時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

今に生きるカラヴァッジョ

2017年04月29日 | 絵のある部屋

 

 


カラヴァッジョ、ラ・トゥール、・・・。「誰、それ?」と日本では言われていた頃から、ほとんど半世紀近く馴染んできた画家である。今ではこの国でもかなり知られるようになった。とりわけ今世紀になってカラヴァッジョ、本名ミケランジェロ・メリージ(Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571-1610) への人気は世界的にひとつのブームを生み出したが、その熱は未だ衰えていない。

 昨年2016年秋、ロンドンのナショナル・ギャラリー、そして昨秋から今年にかけてはニューヨークのメトロポリタン美術館という大美術館が、カラヴァッジョとその追随者(カラヴァジェスキ)について、一連の展覧会を開催した。

 今回はロンドン、ナショナル・ギャラリーの企画展に焦点を当ててみよう。"Beyond Caravaggio" 「カラヴァッジョを超えて」と題した展覧会であった。その後、展覧会はロンドンからダブリン、エディンバラへと巡回した*2上掲のカタログの表紙は、下に掲げるカラヴァッジョの作品の一枚(部分)である。しかし、カラヴァッジョの研究者を別にすれば、この作品がカラヴァッジョの手になるものか、何をテーマとしたものか、わかりにくいかもしれない。

カラヴァッジョ「キリストの捕縛」、1602

The Taking of Christ, 1602
oil on canvas, 133.5x169.5cm
On indefinite loan to the National Gallery of Ireland
from the Jesuit Community, Leeson St, Dublin
who acknowledge the kind generosity of the late Dr Marie Lee-Wilson, I.,I4702 

 この作品、実は発見されたのが1991年、アイルランドの旧家が保存、継承していたものがである。18世紀にはほとんどローマのマッティ宮殿のどこかに掲げられていて、外の人たちの目につくことはなかったらしい。19世紀初めにスコットランドの愛好者(W.H.Nisbet)の手へ移り、1921年ころまでそこにあったとされている。その後アイルランドの歯科医Marie Lea-Wilsonの所有となり、所有者の没後、1930年頃に寄贈先のダブリンのイエズス会からアイルランド国立美術館へ恒久的に貸し出されている。マッティ家が売却した当時から、作者はホントホルストと誤解されていたようだ。

 そして、仔細に見れば、まがいもなくカラヴァッジョの作品ということで専門家の見方は今ではほぼ一致している。1602年、当時ローマのパトロンであったマッティ家 のために画家が制作したと考えられている。翌年、画家に代金が支払われている。この主題、構図でカラヴァッジョが制作していたことは、残存するコピーなどからほぼ確認されていた。折良く、マッティ家資料庫の調査が並行して進められていたことも幸いした。さらに、カラヴァッジョがこの作品の制作に際して、構図などのヒントを得たのは、1509年頃に制作されたアルブレヒト・デューラーの同じ主題の銅版画と推定されている。

 ナショナル・ギャラリーのバロック油彩画担当の学芸員レティシア・トレヴィス Letizia Treves によると、カラヴァッジョの作品については、油彩画などの収集熱が高かった19世紀中頃、ヴィクトリア時代のイギリスでもあまり関心が寄せられなかった。彼らは明るく穏やかなイタリアの空と風の下で描かれた作品の方を好んだようだ。

 そして、当時はかなり単純に光と闇、鮮烈で迫真的な描写などがカラヴァッジョの特徴と考えられていたらしい。結果として画商やコレクターなどがカラヴァッジョと鑑定、取得した作品でも、カラヴァッジョ風ではあるが、ほとんどは別の画家の作品だった。ちなみに、カラヴァッジョが自らの署名を残したのは、「洗礼者ヨハネの斬首」(1608年、サン・ジョヴァンニ大聖堂)のみとされている。

 さて、世界に冠たる美術館ナショナル・ギャラリーといえども、今日の状況ではカラヴァッジョの作品だけの企画展を開催することはきわめて難しい。そのため、今回の企画展も多くのカラヴァジェスキ(カラヴァッジョの追随者)の作品で体裁を整えている。その最後には、しばしば安易な推論でカラヴァジェスキとされているジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品も2点出展されている。


最後にクイズをひとつ。下に掲げた図(ある作品の部分)の画家と作品は? 
答えは最後に。


References

*1
Valentin de Boulogne: Beyond Caravaggio
an exhbition at the Metropolitan Museum of Art, New York City, October 7, 2016-January 22, 2017; and the Musee du Louvre, Paris, Februey 20 - May 22, 2017

 

*2
Beyond Caravaggio:
an exhibition at the National Gallery, London, Octobe ofr 12, 2016-January 15, 2017; the National Gallery of Ireland, Dublin, February 11-May 14, 2017; and the Scottish National Gallery, Edingburgh, June 17-September 24, 2017
Catalog of the exhibition by Letizia Treves and others

London: National Gallery 


Quiz の答

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「ダイス・プレーヤー」

Georges de La Tour(1593-1652) and studio
Dice Players, about 1650-1, oil on canvas, 92.5x130.5cm
Signed (or inscribed) on the table lower left Georges de La Tour Inve et Pinx
Preston Park Museum & Grounds, Stockton-on-Tees, SBCO200/76 

⭐️ちなみに、この作品はイギリス国内で所蔵されているラ・トゥールの真作(あるいは息子エティエンヌとの共同によると考えられる作品)3点のうちの1点。画家晩年の作品とされるが、その筆使いや描き方はそれまでの作品とかなり異なっていて、真作とするには異論もある。本ブログでも何度かとりあげているが、たとえば次の記事を参照ください
ラ・トゥール フリーク向けのもう一つのクイズ:残りの2点は何でしょうか。

 

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花を追って

2017年04月23日 | 午後のティールーム

明日何が起こるかわからない昨今、少しだけ世俗の世界から離れようと出かけた所。
さてどこでしょう。前方の桜はそろそろ散り始めています。
目を移すと、五重塔か仏塔のような建物が。 

さらに歴史を感じさせる古い建物や木々のたたずまい。

ここまでに分かれば、合格?

そして、正解は。

蔵王堂には秘仏、彩色も鮮やかに巨大な御三体の本尊蔵王権現(安土桃山時代・重文)が鎮座。「権現」とは仮の現れという意味。御三体は釈迦如来、弥勒菩薩、千手観音菩薩を意味しているとされるが、異様な青色で憤怒に満ちた形相は訪れる人々をひたすら圧倒する。それはただただ悪を許さない「威厳」に満ちている。今の世が必要とするものかもしれない。 花の季節はそろそろ終わりに。その先にに見えてくるものは。

国宝仁王門修理のため、2012年から10年、期間限定のご開帳です。

 

 

 

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戦争を記憶する:30年戦争の傷跡をたどる

2017年04月17日 | 午後のティールーム

 

北東アジアに急速に緊迫感が強まっている。火元はまたもや朝鮮半島になりそうだ。と言っても、若い世代は朝鮮戦争をほとんど知らない。1950年6月25日大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が衝突。それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国義勇軍の支援のもとに、戦争状態となった。53年7月にようやく休戦となった。敗戦後日の浅い日本はアメリカ軍の後方基地として漁夫の利を占めたような状況だった。

安易になってきた戦争認識
1960〜75年には北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線とアメリカ・南ベトナム政府の間で戦争状態となり、今に残る深い傷跡を残した。アメリカはいずれの戦争にも加担している。20世紀以降の世界で、アメリカが関係していない戦争を探すのは難しい。あらゆる戦争に介入してきた。アメリカに頼る国もある。アメリカは今後世界の警察官であることをやめるといっても、これまで思うままに振舞ってきた武力優位の持つ魔力は捨てがたいのだ。シリアの戦争も、今や「内戦」どころか、外部から介入する大国の新兵器の試験場のごとき様相を呈してきた。核兵器ではない在来 conventional の爆弾では最も爆風が凄まじいという兵器が、トランプ政権になっていとも安易に使われている。シリアはピカソの「ゲルニカ」そのものだという見方もある。

「戦争」で区切り直す時代認識
20世紀はしばしば短い世紀であったと言われるが、「世紀」は歴史軸上の区切り(ベンチマーク)に過ぎない。歴史を真に区分してきた要因を見定める必要がある。やはり、「戦争」の持つ影響力は大きい。この点を重視する立場からは、その端緒はこの世紀の世界的悲劇、第一次大戦の開戦年の1914年に始まり、1991年の第二次世界大戦の終結で区切られるとされる。第二次大戦は、第一次大戦の結果がもたらしたものの延長線上で理解される。もちろん朝鮮戦争、ヴェトナム戦争や中東での紛争もこの流れに包括される。こうした視点からすれば、20世紀の基底を流れたのは「戦争という恐るべき怪物」であり、それが支配した世紀だったと言えよう。

 21世紀はいかなる世紀になるだろうか。この時代の始まりを画したものは、天文学上の発見でも、新大陸の発見でもなかった。それは9.11同時多発テロという世界を震撼させた出来事であり、前の世紀からのつながりが生み出したものだ。その結果はテロリストへの報復という形で直ちに中東戦争へと拡大して行った。戦争という残酷な争いがいかに悲惨で、虚しいものであることを人々が心から認めるまでは戦火は地上から絶えない。疲弊しきるまで止まらない戦争 悲惨と荒廃だけを残したともいわれる「30年戦争」だったが、人々と国土が疲弊しきって、やっと終結の時が来た。1635年に皇帝とザクセン選帝侯の間で《プラハ条約》が結ばれ、ドイツ内部の両派の間では和睦が成立したが、フランスがスウェーデンと結び、戦争に介入し、30年戦争は終わらなかった。(「フランス・ステージ」ともいわれる段階)。その後も、混迷は続き、ようやく1648年、プロテスタント側はミュンスターで、カトリック側はオスナブルックに集まり、同じ日に署名されて、「ヴェストファーレン」条約として、後世に知られることになった。

 神聖ローマ帝国は長い疲弊の時から抜け出たが、ドイツは多くの領邦(実際にはroyaumes, principautes, margraviates, landgraviats, comtes, seigneurics などの名で呼ばれた複雑な状況)に分割され、新な苦難の時代を迎えることになった。30年戦争とその後のドイツ世界がいかに荒廃し、悲惨なものであったかを知ったのは、ブログにも記したグリンメルスハウゼンの戦争小説などを読んでからであった。歴史では習ったが、それまでほとんど実感が生まれなかった。16世紀にはその美しさを誇ったドイツの国土が、その復興に100年余を必要とするまでになってしまったのか。ドイツはその後も戦争の中心となって、歴史の舞台へ登場してきた。戦争を基準として時代区分を仕切り直すならば、第一次大戦以来今日まで、地球上から戦火は絶えていない。「戦争の世紀」がこれ以上続かないよう、戦争の歴史を忘れないことが必要だ。「戦争」について真実を次世代に伝承することは「平和」について語るよりはるかに困難だ。

 30年戦争による神聖ローマ帝国の地域別人口増減
 30年戦争は時と所を変え、様々な要因で入り乱れ続いたが、地域では現在のドイツを中心とする地域が、最も過酷で悲惨な戦場となり、多数の人命が失われた。戦争の直接的結果あるいは他の地域への流出で、半数以上の人口が失われた地域もあった。

フランスに近い西部のパラティネート(プファルツ)、東北部のヴュルテンベルクなどの荒廃は、甚だしかった。下図で色の濃い地方ほど、人口減が激しく、領土も疲弊した。

C.M.N.Eire, Reformations, 2017, p.553

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振り返ってみる30年戦争の時代

2017年04月07日 | 午後のティールーム

 

Carlos M.N. Eire, Reformation, The Early Modern World, 1450-1650
New Heaven: Yale University Press, 2017, cover

偶像破壊によって壊された聖人像
聖マーガレット、聖アンドリュー教会、
イギリス、エセックス 


昨年はマルティン・ルター(1483-1546)没後500年という記念の年にあたり、ルター派教会を中心に様々な行事が行われてきた。ルターに関する出版物もかなり増えたようだ。ルターというと、直ちに思い浮かぶのはやはり「宗教改革」だ。ルター、カルヴァンなどを中心として形成されたプロテンタスティズム、とりわけルターは現代の保守主義、リベラリズムの源流としても議論されている。学生時代に読んだ「プロテスタンティズム˚の倫理と資本主義の精神」,「一般社会経済史要論」などを思い出した。スマホ世代の人たちはほとんど手にすることはないのだろう。読んだことがあると答える人が少なくなった。 

   このブログでも取り上げたこともあるが、ルターが1517年に提示したヴィッテンベルグ城教会の扉に貼り出したといわれる95か条の提題は、ローマ教皇の贖宥状販売を攻撃し、教会の腐敗を糺し、「宗教改革」 Reformations という運動へと展開、カトリック側の反対と自己改革を中心とする「反宗教改革」(カトリック宗教改革)の動きを誘発した。この対立の実態はその後の研究で、現実は世界史教科書で学んだような分かりやすい展開ではなく、極めて複雑なものであることが分かってきた。ルターの人物像も、かつて宗教学概論などの講義で習ったイメージとはかなり異なっているようだ。

 17世紀ヨーロッパを特徴づけた30年戦争(1618-1648)には格別の関心を持ってきた。地球上に戦争が絶えたことはないが、20世紀を特徴づけた第一次、第二次世界大戦とは異なった複雑さと深さを持っている。一般には、スペインと神聖ローマ帝国という巨大なカトリック勢力に対するプロテスタント優勢の諸国連合の対決と理解されている。しかし、この戦争は開戦から終戦まで一貫して継続した戦争ではなかった。多くの局面とそれぞれの背景が異なり、複雑を極める。当初は宗教戦争と言われたが、その後の展開で様々な政治的要因や利害と戦場が重なり合って現れた。時には敵と味方の宗教的属性が反対になったりもした。この戦争の実態に立ち入るほどに多くのことを学ぶことができたが、とりわけその宗教性と時間の経過に伴う変質が注目を惹く。時代は異なるが、多くの外国勢力が介入している現代の複雑きわまるシリア内戦などと似た点もある(このたびのアメリカ・トランプ政権のシリア政権軍攻撃で事態は一段と厳しさを増した)。

 30年戦争にブログ筆者が関心を持ったきっかけは、恩師のひとりが、ドイツ文学者で17世紀の研究者であったことにあった。その影響もあって「30年戦争」文学ジャンルには、その後全く異なる専門を志すようになってからも、折に触れ興味をひかれた作品を読んできた。この戦争については、世界でどれだけの書籍が刊行されただろうか。研究書だけでも数え切れないほど膨大で、多くの名著が書かれてきた。最近でも新しい観点からいくつかの力作が刊行された。宗教改革のようなテーマは、ともすればバイアスがかかりがちで、かなり時間を置かないと実像が見えてこない。

 最初の頃読んだのは、シラー「30年戦争」、シラー「ヴァレンシュタイン」、グリンメルハウゼン「阿呆物語」、ブレヒト「肝っ玉おっ母とその子どもたち」あるいはいわゆる農民戦争ものなどであった。銅版画家デユーラー、クラーナハ、カロなどの作品に出会ったのも、この過程だった。

 「30年戦争」というテーマで、思い浮かぶトピックスは尽きない。これだけでいつまでも書いていられるが、その時間はない。今回はこの戦争の発端といわれる事件について、最初の頃に抱いた単純な疑問について記してみよう。  

 1618年5月23日、プラハで起きた「窓外放出事件」である。30年戦争の開幕であり、「ボヘミアン・ステージ」と呼ばれることもある。舞台はベーメンとプファルツだった。すでに神聖ローマ帝国は宗教革命の展開に伴って分裂状態に入っていた。「新教徒同盟」と「神聖同盟」との対立は戦争寸前の危機状態にあった。その中で何人かのプロテスタント側の指導者たちがプラハの王宮に抗議に出かけた。王宮の行政担当者はカトリックであったから、激しい論争となった。訪問者たちは二人の行政当局者と一人の秘書を窓外に放り出した。

プラハの窓外放出事件を描いた版画(1618年5月23日):30年戦争の発端となった。

 この記述を最初読んだ頃は、窓から放り出された3人がどうなったか、ほとんど気にならなかった。多分、死んでしまったものと思い込んでいた。ところが、その後文献を読むうちに、実際には3人は20メートル以上の高さから落下したにもかかわらず、無傷で済んでいたらしい。

 放り出された3人が信仰するカトリック側は、神の奇跡であると祝福し、プロテスタントの暴力を批判した。他方、プロテスタント側はたまたま窓外に積まれていた堆肥の上に落ちたので衝撃が和らげられたに過ぎないとした。プラハの壮大な王宮と石畳の道を思うと、どちらもにわかには信じられない事件であった。真実は神のみぞ知る。


 



 

 

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春の行方

2017年04月03日 | 午後のティールーム

 


春の光は草木にとって想像がつかない力を与える。長い冬の間、厳しい雨風や雪に耐えていた種や球根が春の訪れとともに、一気に活動を始める。あたかも新たな命を得たようだ。例年秋口に植えるチューリップなどの球根の類も、時を計っていたかのように確実に芽を出し、花開く。自然の摂理の絶妙さに幾度となく感動してきた。

他方、人間の世界は近年著しく不確実性が増した。「想定外」という流行語が出現したように、思いもかけない出来事が突如として起こる。人間の予知能力は格段に低下し、神でさえ未来は分からないといわれる時代となった。

しかし、巨大コンピューターの能力とAIの発達で、ロボットが人間の能力を凌ぐような状況も出てきた。典型的には囲碁、将棋、チェスなどの分野で名人が破れるという水準まで、ロボットの予測能力が高まった分野もある。人間行動のパターンをコンピューターが読み切れるまでにプログラムの精緻化と計算能力が拡大した成果といえる。だが、コンピューターが人間に勝つような状況が生まれるのは、未だ囲碁や将棋という思考ゲームに限られている。コンピューターが棋士の対決が行われている座敷の外の世界の変化まで予測することは、現在の段階ではできない。棋士には見える室外の桜も、今の段階では、コンピューターには見えない。

経済学の推論などで、ceteris paribus (other things being equal) という前提がつけられることがある。「他の条件が一定ならば」というかなり厳しい限定である。モデルが設定した条件以外は凍結されて動かないという意味である。しかし、現実には予測値と実際の結果(実績)の間に大きな離反が生じることはしばしば起こる。例えば、投機家などはある予測の内容を知って、予測とは相反するような行動に出る。例えば、当面の株価安値が予測されれば、素早く買い入れを増やすなどの行動に出る。その結果、予測値を結果が上回るということが起こりうる。

人間社会は実験室の世界とは異なり、行動する主体が自らが置かれた状況を判断し、考え、さらに行動する。その結果、世界は変わる。激変する世界、予知能力の充実はこれからの時代を生きる人たちには欠かせない。しかし、その答えは人々が電車の中や歩きながら覗き込んでいる小さな画面の中にはないようだ。

 

 

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