L.S.ラウリー《工業風景、ウイガンの光景》
1925年
どうして工場の煙突や煤煙で汚れた工場の建物が美的対象に選ばれるのか、疑問に思う人々もいるかもしれない。世の中にはもっと美しいものが溢れているではないかと。
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N.B.
1888 最初の鉄鋼がサルフォードとマンチェスターで生産され、翌年、圧延工場が開設。この地域はイギリスで最も高い煙突群がある地域のひとつとして知られるようになった。Top Place Chimney の名で有毒なガスを排出していた。
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しかし、ラウリーの作品をつぶさに見ていると、そこには世界で最初の産業革命がもたらした恐るべき自然破壊の結果とその過程に生きる人々の姿が、不思議な魅力を伴って描きこまれており、知らず知らずのうちに画面に引き込まれてしまう。その力の根源は、画家が自らが生まれ育った地域と人々に対する深い愛と理解であると思われる。
大きな煙突と暗い空だけが目立つ光景を描いた作品などを見ていると、工業化の進行過程で、土地や家を失い、工場でしか働く場所が無くなってしまった人々への画家の深い思いが伝わってくる。
通常、人々が「美」の対象として思い浮かべるものとは、かなり違ったイメージがそこにある。ラウリーの作品世界は「額縁の外」の社会と一体にして鑑賞されるべきなのだ。画家はそのために、地域に見られる些細な光景でも小さな作品として残している。例えば、街中で見られる物売りや喧嘩など日常の光景を、スナップショットのように描いている。普通の画家ならば、画題としては一顧だにしないだろう。
ラウリーは《工場風景》の空の色が暗すぎると指摘されたことに怒ったようだが、実際に当時の空の色は画家のカンヴァスのそれに近かったようだ。イングランド北部に留まらず、ロンドンでも「ロンドン・スモッグ」*の名で、深刻な公害として1970年代初めまで蔓延していた。ブログ筆者がしばらくアメリカに滞在の後、イギリスへ旅した1960年代末、ロンドンの空気の悪さに辟易したことを今も覚えている。青空の見える日はほとんどなかった。
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*大気汚染「ロンドン・スモッグ」事件
1952年の12月5日から9日にかけて、ロンドンは濃霧に覆われ、ロンドンスモッグ(Great Smog of 1952, London Smog Disasters)として知られる大気汚染の事件が発生した。大気汚染物質が滞留し、1万人を越える多くの死者が出た。死亡者の多くは気管支炎、肺炎など慢性呼吸器疾患を有する高齢者であった。
このようなスモッグは、19世紀の半ばころから見られており、改善が見られるようになったのは、ヨーロッパとアメリカが1970年代に採用した大気浄化法の結果であった。
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画家の独創:「マッチ棒人間」
ラウリーの作品の特徴とされる「マッチ棒人間」も彼の作品の全てに現れる訳ではない。印象派の流れを明瞭に感じさせる作品もある。「マッチ棒人間」もラウリーの独創であり、多くの人間の集まりを表現するに、一人一人の容姿などに多くの時間を費やせない。夜間、昼間の仕事の後、家人が寝静まった後に創作活動に入ったラウリーに最も適した画法なのだ。今日では、この技法を習得するコースまで存在する。
それでもロンドンなどのスノビッシュな画壇には、ラウリーに傾倒しえない人たちもいるようだ。テート・ブリテンなども、ある時期までこの画家の作品を積極的に購入することはなかった。
ラウリーの作品の多くは、対象の正確な描写ではない。画家は昼間の仕事の途上などで、気づいた対象をスケッチしていたが、多くは画家のイメージとして残った中心的な概念を基に創作したものだ。例えば、画面に描かれた大煙突にしても、実際に対応する煙突は存在するが、それを正確に描写したものではない。しかし、今に残るモノクロ写真などと比較してみると、見事に当時の雰囲気を伝えている。
作品の一点、一点は、大方の人々の美的観念には沿わないかもしれない。しかし、ある数の作品を鑑賞してゆくと、画家が自ら生まれ育った地域の変容と、そこに暮らす人々の生活風景、その明暗に画家が抱く冷静な視点と愛着が作品を支えていることが伝わってくる。
現場の空気を伝える
ラウリーだけが提示できる独特の世界が創り出されている。今日であったならば、写真を撮ることで済ませてしまう光景を、おびただしい数の人間を丹念に描きこむことで再現している。その結果、およそ写真では表現できない全体の構図、画家の印象などが、格別の魅力を伴って見る人に伝わってくる。
iPhoneなどが普及し、誰もが容易に被写体を写真に撮ることができるようになった時代と比較すると、ラウリーの時代においては写真撮影の機会は著しく限定されてきた。画家は来るべき時代のことなど考えることなく、日々の仕事の合間に、目に留まったあらゆるものを描いてきた。そこには同じ地域に住み、苦楽を共にしている貧しい人々と心を共にするかのような感情が込められている。
今日残る膨大な作品を見ていると、ラウリーの心に触れた対象がいかに広範に及んだかに改めて驚かされる。おびただしい数の人で埋められた街中や海岸の風景があるかと思うと、人影が全くない自然の風景、通りすがりの家の窓に飾られた一輪の花、誰もいない薄暗い坂道、憂いを含んだ母親の肖像、コミカルに自分の生き方を風刺した戯画、そして波と空以外、なにも描かれたいない海の風景など、画題の多様さに驚かされる。
L.S.Laury, Yachts, Lytham St.Anne's, 1920,
pastel on paper, 27.9 x 35.6cm,
《ヨット、ライサム セント・アンネ》
Source: Rosenthal, p.222
再論すると、この画家の真髄は、数点の作品を見ただけでは分からない。画家の関心と描かれた対象がかなり広いためである。しかし、美術館などで見る作品の数が増えるにつれて、多くの人が知らず知らずのうちに、ラウリーのファンになっていることに気づくだろう。そして、この画家の最大の魅力の根源は、画家の生まれ育った地域と人々への深い愛情であり、ひたすら描くことに生きがいを感じ、世俗的栄誉を求めなかった画家の人柄にある。
Reference
T.G.Rosenthal, L.S.Lowry, The Art and the Artist, Norwich, Unicorn Press, 2010
続く