時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

帰りたやヴァージニア Carry Me Back to Old Virginny

2017年08月28日 | 午後のティールーム

 

 

この人は誰でしょう。ヒントはアメリカ合衆国歴代大統領の一人である。直ぐわかった方はアメリカ史にかなり通じた人だ。


去る8月12日土曜日、ヴァージニア州シャーロッツビルでの事件を知って、ほとんど半世紀前に一度訪れ、数日滞在したことを思い出した。その時はワシントンDC郊外マウント・ヴァーノンやウイリアムズバーグなども訪ねた旅だった。訪れた時は、公民権運動の最中であった。

この日シャーロッツビルは大規模な白人至上主義者の集会によって非常事態宣言が出されるほどの混乱に陥り、その過程で集会に抗議する人々に車が突っ込み、一人が死亡、十数人がケガをするという事態となった。また関連して近くで警戒にあたっていた警察のヘリコプターが墜落し、乗っていた二人の警察官が死亡した。ここで起きた事件は、アメリカにおけるヘイトスピーチの問題を考える際に避けて通れない事例として、おそらく今後繰り返し論及され続けることになるだろう。事件にただちに反応した人々で目立つところだけ拾っても、バラク・オバマ、ヒラリー・クリントン、ジョン・マケイン、ジョー・バイデンなど、アメリカで影響力をもつ政治家は、党派を超えてすべて何らかの形で事件に対する非難を表明している。特に問題となったのは、トランプ大統領による「非難」声明であった。避難対象を明確にせず「多くの立場による憎しみ」という表現をしたことが、「この期に及んでどっちもどっち」という批判を浴びた。

 出来事の直接のきっかけは、市内の公園にあるロバート・E・リー(南北戦争時の南軍の司令官の像を、市議会が今年4月に撤去(および公園の改名)を決めたことだった(現在はまだ裁判係争中で執行はされていない)。現在のアメリカにおいて南北戦争時代の南軍側を支持することはそれ自体がヘイトスピーチやレイシズムと同義であるわけではないが、今回のイベントでも南軍旗が象徴的に使われていたように、白人至上主義とのつながりは非常に強い。このような背景もあって近年こうした像については撤去する動きが進んでおり、今回のシャーロッツビルでの市議会の決定も、その流れに沿ったものだった。

今回のイベントにはKKKなどの他にも多くの「オルトライト」運動の関係者が参加したと言われており、そうした意味ではイベントは既存の白人至上主義者とオルトライトの接点を作ったともいえる。KKKが今も活動していることはその昔を知る者には衝撃的だが、南部にはそれを許容する不思議な風土がある。変化など起こりそうにない微妙な静まりを感じる。北部と南部はかなり近接したとはいえ、そこにはなんとも形容しがたい違いが今日も継承されている。


静かな町シャーロッツビル

ヴァージニア大学などのある美しい静かな町だった。今回の騒動など予想もしなかった。ここはアメリカ合衆国第3代大統領トーマス・ジェファーソン(任期1801-09)が生まれ育ったことで知られている。一時期かなり読んでいた南部文学の巨匠ウイリアム・フォークナーが、ヴァージニア大学内に住んでいたことも知った。シャーロッツビルのジェファーソンの邸宅モンティチェロはその後世界遺産となっていた。

さて、シャーロッツビルの事件は、KKKなどの白人至上主義者の集まりにおけるヘイト・スピーチが火だねであったが、この点は日本の新聞でも報道されたので、ご存じの方も多いだろう。筆者は実はトーマス・ジェファーソンのことを思い出していた。この点は今回ほとんど記事にならなかったので、少し記しておこう。

トーマス・ジェファーソンは、「独立宣言」Declaration of Independence の起草者として、アメリカの大統領の評価順位では常に最高位を維持している。アメリカ創生期の重要人物の中では最も長くその地位にあっただけに、その評価も影響力が大きく、その人格と遺産が今日まで大きな意味を持つ。

ワシントン大統領の下で、初代の国務長官を務め、反連邦派(anti-federalist)の主要人物として、後にリパブリカン党を結成し、1800年の大統領選挙に出馬し、当選、第3代大統領となった。

ジェファーソンは反連邦派でありながら、州政府を犠牲にして連邦権力を強化する立場をとっていた。当時フランス領であったルイジアナを1803年に購入したことで、この広大な地域を支配するため、連邦政府の権限を強化することがどうしても必要となっていた。このルイジアナの格安の購入は、当時のアメリカの国土をほぼ倍増させ、その後のアメリカにとって大きな貢献であり、ジェファーソンの評価を定める最大要因であった。

ジェファーソンは、連邦議会で反連邦派の党が掲げる大衆的な価値観を拠り所として大統領制を民主化した。

かくして、ジェファーソンはアメリカ建国期においては、極めて長い間中心的人物の位置にあった。しかし、彼が起草した独立宣言の内容とジェファーソンの実際の私生活(1826年死去)の間には大きな断絶を伴う距離があった。それにも関わらず、「独立宣言」はアメリカの信条として黒人を含めて今日までその高い精神性を維持してきた。

語られざる側面
筆者はアメリカの政治史は専門でもなかったので、副産物として知ったことだが、トーマス・ジェファーソンは、彼のプランテーション、モンティチェロで、当時奴隷であった女性で未亡人だったサリーの間に数人の子供があったとの噂があった。この真偽が長らく論争の種となっていたようだ。とりわけ、彼の起草した高い理想を掲げた「独立宣言」の内容との関係でジェファーソンの真意や人格に関わる論争として長く続いてきた。その後、子供の一人は、DNA鑑定でジェファーソンの子供であると確定されたようだ。アメリカ大統領の個人的背景が、大統領としての公的評価にいかに影響するかを示す例と言える。

実際、ジェファーソン自身はヴァージニアの大農園主で奴隷を200人近く所有していた。公的には奴隷貿易には反対し、黒人奴隷制度は徐々に消滅させてゆくことを主張していた。しかし、現実とはかなり離れていた。こうした隔絶を伴う例は当時の指導者層の間でもかなり多数存在したとも言われている。

ジェファーソンは当時の現実に身を置きながら、「独立宣言」では新大陸アメリカのあるべき理想の姿を、いわば期待、情熱の形で描いたのだろうか。アメリカ合衆国という国は、その建国以来、自らを理想の実現のための実験材料と考えてきたようなところがある。そのためか、大統領、議会の下で展開する政策があたかも時計の振り子のように、大きく揺れ動き、時の経過とともに落ち着くべきところに収斂するようなところがあった。今、その振り子は再び大きく揺れ動いている。行き先を見定めるにはまだかなりの時を待たねばならないようだ。


*1997年までヴァージニア州の州歌であった。
和訳もされ、よく歌われていた。「帰りたやヴァージニア、花咲き実るよきところ・・・」 

 

Carry Me Back to Old Virginny
By James A. Bland
 
 

 

Carry me back to old Virginny,
There's where the cotton and the corn and taters grow,
There's where the birds warble sweet in the spring time,
There's where the darkey's heart am longed to go.
There's where I labored so hard for old massa,
Day after day in the field of yellow corn,
No place on earth do I love more sincerely,
Than old Virginny, the state where I was born.
 

 

 

 

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人間の心に潜む「差別」という魔物

2017年08月20日 | 特別トピックス

 人間の世界はどうなっているのかな

上海博物館蔵蔵


現代の世界は明らかにどこかおかしくなっていると考える人たちが多くなっている。核兵器廃絶、地球温暖化、大気汚染などの問題は、すでに長らく議論が行われており、人それぞれに考えることがあるだろう。他方、大国アメリカのトランプ大統領、就任以来の大言壮語にもかかわらず、公約していた政策実現の道は開けず、大統領を支える側近たちは次々とその座を追われたり、政権を離れている。今回のバノン大統領首席戦略官の更迭で、トランプ政権の行方は混迷の極みに達した。トランプ大統領は就任以来、アメリカ・メキシコ間の国境障壁の強化など、矢継ぎ早に大統領令発布で実行力を誇示しようとしたのかもしれないが、ことごとく野党や世論の反対の前に実効をあげる間もなく、中途半端なままに他の政策へと転換し、一貫性がない。混迷は続く。

大統領支持率も低下の一途で、政権瓦解、民主党の一部などには大統領弾劾の話もあると言われる。トランプ大統領は時に「白人至上主義」とも言われる差別的思想を背後に、白人貧困層などの支持をかろうじて維持している。お得意の「アメリカ第一」主義の発言に代表される極端な保護主義で、与党である共和党内部にも不協和音を生み出してきた。

 

テロリズムは現代の悪疫
他方、テロリズムは悪疫のように多くの国へ拡大している。スペイン、バルセロナの場合も、犯行が行われたのは1か所ではなかったようだ。隣接した地域で計画的にテロが実行に移されたと報じられている。それに先立ち8月12日にバージニア州シャーロッツヴィルで起きた事件と関連しているかも不明だ (スペインについては
ISが犯行声明を出したと報じられている)。朝鮮半島の核開発をめぐる緊張関係など、1960年代のキューバ危機をに近いものを感じるのだが、現代世界の指導者は危機を弄んでいるような思いがする。北朝鮮の指導者に象徴されるように、指導者として正常な人間としての感覚がどれだけあるのか、不安でもある。

シャーロッツヴィルでの出来事についてのトランプ大統領の発言は、この人物が一国の指導者として、明らかに不適格であることを如実に示した。いまやトランプ大統領の評価はほとんど定まったといってよい。しかし、この大統領は悪い意味でしたたかだ。自分に都合の悪い批判を受けると、ノーコメントと口を閉ざし、別の主題へ話題を変えてしまう。しかし、トランプ流とも言えるものごとを一般化して、焦点をぼかしてしまう手法は急速に通じなくなっている。

解決の策がない朝鮮半島の危機
北朝鮮の金正恩委員長もICBMとも見られるロケットの矢継ぎ早の一方的発射、核兵器開発の促進などを誇示し、限られた武器でアメリカを威圧しようと懸命だ。しかし、トランプ大統領は足元の政権基盤も揺らぎ、中国、ロシアとも連携ができない。トランプ政権内部の自己崩壊で、対外的にも威信と実行力を著しく低下させている。

アメリカなどが敏速に対応できずにいる間に、大陸間弾道ミサイルなどの開発に成果を見せた北朝鮮指導者は、それで世界を脅かせると妙な自信を持ってしまっている。彼らが得る情報には大きなバイアスがあることはいうまでもない。状況判断にも危ういものがある。こうした指導者の内実はしばしば危うい。ヒトラーの最後がそうであったように、追い詰められると自暴自棄的思考が強まってくる。フセインやオサマ・ビンラディンなどの最後を知っているから、極端に走りがちでもある。大きなリスクが世界の前方に横たわっている。

トランプ政権の命脈は限られたものになるだろう。しかし、これほどに深い傷を負い、四分五裂状態の国民の感情を修復、再出発するには長い時間が必要になる。次の世代のことを考えると、背筋が冷えてくる。幸い、筆者はその惨状をあまり見ないで済むのだが。

たまたま筆者は、J.F.ケネディの暗殺事件(1963年)以降、半世紀近く人種差別、性差別など、「差別」discrimination という現象が起きる仕組みを研究課題のひとつとして注目してきた。差別という現象は、その発生原理、過程が想像以上に複雑だ。一つの仮説で現実に存在する「差別」と見られる現象を説明しきることは難しい。現実への深く多面的な洞察が必要になる。

最近のアメリカの現実は、本来あるべき改善、進歩とは逆の「退行現象」を起こしているように見える。公民権運動などを通して世界を牽引してきたアメリカだが、「逆差別」の深刻化(入学試験などで少数者や社会的弱者に一定の優先枠を与えた結果、実際には点数の優れた人が不合格になったりする)と言われる現象などもあって、新たな論争が起こり、歴史の振り子は逆の方向へ動いているように見える。

トランプ大統領の行動をめぐっては、「白人至上主義」など、アメリカ人でなくとも聞きたくない言葉がメディア上に復活している。公的な議論では否定されることが多いが、内心そう考えている白人はかなりいると推定されている。トランプ政権下での論争、貧困白人層 poor white の支持などから、その一端は推測できるが、現代社会ではこのタイプの差別はあったとしても、「明白な差別」overt discriminationとしては現れない。その内容からあくまで「隠れた差別」covert discriminationとしてしてしか存在しない。それゆえに、この種の差別は人々の心底深く潜み、とらえどころがなく、しばしば陰鬱で対応は困難を極める。  

トランプ大統領就任後、アメリカの大統領制のほころび、欠陥をさまざまに感じさせられてきたが、とてつもない幕引きが待ち受けているように思えてならない。




桑原靖夫「差別の経済分析」『日本労働協会雑誌』235-236, 1978年10-11月

 桑原靖夫「性差別経済理論の展望」『季刊現代経済』(日本経済新聞社)1980年

日本では経済学に限るとG.ベッカーの差別の理論、あるいは統計的差別の理論程度が知られているだけだが、現実には極めて多くの仮説、理論化の試みがある。差別の発生原因とその発現の仕組みを、理論化することはきわめて難事である。単一の仮説で世の中の差別の全てを解明し切るしっかりした(solid)「差別の一般理論」は未だ存在しない。人間社会における差別の事象は極めて複雑、多面的である。不合理、不可解、不可視的なものも多い。そうした状況で筆者が目指したのは、差別という現象をできうるかぎり多数の角度から接近し、そこに起きている差別事象を包括的、総合的に理解することだった。


★ PC不具合のため、再掲載となりました。ご不便をお詫びします。

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壁とは一体何なのか:アメリカ・メキシコ国境の本質

2017年08月13日 | 移民政策を追って

 





  移民たちは国境を越えて、彼らが自国で身につけた様々な文化を受け入れ国に持ち込む。多くは時の経過とともに移住先の文化と混じり合い、独自の文化を創り出す。典型的な例が、移民で立国したアメリカ合衆国といえる。もちろん、先住民族のアメリカ・インディアンの文化があったが、その多くは後から来た移民たちの文化に混じり合い、吸収され、希薄化した。

移民が持ち込むものは、しばしば移住先の文化を刺激し、新たな文化の創造につながってゆく。しかし、常に良いことばかりではない。時には伝染病、麻薬などの犯罪手段も運び込まれる。エリス島に移民局があった当時、眼病トラコーマに罹患していると、入国できず、時に本国送還の悲劇となったことは良く知られている。一九二〇年代、禁酒時代の密造酒の横行もアメリカ史を彩る一つの時代だ。

アメリカ・メキシコ国境の管理はある時期まで特に厳しいわけでもなく、といって野放し状態に放置されてきたわけでもない。その時代に応じた国境の姿を見せてきた。野放図に移民を受け入れてきたというわけでもない。

そうした推移の過程で、アメリカなど中心的な受け入れ国の移民政策が大きく変化した時期があった。最近では2001年、9月11日の衝撃的な事件がその契機となった。アメリカ・メキシコ国境における国境線の物理的な強化並びに書類審査など国境管理が突如として厳しくなった。国境で拘束されたり、強制送還される者の数は大きく増加した。テロリストが直接越境入国する懸念、あるいは将来テロリズムを起こしかねない属性を持ったもの(不法)入国が問題とされた。

実際にテロリズムが事件として発生した国を含む多くの受け入れ国で、今後いかなる移民政策をとるべきか、様々な、議論が行われた。地球上で最大の受け入れ国であったアメリカ合衆国での議論が最も広範で激しいものであった。

しかし、それらの議論がいかなる実質的変化を生んだだろうか。共和党政権の下でジョージ・W・ブッシュが「包括的移民政策」の名の下に移民に関する保守的・制横領限的政策を提案し、上院、下院双方から多様な法案が上程されたことは、ブログにも一端を記してきた。この段階での大きな変化は、下院議員ポウル・リャンが述べたように、「安全保障の維持が第一、アムネスティはない」という主張だった。ここでいうアムネスティとは、国内に居住する1,100万人近い不法滞在者を審査の上、合法化し、アメリカ市民権への道を開くことを意味する。ブッシュ大統領も任期中には見るべき成果は少なかったが、国境線上における「国境の安全保障改革」"bordder security only"だけでは限界があることを認めていた。

ブッシュ政権の後、民主党のオバマ大統領の政権では、選挙運動の過程から移民制度改革の議論が盛んに行われたが、現実には任期中には、ほとんど目に見えた変革は実現しなかった。 トランプ大統領の政権になって、当初はアメリカ・メキシコ国境の全域にわたる壁の構築が論議されたが、実際の必要性、実効、費用負担などの点から、先延ばしになるにつれて、トランプ大統領側は国内にすでに居住する不法移民の取り締まり及び新規合法移民の受け入れの減少を主張し始めた。

実際に国境の壁を堅固に構築し、不法越境者の入国を防ぐという考えは、ボーダーパトロールその他の観点からも、非効率あるいは困難と見なされるようになってきている。そして、近年各国に頻発するテロリズムの捜査や国境検問などの状況から、国境だけに監視を集中することなく、より広い観点から出入国管理のあり方を再検討する方向へと移行しつつある。壁は従来の国境線上から次第に国内の様々な領域へ入り込みつつある。

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灯火は燃え続けるか

2017年08月04日 | 移民政策を追って

  

自由でない女神?


僅差で当選したが支持率は低下する一方のトランプ大統領。今や史上最低の支持率ともいわれるまでになった。

選挙戦以来、公約の筆頭に掲げていた移民受け入れ制限策も、これまでのところほとんど成果をあげることができないでいる。

ところが8月2日、突然アメリカ合衆国への合法移民受け入れを10年間で半減すると発表した。とりわけ現在のアメリカ市民及び合法居住者が、母国に残っている家族を呼び寄せる枠を厳しく制限することをその手段とした。移民の家族の繋がりを断ち切る政策は、人道的立場から国際的にも厳しく抑制されてきた。

大統領就任後、トランプ大統領は直ちにイスラム教徒が多い国からのアメリカ入国者を制限し、難民の流入を最小限にし、不法入国者の逮捕、拘束、最終的にはメキシコとの国境に堅固な壁を構築するとの方針を貫こうとした。しかし、いずれも民主党、一部の共和党議員、国民世論などの反対の前に、壁に突き当たってきた。このたびの発表は、第一の公約としていた移民政策が頓挫していたのが、気になっていたのだろう。

今回は、下院に対して合法移民の受け入れ制限を求める傍、国民的統一、経済成長、労働者間の公平、アメリカの価値など、大統領選中に論争の的となったテーマをトランプ方式で議論に組み込んでいる。

他方、トランプ大統領への反対者は、記者会見などで、自由の女神の台座に刻み込まれた建国の精神、疲れはて、貧しく、寄る辺なく新大陸へ身を寄せた人々へ の保護者としてのアメリカの基本的理想を損なうと反対している。他方、トランプ側はこの詩は、「自由の女神」が設置されてから後年付け加えられた部分だと却下している。要するに女神と台座は関係ない別物だという強弁だ。

トランプ大統領側はアメリカはこれまで長年にわたり極めて多くの低賃金移民労働者を受け入れ、アメリカの労働者の基盤を切り崩してきたと反発。新たなに導入する入国制限によってこのシステムを再構築し、これまで主張してきた「アメリカ・ファースト」の基軸となるべき人々のあるべき立場を取り戻すのだという。具体的には、低賃金で働く移民を減らすことで、米国民の雇用などを増やすことを目指している。

南部アーカンソー州のトム・コットン、ジョージア州のデイヴィッド・パーデュー上院議員が中心となって上程した法案は、誰が入国を許され、法的な居住権を付与されるかを、従来のアメリカに居住する者との繋がりではなく、入国応募者のスキル、教育水準、英語能力、年齢などを基準にポイント形式で決定するとしている。ポイントが高い移民が優先的に受け入れられる。カナダ、イギリス、オーストラリアなどがすでに導入している方式だ。この方向は、2007年に亡くなったジョージ・W・ブッシュ大統領が指示したより包括的な法案の考えにも近いと言える。

アメリカ国民の親族への永住権付与も未成年や配偶者に絞り、年間100万人に発行しているグリーンカードを10年間で半減させる。すでに議論が巻き起こっており、法案上程者は我々は「労働者のアメリカ」'working-class America' を目指すのではなく、それを変化させたいと述べている。しかし、サウス・カロライナの共和党議員のように、それでは農業などはやっていけないとの反対も強い。ホテル、レストラン、ゴルフ・コース、農場などの労働者が半減すれば、破綻すると述べている。

毎年、100万人近くの合法的な居住権を付与してきたが、初年度は41%、その後10年に半減する計画だ。

いずれにせよ、アメリカの人口、労働力の方向を定める政策だけに、自由の女神もしばらく身の置き所がない。




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