして、彼らを見殺しにすることはできない。直ちに救援に当たり、イタリアなどの収容施設へ向かう。彼らの中で難民の認定を受ける者はきわめて少ない。残りは不法移民の判定となるが、その多くは帰国することなく、イタリアなどの不法就労の世界は紛れ込んでしまう。しかし、この予期せぬ悪循環を断ち切る術は未だ見つかっていない。

Source: 
"Traveling in hope" The Economist October 22nd 2016

 


お知らせ(2016/12/08)

関連資料として『終わりなき旅:アメリカ移民制度改革展望』を政策検討フォーラム (2016年11月17日)に掲載してあります。 筆者の講演資料ですが、最近のアメリカ移民制度改革の主要点を展望しています。近く改めて論説として拡充掲載予定。

 

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分裂に向かうEU:復活する国民国家(4)

2016年10月17日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

秋が来ても
 10月10日、ドイツ連邦共和国内で、ISISの影響を受けテロを準備していたと思われるシリア難民アル・バクルと名乗る男(22歳)が、ライプツィヒで同国(シリア)人二人の通報で警察によって逮捕された。男の住んでいたケムニッツChemnitz のアパートで発見された火薬などの量から、2015年ブラッセルとパリで起きた爆弾テロと同規模の攻撃を企図していたと警察当局は推定している。この男はダマスカス出身とされるが、自分に捜査が及んでいるのを察知して、ライプツィヒへ身を隠していたという。

 ケムニッツという地名を聞いて、かつて日独経済学会でイエナに旅した時、バスで通ったことを思い出した。ここは、カール・マルクス市 Karl-Marx-Stadtと呼ばれたこともある都市だ。マルクスが生きていたら、何を思ったことだろうか。それはともかく、このシリア人は、いったいなにが目的でどこをテロの対象と考えていたのか、他国のことながら背筋が冷えてくる思いがする。テロがない世界は考えられなくなった。

 男は2015年89万人の難民・移民の流れに混じり、昨年2月庇護申請をしていたが今年6月に許可を得ていた。男のテロの目標は未だ明らかではない。さらに3人が関連する容疑者としてドイツ各地で逮捕されている。

 アンゲラ・メルケル首相は、容疑者の逮捕に協力したシリア人を賞賛したが、彼女自身は昨年来、難民に対する国境開放政策をとったことで、国内で厳しい政治的批判の対象になっている。ドイツ連邦共和国だけで2015年は100万人以上の難民を受け入れた。その多くはシリア人だった。

 メルケル首相がとった国境開放政策は難民からは歓迎されているが、国内では不協和音が渦巻いている。今回の容疑者がシリア人難民であったことは、衝撃が大きい。メルケル首相自体は彼女の政策を取り下げてはいないが、実質上後退を余儀なくされている。

チロルにもブルカの女性観光客 
 別の例をあげてみたい。やや唐突だが、CNNで、ドイツの隣国オーストリアのチロル地方に、最近は真っ黒なブルカをまとったイスラム女性観光客が多数訪れていることが報じられていた。地域の人々にとっては、今でもかなり違和感があるようだが、数多く見慣れてしまうと、観光旅行者であれば仕方がないかと割り切るようになるという。日本で頭から足先まで真っ黒な衣装の一団が、突然主要な観光地に現れたら、どんな反応があるだろうか。筆者は長らく世界の移民・難民問題をウオッチしてきたが、この問題への日本人の考え、対応は依然大変ナイーブだと思っている。多数の失踪者を出してしまうような制度をそのままにしながら、労働力不足を理由に外国人労働者受け入れ拡大を認めるのは、大変危うい。

 難民・移民は、政治家にとっても厳しい難問を突きつけるが、政治哲学的にも難しいものがある。大陸からEUのように百万を越える難民が押し寄せてくるなどの現実に直面すれば別だが、日本人はこうした問題はおよそ真剣に考えたこともない。しかし、台湾の政府関係者から、ある朝目覚めてみたら、海岸線が何千という難民ボートで埋め尽くされていたという夢を見るという話を聞いたことがある。日本人、日本政府はこうした起こりうる事態に、いかなる対策を考えているのかと聞かれたこともあった。

政治家の倫理 
 こうした問題に対した政治家はいかなる思想の下で決定を下すのか。ひとつのエッセイを読んだ。最近のアンゲラ・メルケル首相の政治哲学、思想についての推論である。日本の政治状況と比較すると大変興味深い。

 ドイツではGesinnungsethik(英:ethics of conviction:信念(しばしば(心情)倫理) とVerantwortungsethik(英:ethics of responsibitily: 責任倫理)という概念が、TVや家庭でも時々話題に上るとの興味深い指摘がある。政治における理想主義とプラグマティズムの対立にもつながるテーマである。「きわめてドイツ的な」特徴を帯びた道徳的緊張感があると社会学者マンフレッド・ギュルナーは述べている。

 この概念は元来 マックス・ウエーバー が、1919年ミュンヘンの書店主催での講演の際に使ったことに始まる。ドイツは第一次世界大戦に敗れ、皇帝も退位したところだった。その後、この政治学の講義は古典となった『職業としての政治』として一般に知られるようになった。ウエーバーは政治家は強い倫理観に持たねばならず、それは信念倫理と責任倫理だという。そして、この二つの倫理の間には”救いがたい”対立があるとした(遠い昔に読んだ記憶が少し戻ってきた)。

次の決断
 前者の信念倫理は彼らが抱く道徳的純粋さを現実の世界にいかなる結果が生まれようとも貫くことにある。他方、後者の責任倫理は自分の行為の(予知しうる)結果について責任を負わねばならないという原則に従い、自らの行動のすべてに責任を持つことを意味する。政治家が則らねばならないのは責任倫理であり、(意図しないことも含めて)自らの行動のすべてに責任を持つことだと、ウエーバーはいう。

 エッセイによると、今日のドイツは「信念倫理」の氾濫状態(Wolfgang Nowak)にあり、とりわけ左翼とプロテスタントの間に多いという。この政治倫理は今やS.D.(社会民主党)ばかりでなく中道右派にも広がっているが、ヨーロッパの多くはこの流れに賛成していないことが見落とされているという。

 このたびの難民・移民に対するドイツ連邦共和国の"welcome culture"はこうした流れの延長で、メルケル首相は「信念倫理」に乗って"早駆け gallop away"(Konrad Ott, 哲学者、移民と道徳に関する著作者)したとされる。2015年9月4日の歴史的な難民への国境開放を生んだ背景である。彼女は人間を受け入れるに”ただの必要で”数的上限を設定することを拒否し、事態は混迷の度を深めたが、未だその立場は変えていない。他のヨーロッパでは、ドイツは”道徳的帝国主義”と非難する者もいる。他方、あまりに多くのことがドイツに要求されると考えるドイツ人もいるようだ。確かに、いつの間にかEUはドイツあってのEUであり、ドイツなしではEUは存在しえなくなっている。

 事態がここにいたれば、メルケル首相がどれだけ彼女の信念を大きく損なうことなく、責任倫理の道に戻りうるかということにすべてがかかっているように思われる。 難民問題の最後の切り札と踏み切ったトルコの思わぬ専制強化、混迷も彼女にとっては唇を噛むような思わぬ展開となった。

 ここにいたる状況は、本ブログでなんとか追ってきた。この政治倫理概念に頼っての議論は政治理論の専門ではない筆者には、やや抽象に傾きすぎている。

  アンゲラ・メルケル首相はノーベル平和賞の候補にあがっていたといわれる。大激動の過程で、彼女がここまで首相の座にあったのは、ひとえに政治家としての強靱さであり、打たれ強さであるともいえる。平和賞の可能性が消えたわけではないと思う。


追記 2016年10月26日
アンゲラ・メルケル首相は、昨年来、大幅に増加した難民について、新たな国民との統合(融合)の努力を進めることを打ち出している。難民と認定された外国人についてドイツ語の習得や技能の訓練過程を経て、国内に雇用の受け入れ機会が生まれることを目指す。これまでの政策との一貫性を維持する上では、当然の方向とはいえ、その前途が多難なことはいうまでもない。ちなみに、今年は25-30万人近い受け入れを予期しているようだ。ドイツ経済が堅調さを維持している現状では、数の上では昨年の約3分の1であり、労働市場の需給関係を大きく乱す可能性は低いと思われる。中長期的に数および質の点で、受け入れ政策は根本的な再考を迫られるだろう。他方、すでに深刻な労働力不足を迎えつつある日本は、対応が遅れてきた反動として、次の世代は大きな衝撃を覚悟しておかねばならないだろう。


Reference: A tale of two ethics, The Economist, October 1st, 2016
 

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分裂に向かうEU:復活する国民国家(3)

2016年10月07日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

アフリカ、リビヤ沖で沈没中の老朽木造船から救助される移民(8月21日)
Time, Sept.12-29, 2016, cover 

分裂の諸相
 EU(欧州連合)分裂の兆候はいまやさまざまな形で現れている。そのいくつかの局面を見てみたい。BREXITで英国が離脱しても、EUの加盟国数は27カ国ときわめて多い、それぞれ独自の国民性を保ち、EUが目標として目指す単一国家にはほど遠い。また、そこへ到達する可能性もきわめて薄くなった。実際、政治体制、経済発展段階、文化的差異など、さまざまな点で、EU内部にはかなり以前から亀裂が目立ち始めていた。加盟国の数を増やすことを急ぎすぎて、発展段階が違い過ぎる国々が混在する、結束力の緩い集まりになってしまった。

 しかし、近い将来の分裂を思わせる決定的要因となったのは、やはり2015年から急増を見せた難民・移民の動向だ。対応に苦慮したEUは、いわば域内最東端の砦ともいえるギリシャの対外(EU域外)国境保持に大きな期待をかけた。財政破綻で国家として存続も危ぶまれるギリシャだが、EU(ブラッセル)、域外隣国のトルコとの連携などがようやく整い、沿岸警備隊の強化などで、シリアなどからの難民がエーゲ海を渡り、ギリシャを経由する難民・移民の流れはかなり抑止されるようになった。ブルガリアがEUの支援を受け、トルコ国境警備を強化したことも、バルカン・ルートで知られる陸路経由の難民抑止に効果を上げている。

地中海ルートへの集中
 それに代わって、顕著な増加を見せ始めたのは、以前からの地中海ルート、いいかえると、アフリカのリビア近辺からイタリアのランペドゥーサ島などを目指す難民・移民である(このルートをたどった難民の海難事故などについては、このブログでも何度か記した)。ギリシャ経由でヨーロッパへ向かう陸路を閉ざされたシリア、アフガニスタンなどの難民・移民は別の経路を探し求めていた。

 この地中海ルートは従来、主としてアフリカ諸国からの難民・移民がたどった海路だ。そこへエーゲ海を渡りギリシャへ渡航できない難民・移民が移動してきた。2015年には百万を越える人々が地中海を越えた。トルコからギリシャへの海路は短い地点では8キロメートル程度だ。しかし、アフリカからの海路は、距離もはるかに長く危険度も格段に高い。

 このルートにも悪質な密航業者 traffickerが多数暗躍し、難民・移民をビジネスの対象として暴利をむさぼってきた。彼らは渡航を希望する者から高額な金(数百ドルから数千ドル)を徴収し、老朽木造船やゴムボートなどで洋上へ送り出す。たとえば、トリポリからイタリアのランペドゥーサ島までは290キロメートルもある。海上の距離も長く、遭難など多くの危険に満ちている。概して、こうしたボートの多くは海洋での渡航には耐えない。洋上で沈没、多数の死者を出すなど、多くの犠牲者を生んできた。しかし、危険を顧みず渡航を試みる者は増加する一方である。密航を企てる者は気候が安定している秋を選ぶことが多い。

驚くべき数の渡航者
 去る9月3日には1日で6000人近くが40隻余りの木造船、ゴムボートでアフリカ、リビアの海岸などからイタリアを目指し渡航を企てている。700人近くが一隻に乗っていた例もあったといわれる。彼らはイタリア、あるいはリビアの沿岸警備隊や付近を航行中の船舶、人道支援組織の救援などによって海洋上で救出された。死者・行方不明者は9人と発表された。渡航者がこれまでの最大数であったにもかかわらず、犠牲者の数が極小に留められたのは、気象条件が安定していたことに加え、イタリアなどの沿岸警備隊、民間人道支援組織などの船舶よる救援努力が実ったためであった。人道支援組織は、独自に航空機まで活用して、洋上に漂流する難民ボートなどを探索、発見し、近くの船舶と協力して救助に当たっている。


 最近の"Time" 誌には、このアフリカからヨーロッパ大陸を目指す移民・難民の船に同乗したジャーナリストの手記が掲載されている。それによると、人道的観点から見て、その劣悪、苛酷さ、危険性は壮絶なものであり、青く静かな海の上でもひとつ間違えると悪徳業者の餌食となり、死の世界へ直行する("Between the devil and the deep blue sea" Time)。2016年年初から9月末までに30万人余りが渡航を達成し、死者・行方不明者は3500人に達したことが明らかになっている。他方、同じ期間にギリシャ・ルートでは386人が命を落としている(IOM))。

人道主義的支援が密航を加速?
 しかし、皮肉なことにこうした人道主義的救援の仕組みが充実するにつれて、それを見越しての難民・移民が増えるという奇妙なサイクルが生まれつつある。難民・移民は気象条件や海上の状況を確かめた上で、密航業者が提供する航行能力のない欠陥ボートなどで洋上へ乗り出し、沿岸警備隊などに救助を求めるという形が一般化してきた。

Time誌掲載のジャーナリスト(Aryn Baker)が同乗したアフリカ、リビヤからイタリア、シシリー島への航路。目的地はシシリー島、カターニア。実際にはこのボートは、リビヤのトリポリに近いサブラタを出航したところで、沈没、乗員は沿岸警備隊によって救助されている。右側数字は、今年中央地中海ルートを選んだ難民の中で、106,461人がイタリアに到達。10,986人がリビアの沿岸警備隊によって抑止、救助された。2,726人は航海途上で死亡。原データ出所:IOM、本年8月28日現在。Time, September 12-19, 2016. 

  アフリカ側のリビアだけでも、密航を望む難民・移民がすでに60万人近く集結しているという。2011年以降、リビアの独裁者カダフィ政権はイタリアと共同でこうした密航を最小限に減少させようとしていた。しかし、カダフィは失脚し、移民は帰るところを失った。この真空状況で人身売買が復活し、多数の犠牲者を出しながら、今日のように密航者が急増した。人身売買業者は最初から航海に適さない船を準備しているという(IOM)。アフリカ側の警察、沿岸警備も腐敗している。シリア、アフガニスタン難民が加わった現在の状況は、UNHCRによると、第二次大戦以来、最大数の移民を生んでいるといわれる。しかし、世界の指導者たちは有効な手段を持たない。トルコ・ギリシャルートを遮断したことは、ただ経路の変更をさせたにすぎない。

 幸いにも海上で救助された移民・難民はイタリアで難民に該当するか審査を受ける。多くは携行品もほとんどなく、言葉もできず、技能水準も低い。しかし、ヨーロッパでなんとか働きたいという意欲だけは強い。審査を通らなかった者は、強制的にイタリアを離れることを求められる。しかし、実際には行く先もなく、イタリア国内で不法就労者となり、、多くは農業労働者として働くか、ヨーロッパの他国へ移動する。手になにもなければ、いかなる仕事でもひたすら働くすべを求めて生きねばならない。国境のわずかな隙間でも入り込もうとする。

きびしくなる国境管理 
 かつては域内外からの労働者をかなり柔軟に受け入れていた域内諸国の国境管理も厳しさを増した。最も極端なケースは、ハンガリーである。移民労働者の受け入れ可否を国民投票にかけた。国民投票は最近のヨーロッパでややファッション化している。去る10月2日実施された国民投票は圧倒的多数が受け入れ拒否だったが、投票者数が規定に満たないなどで、公式には成立しなかった。しかし、国民の間に根強い外国人労働者の受け入れ拒否意識があることが判明した。

 難民・移民受け入れへの反対は、ハンガリーにとどまらず、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、オーストリア、フランス、ドイツなど多くの国で高まっている。反移民をスローガンに掲げる政党の台頭がひとつの要因でもある。国境検問が厳格化され、受け入れ抑止に急速に移行しつつある。

 他方、欧州連合(EU)は、10月6日、EUレベルで域外との国境警備にあたる「欧州国境・沿岸警備隊」を正式発足させた。警備隊はEU加盟国の国境警備の調整を担っている欧州大概国境管理協力機関(フロンテクス)の権限や装備を強化して発足させた。年内に少なくとも常時1500人規模の警備隊を確保し、問題の多い地域へ派遣される。

 こうした対応から見えてくるのは、急速に高まったEU域外、域内の障壁であり、それでも入国を目指す難民・移民に対する管理体制の強化の構図だ。今やドイツ連邦共和国といえども、加盟国と同様な路線を進まねばならない。昨年、メルケル首相が高らかに掲げた開かれた国境のイメージは急速に退行してしまった。

  眼前に立ちはだかる高い国境の障壁。その前に立ち尽くす難民・移民が出てきた故国はほとんどが壊滅的状況にある。世界銀行が難民救済のために増資を実施し、新国連事務総長が難民問題を重視すると述べても、世界各地の難民・移民に安心した生活を約束できる祖国が復活する日はいつのことだろうか。


References
"SAVED: One week abroad a refugee rescue ship" Time Sept.12-Sept.19, 2016*

追記
10月9日BS3『関口知宏 ヨーロッパ鉄道の旅』では、ハンガリー一周の旅を放映していた。筆者はブダペスト近傍しか知らない国だが、このたびの難民問題で急遽設置された有刺鉄線の国境風景が映っていた。それとともに、「ベルリンの壁」崩壊の先触れとなったショプロンの「ヨーロッパ・ピクニック」当時を知る医師とのインタビューなど、大変興味深かった。お勧めの番組である。

 

 

 

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分裂に向かうEU:復活する国民国家(2)

2016年09月24日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 

  今年の国連総会は難民問題がひとつの大きなテーマとなった。オバマ大統領主催で、難民サミットも開催された。しかし、その直前を狙ったかのように、ニューヨークのマンハッタンや対岸のニュージャージーで不特定多数を対象としたと思われる爆発事件が起きた。容疑者は今回もアフガニスタン生まれでアメリカ国籍は取得したが、イスラム過激派の影響を受けたと推定されている。論理の上では否定しながらも、移民・難民をテロリズムの温床のように考える社会的風潮が増幅されている。

 ほとんど同時期にいくつかの重大な出来事が起きている。ひとつは9月21日、地中海エジプト沖における移民・難民ボートの遭難事故で148名を越える多数の死者が出たことだ。こうした遭難事故はこのブログを始めた以前から継続して起きているが、事態は悪化するばかりだ。この問題領域にもいくつかの変化があり、別に取り上げたい。

 もうひとつ注目すべきは、シリア内戦の現状であり、終息するどころか、破滅的状況にある。ヒエロニムス・ボスの作品に描かれる地獄さながら、まさに「現世の地獄」だ。ウクライナ紛争にみられるように、失地回復に動くロシアの支援を受けたアサド政権は息を吹き返し、居丈高に反政府勢力、そしてアメリカを非難、攻撃している。国連もまったく無力化し、TVなどに見る惨状は目を覆うばかりだ。

 そして、ヨーロッパの存在感が急速に低下したことを感じる。とりわけ、9月18日のベルリン市議会選挙で「反移民」を掲げる「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進し、国政与党が大きく後退した結果、メルケル首相は「できるなら時計の針を何年も戻したい」との見解を発表した。これまでユーロ危機を初め、様々な試練にしたたかに対してきたこの練達した政治家をもってしても、今回は切り抜けられなかった。

 そして、アメリカ、EU、中国、ロシアという新たな覇権を争う勢力地図の中で、アメリカ、EUの政治的停滞、退行、中国、ロシアの覇権、領土拡大指向が目立ってきた。

 前回に続き、今回はBREXITという形で新たな局面を迎えたヨーロッパの姿をこれまでの観察の流れの中で見てみたい。筆者のメモ代わりとしてスタートしたブログであり、細部は省略、筋書き程度にとどまる。

危機は突然に 
 2015年から今年にかけて、突如として、百万人を超える難民、移民がシリア、アフガニスタンなどからヨーロッパへ流入した。それによって引き起こされた一連の変化は、おそらくEU(欧州連合)の誕生後最も大きなものだろう(その主要な経緯はこのブログでも記してきた)。人、資本、財、サービスが自由に移動する単一市場、そして政治的統合はEUが目指してきた目標だが、ヒトの移動が難民・移民という形でEUの存立基盤を揺るがすことになるとは、当事者を含めてほとんどの人が考えなかったことだろう。この意味でも、多数の難民・移民の発生経緯、ヨーロッパへの流入、移動の経路、各国、EUの対応過程を理解しておくことは今後のためにも重要と思われる

 こうした状況下、僅差でEUから離脱 exit することになったイギリスは、前回紹介したA.O. ハーシュマンの理論を手がかりにすれば、それまであったEUという共同体とのつながりはなくなり、競争原理の支配する世界で独立性は増すが、財やサービス市場の縮小、資本などのアクセス機会の制限などで、失うものも大きい。

 前回に記した通り、EUが真に地域統合体に近い実態であれば、イギリスの立場は準メンバーに近いものであった。その国がどれだけハーシュマンのいう「忠誠」loyalty をEUに感じていたかは分からない。最も強く忠誠心を抱く者でも離脱の可能性はあり、彼らにとって「離脱する」というブラフは統合体にとどまり、発言するに際しての強いカードになりうる。イギリスがこのカードをかなり使ってきた可能性はある。しかし、現実には国民投票僅差での離脱決定という微妙な結果となった。

 離脱後、今後EUとの交渉に当たるボリス・ジョンソン外相は、イギリスはドイツから車、イタリアからワインなどを大量に輸入しているから、EUは無視出来ないはずだと述べ、離脱後もこれまで得ていた特権の継続をEU側に求めるが、それには当然反発が強く交渉は難航するだろう

 ここに到る経緯からして、イギリスが新たな苦難に直面することは必至だ。構成国であるスコットランドや北アイルランドの動きも含めて、その前途について今の段階で楽観はできない。EU大陸側を含めドミノ現象が起きる可能性もなしとしない。メイ首相自身、その困難さを率直に述べている。ボリス・ジョンソン外相は新年早々に離脱の正式提案をし、2年以内に選択した離脱をなしとげると楽観的発言をしているが、まだいくつもの波乱が予想される。
 
問題はEU,大陸側に
 しかし、BREXITで注目すべき最大の問題は、イギリスに離脱を許してしまったEU、大陸側にあるといえよう。これまでイギリスはEUの加盟国でありながら、大陸側諸国との間に一線を画してきた。イギリスは、ドイツ連邦共和国に次ぐ経済大国であり、大陸側としては対応の難しい国ではありながら仲間に留めて起きたい存在だった。

 イギリスの離脱と並行して、大陸側諸国には結束力の緩みが生じていた。難民流入への対応過程で、加盟国間の対応の違いはさらに顕著になった。ブラッセルも官僚化が進み、加盟国との距離が拡大していた危機における指導力に欠け、加盟国を統率できなかった。昨年来の難民危機に際しても、実質的に目立ったのは、躊躇する各国の指導者を率先、牽引するアンゲラ・メルケル首相であり、傍目にもEU(ブラッセル)の存在感は薄かった

 さらに、最近ではEU上層部のスキャンダル、腐敗が露呈し、ブラッセルの信頼度は大きく損なわれた。いまやEU(ブラッセル)は高級官僚を中心に、加盟国の国民の関心とは遠く離れた、腐敗した組織と見られるまでになり、急速に信頼度が低下している。政治・行政上の官僚機構は生まれたが、European Union の目指す地域統合体とはかけ離れたいわば頭だけの存在になっている。こうした中で、選挙民の信頼をつなぎとめようと、各国の政治家たちは内向きになり、EUよりも自国の主権を確保しようと懸命になっている。


弛緩する統合のあり方
 結果として、加盟国間の統合への勢いは急速に失われ、自国民の利害を前面に出した国民国家への流れが増した。ロシアの領土拡大指向を抑止し、難民やテロリズムの危機に対応するには、ブラッセルに頼ってゆくよりは、自国がしっかりと対応する方が実が上がると考えるようになった。昨年、ハンガリーがレーザー有刺鉄線の障壁をクロアチア国境に設置した時、ドイツ連邦共和国のアンゲラ・メルケル首相は冷戦を思い出させると非難し、フランスの外相は「ヨーロッパの共通の価値を尊重していない」と批判した。

 ところが今年になるとこれらの指導者たちは、ヨーロッパの国々に難民受け入れを迫るとともに、これ以上の流入を阻止する対応を強めるよう求め始めた。さらに1月にはいくつかの国の政府はギリシャに難民の抑止を求め、不十分な場合にはシェンゲン協定からの除外まで口にした。しかし、ギリシャ一国で難民・移民の大きな流れを抑止することが不可能なことは歴然とし、メルケル首相の指導・交渉力によって、EU域外のトルコにその役割を委ねることになった。しかし、そのトルコもクーデターが起きるほどの内政不安が高まり、短期間のうちに期待を裏切ることになった。地域統合体としてEU加盟国を結束し、同一方向へ誘導する力量が今のEUブラッセルは、傍目にも欠如している。

 こうした中、フランス、ドイツ、オーストリアなど多くの加盟国で外国人受け入れ増加に反対することなどを主たるスローガンとする極右政党が次々と勢力を拡大、各国の政治は急速に内向き指向となっている。

逆転する歴史の歯車
 EUは目指す統合への理想とはほど遠く、国民国家の集合としてのヨーロッパへ向かっている。難民・移民を受け入れて文化の多様化に将来を賭けるのではなく、グローバル化の中で薄れてゆくとみられた伝統的国民国家が復活している。それを支えているものは、ナショナリズムというよりは、パトリオティズム(愛国心)なのかもしれない。それぞれの国民国家の政治的・文化的基盤は想像以上に堅固であり、難民・移民などの流入でその点が確認されたといえる。来年はヨーロッパ経済共同体(European Economic Community)設立を目指したローマ協定(Treaty of Rome、1957 )成立後、60年目になる。


9月24日開催された欧州10カ国の首脳会議は、EU(欧州連合)首脳会議は欧州連合の外周部の国境管理を厳しくすることで大筋合意した。会議ではEUの外周部にあたるブルガリアの国境警備にあたる人員を各国の応援のもとに増加するなどいわゆる「バルカンルート」と呼ばれる難民移動経路を完全に遮断することを目指している。しかし、これだけでは増加する難民・移民の大きな圧力に対応するには十分でなく、EU諸国は自国国境の警備管理を強化するなど、EUの分断はさらに進むだろう。(2014年9月25日加筆)。

Reference
John Peet and anton La Guardia. Unhappy Union: How the euro crisis - and Europe - can be fixed, The Economist, 2014. 

"Divided we fall." The Economist June 18th-24th 2016.

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分裂に向かうEU:復活する国民国家(1)

2016年09月17日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 激動の世界、状況は刻々と変化する。EUの難民問題、そしてBREXITのような人々の目を奪うような変化の裏側に、来たるべき大変化の予兆が感じられる。ヨーロッパは、第二次大戦以降、最悪の政治的危機にあるといってよい。

このブログ・シリーズ「終わりの始まり」というフレーズは、昨年来、一貫して追いかけてきた変化のいわば抽象的表現である。より具体的にはEUというヨーロッパの
諸国家からなる地域連合体がさまざまな原因で破綻し、変質、分裂に向かいつつある過程の象徴的表現である。その後、このフレーズはいつの間にか、メディアなどでも使われるようになった。


EUの破綻が急速に目立ち始めたのは2009年のユーロ危機の頃からであり、その後昨年来のシリア難民の大量流入、域内諸国における極右・反移民政党の台頭、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキアなどでの国境の復活・強化、そしてイギリスのEU離脱まで、一連の大きな変化が続いている。EUそしてユーロの今後に懐疑的な動きは次第に勢力を増している。ヨーロッパの統合の理想へ向けての期待は、日に日に薄れている。EUはどこへ向かうのか。今回はメディアの報じる内容とは、少し異なった観点からその行方を見通してみたい。

イギリスの「離脱」の本質を考える手がかり
 EU設立以来の歴史において最も衝撃的な出来事は、本年2016年6月23日に国民選挙によって決定したイギリスのEUからの離脱であることは改めていうまでもない。最近ではBREXITなる言葉でも語られるようになったこの問題はかなり淵源は深い。

 BREEXITという言葉を聞いたとき、筆者の脳裏に浮かんだのは優れた経済学者アルバート・O・ハーシュマンの提示した「離脱、発言、忠誠」というきわめて斬新なアイディアであった。

 すでに原書刊行後半世紀近い年月を経過し、本ブログの読者の方々にはなじみのない内容だけに、2,3の例を挙げてみよう。あるブランドの商品を長年愛用、購入してきた消費者がいるとする。最近その商品の品質が明らかに劣化したので、考えたあげく、購入を止め、他の商品に乗り換える。この行為は exit「離脱」という。他方、従来の商品に愛着を感じていた消費者が当該商品の製造元に、不満な点を通知し、改善されること希望するという書簡を送ったとしよう。製造元がそれに対応し、品質改善を行えば、消費者は以前から愛用する商品を継続して購入する。この行為はvoice 「発言」といわれる。

 別の例として、企業などの組織の成員が、組織の衰退につながりかねない問題を見いだし、その改善のために内部で、自ら改善案の提示など組織内で努力をする、この行為は voice であり、他方こうした内部的改善に限界を感じ、組織を離れるなどの行為を選ぶならば、exit 「退出、離脱」となる。この場合の「組織」は企業に限らず、国家でも、なにかの団体組織でも差し支えない。

exit とvoice は相互に影響し合う。たとえば、企業に勤める労働者が現状に不満であっても、外の労働市場に仕事の機会が少ない、海外への移住が困難などの状況であれば、現在の仕事にとどまり、その改善を図ろうとする。組織内で自分の発言が受け入れられ、問題の改善がなされれば、労働者が組織にとどまる傾向が増えるかもしれない。

ハーシュマンが提示したこの考えは、経済面と政治・社会面の双方を結びつける可能性を提示しており、きわめて有効な概念だ。しばしば「離脱」は経済理論、「発言」は政治理論になじむとも考えられてきた。しかし、現実の問題に適用しようとすると、それほど簡単ではない。

Albert O. Hirschman, Exit, Voice and Loyalty:Responses to Decline in firms, Organizations, and States, Harvard University Press, 1970 (矢野修一訳『離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応』、ミネルヴァ書房、2005年、なお邦訳は先行して、三浦隆之訳『組織社会の論理構造―退出・告発・ロイヤルティ』ミネルヴァ書房がある)。筆者もこの斬新なアイディアと理論化に魅力を感じ、ハーシュマンの考えをきわめて早い時期に労働経済分野に応用したフリーマン&メドフ「労働組合の 二つの顔」(桑原靖夫訳『日本労働協会雑誌』270, 1971.9)に着目、翻訳紹介を行っている。 

イギリスとEUの関わり
 実はイギリス(連合王国)は、当初からEUに大陸諸国のような完全なコミットをすることを避け、ある距離を置いてきた。EUの歴史を顧みると、今日のEUの礎石となったといわれる1952年の欧州石炭共同体(ECSC)の創設メンバーにイギリスは入っていない。1973年になってデンマーク、アイルランドとともにECに加盟している。その後も、シェンゲン協定などにも加入することなく、EU(ブラッセル)にとってはかなり扱いがたい存在であったともいえる。

EU離脱問題が国民的関心事となったのは2013年キャメロン首相が、2015年の総選挙で政権を維持できれば、EU残留の是非を問う国民投票を17年末までに行うとの方針を表明してからだ。

2015年5月の総選挙では当然EU離脱が争点となったが、キャメロン首相の与党・保守党が単独過半数を獲得した。そして翌年2月にEU離脱の是非を問う国民投票を行うと発表した。その後6月23日国民投票で僅差で「離脱」決定までの経緯は、ご存じの通りである。政治スケジュールの上では、来年早い段階でイギリス政府が離脱の正式申し入れをし、その後2年間の協議を経て、離脱が決まることになっている。

 ドイツやフランスのような大陸諸国は、当初からEUの発展と運営に深くコミットしてきた。イギリスは大陸諸国とは常にある距離を置いてきた歴史的経緯を持つ国だが、「離脱」への道あるいは可能性は潜在的には準備されていたともいえる。この点、たとえばフランスが「離脱」するとなれば、イギリスのようにはとても進まない。まず国内に「大激震」が起きることはすでに指摘されている。

1990年にはERM(欧州為替相場メカニズム)に加入したが、翌年ポンド危機を契機に脱退している。1999年に欧州単一通貨ユーロが導入されたが、イギリスはこのシステムにも加入せず、自国通貨ポンドを維持し、今日まできた。ここで注目しておきたいのは、イギリスはEUの枠組みの維持・遵守に当初から熱心というわけではなかったことである。1999年の単一通貨ユーロも導入しなかった。同年にはアムステルダム条約が発効したが、イギリスとアイルランドは「シェンゲン協定」にも加入していない。シェンゲン協定はアムステルダム条約でEUの枠組みに組み入れられたが、アイルランドとイギリスはシェンゲン協定関連の規定の適用除外を受けている(当時はトニー・ブレア首相)。
 

偶然が左右したEU離脱
 6月23日の国民投票が僅差で「離脱」に決まったことは、その後の対応を困難にすることは以前に記した。Exit とほぼ同じくらいの確率で、voice が選択される可能性もあったからだ。実際、選挙前の下馬評では「残留」派優位とされてきた。このことは、「離脱」後 (After BREXIT) においても、国内に多数の不満を抱える国民が存在することを意味する。実際、ロンドンなどではEUへの「残留」を求める人々のデモが行われている。「離脱」派の人々は、EUからの移民・難民の受け入れを拒否する一方で、貿易面においては従来通りの市場アクセスを求めている。大陸側からすれば、きわめてご都合主義の要求であるとして、対応の硬化も感じられる。

 注目すべきは、若い世代の多くは「残留」を選択したという投票結果にある。Exit を選んだ年齢の高い世代は「古き良き(孤高の)イングランド」をどこかに夢見たのかもしれない。「離脱」派の49%が「英国についての決定は英国で行われるべきだから」との回答を選び、33%は「移民政策」をあげた(Lord Ashcroft Polls, 2016)。「残留」を支持した者は、概して上流階級、富裕層、大学卒など教育水準の高い者、「離脱」を支持した者は労働者階級、教育水準が中等教育終了以下の者が多いといわれる。前者の英国の国家権限についての感想には、後者の移民政策と重なる部分があるかもしれない。言い換えると、移民政策もEU(ブラッセル)の言いなりにはなりたくないと考える人々が当然いることだろう。    

国民国家の復活
 この問題について、筆者はかねてヨーロッパにおける国民国家 nation statesの復活という点に着目してきた。「国民国家」とはなにか。議論し始めると大変長くなってしまうが、簡単にいえば、ある地域、領域の住民、ほとんどは単一の民族を国民として統合することで主権国家として成立させた概念といえる。そして「国民国家」はグローバリゼーションと多文化主義の展開の下で、減衰してゆくと考えられてきた。

EUの成立と拡大の過程で、加盟国間の国境の壁は低くなり、人の移動に制限はなくなり、国家主権は次第にEU(ブラッセル)に集約されるとの構想だった。このいわばEU国家への政治的統合を通して、従来の国民国家は衰退、消滅の道をたどるとされてきた。しかし、EU域内の現実を見ると、統合は一筋縄では実現しない。それどころか、成功を収めることなく、かつての道を逆戻りする公算がきわめて高くなっている。

 すでにBREXITは誤った決定であったとの判断がヨーロッパを含め、世界の主要国の間でかなり一般化している。Ipsos Moriという世論調査機関が行ったイギリス(連合王国)との貿易とBREXITをめぐる理解についての結果をみると、興味深い傾向がみてとれる。

EU加盟国は当然ながらイギリスとの貿易依存度は他の地域の国よりも高いが、EU加盟国の間でのスペイン、ベルギー、スエーデン、ドイツなどはかなり高い比率でBREXITは誤った決定だったと評価している。イタリア、フランス、ポーランドなどはそれほど高くない。EU(ブラッセル)が図抜けて高いネガティブな評価をしていることは当然だろう。アメリカ、インド、オーストラリア、日本などの非加盟国はBREXITを比較的肯定的にみているが、日本、カナダなどは誤った決定とみる比率が比較的高い。

Source: "The start of the break-up," The Economist August 6th 2016

画面クリックで拡大

 イギリス政府はキャメロン首相の辞任により、メイ首相になったが、首相自身が「残留」派であり、「離脱」することなどまったく予想していなかったといわれる。そのため、議会の答弁においても今後いかなる方向へ進むか、ほとんど白紙状態であり、将来展望を持てないでいる。イギリスは混迷状態から抜け出るに多大な時間と労力を必要とするとみられる。

 EUは、今後いかなる道をたどるのだろうか。その前途は問題山積であり、27カ国となった大陸側諸国とイギリスの双方にとって、厳しい道のりとなった。もう少しその行方に目をこらしてみたい。


Reference
John Peet and Anton La Guardia, Unhappy Union: How the euro crisis- and Erucope- can be fixed, London: The Economist 2014. 

続く

 

 

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終わりの始まり:EU難民問題の行方(23)

2016年06月10日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

シリア内戦に関わる各利害グループの支配地域(2016年5月16日現在)地中海(西)側の青色で塗られた地域はシリア政府支配、東側上部の赤色部分はISIS支配、緑色部分はクルド勢力地域と推定。クリックで拡大。
'Never-ending horror' The Economist  June 4th 2016 


 中東屈指のシリア、パルミラ遺跡が奪還され、シリア国旗がはためく映像の光景を見て、この地の未来に小さな光が見えた気がした。あのタリバンがバーミヤンの巨大な石窟像を無残にも破壊した衝撃の瞬間は、脳膜から未だに消え去っていない。筆者はパルミラの地を訪れたことはない。しかし、イギリス、ケンブリッジに滞在していた折、友人となった中東遺跡保存を仕事とし、バグダッドなどの博物館再生に従事していた考古学者からかなりのレクチュアを受け、多くの啓発を受けた。ちなみに彼は日本の三笠宮崇仁親王(オリエント研究者でもあり、その国際的発展に大きく寄与された)、そしてオリエント学者へ多大な尊敬の念を抱いていたことを憶えている。家にはボール箱やむき出しの遺跡の断片、ほとんど石のかけらとしかみえない石像の一部などが所狭しと置かれてあった。あの華麗なアフガンの輝きとは異なる、東西文化交流の道に展開する壮大な遺跡群の存在を知り、驚き、圧倒された。パルミラ Palmyraは、シリア中央部のホムス県タドモル(アラビア語タドムル、Tadmor)にあるローマ帝国支配当時の都市遺跡でシリアを代表する遺跡の1つである。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ローマ様式の建造物が多数残っており、ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門が代表的建造物だ。残念ながら映像だけで、自分の目で見る機会は逸してしまった。

 現実に立ち返ると、シリアの実態は映像で見る限り、目を覆うばかりの荒廃状況だ。EUとトルコの難民に関する大筋の合意が成立したことで、確かにギリシャなどへ流れ込む難民、移民の数は減少したが、アフリカなどからイタリアなどを目指す「地中海ルート」が復活し、ボート転覆などの痛ましい海難事故が、すでに多数の犠牲者を出している。他方、シリアなどの中東難民は、隣国トルコや国内で、終わりの見えない内戦の行く末を見つめながら苦難の日々を過ごしている。シリア、アフガニスタンあるいはトルコでは、連日のように爆弾テロなどのニュースが報じられている。

 難民問題への対策は、送り出し国、受け入れ国、移動の経路など、それぞれの次元で対応が異なるが、最重要な政策は難民が発生する源において、その原因を絶つことにある。シリアの内戦は今年で6年目に入る。さらに悪化する兆しは見えないが、戦争自体は絶えることなく続いている。本来、今年2月27日をもって休戦の段階に入るはずであった。依然として爆撃、砲撃を続けている政府軍およびロシア空軍は、対象を過激派 extremists に限定しているとしながらも、一般市民などが死傷する被害が絶えない。

正義を見極める困難さ
 状況は第三者の介入をほとんど拒むような、複雑な内戦状態であり、外交経路での休戦、停戦への努力も入る余地がなくなっているといわれる。反体制派の交渉代表が、休戦の話し合いは「失敗した」と述べている。当初の見通しとは大きく異なり、アサド政権は息を吹き返し、廃墟と化したシリアで 、あたかも自ら王冠を戴いているかにみえる(The Economist June 4th 2016)。この状況で、どのグループが正義の保持者かを見極めることは、かなり難しくなった。

  アラブ世界を代表するといわれる詩人アドニス Adonis は、今はパリに亡命しているが、2011年以来、シリア内戦について積極的に関与してきた。ノーベル文学賞候補にもあげられてきた著名人だ。多くの人々は、彼の詩人として、さらにアサド家と宗教上の流れを同じくするアラウイット 派 Alwaite のつながりに期待してきた。内戦初期にはアサド大統領に平和的な内政移管を促す書簡を送ってもいる。


今年春、パリでのインタビューに、アドニスはこう答えている。
何も変わらなかった。それどころか、問題は悪化した。40カ国もの国がISISに2年間も対しながら、なにもできなかったとはどういうことなのか。政治と宗教が切り離されねばなにも変わらないのだ。なにが宗教的で、どれが政治的、文化的、社会的なものであるかを区別しなければ、なにも変わらないし、アラブの没落は悪化するばかりだ。宗教はもはや問題への答えにはなりえない。宗教は問題の原因ではある。それゆえに、両者は区分されねばならない。自由な個人なら誰もが、望むことを信じ、他人はそれを尊重する。しかし、宗教を社会の基盤にすることなどできるのか。否だ。
(NYRB April 16 2016)。

 イスラーム教徒でもなければ、その文化についてもわずかな知識しか持たない者にとって、この地の戦争を支配する考え、根底に流れる真理を理解することは到底できない。しかし、日本を含め、西欧の多くの人々にとって、現在の段階では、イスラームはこれまでの先入観や感情で、反応している存在ではないか。新たな時代の文脈でイスラームの存在と意義を世界史の次元に位置づけるという試みは少ない。イスラームの世界が簡単に理解できるような表題を付した書籍がいまや山積しているが、数少ない傑出した思想家や研究者の作品を別にして、その多くは見るからにかなり怪しげな内容だ。アラビア語の習得を含め、イスラーム世界についての講座は大学でも少ない。イスラームは西欧以上に、日本にとっては遠い存在であったがために、研究・教育面でも立ち後れが目立つ。正確な判断ができるのは、おそらく数十年というような長い時間の試練を経てのことだろう。

「内なる戦い」をいかに理解するか
 現在起きているシリア内戦の重要な側面のひとつは、アサド政権対反体制派の戦いだけではない。イスラームというひとつの文明の内部での対決という視角もある。近刊のThe Economist 誌は、これを「内なる戦い」The war within と形容した。

"The war within" special report The Arab World, May 14th 2016

たとえば、アサド政権の家系は アラウイット Alawites という九世紀頃の創始で、主としてシリアを本拠地とするシーア派のひとつに含まれるといわれる。しかし、その歴史を垣間見ただけだが、現在にいたるまでシーア派からは異教徒、異端と見なされ、激しい抗争、迫害が繰り返されてもいる。

アラウイットは予言者ムハンマドのいとこにあたる Imam Ali bin Talib の教えに従う流れを継承するとされ、スンニ派の権威は受け入れない。政教分離の考えはアラウイットの独自の伝統とされる。九世紀以前はさまざまな名前で呼ばれていたようだが、Bashar al-Asad の父親であるHafez al-Asadが権力を掌握するようになって以来、シリアのアラウイットはこの地域を掌握、彼らに忠誠を誓わせてきた。アラウイットの間でも、多くの反抗者がいて、投獄、弾圧などの対象になってきた。現在のアサド大統領になっても、その姿勢は変わらずに今日の内戦につながってきた。このたびのシリア内戦の過程でもアラウイットは概してBashar al-Asad を支持してきた(Samar Yazbek 2015)。

しかし、イスラームが今や世界の文明の行方を定める重要な決定的勢力となっていることは確かである。それだけに、今後の世界を生きる人々、とりわけ若い世代の人々には、イスラームについての関心と正確な理解の深化を期待したい。

 

References

'Never-ending horror' The Economist  June 4th 2016 

"Now the Writing Starts": An Interview with Adonis, Jinathan Guyer, The New York Review of Books, April 2016

Semar Yazbek, The Crossing: My Journey to the Shattered Heart of Syria, London: Rider, 2015
 

 *
偶然の一致だが、バーミヤン遺跡の再現についてのレポート『アフガン秘宝半世紀』が放映(2015年6月13日BS1)された。チェコのプラハで開催されているアフガニスタンの遺跡展についても報じられた。アフガニスタンの美術については、本ブログでも何度か記してきた。

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終わりの始まり:EU難民問題の行方(22)

2016年05月28日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

洞爺湖(2008年サミット開催地)の夕日
伊勢志摩は暁につながるか 


道険し、戦争・難民絶滅への道
  G7サミットが始まり、あっと言う間に終わる。いったいどんな成果があったと評価しうるのか。会場となる伊勢志摩地域はいうまでもなく、日本の大都市は警察官で埋まり、かなり異様な雰囲気だった。といっても、自爆を覚悟のテロリストにとっては格好の舞台となりかねないだけに、目立った反対はなかったようだ。それだけに裏方の苦労は、計り知れないものがある。

日本で開催された先進国首脳サミットの地は訪れたことがあるが、それぞれに日本の美しさを外国からの参加者に伝える素晴らしい場所が選ばれていた。伊勢志摩は各国首脳にどんな印象を残しただろうか。会議の合間に垣間見た日本の光景とはおよそ異なる大きな政治的重荷を、参加した各首脳はそれぞれに背負っているはずだ。

  現実の議論のテーブルは、大きな問題を最初から含んでいる。G8からロシアが外れて、さらに世界第二の経済大国となった中国も参加しないで行われた(GDPでは世界の半数に充たない)先進国首脳たちの議論が、世界にとってどれだけバイアスがない公平なものといえるだろうか。当然、対ロシア、対中国の議論が一方的に行われる。中国がG20の正当性を主張するのも別の論理だ。差別観を極力減らし、公平性を保った判断を心がけるのはわれわれ国民の問題でもあるのだが、メディアの視点も多様であり、それほど容易なことではない。宣言の文言そのものが自国の利害を背負った各首脳間の考えを反映させるため妥協の表現となり、大変読みにくいのだ。時に微妙な表現に隠された意図を読み取る力量も必要となる。

核兵器廃絶に向けて:終わりの始まりとなりうるか
  今回の伊勢志摩サミットが、今後多くの人々の記憶にとどまるとしたら、なんといってもサミット終了後、現職のアメリカ合衆国オバマ大統領が広島を訪問したことだろう。サミットの流れとは別の次元の問題ではある。ケネディ大統領暗殺当時から、日米の関係をひとりの観察者として見てきた者にとって、ここまでたどり着くに70余年という歳月が必要であったという事実に改めて言葉を失う。JFKの暗殺後、歴代大統領の考えに着目してきたが、広島(長崎)訪問の機運は生まれなかった。それが、今回はアメリカ側も周到に日米国民の距離を計り、オバマ大統領の広島訪問を実現した。「謝罪」の問題は、70年余という長い年月が経過したこともあって、大きな論議にまではいたらなかった。異論はあったがこれで良かったと思う。被爆の実態をかろうじて後世に伝えうる人たちが生きている間にという意味でも、ぎりぎりの訪問だった。戦争の加害者、被害者の判別議論は、中国の王外相が南京事件を直ちに口にしたように、政治化すると、思わざる火種を生みかねない。

 ブログ・テーマとの関係で、今回のサミットの課題に戻ると、重要な検討課題のひとつであったテロリストおよび難民・移民問題は、ひとつ間違えばEUの崩壊につながりかねない危機的課題となってきた。日本はこの問題には従来一貫して距離を置き、世界で積極的役割を果たすことはなかった。今回は、日本で開催のサミットであるだけに、傍観者ではいられない。政府も急遽シリア難民を2017年から留学生として5年間で最大限150人受け入れると発表した。ヨーロッパや中東の国々の場合と比較すると、議論に入れてもらうための付け焼き刃のような感じもするが、この厳しい時代、少しでも積極面を評価したい。移民・難民問題は発生源側と受け入れ側双方の対応が必要なのだ。復興への資金拠出で解決するわけではない。日本では人手不足時代到来が反映して、急にアベノミクスのひとつの戦略として外国人受け入れ拡大が口にされるようになったが、経験の少ない国が急に窓口を拡大しても、背後にある社会との間で、大きな軋轢を生む可能性は高い。実際、日本の受け入れ制度は、かなり歪んでいて問題が多い。

ヨーロッパの命運を定める難民・移民問題
  サミット首脳宣言では「難民の根本原因に対処。受け入れ国を支援」というきわめて当然ともいえる骨子であった。すでにドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領など、政治的にはかなり追い詰められている指導者もいる。サミットのスナップショットでもメルケル首相の表情には、なにかかげりのようなものが感じられた。ある世論調査では「64%がメルケル首相の再任を望んでいない」ともいわれる

たとえば、最大数の難民、庇護申請者を受け入れているドイツでは、収容施設が限界に達している。ドイツ連邦共和国は難民としての受け入れが認められた外国人について、ドイツ語の学習などを義務付ける新法を制定したばかりだが、すでに対応に大きな支障が出てきている。たとえば、最大の難民収容施設数を持つベルリンでは住宅、教育などの面で厳しい制約が生まれている(2016年5月26日 SPIEGEL online)。メルケル首相としては、昨年今頃の高揚した気分が、次第に冷めて行くことを感じているのではないか。

 EUとトルコの協定に基づき、EUに流入する難民・移民は昨年秋をピークに、数の上では減少したが、問題自体は混迷の度合いを強め、ほとんど先の見えない泥沼状態にある。G7に先駆けて、イスタンブールで開催された「世界人道サミット」では世界におよそ6300万人の難民が存在することが認識された。祖国を失い、安住の地がなく、世界をさまよう漂泊の民である。

トルコ国内だけでも、約270万人のシリア難民が収容されている。昨年の春の段階では、120万人くらいといわれていた。1年足らずで驚くべき増加である。他方、先の協定で合意が成立した、ギリシャなどから難民認定をされず、トルコへ送還される人は、300人程度ときわめて少ない。そして、トルコにいるシリア人の多くは、高齢者、女性、子供などで、夫や父親などの男性が幸いEUのどこかの国で働いていても、合流することはできず、トルコにとどまらざるを得ない。戦争で荒廃した祖国シリアへ戻る道はほとんど閉ざされている。ドイツ連邦共和国でも、昨年1年間で100万人以上の難民が流入しており、難民による犯罪なども増加し、難民に厳しい姿勢に転じている。最近では、モロッコ、アルジェリア、チュニジアの3カ国を「安全な出身国」と規定し、これらの国々からの難民については本国に送り返すことになった。

  事態の変化はきわめて早い。EUートルコ協定が成立した段階で、トルコのダヴトグルー首相は退任してしまった。エルドアン大統領とそりが合わなかったようだ。大統領はますます専横的、傲慢になっているとEU側は感じている。そして、EU側はトルコ国民のシェンゲン域内への「ヴィザ無し渡航」(visa-free travel)について、それを認めるために72項目の条件を提示している。しかし、その充足状況はEU側からすれば、現時点では半分程度と厳しい評価だ。トルコは10年以上にわたり、この問題を交渉してきた。マレーシア、ペルー、メキシコ人などは、今日ヴィザ無しでEU域内を自由に旅行できるのに、なぜトルコは認められないのかというのが、トルコ側の不満だ。トルコは長年EU加盟を要望してきたが、キプロス問題などがあり、EUとしては難民とトルコのEU加盟を結びつけて議論することに強く反対してきた。本来、難民・移民問題とヴィザ問題は別の次元で扱われるべきものだ。しかし、難民流入に苦慮したEU側が、トルコとの取引条件としてテーブルに載せたのだ。


 人権問題などをめぐってエルドアン体制へのEU側の不満は強い。しかし、シリアなどからの難民の収容にトルコが尽力することを条件に、トルコ国民のEU域内ヴィザ無し渡航、さらに60億ユーロの支援には同意してきた。しかし、協定成立後も難民への対応は遅々として進まず、EUは不本意ながら譲歩を余儀なくされてきた。ヴィザ
問題は最短で進めば、5月4日が最近、最速の解決期限だった。しかし、到底妥協にはいたらず、EUとトルコは「互いにボールを蹴り出し合っている」。難民・移民問題の解決には、遠く、長い険しい道が続く。


References

'Clearing customs' The Economist April 30th 2016
European Commission, Towards a sustainable and fair Common European Asulum System, Brussels, 4 May 2016
Europe's murky deal with Turkey'  The Economist May 28th 2016

# PC不具合のため、脱落など、不十分であった点を加筆しました(2016/05/30 )。

 

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終わりの始まり:EU難民問題の行方(21)

2016年04月29日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 


 一時はヨーロッパ中が移民、難民で溢れかえるのではないかとまで危惧された難民・移民問題だが、3月20日EUとトルコとの間で慌ただしく取り決められた協定によって、表面的には落ち着いたかにみえる。関係国はそれぞれ対応に苦慮し、追い詰められた状況での協定締結だった。しかし、問題の根源は根深く、これで問題が解決したとは到底いいがたい。政治家が一息ついただけのこととの厳しい見解も示されている。

 この協定は、ギリシャなどに滞留する、あるいは入国を目指す難民・移民をすべてEUの域外に位置するトルコへ送還するという思い切った政策である。EUへ間断なく流れこむ移民・難民の大きな流れを、エーゲ海を介在してギリシャとトルコの間で遮断するという内容だ。EUは難民を引き受けるトルコに、シリア難民約270万人の生活環境改善のために30億ユーロを早急に支払う、さらに状況次第で2018年までに30億ユーロを追加支援することことで合意が成立した。メディアを含め多くの人々が予想しなかった協定だった。事態は平静化するかに見えるが、根源の問題は未解決のままだ

 
協定では3月20日以降にギリシャに正当な入国書類なしに不法入国した者は、ギリシャに難民として庇護申請を行わないか、申請が却下された者はすべてトルコへ送還される。トルコを訪れたEUのトゥスク大統領は「難民にいかに対応するか、世界で最善の対応例だ」と、トルコ政府を賞賛したが、トルコのダヴトゥール外相は、トルコが協定の重要部分を充足したからには、EUはトルコ国民にシェンゲン協定区域へのヴィザなし渡航を早急に認めることが重要だと、したたかに応対している。協定では、トルコはそのために72項目の条件を充足しなければならないが、半分程度がクリアされているにすぎないとの見方もある。短時日の間に、トルコはこの問題のキャスティングボートを握った形であり、将来のEU加盟を視野に入れ、EUとの交渉上優位を維持した。

 合意発効を受けて4月4日から上陸地のひとつであるギリシャのレスボス島では、密航者の送還が始まったが、約6千人の対象者のうち実際に送還されたのは、2週間ほど経過しても230人程度にとどまっている。トルコへの送還候補者の審査に時間がかかり、基本的人権の尊重についての批判も相次ぎ、EUの新たな頭痛の種となっている。とりわけ、トルコが難民を送り戻すに「安全な第3国」と認めうるかという点に議論が集中している。トルコの政治情勢は安定しているとは言い難く、難民を生みだすシリアの状況も平静化とはほど遠い。

 ギリシャ側は1人あたり15日の期間で対象者の審査を行うと述べている。しかし、実際にはすでにドイツやスエーデンに父親などが入国していて、後から来た子供や配偶者などをいかに処遇するかなど、多数の困難な問題が提示されているようだ。ギリシャの庇護申請者センターの責任者は、これはヨーロッパや我々にとって実験だと述べ、対応が容易でないことを認めている。実際、さまざまな背景から正式入国が認められない難民・移民は、国境周辺などに劣悪なキャンプなどで、国境が再び開かれる日がくるのではないかと、日々を過ごしている。

ギリシャへ到着した移民は 2016年年初から4月4日までに152,137人
37%は子供
53%はレスボス島に到着
366人がトルコ・ギリシャルートの途上で死亡
2015年の到着人数は853,650人
Source IOM

シリア、つかの間の停戦か
  5日ドイツ・ハノーバーで開催されたオバマ米大統領と英仏独伊の首脳会議でも、シリア情勢をめぐり、アサド政権と反体制派の停戦合意が崩壊の危機にあることに「深い懸念」を表明し、派生的に引き起こされる移民・難民問題がヨーロッパに重大な影響を及ぼすことが議論になった。

さらに、会議の直前に、地中海でまた密航船事故が起きている。陸路が閉鎖されてしまったしわ寄せか、4月20日リビアからイタリアへ向かっていた密航船が転覆、約500人が死亡したとの発表がUNHCRからあった。難民や移民の多くは、行く手に国境などの障壁があれば、なんとか別の経路がないかとあらゆる手立てを尽くす。危険を顧みなければ、どこかに抜け道はある。

これまで難民の多くはトルコからエーゲ海を渡り、ギリシャ→マケドニア(あるいはブルガリア)→セルビア→クロアチア→スロヴェニア→オーストリア→ドイツという経路をたどることが多かった。ハンガリーは、早い段階で国境閉鎖を行っている。その後、スロヴェニア、マケドニアなども同様の動きに出たため、難民・移民の移動経路は著しく限られ、EU東端のギリシャに滞留しがちになっていた。一時は46,00人近い難民・移民がギリシャとの国境地帯で行き場を失い立ち往生した。

 EUートルコ協定によって、数ヶ月前まで、ギリシャのレスボス島の周辺はギリシャを経由してEUへなんとか入りたいと考えるシリア、アフガニスタン、イラクなどの難民・移民を定員以上に満載したボートであふれていた。しかし、今はギリシャの沿岸警備隊、FRONTEX(EUの国境管理機関)、NATOなどの沿岸警備関係の船舶が動員され、トルコ側からギリシャへ入国しようと企てる人々を海上で規制している。確かにトルコからギリシャへの入国者は減少したかにみえるが、事態は膠着状態といってよい。

現在の状況は水道栓を強制的に閉めたような状況で、締め出された難民はヨーロッパ内部とトルコなどに滞留している。移民政策とは、単に国境の出入国管理という次元での問題ではない。想定すべきことは、国境の背後に広がる受け入れ国社会の次元を包括するものであるなければならない。出入国管理の段階では、その国が必要とする外国人(労働者)を適切な形で受け入れる。ドイツはその判断が現実離れしていた。仮に今回メルケル首相が想定した人数を受け入れることが可能としても、問題がこれほど深刻化する前に受け入れ数を調整するなどの適切な措置がとれたはずであった。それでも、ドイツは実務レベルで入国希望者の減少に様々な手段を尽くした。昨年11月では20,000人近かった庇護申請者は今年3月には2,100人にまで減少している。

大改革が必要なEU難民政策
 財政再建などを抱え、国家的危機を迎えているギリシャの移民問題大臣は今回の協定は現在の状況では最善の案だと述べた。ひとつでも重荷を下ろしたいとの思いが伝わってくる。他方、EUは加盟国の間で難民を分担して受け入れる案は当面難しいことを認識し、今回の協定案で域外を遮断する壁を設定するしかないと考えているようだ。しかし、壁を前提とした対応は、EUの理想とは大きく離反したものだ

すでに、多方面からEU-トルコ協定が持つ欠点が指摘されている。たとえば、ジョージ・ソロスは、次の4点を主要問題として指摘している:
1)この政策は真にヨーロッパの利害を代表したものではない。トルコとの交渉で、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が主体に作り出したものだ。
2)全ヨーロッパ的視点から、難民・移民問題に対処するには、資金が決定的に不足している。
3)難民(庇護申請者)の自主性を無視している。現在の対応は、難民が移住したいと思わない国の土地に割り当てて居住させる。他方、条件を満たせず母国へ送還されるものもいる。
4)既にギリシャにいる難民に十分な収容施設も準備されていない。彼らの生活環境は劣悪化がひどい。

  EUは今回のEUートルコ協定で当座を凌ぎ、難民政策の抜本的改革を進める必要に迫られている。現在の協定はいずれ破綻することが目に見えている。根幹的部分で改革が必要なのは次の点である。 

1)難民申請者が最初に入国した国で、申請を行うという「ダブリン方式」は、実態にそぐわなくなっている。2015年8月にドイツが難民に制限を付することなく受け入れると表明したことで、この方式は機能しなくなった。今回も多くの難民が最初入国したギリシャで難民申請をすることなく、ドイツ、スエーデンなど、自分の最終的に望む国で申請したいという要望が強く、制度と実態が乖離してしまった。

2)これも、メルケル首相の寛容な政策も反映して、EU諸国の特定の国に、難民・移民が集中する事態が生まれてしまった。今後、EUが存続するためには、経済力など平等な基準で、加盟国がそれぞれ、応分に難民を受け入れる政策に改革する必要がある。。

EUの副委員長のティンマーマン氏も、現在のシステムは変わらねばならないとして、”将来に持続可能なシステムを共通のルールにしたがって制度化しなければならない。加盟国のより公平な責任とEUに入りたいと思う人々に安全で法律に支えられたチャネルを準備する」と述べている。また、ドイツ連邦共和国ウルフ前大統領が、指摘するように、イスラムもドイツそしてEUの一部として受け入れられるよう寛容さを増すことが必要だ。しかし、これは現状をみるかぎり、きわめて困難な課題である。ヨーロッパでも国民の平等レヴェルが高いことで知られてきたデンマークで起きているイスラームを排除することを目指す「豚肉給食問題」のように、人々の心の中に生まれる壁を取り除くためには、教育の徹底など、多大な努力が必要になっている。移民政策は、単に国境管理、収容、送還などの域を越えて、その背後に広がる国民の心の領域にまで深く関わっている。

 

 

References
クリスチャン・ウルフ「日曜に考える」難民流入にどう向き合うか」「日本経済新聞」2016年4月24日
”All quiet on the Aegean front”  The Economist April 16th 2016
european Commission, Commuication from the Commission to the European Parliament and the Council, Brussels, April 4, 2016. 



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終わりの始まり:EU難民問題の行方(20)

2016年04月04日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

送り戻される難民・移民:追い詰められたEU

危機の連続の中で
  3月18日、EU28カ国とトルコ政府間で締結された協定で、ドイツ、フランス、イギリスなどEU28カ国の首脳は、これでひとまずEUに流れ込んでくる移民・難民の激流を東の域外国境で堰きとめることができ、当面の危機は回避できると安堵したかもしれない。しかし、危機は去ることなく、しばしの余裕もEUに与えなかった。

 EU-トルコ間首脳会議が終了して間もない22日午前8時ごろ、ベルギーの首都ブリュッセルの空港で爆発があった。さらにブリュッセル市内にある欧州連合(EU)本部近くの地下鉄駅構内でも爆発が起きた。この連続テロによって32人が死亡し、合わせて180人以上が負傷した。過激派組織「イスラム国」(IS)系のメディアは22日、事実上の犯行声明を伝えた。テロが発生した空港現場はNATO本部と5kmしか離れていない。地下鉄の駅はEU本部に近接していた。まさにヨーロッパの中心で、テロが勃発したのだ。空港は復旧に時間を要し、12日後一部のみ再開されたが、全面復旧には時間を要するようだ。EUにとっては、文字通り本丸を急襲されたような衝撃だったろう。

協定は機能するか
 昨年夏以来、混沌とした状況が続いた状況の中からやっと生まれたEU-トルコ協定 (EU-Turkey Statement, 18 March 2016)である。EU全域にわたる移民・難民の流れをEU圏の東の境界に位置するギリシャと域外のトルコを隔てる国境線でなんとか阻止、管理するという、これまで経験したことのない内容となった。しかし、きわめて短時日で合意にこぎ着けたこともあって、具体化に当たっての実務上の問題検討は間に合わない。加えて協定自体の合法性、さらに協定が果たして実際に機能しうるのかという深刻な疑問や批判が直ちに提示されている。前回ブログに一部重なるが、プレスリリースにしたがって、協定の骨子を紹介すると

1)トルコからギリシャの島々へエーゲ海を渡ってくるすべての新しい不法移民をトルコへ送還する。この対応は3月20日以降に到着するすべての移民・難民を対象とする。トルコへ送還するに必要なコストはEUが負担する。

2)この措置の見返りに、ギリシャの島々からトルコへ送還されるシリア人ひとりにつき同数のシリア人をトルコからEUが受け入れる。これまでにEU加盟国に入国したことのない者に優先権を与える。必要な手続きなどは、EUの示唆するところにもとづき、EU加盟国、UNHCRなどが定めるものによる。これらの人々の受け入れ場所は、2015年7月に協定した18,000人分とし、必要な場合、54,000人分を追加する。この数を超えた場合には、この方式は停止される。

⒊)トルコは関係諸国との協力のもとに、新たに海路あるいは陸路でトルコからEUへ入国しようとする者を防ぐことに尽力する。

4)トルコからEUへ不法区入国を企てる者が、大幅かつ持続的に減少する状況となれば、代わって自発的で、人道的な入国受け入れ計画が作動する。

5)トルコ国民がEU域内を自由に旅行しうるためのヴィザの自由化は、すべての必要要件が充足されることを条件に、本年六月末を目標に進められる。トルコ政府はその実現のために必要な手続きに努力する。6)EUはトルコ政府の協力を前提に、30億ユーロをトルコ国内の難民収容施設の充実のために支給する。さらに設備のじゅうじつなどの進捗を待って、必要ならば同額を2018年末までに支援する。

高まるポピュリズムへの不安
 このEU-トルコ協定が成立するにいたった背景には、各国の事情に差異はあったが、それを越えて合意に結集させる力が働いたと考えられる。簡単にいえば、EU主要国の指導者にとって、絶えることなく高いレベルで流入してくる難民・移民の動きが引き金となって、各国で高まりつつある外国人嫌い、右傾化、ポピュリズムの勢力拡大という政治的脅威になんとか歯止めをかけたいという思いが強く働いたようだ。政治家ばかりでなく、各国の国民がそれぞれ感じているヨーロッパはどうなってしまうのかという、漠とした不安だ。

今回、EUで最大の難民受け入れ国であるドイツ連邦共和国でも、ある世論調査では難民の問題に政府は十分「対応出来ていない」との考えが80%を越えたといわれる。難民・移民受け入れに反対する右派の支持率も12%近くになったといわれる。寛容な「歓迎」政策の維持を標榜してきたアンゲラ・メルケル首相の支持率も顕著に低下した。いずれ改めて検討してみたいが、EUの他の諸国でも、保守化・右傾化の動きは明らかに高まった。

 この協定で注目しておくべきは、EU域外に位置するトルコの存在と役割だろう。かねてからEUにはトルコへの不信感ともいうべきものがあったが、事態がここにいたっては、トルコの地勢学的な戦略上の役割に期待するしかない。ギリシャが頼りにならないばかりか、EUの”お荷物”といわれる状況にあっては、ギリシャに期待はできない。昨年来、トルコへの多大な注目と支援で、トルコの存在感は急速に増大した。「いつも笑顔の」首相と言われるトルコのダウトオール首相の顔は、渋い顔のEU諸国首脳と比較して輝いていた。しかし、首都アンカラでも自爆テロが発生するようになり、社会的混乱も増加して、最近はその笑顔もあまり見られない。

 トルコについては、「送還に適した安全な第3国」とみなしうるかについて疑問が提出されている。これまでの経緯からも、トルコからギリシャへ渡航してくる難民、移民は、入国申請などに必要な書類も保持していないか、書類偽造など入国条件を充足しえない書類しか提出しえない者も多く、しかも悪質な渡航斡旋業者も暗躍し、国境付近ではかなり混乱が生まれているようだ。国内の治安もかなり悪化してきた。

協定が意味するもの
 結局、この協定はなにを意味するだろうか。きわめて象徴的にいえば、EUという共同体の東の外壁が崩れ、全域の危機に近い状態が生まれたことについて、まずその応急措置として壊れた城壁の修復を図ったといえよう。しかし、あくまで異例の応急措置に過ぎず、どれだけの効果を挙げ得るか不明な点が多い。しかも、最前線の当事国であるギリシャ、トルコの両国ともに、国内外に財政不安、(トルコのクルド人問題など)内戦の火種となりかねない深刻な問題を抱えている。

このたびのEU-トルコ協定で、トルコはEUからの多額の資金援助を期待できるとしても、短期に目に見える効果がでてくるとは思えない。4月4日からギリシャからトルコへの送還プログラムが始まっているが、初日からギリシャやトルコの国境線付近では、国境警備官との衝突、暴動などの混乱が生まれている。EUやトルコなどの都合で、発言の機会もなく東西へ送還・収容される難民・移民の心情を考えると、やりきれないものがある。トルコにしても国境や沿岸の警備、難民収容施設の維持・管理など、果たして大きな問題を惹起することなくやっていけるのだろうか。

  今回の協定に対する根本的な疑問や反対も強まっている。最重要な批判は、この協定が、EUがその創設以来掲げてきた近隣諸国からの庇護申請者に対する人道的で寛容な受け入れに反する動きとみられることである。さらに国連、とりわけUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などから難民の集団移動(一括送還)などについて強い反対が表明された。EUの理念の根本に関わる問題でもある。

 EUは外からの圧力に加え、内部でも加盟国間の政治思想、経済格差などの差異が目立ち始め、衰退の色は覆いがたい。かろうじて分裂を回避しているような状況に近い。EUはどこへ向かうか。中心となるドイツ、フランス、イギリスなど主要国の推進力にも陰りが目立ち、混迷の度は急速に深まっている。大きな危機を生みかねない火種はいたるところにあるが、当面、不安が解消しない「EU東部戦線」(ギリシャ、バルカン諸国)からは目が離せない。EU「分裂」の可能性は依然高いが、「スーパー・ステート(超大国)」への道からは確実に遠ざかっている




References
Dalibor, Rohac, Towards an Imperfect Union: A Conservative Case for the EU (Europe Today) Paperback,  2016

John peet and Anton La Giardia, Unhappy Union: How the euro crisis-and Europe- can be fixed, London:The Economist, 2014.

"Is there 
a better way for Europe? break-up or superstate" The Economist, May 1st-June 1st, 2012.

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終わりの始まり:EU難民問題の行方(19)

2016年03月20日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 Source:Greenwich Mean Time

  もはや待ったなしの段階になったEUの難民問題について、3月17~18日の両日、ブラッセルでEU加盟国とトルコの首脳間で、危機的状況の打開策について協議がなされた。今やEUの命運を左右するまでになった難民問題だが、ここで合意された政策もEU史上、例を見ない内容となった。

戦略的見地からみたEU難民政策
 新たな政策の骨格については、前回記した通り、会議開催前から輪郭が取りざたされてきた。今回は「EUの戦略」という観点から、この難民政策がいかなる意味を持ち、どの程度実効が期待しうるかという問題について、検討してみたい(内容の関係で、前回と記事内容が一部重複する)。

ヨーロッパ大陸の東側から、絶えることなく押し寄せる難民の流れに、EU諸国は適切に対応する術を失いつつあった。自国の対応能力を超える難民の流れに、バルカン諸国からオーストリアまで、連鎖反応のように国境閉鎖を迫られた。行き場を失った難民・移民は、いたるところで閉め出され、衝突し、人道的にも悲惨な状況に追い込まれていった。

ひとつの国の力ではもはやいかんともしがたい現実が生まれた。メルケル首相のドイツといえども、例外ではなく、首相の政治的生命までが問われる段階となった。当初は人道的で寛容な難民受け入れで、国際的にも評価の高かったメルケル首相だが、その後の過程で、与党内にも反対者が増加したため、新たな方向転換を迫られていた。今回の政策は、政治的絶望状態と実務的、法的、そして倫理的な問題の山積の中から生まれた取引きとまでいわれている。混迷の中心にあったドイツとトルコが描いた素案を、EU加盟国などが不承不承ながら同意した形で成立したと観測されている。

首脳会議直前には、およそ45,000人の難民・移民がギリシャとマケドニアの国境に集中し、人道的見地からも悲惨な状況が出現していた。3月9日には閉鎖された国境をなんとか越えようとする者まで現れた。こうした切迫した事態の展開に、EU各国首脳とトルコ外相は、会議の事前にも協議も重ね、なんとか合意に達した。

重要さを増したトルコだが
 冷戦時代を通して、トルコはヨーロッパにおけるソヴィエト軍に対する拠点のひとつだった。それが、今では中東ユーラシアからヨーロッパを目指す難民に対する緩衝地帯になっている。一国ではいかんともしがたく、苦慮するヨーロッパの首脳たちと、自国の地政学上の位置を、EUに対する交渉力拡大に使いたいトルコ首脳の利害が、難民を介在して結びついた。その結果、EU、加盟国およびトルコが合意した内容は次のごとくである。

検討素案の基軸とされたのは、難民・移民を餌食とする密航斡旋業者 people smuggler に打撃を与え、壊滅に追い込むことだった。 今回の合意では、3月20日以降、トルコからギリシャへの密航者はすべていったんトルコへ送還され、トルコ国内に滞留している庇護申請者の最後尾に位置づけられ、資格審査が行われる。密航斡旋業者の撲滅を出発点としたことは、議論が複雑化することを回避する意味では、賢明であったかもしれない。

さらに、すでに5年にわたるシリア内戦の過程で、270万人に達したといわれる難民を国内に収容するトルコの負担を軽減するため、トルコへ送り返される密航者一人に対して、トルコで正式な庇護申請手続きを経たシリア難民一人(1対1)が、EUの正式の移住プランの下、EU各国で受け入れられる。

もしこの通り事態が進行すれば、難民・移民は密輸業者に多額の金銭を支払い、危険な海上の旅をすることなく、正式に定められた庇護申請の過程を選択するようになると推定されている。

トルコ側にもEUとの交渉を難しくしている要因がいくつかある。トルコのエルドアン大統領が今月に入り、政府に批判的な新聞を政府傘下に接収してしまった。トルコとEU加盟国キプロスの対立も挙げられる。トルコの軍事介入があって、1974年親トルコの北キプロスが独立を宣言し、国家分断の状態が存在する。トルコはキプロスを国家として承認していないので、キプロスもトルコのEU加盟に反対してきた。最近頻発しているアンカラ、イスタンブールなどでの自爆テロともみられる事件も、社会不安を煽る原因になりつつある。

こうした状況にありながら、トルコはメルケル首相との政治交渉で、かなり有利な条件を確保したとみられる。昨年10月に決まった33億ドルの支援の支払い繰り上げに加えて、今後3年間にトルコ国内の難民収容施設の改善などのために同額の積み上げを獲得した。懸案のトルコ国民のヨーロッパへのヴィザなし渡航の許可、トルコの将来のEU加入を図るための枠組み交渉の再開なども、トルコにとっては評価される点だろう。

かくして、今回のEUとトルコの協調的難民政策は、多数の問題を含みながらも、考え得るかなり思い切った内容になっている。もはや一国では国境を閉鎖する以外に対応能力がないEU加盟国が、EUという共同体の枠組みを維持しつつ、難民・移民の流れに対応するため、域外との障壁を再構築し、トルコという域外の国に緩衝地帯としての役割を期待する構想だ。

現在はEUの域外に位置するトルコに、ヨーロッパの門衛 gatekeeper の役割を果たすことを委託する。それによってEUとしては、制御されることなく流れ込んでくる人の流れを管理し、現在EU各国に起きている反移民・難民のポプピュリズムとそれに起因するEU統合を破壊する動きを抑えこむことを目指す。広範な地域と当事者を包括するシステムとして、さまざまに露呈する問題を体系化して解決したいという狙いだ。政策的にはひとつの体系を確保したといえる。しかし、実効性という点では、多くの問題が残る。

トルコへ送還されるか 
  昨年EUを目指した難民・移民120万人のほとんどは、トルコあるいはイタリア経由であった。
しかし、EUで設定した16万人の受け入れ枠自体、ほとんど埋められていない。そして、大きく見過ごされている問題は、対象となる難民・移民の状態だ。自分たちの意思が反映しない段階で、あたかも「物品」のように集団移動、送還などが定められる。国際法、人道的見地などからすでに批判の対象になっている。実務上も、誰が海上の送還を担うかという難しい問題が残る。現在、エーゲ海域に派遣されているNATOの艦船を使用することは、適切ではないだろう。しかし、ギリシャ、トルコ双方の沿岸警備の連携はかなり難しいことがすでに指摘されてきた。

これまでEUの難民政策の先頭に立ってきたドイツのメルケル首相は、「後戻りできないような勢いを持った合意に達した」と、成果を強調した。しかし、国連、法律家などから、トルコを庇護申請者にとって”安全な”第3国とすることには、異論や疑問が提示されている。

トルコ國民にEU域内の自由な旅行を認めることにも、異論が出ている。トルコは生科学技術によるパスポートの開発・導入など、70件近い条件をクリアする必要がある。アンカラ、イスタンブールなどで頻発している「自爆テロ」の事件も、トルコを難民・移民のプールとすることに警戒心を生む材料になっている。しかし、問題は時間との勝負でもある。春になり、移動の環境が改善されれば、難民・移民は増加することが予想されている。新しい移民ルートも生まれかねない。EUにとって、とりうる選択肢は急速に少なくなっている。


Reference
”A messy but necessary deal”  March 12th The Economist

 

 

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終わりの始まり: EU難民問題の行方(18)

2016年03月16日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

Source: BBC photo 


非力なEUに翻弄される難民・移民
  ヨーロッパ大陸を東から西へ、ひたすら歩み続ける人々。大人も子供もほとんどリュクサック程度しか持っていない。誰もが絶望にうちひしがれ、疲れ切った顔だ。延々と切れ目なくつながる人々の流れは、TVなどの映像でも幾度となく放映された(難民問題に関心の薄い日本人にも、その苛酷さはかなり伝わったようだ)。その流れに決定的ともいえる大きな変化が起きた。ギリシャから隣国マケドニアに入国する国境が突然閉鎖されたのだ。最後に残された陸路だった「バルカン・ルート」と呼ばれるその道は、ギリシャからドイツやイギリスへ向かう難民・移民にとって残されていた唯一の経路だった。ヨーロッパの中央に大きな石が置かれたかのように、東から西への陸路は断ち切れてしまった。強引に国境突破を図る人々と国境警備官の間で紛争が起きている。難民もEUも、時間的に追い込まれている。

難民問題にこれまでほとんどなにひとつ実効が挙げられなかったEUは、3月7日、EU加盟国とトルコとの首脳会談をブラッセルで急遽開催した。12時間あまりの協議の結果、最終的協定にはいたらなかったが、EUを代表して、ドナルド・テュルクフジ氏は、「不法移民が続く日々は終わった」とだけかろうじて話すことができた(しかし、現実には終わっていないのだ)。シリアなどからトルコを経由してギリシャへ入国してくる難民、移民を審査の上、経由地のトルコへ送り返す案で大筋合意が成立した。命をかけても海を渡り、憧れの地へたどり着きたいと山野を歩いてきた人たちの多くを、トルコまで送り戻すという構想だ。

「絶望的な時、絶望的な対策」(The Economist March 12th 2016)と評される合意だった。その合意を支える考えは次の通りだった。あの多くの人々の命を奪ったトルコからギリシャの島々へ、エーゲ海を渡った人たちの短いが危険な旅路を思い起こす。今年だけでもすでに320人近くが溺死したといわれる。それでもかろうじてギリシャにたどり着いた人たちをトルコへ送り戻すという提案だ。EUの考えの根底には、トルコからギリシャへ危険な渡航をさせ、多額の金銭を奪う業者 human traffckers のシステムに打撃を与えるということもあるようだ。それによって、ギリシャを経てEUの中心部を目指す難民・移民の流れを大幅に減少させたいという考えである。

しかし、その合法性、具体化について各国からたちまち異論、疑問が頻出した。EUは3月17日からの首脳会議で改めて正式合意を目指しているが紛糾は必至だろう。

3月7日の段階では、トルコがギリシャから送り返されたすべての(要件を満たしていないとされた)難民、移民を受け入れる代わりに、EUもシリア難民を同数受け入れる。そして、以前からの要求でもあったトルコ国民のEU加盟国へのビザなし渡航の自由化を6月末に前倒しする、さらにこれも懸案であるトルコのEU加盟の枠組みの検討などが盛り込まれた。

トルコに送り返された難民・移民の中にシリア国民が含まれる場合、ギリシャ国内に残されている同じ人数のシリア難民を、EU加盟国が「見返り」の形で受け入れるとしている。まるで人間のバーター協定である。

EUを主導し、強い意志で交渉の前線に立ってきたドイツのアンゲラ・メルケル首相も、自国の重要な諸州での選挙、そして彼女自身が主導してきた難民政策への国内での批判の高まりに対処しなければならない。政治的にも、今の政権体制を守り切れるかの瀬戸際にある。

激動のトルコ
 他方、トルコも予想もしなかった出来事に国が大きく揺れ動いている。3月4日には、政府側は国内最大の新聞社 Zaman を国家管理の下に置くという暴挙に出た。エルドアン大統領の反対勢力を抑えこむ目的である。これに対する国際的批判が高まっている。

こうした状況下、EUのトルコへの対案は驚くほど寛容なものだ。昨年10月に約した33億ドルの支援を繰り上げるとともに、その額もほぼ倍増することに同意した。今後3年にわたり、トルコ国内の劣悪化した難民キャンプの改善などに当てる目的とされている。 EU自体が分裂の危機にある段階で、文字通り綱渡りの交渉である。この交渉の内容は、改めて3月17日からの首脳会議で議論され、正式合意を取り付ける必要があるが、すでに多くの批判が高まっている。トルコはEUの苦渋につけ込んだ感があったが、実情は果たして難民の秩序ある管理などの実行能力があるか、はなはだ疑問だ。国内の正常不安は拡大しており、トルコは新たな騒乱の場となりかねない。

密航した難民を一律に送り返すこと自体の適法性についての懸念が首脳会議などでも提起された。ザイド国連人権高等弁務官も9日、「集団的かつ独断的な追放」は国際法上、違法の可能性があると指摘した。トルコが「安全な第3国」であるかについても、法律家を中心に異論が続出している。

右往左往」のEUと流浪の民
 EUそして加盟国の首脳は、昨年来問題解決のために、「東奔西走」の働きをしているかにみえるが、ほとんどは「右往左往」の状態で期待する効果はあげられないでいる。それ以上に、人道的に最も気の毒なのはヨーロッパ各地で流浪の旅を続けている難民たちだろう。EUにとどまることを認める権限は誰が保持するのか。そして、審査で難民と認定されない場合は、遠路トルコへ送り戻される。その輸送手段についても多くの問題がある。この難民問題がクローズアップされた契機として、ギリシャの海岸に溺死体として打ち寄せられたシリア難民の子供の姿がEUの多くの人の涙を誘ったシーンにあった。しかし、今やEUがシリア難民を波打ち際で蹴飛ばしている風刺画が出るほどだ(The Independent紙)

EU・トルコ間の首脳会談が終わってから日も浅い3月13日に、トルコの首都アンカラで大きな爆発があり、37人が死亡するという事件が発生した。半年で3回という。トルコはエルドアン大統領、ダウトオール首相などが、テロリストの壊滅を図るなどの声明を出したが、今後のトルコの役割と実効性に大きな暗雲を投げかけることになった。トルコ政府などからの弾圧対象となりうるクルド系住民のEUへの脱出への対処など、新たな問題が生まれるかねない。

  「パンドラの箱」を開けてしまったEU 
  これまで、難民でEUが分裂すると考えていた人は、識者と言われる人も含めてきわめて少なかった。金融・財政、国際競争力などに関わるシステム、運営能力の欠点や劣化が、危機を生む要因と考えられてきた。歴史、国民性などが異なる国々が「人の移動」の障壁まで取り払うというEUの理想の実現途上で、こうした事態に陥るとは考えなかったのいうのが、指導者の思いでもあったのではないか。加盟国の拡大を急ぎすぎたという批判もあった。

しかし、大きな混迷は域外からの難民流入という予想もしなかった外的要因でもたらされた。しかも、分裂、混迷は驚くほど短期間に進んだ。問題は政治、経済、社会などあらゆる面に波及した。外国人との共存など、これまで耐えて、克服しようとしてた問題が一挙に噴出した。まさに「パンドラの箱」を開けてしまったのだ。

まもなく開催されるEU首脳会議はかなりの激論が予想されるが、そこで同意が得られたとしても、ほとんど実質的に分裂したEUの再生につながるとは到底思えない。最初の段階で提示された国別の難民受け入れ割り当ての問題すら未解決のままである。解決の主要な立役者であったドイツ、そしてアンゲラ・メルケル首相、交渉相手となるトルコとエルドアン大統領の立つ基盤、そして政治環境はこの1年くらいの間で著しく変化し揺らいでいる。暗転ともいえるほどだ。EU設立の原点に戻り、新しい時代への構想を作り直す必要があろう。しかし、その過程の先は見えがたい。

最も悲惨なのは、ギリシャ経由トルコへ送還される、シリア、アフガニスタンなどからの難民認定をされない人たちの今後だろう。シリアの内戦停止の兆しはロシア軍の撤退などで、かすかに見えるほどだが、国土に明るさがみえるまでには長い年月を必要としそうだ。焦土と化した祖国へどれだけの人々が安住の地を求めるだろうか。ひとたび開かれてしまった「パンドラの箱」が閉じられることはない。

 

今回の難民・移民問題の深刻さに、多くの検討会議やシンポジウムの企画・設定が世界中で行われている。筆者のところまで余波が押し寄せてくるほどだ。しかし、それらの検討結果がある程度の収斂を見るまでには長い時間を要するだろう。国境の存在を日常あまり意識していない日本だが、北朝鮮などの状況次第では、難民の津波が発生しないとは断定しえない。

References

"Desperate times, desperate measures"  The Economist March 12th 2016
"EU and Turkey reach migrant deal-but delay final decision until nexy summit" The Independent digital.
Der Spiegel, various issues
BBC
ZDF heute 


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終わりの始まり:EU難民問題の行方(17)

2016年02月28日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方


バルカン・ルート(西側)
Source: BBC 


報道が追いつけない事態の変化
 TVなどのドキュメンタリー番組、中には先見性の高い優れた作品もあるが、大方は事件の発生など、現実が変化した後を追う番組である。そのひとつの例がEUの難民問題である。番組の構想が具体化して制作している間に、事態はそれよりもはるか先に進んでしまっている。たまたまNHKのBS1(2016年2月28日)『難民クライシス』前後編を見る機会があった。周回遅れの後追い番組で、迫力がなくなっている。全般に再放映番組が多くなり、世界の変化を体系立てて迅速に伝えることができていない。日頃からしっかりとした構想を持ち、現代社会の多様な変化に柔軟に対応できる制作組織が、とりわけ公共放送には必要と思われる。

このブログ記事が最近やや細部に立ち入っているのは、小さな試みながら事態の変化を系統的に追って、間隙を埋めておく必要を感じたことにある。日本が、難民・移民に対応しなければならない日は、人口減少への対応を含めて不可避的にやってくる。その時に備えて、いかなることを予期しておかねばならないか。不測の事態が発生すれば、移民・難民受け入れの経験が浅く、国境線の長い日本は、その対応に苦慮することは明らかである。

さらに深まるEUの亀裂
  2月24日、経験したことのない衝撃がドイツ、そしてブラッセルのEU本部を襲った。といっても、天災、地震ではない。ドイツもギリシャもEU(ブラッセル)も招かれないミニ・サミットがオーストリアの首都ウイーンで開催された。主催したのはオーストリア政府であり、招聘されたのは、バルカン地域の諸国の外相、内相だった。参加国はアルバニア、ボスニア、ブルガリア、コソヴォ、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、スロヴェニアなどのバルカン諸国だった。

ウイーンでのバルカン諸国を主体とする会議について、ギリシャとオーストリアの間にはたちまち論争が起こった。ギリシャは大使を本国へ召喚し抗議した。他方、こうした会議をウイーンで開催することについて、オーストリア政府は、これまでEUの難民政策を主導してきたドイツの政策は”矛盾している”と非難した。ドイツの隣国であるオーストリアは、ドイツを目指す難民のかつてない流れに接し、ドイツが入国制限をしないならば、バルカン諸国などの協力で自国が難民の通過経路、滞留地になることを防ごうと考えたのだろう。それにしても、ドイツ、ギリシャ抜きの会議は拙速であったと考えざるをえない。

今年最初の2か月でヨーロッパにやってきた難民(庇護申請者)は11万人を越えた。バルカン諸国のみならず、ヨーロッパのかなりの国が難民・移民受け入れを制限する動きに出ている。こうした変化について国連は、EUのような地域共同体の中で、ある国が入国制限をすると、大きな混乱を生むと警告した。EU(ブラッセル)は、こうした会議はヨーロッパ、特に第二次大戦後最大の難民危機の最前線に位置するギリシャにとって、”人道的危機”をもたらしかねないと警告した。

「閉ざされる人道的回廊」
   これまでの難民の経路からみて最も大きな衝撃を受けたのは、EUの東の入口に位置するギリシャだった。当然と思われるが、ギリシャはこのバルカン諸国の緊急会議に招聘されなかったことに強く抗議した。ギリシャの外務大臣はこうした会議は「一方的でしかもまったく友好的でない」と述べ、オーストリアの行動は、危機に対するヨーロッパの共同の努力を台なしにする反ヨーロッパ的なものだと激しく非難した。そして閉鎖されてしまういわゆる「バルカン・ルート」は「人道的な回廊」であり、もし閉鎖する必要があるならば、EUなど関係国の協議の下に決定されるべきで、少数の国の利害だけで決定されるべきではないとした。ブラッセルのEUはオーストリアの名前に言及することは避けたが、EUの難民についてのルールは尊重されるべきだとコメントした。

EUは、庇護申請者の受け入れ数について上限は設定されるべきではないと当初から強調してきた。 国際的に、保護を必要とする人間を受け入れる義務があるからだという理由である。さらに、昨年10月25日に開催されたミニ・サミットの決定に従い、西バルカン諸国の協力を必要とすると声明していた。

前回記したように、ハンガリー、ポーランドなどからなる「ヴィシェグラード・グループ」は、ギリシャの国境で難民を抑止するというEUやメルケル首相の構想とは異なったBプランを提示し、中・東欧で難民の流れをブロックする動きに出ている。EUとしての統一性はすでに失われている。

財政危機に加えて、難民危機という重荷を背負ったギリシャは、今回の会議に強く反対するとともに、理由として同国に滞留する難民・移民が、人身売買業者やブローカーの最初の目標にされると反対している。直近の例では、ギリシャでは、2月22日隣国マケドニアが唐突にアフガニスタン人の入国を制限したため、数千人が行き場を失い、ギリシャ国境付近に滞留する事態を経験した。マケドニアの国境はすでに有刺鉄線や強固な金網で閉鎖され、マケドニア側の国境警備隊と催涙ガスが使われるなど、激しい衝突を起こしている。マケドニアの国境を力で突破しようとするグループもあるが、入国してもその後はまったく保証されていない。

ウイーンでのバルカン諸国会議は一連の宣言を決定して終了した。その中には西バルカン・ルートに沿った難民の流れは大幅に削減されるべきだとの主張があり、参加国は「旅行の書類を携行しない者、偽造あるいは虚偽の書類、国籍あるいは本人確定に必要な事項に不正な記載をした者」の入国は認めないなどの主張が含まれている。

こうして、シリア難民などがドイツやイギリスを目指す陸路は閉ざされることになった。この状況で、これらの国を目指す難民にとって、移動手段は海路か航空機による空路しかない。しかし、人身売買のブローカーなどが暗躍していて危険な海路を勧めたり、高価な航空券を売りつけたりしている。しかし、目的地に到着できたとしても、入国を許されるか、保証はない。

混迷深まる近未来
 3月7日に予定されるEU首脳会議までに解決できないと、EUの自由な移動を保証するシェンゲン協定は破綻する。仮に暫定的制限としても、これまでの事情からすると、早期に復元の可能性は少ない。人のEU域内の自由な移動は、EUの理想の象徴であった。それが、ほとんど国別に有刺鉄線や高い障壁、そして厳しい入国審査で遮られた旧体制のような国ごとのヨーロッパに戻りつつある。しかも、外国人嫌い(xenophobia)など極右の政党が勢力拡大を見せているヨーロッパである。歴史家ジャック・アタリは、TVでこの危機を乗り越えれば、ヨーロッパの未来は明るいと述べているが、その言葉がかなえられる日はいつのことだろうか。

 


References
NHKBS1(2016年2月28日)『難民クライシス』前後編
”No way out” The Economist  February 27th 2016
"Radicals Recht". The Economist February 27th 2016 
ZDF  

EUは3月2日、ギリシャなど難民受け入れなどで負担の大きな加盟国に3年間で7億ユーロ(約862億円)の緊急支援措置を決めた。難民問題の根源は今回の場合、シリア内戦の終結にある。その見通しが不明なままに行われる受け入れ国側支援の評価は難しい。さらに、現在はEUの域外国であるトルコに多大な期待をかけることにも限度がある。EUとトルコは7日、難民問題を主題とする首脳会議を開催する。トルコへの不法移民送還も議題となるようだ。EUのみならず、ドイツのメルケル首相の発言力も急速に低下し、再出発点を見出すまで混迷の日が続くことになりそうだ。


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終わりの始まり: EU難民問題の行方(16)

2016年02月19日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

ヴィシェグラード・グループ諸国
(Source:Wikipedia photo) 



 イギリスのEU離脱問題(Brexit: Britain Exitk からの造語)が主要議題となった2月17日からのEU首脳会議は、なんとか妥協点に達したようだ。結果はかろうじてイギリスの離脱回避で合意が成立、EUの突然の分裂を防いだ形だが、6月23日のイギリスの国民選挙までのつなぎであり、波乱含みだ。すでにボリス・ジョンソン、
ロンドン市長などが離脱に賛意を表明しており、選挙に向けて急速に議論が高まっている。

EU首脳会談についても、メディアの発達で、キャメロン首相の執拗なまでの折衝能力、この機会をEUの要求緩和に利用しようとする火事場泥棒的にもみえるギリシャの首相など、土壇場での慌ただしさが伝わってきた。しかし、そこにはEUが掲げてきた理想主義の色はもはやなく、なんとか分裂だけは回避したいという追い詰められた雰囲気しか伝わってこない。

大きく後退するEU
  最大の焦点イギリスに関しては、EU域内からの移民について福祉給付制限をするなどのおなじみの議論が紛糾したが、最大の課題ともいうべき現在進行中のEU全域にわたる難民・移民問題は、政策上も目立った前進はなかったようだ。日本から距離を置いて眺めると、EUがかつての理想を失い、分裂寸前の末期的状況にあることがよく見えてくる。加盟国のいずれもが、自国の利益を守ることに忙殺され、もはや全体が見えなくなっている。

EUの分裂は実質的にもかなり進んでいる。いわゆるヴィシェグラード・グループ(Visegrad group, V4とも略称;ポーランド、チェコ共和国、ハンガリー、スロヴァキア)は、すでにEUとメルケル首相が提示したEU加盟国が分担して割り当てられた難民を受け入れるという案に反対することで同調している。そして、ギリシャとトルコがEUとメルケル首相が提示する難民流入制限案を支援することが十分できないならば、バルカン・ルートの国境線をさらに強化すると宣言している。これに先立ち、ハンガリーのオルバン首相はドイツの難民への寛容な対応について、テロリズムと恐怖を拡大させると批判、反対している。ドイツ、フランス、スエーデンなど、難民・移民が目指す国々への道の入口に中東欧諸国という巨大な石が置かれたような状況が生まれている。中東からヨーロッパの中心地域へ向かう経路は著しく狭められた。

こうした中東欧諸国、V4グループの難民への閉鎖的な"Bプラン"(シェンゲン協定が破綻、特にギリシャが退出した事態への対案)をメルケル首相は、新たな障壁をEU域内に築くことになり、特にギリシャにとっては一層の危機的状況を作り出すと強く反対している。メルケル首相は難民受け入れをある程度許容する有志の国々が、なんとか少しでも受け入れてくれることを望んでいるようだが、その期待もきわめて厳しくなった。すでにスエーデン、フィンランドは、難民受け入れの限度に達したことを表明し、庇護申請の基準に合致しない者を送還するとしており、デンマークのように、移民から一定の財産などを徴収するとしいう国まで出てきている。

東部戦線は混迷
 冬の最中にもかかわらず、EUへ流れ込む難民・移民の数は顕著な減少を見せていない。移動が楽になる春以降、その数はさらに増加を見せるだろう。難民をめぐる状況は、このシリーズを書き始めた当時、ほぼ予想した方向で展開してきた。その後、不測の事態も加わり、格段に混迷の度を深めた。EUの「東部戦線」は、現実に戦場に近い状況になってしまった。

ロシア航空機の撃墜事件から、トルコとロシアの対立が深まった状況で、2月17日にはアンカラで大規模な自爆テロが発生し、一時期安定化の様相を見せていたトルコの政情は一挙に悪化した。加えて、シリア内戦の停戦への動きもアメリカとロシアにかかわる部分であり、ISなど過激組織や反政府グループとの関係は今後も不明のままに残されている。難民発生の根源を絶つには程遠い。

メルケル首相が望みを託してきたトルコに難民・移民の流れに対抗する東の砦の役を期待し、これ以上のEUへの流入をなんとか抑止したいとの構想は、今回の会議でも進捗がなかったようだ。

メルケル首相の考えは、EUのトルコ支援と引き替えに、トルコ政府がトルコからエーゲ海を渡ってEU圏内のギリシャへ入国することを極力抑止するという内容だ。しかし、その前提にはトルコからEUに直接入ってくる難民を加盟国が、それぞれの割り当て数を引き受ける責任を負うという問題がある。しかし、その考えはすでに実効性を失ってしまった。たとえば、オーストリアは2月17日から受け入れる難民庇護申請者の数を1日3,200人とするという制限を導入した。さらに、数週間のうちに国境を閉鎖するという措置に移行することをブラッセル(EU)とバルカン諸国に通知した。また、フランスもこれ以上の割り当てには応じられないとしている。EU加盟国の過半数がメルケル構想に反対している状況になった。

他方、EUを主導してきたメルケル首相はこの段階でも強気であり、「戦争、恐怖、迫害から逃れてくる人々に救いの手を差しのべることに90%のドイツ国民は、反対ではないはずだ」と述べてはいるが、現実との乖離はいかんともしがたい。政治家としての旬の時が過ぎたのかもしれない。メルケル引退説も聞かれるが、少なくも現在の難民問題には形をつけねばならないだろう。

トルコ、ギリシャへ期待するが
   EU加盟国の多くが、難民割り当ての引き受けを拒否し、さらに国境封鎖を含む管理強化に動いたことで、メルケル首相やEUの流入抑止の重点はトルコの協力をとりつけることに移った。しかし、そのトルコが内政、外政共に混迷の度を深めている。

トルコと並んで注目されるのは、ギリシャの動向だ。もし、ギリシャがシェンゲン協定から除外され、人の自由な移動が認められないことにでもなると、きわめて深刻な問題が発生する。ギリシャはトルコとの海域をめぐり沿岸警備が十分実行できていない。EUはギリシャに3ヶ月の間に沿岸の警備体制を改善するよう指示している。

メルケル首相は、トルコにEUが資金を供与し、難民の収容施設などを設置、拡充し、トルコは代わりにエーゲ海をギリシャへと渡る難民の数の減少に努力するという構想を示してきた。

さらにシリア難民などが増加するような状況次第ではNATOがトルコ・ギリシャの沿岸警備などに参加し、トルコの沿岸警備隊と協力して、トルコからギリシャへの不法入国者などを取り締まり、トルコへ送還することも考えられている。トルコはNATOのメンバーでもある。しかし、トルコはすでに200万人近いシリアなどの中東難民を自国内に収容しており、内政も複雑化し波乱含みになってきた。

すでにEU各国に入っている難民・移民の審査だけでも数ヶ月を要するといわれ、難民・移民の流れが沈静化するには未だかなりの時間を必要とするだろう。これまで、難民、庇護申請者と移民の概念については、あえて深く立ち入らないできた。論じなければならない多くの問題が存在するのだが、シリア、アフガニスタンなどの中東あるいはアフリカからの難民の増加とともに、現実の審査の過程における実務的区分は、きわめて困難さを増したようだ*2。近年、浮上しつつある最大の問題は、テロリストの判別を別としても、難民(庇護申請者)の出身母国(およびその実態)よりも、受け入れ国の政治・経済上の判定基準が重みを増していることにある。



このグループは、彼らの国々のEUへの統合度をさらに高めること、軍事、経済およびエネルギー面でも協力することを目的としている。Visegardの名は1335年ボヘミア(現在のチェコ共和国)、ポーランド、ハンガリーの領主たちが集まった小さな城砦都市に由来している。1991年にチェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランドの首脳が同じ町に集まり、新たに設置した。チェコスロヴァキアは1993年の分離後、それぞれ加入した。これらの4カ国は2004年にEUに加盟を認められた。これらの東欧4カ国はブルガリアとマケドニアが移民・難民の流れを迂回させるため、ギリシャとの国境管理を強化する動きを支援することを表明している。

*2
ドイツ連邦共和国のガブリエル副首相は、アルジェリア、モロッコ、チュニジアは、今日では庇護の対象となる可能性がきわめて少なくなったこともあり、今後は国情が「安全な国」 "safe countries of origin" とみなされるだろうと述べている。フィンランドのように、2015年は32,000人の庇護申請者があったが、そのうちおよそ65%は申請に対して否定的な回答を受けとることになろうと政府関係者が言明している。スエーデンの場合は、163,000の庇護申請の約半数は却下されるだろうとしている(The Guardian Februay 29, 2016)。


References
“European states deeply divided on refugee crisis before key summit” The Guardian 18 February 2016
"How to manage the migrant crisis and keep Europe from tearing itself apart" The Economist February 6th-12th 2016 
ZDF 

 

 

 

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終わりの始まり: EU難民問題の行方(15)

2016年02月02日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 
DER SPIEGEL Chronik 2005
 


EU基盤に亀裂進む
  EUの国境管理システム、シェンゲン協定は、ヒトの域内における自由移動を保証するという画期的な協定であり、長らくEUを支える強い基盤となってきた。しかし、このたびの難民問題の深刻化に伴い、いまやその基盤には多くの亀裂が生まれ、EUが分裂、共同体としての結束力を失いつつある。中心となってEUを牽引してきたドイツの指導力、そしてメルケル首相の退陣時期も視野に入ってきた。

新年に入って間もない1月15日、アムステルダムにおいてシェンゲン圏26カ国の外相会議が開催された。会議の雰囲気は全体として沈鬱なものだったようだ。シェンゲン協定はほぼ20年間にわたり機能し、EUの地域共同体としての象徴ともいえる重要なシステムであった。このたびの難民問題で、その機能は半ば停止し、消滅寸前の危機にある。しかし、システムを完全に放棄する前に、2年間に限り施行停止をすることができる。すでにその方向へシフトした加盟国もある。
 
アムステルダム会議では加盟国の外相がそれぞれ協定の存続の困難さを述べたようだ。主催国オランダの移民大臣は、移民・難民の急激な増加によって国境を従来通り維持することは困難であると述べた。
 
オーストリアの内務大臣は、8時間にわたる協議の後、「シェンゲンは破綻の淵に立っている」と述べた。実際、オーストリアは2015年の難民申請者のうちで、ドイツ、スエーデンとともに3カ国で昨年の難民申請者の90%近くを受け入れてきた。新年に入って1月31日、オーストリアはスロベニアとの国境管理を復活した。これによって難民関係者の間でいわゆるバルカン・ルートとして知られる経路が制限された。オーストリアは次の4年間に予定する受け入れ数に上限を設けることも決めた。スエーデンも同じような制限を導入した。ドイツも2年間、国境管理を復活させるか検討中といわれる。
 
こうした議論の過程で、EUの東部に位置するギリシャへの批判が高まっている。ギリシャはヨーロッパでも有数の海軍を擁している。トルコと協力すれば難民のEUへの多数の流出などの点で、もっと有効に沿岸警備ができるはずだというのが、EUの多くの国が考えることだ。新年に入ってからも、トルコからギリシャへ渡った難民のは35,000を超える数になり、昨年の同期の20倍以上に達している。

破綻している東部戦線 
 EUとトルコの協定も実行される気配がない。しかし、イタリア、ルクセンブルグ、EU委員会などは、ギリシャを罰したり、シェンゲン・システムから追放することには賛成ではない。他方、ギリシャにも言い分はある。EUからギリシアは自国の再建のために厳しい緊縮策を実施するよう圧力をかけられている上に、EU全体の危機でもある難民問題まで多大な責任を負わされるのは横暴ではないかと考えるのだろう。
  
最大の問題はドイツの力、とりわけメルケル首相が3月半ばの連邦政府選挙までにどれだけのことができるかだ。難民の波は依然として続いており、目指した国に受け入れられずに送還される流浪の民として、ヨーロッパをあてどもなく、さまよう人々の増加、1万人を越えるといわれる行方不明の子供たちなど、新しい問題も表面化してきた。難民や移民の希望者を餌食とする人身売買ブローカーの取り締まりもいまのところ実効がみえていない。

ドイツ連邦共和国の連立与党の党首の間には、「歌舞伎の所作」といわれる微妙なやりとりが交わされている。メルケル首相は依然としてドイツが受け入れる難民(申請者)の数には上限はなく、現実には110万人近くが想定されているともいわれている。しかし、彼女もその数は「減少」させる必要があることをほのめかしている。他方、連立の相手方CSUの党首が現実に考えているのはかなり低い水準の20万人くらいのようだ。事態がここまでにいたれば、お互いにどの辺で折り合うのかは、意中にあるのだろう。それを明言することなく相手に気づかせるのがドイツ流「歌舞伎」らしい。
 
EUが抱える問題の重みを考えると、EUはいまだメルケル首相の指導力を必要とするだろう。しかし、厳しくなった環境において、不屈の女性宰相にもさらに踏み込んだ決断の時が迫っているようだ。
 
 
 




References
EU border controls: Schengen scheme on the brink after Amsterdam talks, the guardian, Jauary 26 2016
'Kabuki in the Alps.' The Economist January 9th 2016.
 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 
 
 
 
 
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終わりの始まり:EU難民問題の行方(14)

2016年01月28日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 


突然の逆風:アンゲラ・メルケル首相は耐えうるか
 新年を迎えたばかりの1月22日、エーゲ海でまた難民・移民を乗せたボート3隻が転覆、子供を含む45人が溺死した(追記:1月30日にも、子供5人を含む30人の難民がボート転覆で死亡)。この他にも数十人の行方が不明と伝えられている。スエーデン、オーストリアなど、これまで難民、移民に寛容といわれてきた国々の対応が厳しくなった。しかし、ヨーロッパを目指す人々の流れが減少する兆しは見えない。新年に入って、ヨーロッパ全体ではすでに3万人を越えた。

難民受け入れに主導的役割を果たしてきたメルケル首相は、2015年大晦日から新年にかけて、恒例の年頭演説で、昨年およそ110万人の難民申請者がドイツにやってきたことを指摘した。さらに、彼ら難民はドイツの経済と社会に利益をもたらす「明日につなぐチャンス」であると強調した。メルケル首相は、難民は戦後ドイツが掲げる人道的立場と成果に期待していると述べて、英語とアラビア語で文書配布も行った。

メルケル首相は、依然として「難民の受け入れ人数には上限を設けない」としている。他方、ドイツのガウク大統領は、難民政策の再検討を進めていることを明らかにした。今回に限らず、難局に出会うと、メルケル首相は決まって、wir schaffen das ”なんとかします”という常套句とタフな対応で解決してきた。しかし、今回は、予想外の出来事に翻弄され、政策対応も遅れ、政治的にもかつてなく追い込まれている。実はメルケル首相だけが問題を背負い込むことはないはずなのだが、フランスなどの主要加盟国、そしてブラッセルのEUがあまりに非力なのだ。

予想を上回った難民数
  問題を悪化させた要因の一つは、その数の多さであった。これだけ多数の難民が流出したことについては、シリアなどの破滅的環境悪化が最大の要因だが、メルケル首相のやや非現実的な寛容さが流出を加速したことも事実だ。事態の急変を認識したメルケル首相は、受け入れの上限設定は否定しながらも、具体的には現実ベース realpolitik で対応しようとしている。

彼女がもっとも期待をしているのは、EUによるトルコへの資金支援などを通して、EUへの難民流入をなんとか減少させる仕組みをつくることだ。しかし、トルコの政治環境の不安定化もあって、思うようには進行していない。この間にEU加盟国は、国益重視で個別に難民対策を導入してきた。たとえば、現時点では各国ごとに次のような措置が導入されつつある。

­­ハンガリーは、セルビアなどの国境にフェンスを設置。
ドイツ、オーストリア、スエーデンは国境審査を復活。最長2年まで延長できるように準備中。ドイツは連立与党は制限的な保護の下にある入国者の本国からの家族呼び寄せを認めないとの合意。モロッコ、アルジェリア、チュニジアからの庇護申請者は難民と認めないことで合意した。
スエーデンは受け入れ数に上限を設定、国境審査を導入。難民と認定できない約16万人を創刊本国へ送還予定だが、今年はそのうち8万人送還する予定。
オーストリアは難民受け入れに上限設定。
デンマークは難民の資産(一定限度以上)の没収。およそ2000ポンド(17万円)を上回る現金、貴金属。家族の呼び寄せ3年間禁止。

域内移動の自由を認める「シェンゲン協定」(1985年に署名)加盟国は、治安など深刻な脅威が存在する場合にかぎり、原則6カ月まで国境審査を一時的に復活できる。現在、この国境審査を最長2年まで継続できるよう準備中である。EUのトゥスク大統領は3月中旬に開催されるEU首脳会議までに有効な枠組みが導入できなければ、EUの理念は揺らぎ、分裂・壊滅につながると見ているようだ。
 
難民受け入れに決定的打撃を与えたケルン集団女性暴行事件
 メルケル首相が新年の演説で、難民受け入れの必要を強調していたのと同じ頃、彼女の立場にさらに大きな一撃を与えるような事件が展開していた。大晦日から新年にかけて、ドイツのケルン中央駅と有名な大聖堂の間の広場で、千人近いアラブ系、北アフリカ系の移民・難民によるドイツ人女性に対する集団的性的暴行・強盗事件が行われた。報道された事実から推定するかぎり、事件に関与した暴徒は、シリアなどからの難民が中心ではなく、北アフリカからの難民・移民が多かったようだ。彼らは半ば暴徒化し、群衆に花火やボトルなどを投げ込んだ。こうした乱暴、暴行の実態について、ドイツ側当局はしばらく正確な実態を発表せず、公共放送ZDFも速やかな報道を行わなかった。

こうした難民をめぐる議論は、被害対象になった女性には屈辱的で許しがたい内容を含んでいるのだが、全般にメディアは大きくとりあげることをしなかった。この段階で、移民・難民への立場を明確にすると、難民受け入れについての賛成派、反対派の双方から激しい攻撃を受けることが多いことを恐れて報道を差し控えたのだろう。ドイツ政府はこの事件を受けて、犯罪行為に加担した移民・難民を送還すする法律の整備に入った。外国人が犯罪にかかわった場合、強制送還することができるよう罰則強化の検討に入った。
 
危ういアンゲラ・メルケル首相の政治基盤
  一時はEUの主要国から強い支持を得ていたかに見えたアンゲラ・メルケル首相の立場は、昨年後半から急速に低下してきた。とりわけ、上述の女性への集団暴行事件についての判断と政府など関係者の対応の硬直さも影響して、ある世論調査ではメルケル首相の支持率は2015年12月の54%から37%まで急激に低下した。

ドイツ国内では地方都市を中心に急速に難民の受け入れについての反対がたかまっている。難民としての認定が済むまで国内に平均的に受け入れられるのではなく、人口比などで中央政府から割り当てられる。突然町にやってきた多数の見慣れない外国人に、地域住民は当惑し、受け入れ施設の整備、教育、医療、財政などの面で、負担増に戸惑い、クレームをつけている。政党も急速にメルケル首相への反対を強めていて、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)は支持率を大きく増加した。

メルケル首相の与党「キリスト教民主同盟」(CDU)、連立与党の「キリスト教社会同盟」(CSU)内部からも、批判が高まっている。とりわけ、難民と日々接することになる地方州議会レベルでCDUの支持率が低下しつつある。メルケル首相にとっては、自らの政治生命にかかわる問題である。

保守化するEU諸国
  メルケル首相に向けて向かい風は国内ばかりでなく、EU諸国の間にも急速に広がった。全体として、各国の国内における国民の難民受け入れへの不安感を巧みに取り込んだ極右政党が急速に支持率を上げている。その口火を切ったのは、東欧ハンガリーですでに最初の段階から難民・移民に対して厳しい立場をとり、国境の封鎖などを行ってきた。

さらに、ドイツの隣国ポーランドでも極右政党「法と正義」が勢力を拡大している。昨年10月から政権についたシドゥウォ新首相は、政策として、大幅減税、最低賃金引き上げ、年金制度拡大などの政策を掲げるとともに、同党(党首ヤロスワフ・カチンスキ-)の半ば独裁路線に沿った政治へと移行しつつある。憲法裁判所の判事の選任などの点でも、EUの掲げる路線から離反するとみられている。ただ、ポーランドがとってきた反ロシアという体制が、今後どれだけEUと協調してゆけるかを定めることになりそうだ。

メルケル首相は多数の難民を国外流出しているシリアの内戦を収束させることに加えて、ヨーロッパへの難民流出をできるかぎり抑止するため、昨年来トルコとの関係を強めている。トルコ国内の難民収容施設などへEUが支援を行い、ヨーロッパ側への流出を早急に減少させたいとの政策だ。EU加盟を期待してきたトルコにとっても、絶好の機会と見られている。しかし、トルコも内外に問題を抱え、空転状態になっている。ブラッセルのEU官僚はプランは描けても、政治的実行力に欠けるため、結局メルケル首相のような実力を備えた政治家の力に頼ることになる。

 EUが創設当時描いた理念に沿った道に早期に戻りうるとは考えがたい。移民・難民の問題で、成否の鍵を握るのは彼らを受け入れる地域、そして国民の判断次第といえる。地域住民と新たに加わる難民・移民が相互に理解し合い、共存する状況が形成されるには長い年月を要する。ひとたび崩れかけたこの関係を復元し、平穏な市民環境を形成することは容易ではない。「信頼の壁」は壊れやすく、築きがたい。


 
 
 
Reference
'Cologne's aftershocks' The Economist January 16th 2016.
'An ill wind,' The Economist January 23rd, 2016
ZDF daily report 
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