時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

遠からず来る時を前に(3):ひとつの整理

2020年04月28日 | 特別記事


Alan Greenspan and Adrian Wooldridge, CAPITALISM IN AMERICA~ A History ~
New York, Penguin Press, 2018

 

このたびの新型コロナウイルスの世界的蔓延が、人類の歴史にいかなる傷痕を残すか、今の段階では十分に確認できない。感染の拡大がどこまで及ぶのか、ウイルスの活動が終息に向かわない限り、正確にはわからない。勝敗はまだついていない。しかし、政治や経済面では次第に新型コロナウイルスがもたらした影響のあらましが見えるようになってきた。コロナ後の世界は明らかにこれまでとはかなり違ったものになるだろう。

 

経済的損失は「世界大恐慌」に次ぐ?
ウイルスが蔓延する過程で社会の生産活動は顕著に低下し、人々の働く機会を奪ってきた。グローバルな経済的損失は極めて大きく、ある推定では、1930年代アメリカに端を発した「世界大恐慌」 the Great Depression 以来の規模であるといわれている。どの程度、似ているのか、あるいはどれだけ異なっているのか。このたびのコロナウイルス大不況の全面的な評価は、ウイルスの終息を待ってのこれからの課題であることは言うまでもない。

比較の対象となる1930年代の大恐慌の記憶が人々の網膜からほとんど消えてしまっている。それだけに、その展開の輪郭を辿ってみることは意義があることと思う。大恐慌については、すでにおびただしい調査・研究が残されており、時系列的にも評価が変化してきた。筆者も長らく関心を抱いてきたが、到底書き尽くせるものではない。

わずかに、今回の新型コロナウイルスの感染過程での対策を考える上で、1930年代、アメリカにおける大恐慌の発端と政策の輪郭だけは心覚えに残しておこう。


youtubeでNY Stock Exchangeでの株価暴落に至るまでの経緯を映像で見るには下記がお勧めです。1929 Stock Market Crash and the Great Depression -Documentary (日本語版、英語版)
https://www.youtube.com/watch?v=ApC8U_myIPA

大恐慌突入まで
大恐慌はほとんどなんの前触れもなく突然に起きた。1920年代は「轟く20年代」Rroaring Twenties といわれ、アメリカ社会は活況を呈していた。株式市場も発達し取引も活発だった。人々は将来に大きな期待をかけて、日々の活動にいそしんでいた。信用市場も発達して国民の生活に浸透し、人々は次々と生まれる家電など耐久消費財を現金がなくとも次々と買い集め、当時大きな人気の的となっていた自動車まで購入していた。

大恐慌の影はこうした中で静かに、しかし急速に忍び寄っていた。今回の不況が、新型コロナウイルスという目に見えない原因で生み出されたように、大恐慌も株式市場を発端とする信用崩壊、そして1930年代のダスト・ボウル  the Dust Bowl と呼ばれた破滅的な被害をもたらす干ばつと砂嵐の発生が大きな破壊力を持った。大平原 Great Plains 、そして南西部が最も凄まじい影響を受けた。特にテキサス、カンザス、コロラド、ニューメキシコ、そしてオクラホマが惨憺たる被害を受けた。被害は急速に全米に及び、人々の生活に深刻な影響をもたらした。砂嵐を吸い込むと、砂塵は細かいガラス状の細粉状になり、珪肺症になる恐れが多分にあった。当時の写真を見ると、目前から地平線まで竜巻のような砂嵐が立ち上り、全面土色でこの世のものとは思えない光景を呈している。

ジョン・スタインベックの小説『怒りのぶどう』はこのダスト・ボウルと呼ばれた灼熱の空気と共に生まれた砂嵐から逃れて、ジョード Joadという家族がオハイオ州の農場からカリフォルニアへ仕事を求めて旅をする話である。小説は実話ではないが、スタインベックは新聞記者として、”Okie”と呼ばれた同様な旅をした農民にインタヴューしたことがあった。

こうしてカリフォルニアへやってくる貧しい労働者家族に、連邦政府は対応に苦慮したあげく、カリフォルニアに10カ所のキャンプを設置し、出稼ぎ家族は仕事が見つかるまでそこで過ごした。今に残る映像や資料で見る限り、東日本大震災の惨状と甲乙付け難い。貧困と疲労に打ちひしがれた出稼ぎ労働者の母親と子供のイメージをブログに掲載したこともある。

 

Jean Edward Smith, FDR,  New York: RANDOM HOUSE TRADE PAPERBACKS, 2007  
F.D.ローズヴェルトの伝記は様々な視点から数多く存在するが、本書はそれらをほとんど取り込んているという意味で、安定した伝記といえる。

1930年代、大恐慌のアメリカにおける対応について、ブログ筆者には大筋の印象として次のような諸点が脳裏に残っている:
1)迅速な政策着手
2)斬新な改革案〜ケインジアン的視点
3)大規模な実験的プロジェクト
4)国民との密接な交流

ひとつの例を挙げてみる。フランクリン・ローズヴェルトが大統領就任後の100日間は、「100日議会」と呼ばれた。この3ヶ月くらいの間に、初期ニューディール政策の主要法案15件が次々と成立し、改革へと結びついていた。失業者救済、全国産業復興法(NIRA)など、注目すべきスピードと包括性をもって実行に移された。今回の新型コロナウイルスへの対応と比較すると、よくこれだけのことができたと驚嘆する。

政府による経済への介入は、総じてケインジアン的な特色を帯びていた。テネシー渓谷開発公社、民間公共工事局 (Public Works Administration, PWA)、 公共事業促進局  (Works Progress Administration, WPA)、 社会保障局、連邦住宅局 (Federal Housing Administration, FHA)などを設立し、大規模 公共事業による 失業者対策を実施した。また 団体交渉権保障などによる 労働者の地位向上・ 社会保障の充実なども次々と実施に移された。

ローズヴェルトが就任した1933年以降、 アメリカ経済は回復過程に入り、実質GDPが1929年を上回った。1936年 の 大統領選挙では当時の一般投票歴代最多得票率(60.80%)で再選を果たした。しかし、1937年の金融・財政の引き締めによる景気後退25もあり、結局任期の1期目と2期目である1933年から1940年の期間には名目GDPや失業率は1929年の水準までは回復しなかった。

ローズヴェルト大統領の閣僚として、初めて女性で労働長官として任命されたフランセス・パーキンス女史とその周辺で働いた人たちの話は、このブログにも少し記したことがある。建国以来の大きな危機に対し、懸命に働いた人たちの話はかなり強く記憶に残っている。

ローズヴェルトの行った毎週のラジオ演説は「 炉辺談話」 fireside chatsと呼ばれ、国民に対するルーズヴェルトの考えを表明する場となってローズヴェルトの人気を支え、大戦中のアメリカ国民の重要な士気高揚策となった。

このたびの新型コロナウイルス恐慌で、いち早く感染規制の緩和を発表したニュージーランドのアーダン首相の親しく国民に寄り添うという姿勢は国民は好評なようだ。

比較して、今日の安倍政権には苦言を呈したい。このたびの新型コロナウイルスの蔓延に伴う急速な不況の浸透にも関わらず、実効ある政策がほとんど提示されず空転している。新型コロナウイルスが発見されてからすでに4ヶ月余りが経過した今でも、ほとんど政策効果が見えてこない(大騒ぎしたマスク2枚も配達されたのは4月28日であった!)。

〜〜〜〜〜   〜〜〜〜〜   〜〜〜〜〜

FDRと大恐慌時代 (1929–1939)を回顧する際の私的メモ
1929年10月29日 ウオール街、株式市場で株式大暴落 「暗黒の火曜日」
1931年 フーヴァー・モラトリアム
1932年 失業率25%に
11月8日 フランクリン・ローズヴェルト大統領選でフーヴァに勝利する
1933年 3月4日 ローズヴェルト大統領就任(1933-45)、ニューディール政策に着手(NIRA, AAA, TVAなど実行)
     3月9日〜5月16日 大統領就任100日が経過、多くの新政策が導入された
     4月19日 アメリカ合衆国は事実上金本位制離脱
1934年 最初のDust Bowl
1935年 4月14日 「暗黒の月曜日」
8月14日 社会保障プログラム制定
     ワグナー法成立
     CIO成立
9月20日 フーヴァーダム(ボルダーダムを改名)竣工
1937年6月25日 連邦最低賃金制定
1938年11月 CIO、AFLから独立
1939年 第二次世界大戦ヨーロッパで始まる
     4月30日 ニューヨーク世界博開幕
1940年 ローズヴェルト大統領史上初めて3期目に当選
1941年 12月7日 日本の真珠湾攻撃
      12月8日 アメリカ第二次大戦参戦

 

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遠からず来る時を前に(2):ひとつの整理

2020年04月24日 | 特別記事

ケンブリッジ大学 『数学橋』Mathematical Bridge (popular name)         

新型コロナウイルスが世界で猛威を奮い始めた今年2月、アメリカで行われた調査(YouGov poll)によると、アメリカ人の29%が人生のどこかで「黙示録」( Apocalypse) 的大災害、災厄が起きると感じているとの結果が報じられた。世界の終わりが近づいているという不安や恐れである。さらに子供の世代まで含めると、その比率はもっと高まるという。

核戦争、大火災、大地震などの震災、疫病、そして近年では地球温暖化がもたらす結果への恐怖心が急速に高まってきた。こうした終末観ともいうべき考えは、キリスト教に限らず、地球上のほとんど全ての宗教に何らかの形で見出されるともいわれている。

N.B.
「黙示録」の流れ
世の中に今日流布している「黙示録」的考えには、次の2つの基本的な理解の流れが存在するとみられる。
(1) ヨハネ黙示録。 ヨハネ黙示録は新約聖書としては唯一の預言書で、ヨハネが神に見せてもらった未来の光景を描いたとされる。この書には、戦乱や飢饉、大地震など、ありとあらゆる禍が書かれている。天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子も記されている。
『ヨハネ黙示録』は、破滅、破局やこの世の終わりだけを語るものではなく、その後に訪れる「千年王国」を経て、新しい世界の到来を示す救済の書である。しかし、その救済の前に起こる破滅的な災害の模様が、想像を絶する衝撃的な内容であるため、「黙示録」は「世界の終わりの大災害」と重複し、イメージされるものと考えられる。

(2) 紀元前2世紀から紀元後2~3世紀までのものとされるユダヤ教やキリスト教の預言書。 それら預言書の中でも特に世界の破滅と正義の救済について記述があるもの。預言者の名、あるいは匿名で、未来を預言する書物が多く書かれた。それらは宗教的文学ジャンルの「黙示文学」として分類される。

いずれにしても『黙示録』には「世界の終末」と「最後の審判」、そして「新しい世界の到来」が記されている。


注目される現代人の考え

コロナウイルスが世界に蔓延しつつある今年、タイミングよく出版された一冊の本が注目を集めている。広がる所得や資産の格差、激化するナショナリズム、毎回拡大する森林火災、大地震、津波、南極氷河の顕著な消失など、世界には逆転しない大きな問題が増えてきた。なんとなく大崩壊の崖淵にあるような感じを著者オコネル O’Connell は抱くようになった。人類が長い年月をかけて構築してきた文明の体系が崩壊するのではないか。折しも世界を脅かしつつあるコロナウイルスの大感染は、最後の審判の日のイメージに近づきつつあるようだ。

著者のオコネル は、コロナウイルス感染拡大の4年ほど前から本書を企画していた。終末論に着目し、その日に備える人々( ”preppers”といわれる)のあり方を訪ねて世界中を旅し、そこで出会った人々の対応の有り様を描いた。

世界にはこの世の終わりの最後の審判日にいかに備えるかを考え、様々な対応をしている人々がいる。オコネルが執筆に取りかかった動機には、現代にはその先に何もないという未来の姿を考える人たちが少なくないという認識があったといわれる。世界の終末が近いとしたら、人々はどうするか。


Mark O’Connnel, Notes From an Apocalypse’ Is a Timely Tour of Preparing for the Worst, Doubleday, Granata, 2020.


近世以降に限っても、人間は戦争、疫病、火災、地震、チェルノブイユや福島の原子力事故など様々な恐怖の時代を過ごしてきた。そしてコロナウイルスに世界中が怯える現在が最後の時だとしたら、あなたはどうするか。世界にはもし地球に最後の日が来ても、人類全てが絶滅するわけではないと考える人たちもいる。極端な例としては火星移住を考えたり、金にまかせて、ニュージーランドを購入しようとする人たちまでいる。

スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)は [ニューヨークで行われる気候変動会議に出席するため、2週間をかけてヨットで太平洋を横断した。彼女は言う:

「あなた方は、自分の子どもたちを愛していると言いながら、その目の前で子どもたちの未来を奪っています。」

信仰の力でその日を迎えるという人たちがいるかと思うと、財力をもってすれば、なんとか自分たちは対応できると考える人たちもいる。後者の中には広大な土地を購入し、強固な掩蔽壕 (shelter , survival bunker)を構築し、それらを購入した人たちとその時に備えている人々もいる。オコネルが訪ね歩いた場所の実態はとにかく驚くばかりだ。これほどまでにして、その日を迎えたいのだろうかと、いささか滑稽に思えることもある。現在進行しているコロナウイルス感染の拡大も、人類が迎える終末の前段階と見る人たちもいる。

猛暑の続くイギリス東部ケンブリッジで2019年7月25日、気温38.7度を記録した。英気象庁が29日、国内の観測史上で最高の気温だとあらためて発表した。
ケンブリッジ大学植物園で7月25日に観測された摂氏38.7度は、2003年に南東部ケント州で観測された最高気温38.5度を上回った。
気象庁職員が植物園に出向き、温度計が正確かどうか確認した上で、新記録だと29日に正式に発表した(BBC 07/25/2019)。

 

世界の近未来はいかなるイメージとなるか。「コロナ後の世界」は少しづつその輪郭を現しつつある。

 

 

続く

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遠からず来る時を前に(1):ひとつの整理

2020年04月21日 | 特別記事

ケンブリッジの春                                                       YK


このブログともホームページともつかない筆者のメモ(心覚え)では、17世紀から現代まで、世の中の様式に制約されることなく脳細胞の片隅に残る様々なことを書き連ねてきた。

原型が作られたのは、ウエッブ上にホームページなるものが増加し始めた今世紀初めの頃であり、ほとんど20年くらい前まで遡ることになる。トピックスはブログ筆者の関心のままに記してきたので、本サイトを訪れてくださる方々にとっては、記事相互間の脈絡も掴みがたく、何を意図しているのだろうかと思われた方も多いことだろう。事実そうした感想をいただいたこともある。

当初から歳とともに衰えてゆく脳細胞記憶能力の外部補完装置のようになればと考えてはいた。思い浮かんだことをその都度、短い記事にしておけば必要な時になんとかなると、索引用語(キーワード)のような役割を期待してきた。そのため、文体も硬くなりがちで、読者の読みやすさは二次的になっていた。

扱われているトピックスは、17世紀の美術から現代の経済社会の出来事までカヴァーしているので、いかなる糸でつながっているのだろうかと思う方が多いのは当然なのだが、筆者が意図したように、ある程度メモが記事の形で累積してみると、少しずつながら共感してくださる方も増えてきた。記事の累積効果と言えるだろうか。

17世紀への想い:危機に生きた画家
最初は17世紀「危機の時代」に生きた画家ジョルジュ・ド・ラトゥールのブログ筆者なりの理解を書き記すことに始まった。単なる作品の印象ではなく、画家の生きた時代へ作品を置き戻してみたいという想いがあった。スタートラインとなった17世紀ヨーロッパは「危機の世紀」といわれたが、その範囲は当初ヨーロッパにとどまると見られていた。ヨーロッパに限っても、小規模のものを含めて、戦争のなかった年はわずか4年しかなかったといわれる。小氷期の到来により気候が寒冷化し 農作物の不作が続いて経済が停滞し、魔女狩りをはじめとする社会不安が増大した。 さらにペストの流行で人口が減少に転じた。 これにより今までの封建的なシステムは崩れ、資本制が広がるようになる。そして、世界は天災、飢饉、疫病、宗教上の争い、魔女狩りなどの政治や社会不安などで溢れていた。

「神聖ローマ帝国の死亡診断書」とも言われる ウェストファリア条約 が結ばれて以降、 「ウェストファリア体制」と呼ばれる 勢力均衡体制が支配する社会となり、安全弁のごとくに各国の相互内政不干渉が保証される。こうして成立した近代主権国家は、20世紀に至るまでの国際社会の基盤を作り上げた。さらに、その後に研究が進み、17世紀は今日では初めて「グローバル危機」を経験した戦争、飢饉、疫病などに覆い尽くされていた世紀とみられるようになった。

「危機の世紀:17世紀」から世界大恐慌まで
この頃のメディアは、文字通り新型コロナウイルスの問題で埋め尽くされている感がある。最近のIMFの成長予測では、この衝撃で世界経済が大きく縮小し、「1930年代の大恐慌以来、最悪の不況を経験する可能性が高い」と強い危機感を示している。現在の見通しでは世界経済は500兆億円超を失うとの見通しである。IMFは2020年の世界経済は前年比で(ー)3.0%と、2009 年のリーマンショック時の(ー)0.1%を上回る減少が予測されている。文字通り「グローバル・クライシス」である。

長らくお読みくださっている方は、ブログ筆者が1930年代の大恐慌期にかなり比重を置いてきたことにお気づくかもしれない。

筆者自らが生きてきた時間の大部分を占める20世紀は「大恐慌」、2度の世界大戦を含む危機の時代であった。最近、「大恐慌」というと、「リーマンショック」(the Great Recessionと呼ばれることもある)のことですかという若い世代に出会っていささか愕然としたが、1930年代の大恐慌 the Great Depression (the Great Crash) をある緊張感を持って思い浮かべることのできる世代も少なくなった。幸いというか、筆者はこの大恐慌からの脱却に多くの形で実際に携わった人々の経験を直接に聞くことができた。

アメリカに国民皆健康保険制度がいまだに存在しないことに、アメリカ人のかなり多くの人は焦燥感を抱いているだろう。民主党大統領候補のバーニー・サンダースが大統領選から撤退することで、悲願でもあり、スローガンのひとつ、アメリカ版「国民皆保険」(メディケア・フォー・オール)制度が誕生する可能性はかなり薄れてしまった。バイデン候補を支持することで、どれだけその志はかなえられるだろうか。コロナウイルスは共和対民主ばかりでなく、民主党の中でもアメリカの政治思想の断絶をさらに深めることになっている。

このたびの新型コロナウイルスの世界的蔓延で、21世紀は前の世紀に続き、後世に「危機の世紀」として記憶されることは決定的となった。すでに、9.11(2001年)、リーマンショック(2008年)、3.11(2011年)と、予期せざる危機を経験してきた人類は、新たな世紀の初頭から並々ならぬ衝撃に対してきた。このたびの危機をいかなる形で乗り切るかで、その後の世界の姿は大きく異なるだろう。

続く

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危機は飛躍の時:見えないものに翻弄される世界(9)

2020年04月17日 | 特別記事

 

緊急事態宣言が全国に拡大された。あまりに遅すぎたとの感は否めない。さらに、一律一人当たり10万円給付の案が急に浮上してきた。与党公明党からの提案となれば、安倍首相、自民党もすげなく断れない。予算はおよそ12兆6000億円ほどになるとのこと。きわめて異例のことだが、新型コロナウイルスの発生と拡大の実態を見れば、1世紀に一度あるか否か、大恐慌以降最悪の国家的危機であることは間違いない。対策も従来の延長線から逸脱して、大きな決断が必要となる。

ブログ筆者としては、こうした危機の時でなければ実験的政策は導入できないと記してきた。歴史を見ても、大恐慌などの時にはそれまで考えられなかった斬新な政策が実行に移された。世界恐慌時、ケインズ理論の政策的体現ともいわれたニューディール政策は1932年、F.D.ローズヴェルト大統領によって テネシー川流域開発公社の設立、更に 農業調整法や 全国産業復興法 の制定の形で導入された。後年、様々な評価がなされたが、当時は大きな不確実さを前提としての飛躍的決断だった。

今回の日本での給付案は、ブログ筆者が示唆したことのあるユニヴァーサル・ベーシックインカム(UBI)の社会実験になるかもしれない。いうまでもなく、このUBIが構想され、前提となっての給付ではない。動機も給付もそれとは全く無関係である。急激に起こった所得機会の減少、滅失などへの緊急対応である。しかし、実施するからには十分にその効果を見つめ、将来の事態への参考とすべきだろう。この給付に人々がいかに反応するか、いかなる形で使われるか、実施してみないと不明な点は多い。しかし所得制限などを考えだすと、議論はとめどなくなり、この危機ではタイミングを逸してしまう。実施するからには、こうした給付が見出した問題を十二分に読み取って今後の検討課題としたい。

日本ではUBIについては、国民的議論がこれまで詰めた形でなされたことはほとんどない。政治家の理解度も様々であり、大多数は平時に実現の可能性はないと思ってきたのではないか。国民の多くはUBIがなんであるかも知らないだろう。

今回は目的も全く異なり、当面、一回限りの給付になるだろうが、国民としてその意味をよく考える得難い機会となる。公平性の問題などについては、後日に租税公課の変更などの道がないわけではない。今は早急、果断に実行することが最重要とされる。危機は通念を離れ、飛躍できるチャンスでもある。


無条件で国民に一定の金額を給付するベーシックインカムは、概念を明確化するため、UBI(Universal Basic Income)と表現されることがある。例えば被災者への給付など、限定かつ特定条件に当てはまる人だけに給付することもベーシックインカムと表現される場合もあり、それではこれまでの社会保障の枠内の施策と本質的に変わらない。

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ラ・トゥールも避けるコロナウイルス

2020年04月12日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

カタログ表紙の作品は

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《鏡の前のマグダラのマリア》ナショナル・ギャラリー・オブ・アート、ワシントンD.C.

闇が深いほど光は明るく射す
今年2020年2月7日からイタリア、ミラノで、17世紀フランスで今や最も著名な画家とされるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの特別展が予定されていた。しかし、折り悪く新型コロナウイルスの大規模感染地となった北部イタリアのミラノ王宮が開催場所であったため、開催は4月13日に延期された。しかし、今日になっても、状況は顕著な改善の兆しが見られないため、5月3日まで再延期されることになった。大規模な展覧会が2度も延期されるのは、極めて希有なことである。ちなみにイタリアでラ・トゥールを取り上げた展覧会は厳密には初めてではないが、 ミラノ王宮 Milan’s Palazzo Reale としては、初めて本格的にジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品と作品世界を迎えることになる。


苦難の時代を生きた画家
この画家の背景を知る者にとっては、興味深い点がある。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生きた時代、17世紀ロレーヌは、戦争、飢饉、疫病の蔓延で苦難の連続であった。画家の生涯においても、ペストと思われる疫病の流行で多くの犠牲者が出て、画家夫妻も感染症で命を落としたことが判明している。子供が10人いても、親が世をさる時には3人くらいしか生存していなかった(その詳細は、本ブログを訪れてくださった皆様はすでにご存知のことだろう)。

この苦難に満ちた時代を生き、希有な生涯を過ごした画家の深い精神的沈潜に基づく作品を鑑賞するには、今はある意味で格好な時かもしれない。ミラノ展については、いずれウイルス禍の嵐が過ぎ去った時、ご紹介できるかもしれないが、予告編としてお知らせだけしておこう:


Georges de La Tour

 L’Europa della luce

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ヨーロッパの光

〜 イタリアで初めて、17世紀フランスで最も有名な画家、そして同時代の偉大な画家たちに捧げる展覧会 〜

 ミラノ展ではラ・トゥールの作品を柱に、同時代フランス、北方ネーデルラントの画家(エリット ファン・ホントホルスト、ポウル・ボル、トロフィーム・ビゴー、フランツ・ハルスなど)の作品との比較を通して、ジャンル画および視覚的な実験について新たな視角を導入することを企図している。この点についてはラ・トゥールという神秘的な画家に未だまつわる多くの問題に立ち入って検討することを含んでいる。作品の貸出し側は3カ国28カ所と多岐にわたっている。本ブログ筆者はラ・トゥールの作品はすでに何度も接しているが、その他の関連画家の作品には、なかなか目にしない作品も含まれており、楽しみな企画である。目前の闇が深いほど、前方に射す光は輝く。早く暗闇の先に光を見たいですね。



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体温計の新たな可能性:見えないものに翻弄される世界(8)

2020年04月09日 | 特別記事

 

ついに7都道府県に「緊急事態宣言」が宣言された。実施期間は本年4月7日から5月6日まで、外出自粛など人との接触を遠ざける様々な規制が導入される。果たして、これ以上の蔓延は阻止できるだろうか。

「社会的隔離」という哲学的にも聞こえる対策が急速に世界に出回っている。一般に理解されている限りでは、とにかく人との接触をしばらくの間できるだけ避けるということに尽きるようだ。人の集まっている所はウイルスや細菌も多いという事実の裏返しともいえる。世俗の騒がしさを避けて、しばらく静かな環境に身を置くということは、ウイルス対策ばかりでなく、この世界の来し方、そして今後のあり方を考える意味でも良いことだ。

このたびのコロナウイルスの世界的蔓延で、世界中で多くの医療機材や薬剤の不足が発生している。マスクの争奪は世界規模で起き、現在も続いている。その傍ら、新型コロナウイルスに有効なワクチン、治療薬の開発、簡易人工呼吸器などの開発が、世界中で進められている。

国立病院機構新潟病院(柏崎市)の石北直之医師が、3Dプリンターで量産できる簡易な人工呼吸器の実用化を目指し、耐久テストなどを進めている。

体温計:縁の下の力持ち
簡単な医療機材の中で、比較的話題とならないものに体温計がある。日本では一般家庭にも広く普及しているので取り立てて不足は感じられないようだ。しかし、世界にはこれも供給が十分行き届かない地域もある。しかし、体温は病状の確定に欠かせない要件のひとつだ。今回はこの目立たないが重要な医療機材を取り上げたみたい。

最初にウイルス蔓延の地となった中国、武漢では、市民が最も頻繁に目にした医療機材は、マスクと共に、ハンドヘルド型の非接触型体温計(”thermometer guns”)であるといわれている。市内の至る所で額や耳に向けられたピストルのような体温計には多くの人々が辟易したようだ。ハンドヘルド型の体温計は、一般に“spot pyrometers”といわれ、元来機器や工程などでの過熱を予知、測定するために産業用に開発された。

今回のウイルス感染者の発見のプロセスで、空港、港湾などの検疫や街中で使われたのは、ほとんどがこのハンドヘルド型であった。測定のために時間をとれず、公衆衛生面での配慮が必要な場所では、より精度は高いといわれる脇の下、口内などで計る接触型は使えない。

使いやすくなった体温計
日本では体温計はほとんどの家庭で常備品になっていること、マスクのような消耗品ではないことが、逼迫した状態を生んでいないことの理由だろう。子供の頃は家庭、医院を含めて、水銀体温計が多かったが、水銀中毒や破損事故など安全性の点から、今では電子回路のサーミスタが1980年代頃から最も広範に使われている。測定数値もデジタルで表示されるものが多い。水銀計のように測った後で、体温計を振るお馴染の動作は必要なくなった。

さらに高性能だが高価格な赤外線式耳体温計なども開発され、使用されている。人体表面から出ている赤外線を検知することにより、瞬時に測定できるタイプがこれに相当する。安静を保つことが難しい乳幼児の体温を測定することもできる。他の方式と比べて高性能であるが、その分高価となる。

体温計とITの連結
さらに感熱カメラ thermal camera とも言われる計器とスマホとの連携が図られている。サンフランシスコに拠点を置く Kinsa Health Inc *2は、自社が開発したスマホにリンクした体温計アプリを販売している。これを使用していれば、もしスマホの保持者がウイルスに感染すると、体温が即時に測定され、通知を受けたセンターから性別、年齢、体温など症状に応じて、アドヴァイスがなされる仕組みになっている。これまでは同社の目的はインフルエンザ対策にあったが、今や急速にcovit-19に重点が移されている。万一、病状が悪化したりで体温が上昇すると、情報は直ちに Kinsa に送られ、同社は個人の情報の集積を通して、新型コロナウイルスの拡大がいかなる状況にあるかをリアルタイムに近い形で把握しうるようになっている。

こうしたアプリと体温計(感熱カメラ)が組み合わされると、スマホの位置確認とリンクして感染者の多い地域の確定が可能になっている。アメリカではすでに一部は実用化されているようだ。日本ではあまり話題となっていないようなので取り上げてみた。個人情報の保護の問題がここにもあるが、今後の感染症の大規模な蔓延防止を考えると、今のうちに考えておく必要は十分にある。このたびの新型コロナウイルス蔓延の問題に限っても、オンライン診療、クラスターの追跡など多くの可能性も考えられる。人類にとって試練の現在は、未来の勝利につながる時でもある。

References

最初に体温計を考案したのはイタリア の医師サントーリオ・サントーリオ ( 1612年 説もある)といわれている。サントーリオ・サントーリオは ガリレオ・ガリレイ] の同僚であり、その発明である温度計を使って人体の温度を測定した。長く使われていた水銀体温計は、1866年、ドイツのC.エールレが考案し、日本においては1921年、北里柴三郎博士などの医学者が設立した会社が製造した。

*2 “And now here is the fever forecast ”  The  Economist March 28th-April 3rd 2020

 

追記(20200410):

日本でも和歌山県立医科大学などが新型コロナウイルスの濃厚接触者の「健康管理」を目的としたアプリを開発、同県保健所などで使用されていることが報じられた。アメリカ、イギリス、シンガポールなどでも同様のアプリが開発され、導入されていることが短いニュースだが報道されている。
(4月10日朝NHKニュース) 

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必要なのは個人の確立: 見えないものに翻弄される世界(7)

2020年04月03日 | 特別記事


新型コロナウイルスの感染力は想像以上に凄まじい。2019年末に中国において発生したこのウイルス COVID-19はわずか3ヶ月くらいの間に、地球上の大部分に拡大、蔓延した。その感染のメカニズムはインターネット上のウイルスのそれに似通っているところがあるが、それよりも短期間で世界を席巻しパンデミックとなった。なによりも恐ろしいのはウイルスが持つ致死力だ。人類の歴史において、こうしたウイルス、細菌は何度か出現して多くの人命を奪ってきた。

過去150年くらいの間で、人類は医学、薬学など諸科学の進歩でなんとかウイルスや病原菌に対抗する術を獲得してきたが、感染症は絶滅することなく、新たな姿で突如として現れ、人類を脅かしてきた。過去に起きた感染症の歴史を見ると、しばしば人口の大幅な減少を招き、文明の基盤を脅かした。すでにアメリカではまもなく行われる国勢調査への影響が話題となっている。トランプ大統領は最大24万人の感染者が出るとしている

現在進行しているCOVID-19との戦いが如何なる結末を迎えるか、その帰趨の輪郭はいまだ見えていない。東京オリンピック、パラリンピックは来年、2021年に延期されたが、果たして人々が安心して競技をし、それを楽しむことができるような環境が取り戻せるか、本当のところ誰にもわからない。今後、アフリカ、南アメリカなどにウイルスが拡散、浸透して行けば、今後一年余りで開催ができるほどに終息にこぎつけられるのか、大きな不安の暗雲が漂っている。関係者の関心はすでにアフリカ、南アメリカなどの開発途上国のウイルス感染に移っている(例えば、’The next calamity:Covidー19 in the emerging world’ The Economist March 28th-Aoril 3rd 2020)。

ピンチをチャンスに
日本は政府の政策発動が遅いため、地域レベルなどでの対応が必要だ。こうした中で、福島県の中高一貫校がオンライン教育を本格的に導入することがTVで伝えられていた。それを見ていると、来るべき新しい教育の姿の一齣が見えてきた。未だ試行錯誤の試みだが、成果は上がり始めているようだ。例えば、学校のクラスではなかなか発言できない子供たちが、IT上の授業では他人を意識せずに発言する機会が生まれているようだ。

教育にとって、距離は壁ではないという近未来の新たな可能性も見えてきた。IT上の授業は現在の場所に束縛された教育のあり方を考え直す良い機会だ。大学を例にあげれば、校舎やキャンパスの立派なことは、教育にとって本質的に意味がない。オンラインの教育システムが整備、確立されれば、キャンパスは教育の内容をチェックし検討する場であり、必要に応じて時々集まる場所でさえあれば良いはずだ。こんなことを考えながら、ふと目にしたTV番組が「自学ノート」を学齢期から書いている子供の番組を見た。子供の持つ好奇心や探索心を正しく認め、誘導できる大人がいれば、画一的な教育ではなし得ない知的潜在力の開発が期待できる。

COVID-19が発生し、猛威をふるい始めて以来、きわめて多くの虚実入り混じった情報が世界を飛び交っている。それらの中から真実と思われる情報をフルイにかけて選び出すには、受け取る側に多大な努力が必要とされる。そこで柱となりうるものは、理性的判断としか言いようがない。何を選び、何を捨てるか。

社会にも休息を
最近、コロナウイルスへの防備措置として、急速に注目を集めている言葉に、本ブログにも記した「社会的距離」social  distancing という対応がある。一般には、社会生活において他者との物理的距離を2m程度 保ち、人混みを避けるという意味で使われているようだ。あまり分かりやすい用語ではない。

ブログ筆者はこの言葉を使うなら、さらに進めて、社会との関連で個人の独立の程度を深めるという意味で理解したい。混迷の只中にある現在、求められているのは、偽りの情報を判別、排除し、他人や権威への安易な依存から脱却し、個人の独立を深めることではないか。都市の外出規制などで、これまで実現しなかった大気汚染の減少など思いがけない効果も生まれている。スモッグで汚れきったパリ、ロンドン、北京など大都市に久しく忘れられていた青空が戻っている。これまで休むことなく走り続けてきた社会に休息を与え、適切に定義された望ましい社会と個人の関係を考える良い機会ではないか。

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