時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(4)

2015年07月23日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Albrecht Dȕrer(1471-1528), Job and His Wife, c.1504, oil on panel,
Städel, Frankfurt, and Wallraf-Richartz Museum, Cologne, detail.

アルブレヒト・デューラー『ヨブとその妻』 部分、鍵に注意
画面クリックで拡大 


神は細部に宿る
 このラ・トゥールの画題と意味について、なぜこうした一見些細なことにこだわるのかとおもわれるかもしれない。確かにブログ開設の頃は、大学生や一般社会人向け教養講座の水準であったが、10年余りも経過すると、内容も時にかなり深入りし、継続して読んでいないと分かりにくい水準にまでなっている。管理人の覚え書きの代わりを果たすこともあり、ブログにしては少し重いことは自覚している。しかし、同時にこの問題にかぎらず、細部を知ることなくして、世の中の真理は分からないと思っているので、ヨブのように(笑)、じっとがまんして読んでくださる方には有り難く感謝したい。

 ラ・トゥールという希有な画家の作品の一枚も、細部を知らないと、なにを描いた作品なのか分からずに、ただきれいな一枚の絵で終わってしまう。これまでも繰り返し強調してきたが、ラ・トゥールという画家については、特に見る人と画家(作品)との精神的対話が求められる。その対話なくして,ラ・トゥールは分からない。

 実は人生も同じなのだ。世の中の出来事を注意深く観察する目を養いながら、細部に関する知識を累積してゆくことで、次第にその深みが見えてくる。最近では、再び大学の危機が議論の俎上に乗る中で、「教養」の必要が話題となっているが、筆者は昨今の教養をめぐる議論には大きな疑問を抱いている。あまりに大きな疑問なので、いつか改めてブログ上に登場させるかもしれない。

閑話休題

 前回のアルブレヒト・デューラーの作品『ヨブとその妻』を思い起こしてみよう。16世紀初頭、1503年頃の制作と推定されている。画面にはヨブに多大な苦難を与えているサタンのような姿、あるいはヨブが座って考えこんでいる汚い堆肥のような、一見してあまり美しくないものは、依然として描かれているが、同時代の他の画家あるいは17世紀のステラの作品で見たように、あまり見たくないという作品ではない。作品が祭壇画として描かれたこともあるが、美しい作品である。ヨブとその妻の話に関心を抱く人にとっては、きわめて興味深い作品になっている。ちなみに、この祭壇画は3枚から成るが、左側にあるべき一枚は逸失しており、諸説あって今日の段階では確定されていない。この2枚も、別々になっていたが、ヨブの妻の衣装のつながりから、接続していたことが確認された。

鍵の持つ意味
 前回、ヨブの妻の腰帯に鍵の束がつけられていることに着目した。実は「鍵」は絵画を見る際にきわめて重要なアトリビュート(その人の属性などを示す持ち物)なのだ。古くはイエス・キリストが聖ペテロに神の国への鍵を渡したことで、よく知られている。今日でもオリンピックなどの祭事などの時に、市長などが大きな鍵を持っている光景を見ることがある。鍵は権威の所在、持ち主などを象徴的に示すものでもある。

 16世紀のデューラーやさらに時代を下って17世紀、ラ・トゥールの作品を見ていると、ヨブと妻の関係が、それまでの夫に従わない悪い妻であるというイメージが、時代ともに少しずつ変化していることに気づく。財産も子供もすべて失ってしまい、さらに自分が皮膚病に苛まれ、それでもじっと耐えている夫ヨブの背中に水をかけてやる妻の顔色には、夫を嘲り、蔑むような感じは、まったく見られない。むしろ、サタンが企み、神が認めた、ヨブの身体を究極の苦難にさらすという試練に、じっと耐えている夫への愛と同情が感じられる。それは、『ヨブ記』では、図らずも口にしてしまう妻の一言とは別の次元と思われる。

 若い世代の人たちには、第一回に掲げた『ヨブ記j』の文語訳は、理解しがたいかもしれない。筆者は文語訳に慣れていて抵抗感はないが、ここに口語訳聖書の該当部分を記しておこう:ふりがなは原則省略。
ことの起こり
1(略)
2 またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。主はサタンにいわれた。
「お前はどこから来た。」
「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。
「お前はわたしの僕(しもべ)ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由も亡く、わたしを嗾して(そそのか)して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」
 サタンは答えた。
「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。
「それでは彼をお前のいうようにするがよい。ただし、命だけを奪うな。」
 サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中(からだじゅう)をかきむしった。
 彼の妻は、
「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう。」と言ったが、ヨブは答えた。
「お前までが愚かなことを言うのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
 このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
 (以下、略) 
聖書(新共同訳)「ヨブ記」2.8 (旧)776-777 

 ここでは,「ヨブ記」のさらに詳細については触れないが、この文脈の流れに沿って、宗教的・社会的イメージが形成され、それはカトリック、プロテスタントを含めて大きな影響を及ぼした。その時代に生きた画家たちもそうした時代の受け取り方の中で、最大限の創造力を発揮して、この主題に挑んだ。

画家の創意に迫る
 さて、本題に戻って、前回までのラ・トゥール、そしてそれより一世紀前の巨匠デューラーの作品が、他の多くの画家たちの作品あるいは多くの理解と異なって、画家独自の主題理解、創意とその工夫が画面に込められていることを記した。

 とりわけ、筆者は伝統的に伝えられてきたヨブの肉体的苦難の描写以上に、ヨブとその妻の対比的位置、妻の衣装、アトリビュートなどに関心を惹かれた。いうまでもなく、この2人の天才的画家の作品は、この主題のきわめて残酷な情景を極力回避し、きわめて感動的で美しいものに仕上がっていた。筆者がラ・トゥールに惹かれるようになったいくつかの作品の中で、図抜けて美しく魅力的なものであった。

 しかし、ラ・トゥールの作品には多くの謎が込められている。それらの謎を解くためにこの主題を描いたいくつかの作品、研究成果などを探索している過程で、出会った一枚は、デューラーの作品であった。 デューラーとラ・トゥールは、時代をほぼ1世紀隔てるが、そこには共通したものが流れている。特にヨブの妻のルネサンス風の衣装とラ・トゥールの描いたヨブの妻の聖職者を思わせる美しい、しかし、ヨブとの特別の社会的関係を思わせる衣装に目を惹かれた。

 そして、気づいた点のひとつはデューラーの作品で、ヨブの妻の腰帯につけられた鍵(束)であった。デューラーもラ・トゥールも制作に当たり深い思索をこらし、作品の主題に不必要なものは極力描かない。逆に言えば、描かれたものには意味があるのだ。 

 さて、こうしてヨブの妻の衣装、そして腰帯につけられた鍵の意味を探索する試みを続ける旅の途上で出会った作品が次の一枚だった。

なぞに迫る一枚


Jan Mandyn(1500-1560), Les épreuves de Job, Musée de la Chartreuse-Douai, Phototheque-Musée du Douai. 画面クリックして拡大
ヤン・マンディン『ヨブの試練』 

 オランダ北方ルネサンスの美術家ヤン・マンディンJan Mandyn(ca.1500-1560)は、ヨブをあざける光景を描いている。画面の左側にはヨブとその妻が描かれている。ヨブの妻の腰帯にはあの鍵がつり下げられている。そして、ヨブの妻の衣装は、筆者がラ・トゥールの作品で感じたように、普通の町の人々が着る日常着ではない。明らかになにか特別の恐らく宗教的な意味を持つ衣装である。

 この作品を残したヤン・マンディンはオランダの画家ヒエロニムス・ボッシュHieronymus Bosch の画風に従ってきたといわれる。Boschの作品は、ご存知の方はすぐに思い浮かぶように、作品の明快な解釈を難しくずる特異な画風だった。Boschの工房でもヨブの生活を1507年から  3枚折の祭壇画を制作した。この作品では楽士たちと町の人たちを描いているが、ヨブの妻は描かれていない。どちらの作品でもヨブを嘲弄する場面を描いたものとされる(画題は後世の人がつけたものかもしれない)。しかし、描かれた人物の性格は依然として謎を秘めたものだ。

 上掲の作品を制作したヤン・マンディンは、オランダの画家である。この作品が収蔵されている場所の名から、最近話題となったある映画名を思い起こす方もあるかもしれない。Chartreuse-Douaiはフランス最北部に近い所にある。このことも、デューラーやラ・トゥールの議論に関連するかもしれない。まだ、謎の解明は終わらない。今日はこれまでにしましょう。


続く

 

 

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ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(3)

2015年07月14日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

アルブレヒト・デューラーヨブとその妻』
ヤーバッハ祭壇画の一部
クリックで拡大

 

 ヨブとその妻についての話を知っていたり、関心を持っている人は、ブログ読者の中でも数少ないのだろう。そのことはアクセス数その他で直ちに知ることはできる。身近かなカトリックの信者の方に聞いても、当方の疑問についての手応えある答や説明が戻ってくることは少なくなった。旧約聖書に出てくる聖人の名前でしょうか、聞いたことがあります程度の反応で終わってしまうことが多い。

 ヨブの妻が長らく悪妻の象徴的存在のひとりにされてきたことについても、ほとんど知る人が少ない。今回話題としているラ・トゥールの作品についても、きれいな絵ですね、初めて知りましたなどのコメントは多数いただくが、実際にこの作品の主題がいかなる内容であるかを答えられる人も少ない。世の中が変わったといえば、それまでなのだが、少なからず残念な気がする。

ラ・トゥール効果
 ほぼ同時代の画家フェルメールのように、ただ目の前にある世俗的情景を美しく描いた作品と異なって、ラ・トゥールの多くの作品には画家の深い思索の結果が凝縮されている。風俗画など世間で話題のテーマをそのまま描いたものはない。世の中でよく知られたテーマであっても、この画家は安易に時代の風潮に乗ることをせず、常に他の画家と一線を画すいわば革新を企図していた。一枚の絵からは、その制作に精魂込めた画家の精神、さらには背景にある画家が生きた社会の姿が浮かび上がってくる。不思議なことに、ひとつひとつは小さなことだが、こうしたことが積み重なって行くと、広く時代を見る力、先を見通す力など、多難な時代を生き抜く上での手がかりのようなものが得られる気がする。


 一般社会人のセミナーなどで、何度か少し立ち入った話をすると、終わりの頃には、かなり核心に迫った質問や感想が出てくる。こうした人たちは目に輝きが増し、自分で考えさらに調べてみようという意気込みが感じられる。これはとても嬉しいことだ。

 西洋美術史家でもない私が、あえてこうしたトピックスをとりあげていることについては、いくつかの理由がある。およそ半世紀前にフランスの小さな町の美術館で、この作品に接した時の衝撃は、今も残っている。同行してくれたドイツ人夫妻との議論も長く続いた。掲示されていた画題から、画家がなにを描いたものであることは分かったが、長年にわたる伝承と作品の間隔に、なんとなくしっくりしないものを感じてきた。さらに美術史家の説明にも納得できるなかった。これは前回に記した作家のパスカル・キニャールも感じたことに近い。しかし、パスカル・キニャールは残念にもそれ以上、探求することをせず、旧来の伝承を受け入れてしまった。

 このラ・トゥールの『ヨブとその妻』は、神への信仰の真実さを確かめる最後の試練として加えられた皮膚病に苦しむヨブよりも、妻の側に重点が置かれている。この作品での妻の存在感は、ひと目見ただけで圧倒的だ。しかも、そこからはヨブに対する蔑みや愚弄する言葉は聞こえてこない。雑念を離れて見れば、そこには神へひたすら傾倒し、その信仰の真実性を試すために加えられた厳しい病に悩む夫と、それを心配し、慰めに来た妻というきわめて自然な関係が見えてこないだろうか。

ヤーバッハ家の祭壇:デューラーの試み
 それまでの通念は、ヨブの妻は夫を侮り、軽蔑する、高齢で容姿も決して美しくない女として、描かれてきた。しかし、ラ・トゥールの情景には、そうした妻のイメージはない。むしろ、自分の肉体への試練という厳しい事態に、強い信仰心をもって耐え抜いている夫の本当の心を確認したいと思い、見舞いにきた妻の姿とみるべきだろう。その姿、形は際だって美しく見える。

 実は伝統的なヨブとその妻に関する通念、とりわけ神に対して疑うことのないヨブとそれについて懐疑的な世俗的な妻との関係は時代と共に、すこしづつ変化してきたと筆者は考えてきた。ラ・トゥールとの関係でそれを想起させたのは、以前にも記したアルブレヒト・デューラーの作品との関連であった。ラトゥールよりもほぼ1世紀前の画家である。ラトゥールの作品と比較してなにが分かるだろうか。

Albrecht Dȕrer(1471-1528), Job and His Wife, c.1504, oil on panel,
Städel, Frankfurt, and Wallraf-Richartz Museum, Cologne 

アルブレヒト・デューラー、『ヨブとその妻』 3枚パネルの一部

 

 この作品はヤーバッハ・祭壇画として知られる祭壇画の一部であり、恐らくサクソニー選帝侯フレデリックIII世によって画家に依頼され、ウイッテンベルグの城内の教会に、掲げられたものと推定されている。1503年における悪疫の終息を感謝しての作品と思われている。元来3部で構成されていたようだが、祭壇側面部の作品だけが今日残されている。

 今日では上掲の右側と左側の作品は、別々の美術館が所蔵している。ここではヨブの妻の衣装の続き具合などを考慮して、イメージ上で仮に接合してある。この作品を含む全体の構成については、多くの議論があり、定まっていない。18世紀末には、これらの作品はケルンのヤーバッハ家の礼拝堂を飾っていたといわれるが、その後、散逸し、今日に至っている。

 上のパネルの右側には2人の楽人が立っている。ドラムを持った右側の人物は、デューラーの自画像ではないかと推測されている。彼らの役割、意味については、定説はまだない。

 上のパネルの左側が、ヨブとその妻の関係を示す作品と思われる。言い伝えのように、ヨブは堆肥の上に皮膚病に侵された半裸体のまま、消耗しきってなにかを考えるかのように座っている。彼の心中は、家族、財産のすべてを失っても切れることなく維持してきた神への絶大な信仰と、ここまで来てしまった自らの行いについての懐疑と悔悛の心が入り乱れているのだろう。遠くには火炎を上げて燃えるヨブの豪華な家も見える。火炎の中には小さな悪魔のようなものも描かれている。この点は『ヨブ記』についての時代の受け取り方を反映している。しかし、16世紀の人でありながら、天才デューラーは、ヨブとその妻についての長年にわたる伝承の路線上にありながら、従来の固定した観念とは、かなり異なった新しい試みを行っている。

 たとえば、ヨブの妻は美しいルネサンス風の衣装をまとい、ヨブの背中に水をかけている。この時代に多い、ヨブの妻は歳をとり、容貌も醜く夫の行動を嘲るような、見るからに悪い妻というイメージは少なくも画面の上からは感じられない。手桶で炎天下に熱くなってしまった夫の脊中に水をかけてやっているが、頭からかけているわけでもなく、ごく普通の仕種である。妻であったなら、夫の苦難を和らげてやりたいという普通の行動ではないか。しかし、疲れ切ったのか,ヨブは妻の方を見ることなく、考え込んでいる。ここで注目すべきは、妻が腰の帯に吊しているひと束の鍵である。これがなにを意味するか。ラ・トゥールにつながる謎を解く鍵となるかもしれない。



続く

  



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ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(2)

2015年07月05日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『妻に嘲笑されるヨブ(あるいはヨブとその妻』 
ヴォージュ県立博物館、エピナル、部分(クリック拡大)

  


迫られる作品との対話

 ラトゥールの「ヨブとその妻」を見ると、同時代の画家たちの作品と比較してきわめて異なる強い印象を受ける。この画家については、とりわけ描かれている人物との対話が求められるようだ。画題は記されていないことがほとんどだから、解釈は見る人の力が試されることになる。

 この画題が旧約聖書『ヨブ記』(前回記事参照)の話の一齣を描いたものとしても、未解明で注目すべき点は多々残されている。ラ・トゥールの生きた17世紀を含めて、この『ヨブ記』の主題を描いた作品は、その多くに悪魔のごとき奇怪なものが描かれていたり、ヨブの座っている所が汚い堆肥の上であったり、ヨブの全身に皮膚病の発症した状態が見る者をおじけさせるように描かれている。しかし、ラ・トゥールのヨブは、恐らく暑さを避けての洞窟内を想定したのであろう、半裸ではあるが、皮膚病の発症などはほとんど確認できない。そして、あのサタン(悪魔)のごときおぞましいものも、堆肥のごときものも描かれていない。この画家は自ら深く考えて必要であると考えるもの以外は描くことがない。画題の本質の理解に不必要なものは極力描かない。しかし、ひとたび必要と考えた対象には細部にわたり全力を傾注している。

 前回の続きで注目すべき点は、ヨブの妻の姿態、衣装である。 この作品においては、同じ主題を描いた画家が、ヨブに注目しているのに対して、ラ・トゥールはヨブの妻により大きな比重を与えている。ヨブの妻は16-17世紀まで、ほとんど例外なく、年老いた容貌で、夫のヨブを嘲り、言葉で鞭打つような姿で描かれてきた。しかし、ラ・トゥールのこの作品を見た者は、長い間刻み込まれてきたヨブの妻のイメージとの大きな違いに驚かされ、戸惑ったに違いない。そのこともあって、過去には美術史家によって誤った画題が想定されてきたこともしばしばだった。

 以前にも記したが、筆者の私は、これはひとり苦しみに耐えるヨブの所へ、妻が見舞いに来た光景ではないかと思った。しかし、長い歴史の間に刻み込まれた社会的通念は多くの人の思考を強く制約している。

 ここに描かれた女性は、背が高く、帯が高く締められており、画面上部との関係で、多少窮屈な印象を与える。しかし、これは画家の想定したことなのだ。ヨブの妻の頭上に洞窟の天井が迫っていることもあって、身体を折り曲げて、座っているヨブの顔を覗き込んでいる光景としてみれば、絶妙な位置関係である。こうした構図はラトゥールの「農夫」、「農婦」などの作品にも感じられる。重心が意図的と思われるほど下方に置かれ、強い意志を秘めた人物であることが見て取れる。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『農婦』
サンフランシスコ美術館
画面クリックで拡大 


 ヨブの妻の衣装は、洞窟の中、蝋燭の光に美しく映えている。なんとなく聖職や祭事に関連する衣装であるかのような印象を与える。画家ベランジュやカロの作品にも見られるように、この時代のロレーヌの画家は、衣装を精細、華麗に描くことが多い。『農婦』が誇らしげに着ているエプロンや胴衣も、実に美しく、彼女の自慢するものなのだろう。この『農婦』の場合も、人物の重心が意図的に下方に置かれたかのように描かれ、安定感としたたかさを感じさせる。

 ラ・トゥールの「ヨブの妻」の来ている衣装については、筆者は作品の初見時から聖職など、特別の役割が込められていると考えてきたが、これも本作品の謎のひとつであり、次回以降に触れることにする。

 
通い合う夫と妻の視線
 画面をさらに見ると、ヨブの妻は左手の蝋燭の光の助けで、右手をヨブの髪の少なくなった額に触れんばかりに近づけ、 顔を上げたヨブの目の色を読むかのようにじっと覗き込んでいる。ふたりの目は心中考えることは互いに異なるかもしれないが、あきらかに視線は取り結んでいる。

 ラ・トゥールの『大工聖ヨゼフ』や『聖ヨセフの夢(聖ヨセフの前に現れたる天使)』などの作品を思い起こしてほしい。いずれの作品においても、対峙する2人の視線は、交差していない。あたかも霊界の人と世俗の世界の人間を見えない壁が区切っているかのごとくに描かれている。この点、管理人の知るかぎり、これまで内外の美術史家の誰も記していない。だが、ラ・トゥールは作品の数は少ないが、主題に深く沈潜、熟考して制作した画家であった。いうまでもなく、ヨブも妻も世俗の世界の人である。

 ヨブの妻の目には、この主題を描いた17世紀までの他の画家の作品に多い、夫ヨブへのあからさまなあざけりや見下げた感じはない。ヨブの妻は、神がサタン(悪魔)の手を介し、この世の財産をすべて奪われ、 3人の息子と7人の息女まで失うことになったヨブが、ついに自らの身体に加えられた究極の試練としての病いに耐え苦難の時を過ごしていることを知り、見舞いに現れたのだ。

  これほどの苦難にありながら、夫のヨブは依然として神への畏敬の念を失わずにいるのだろうか。あたかもヨブの心底を読もうとするかのごとく深く食い入るように覗き込んでいる。そこに嘲けりやからかうような表情を感じることはできない。他方、ヨブの目は度重なる苦難に疲れ切ってはいるが、深く悟りきった純粋なものである。

 ヨブの妻はこれまで、夫とともに想像を絶する試練を共有してきた。しかし、今や自らの身体を危うくする苦難にも神を疑うことのないヨブの忍耐に、ついに彼女の評価を定めてしまったあの有名な一言を口にしてしまうことになる(前回参照)。ラ・トゥールが描いた光景は、まさにこの言葉が出てくる少し前の場面と考えられる。しかし、ラ・トゥールは他の画家のように、ヨブの妻を夫を嘲り、罵る悪い妻として描いていない。その謎を解くには、描かれたヨブの妻の側のイメージにさらに立ち入る必要があると思われる。

続く 


 

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