時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

いつまで続くか?ギリシャの現実

2010年08月26日 | 移民の情景

 
いつまで続くか:ギリシャの日々
 財政破綻でEUを震撼させたギリシャだが、今度は不法移民の入り口として新たな頭痛の種となっている。EUの加盟国増加に伴って、EUと域外を隔てる障壁は東や南へ向かって拡大してきた。周知の通りEU市民の域内の移動は自由だが、域外からEU諸国への移動は合法的な入国書類の提示などが要求される。

 不法移民はこれらの書類を提示しないか、所持することなく国境を越えて入国する。そして、入国してしまえば、その後はEU諸国内で仕事がありそうな場所へと移動する。しかし、合法的な入国書類などを保持していないために、良い仕事につける可能性は少なく、しばしば搾取の対象となったり、犯罪組織に巻き込まれたりする。あの名画「永遠と一日」(テオ・アンゲロプロス監督、1999年上映)をほうふつとさせるような殺伐とした光景が生まれている(映画はたまたま、8月26日BS2が再放映していた。映像の美しさと不法移民に突きつけられた苛酷な現実が衝撃的だ。映画の冒頭は、街路で一時停車中の車の窓を洗い、わずかな金をもらう不法移民の子供たちが警官に追われて逃げる光景だ。彼らは人身売買の形でアルバニアからギリシアへ送り込まれてきた。この状況は今もまったく変わらない。アテネなどのギリシャの都市は、アフリカ、アジア、中東などからの移民が増加し、治安上も危険になっている。

  これまではイタリア、スペインなどが不法移民がEUに入り込む地域として、大きな問題になっていた。しかし、近年これらの国では、国境管理体制の整備などもあって、不法入国者の数は減少してきた。EUへの表口からの入国ができない移民希望者は、国境監理の最も不備な地帯を探し求める。今は、経済が混乱しているギリシャがその対象になっている。

 2009年にEUへ不法入国し、国境などで拘束された106,200人のうち、4分の3はギリシャで摘発されている。2010年前半についての暫定統計では、不法移民の全体数は減少しているが、その80%近くがギリシアからEUへ入ろうとしていた。2007年では、半数に留まっていた。

 EU域内で発見された不法入国者は、最初入国した国へ送り戻されることになっている。そのため、最近でほとんどギリシャへ送還されてくることになる。しかし、彼らを出身国へ送り戻すまで拘留するセンターは、対応する人手も不足し、完全にパンク状態だ。さらにギリシャ国内には30万人近くの不法滞在者がいると推定され、失業や犯罪などの温床として、すでに大きな問題になっている。財政破綻したこの国には、対応しようにも資金がない。

 こうした事態に、ブラッセルも頭を痛め、ワルシャワにあるEUの域外からの進入を防ぐ機関Frontexの事務所を、ギリシャのピラウス港に設置し、なんとか対応しようと懸命だ。しかし、アフリカ、中東からの潜在的な不法入国者の流れに対応するには、きわめて弱体で、「大海の水一滴」とまでいわれている。それでもここに投入されている資金は、EU全体の米生産補助金の半分近くに当たる8800万ユーロという額に達している。
 
 これまでEUへの不法入国はスペイン、イタリア、そしてギリシャが多かったが、スペインがセネガル、モーリタニア、イタリアがリビヤと協定を結び、不法出入国を規制する措置を図ったこともあって、一挙にギリシアへ集中する形になっている。もちろん、ギリシャもトルコなどと同様な協定を締結する線で交渉中だ。EUの経済が回復し始めると、不法入国者の数も増加することが予想され、ギリシアは、財政危機と不法移民阻止という二つの難題克服に懸命だ。しかし、この国にとっては、あまりにも重い課題となった。EUが閉鎖性を強めるほど、不法入国を志す者は、残された狭い入り口を求めて、ギリシャのような国境警備の行き届かない地域へと集まってくる。



Reference
"Border burden" The Economist August 21st 2010

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカでしか見られない作品 

2010年08月21日 | 絵のある部屋



Vincent van Gogh. Rain, Canvas 73.5 x 92.5 cm, 1889. Philadelphia, Philadelphia Museum of Aft  
[この作品は恐らく1989年11月2日、ヴァン・ゴッホがプロヴァンスのサン・レミ療養所に入っていた時、自室から窓越しに描いたものと推定されている。Rosenberg pp196-197]


 ごひいきの画家の作品のすべてが、同じ地域のひとつの美術館などに収蔵されていることは望ましいだろうか。これについては、多くの異なった考えがあるだろう。しかし、今日の世界では作品の拡散、グローバル化を阻止することはできない。たとえば、レンブラントの作品をすべて所蔵されている現地で、自分の目で見たいと思っても、ほとんど不可能に近い。現存する作品数の少ないフェルメールやラ・トゥールでも、特別展でもないかぎり、主要作品だけでも見ることは不可能だ。 外国で開催される大規模な企画展などでも、こうした画家の作品のすべてを集めることなど、いまや不可能といってよい。せいぜいその大半を見ることで良しとしなければならない。ましてや壁画、祭壇画などでは、展示されている現地へ赴くしかない。 

 第二次大戦前、そして戦後もしばらく、ヨーロッパの知識人?の多くは、アメリカへヨーロッパの著名画家の作品が流出するのは、アメリカ人の富豪や画商が金にまかせて買いあさる結果だと憤慨し、流出してしまった作品にしても、まだ第一級の作品は旧大陸に残っているからと、自らを慰めていたようなところがあった。こうした感情はその後、かなり緩和したようだ。  

 ヨーロッパという旧大陸とアメリカという新大陸のアンビヴァレントな関係も、時代の経過とともに大きく変わった。アメリカに流出したヨーロッパ絵画をかなり落ち着いて見ることができる環境が醸成されてきたようだ。   

 たまたま、この問題にかかわる一冊の本に出会った。著者は、かつてルーブル博物館の館長をつとめたこともあるピエル・ロザンベールだ。ロザンベールは17-18世紀フランス、イタリア絵画の権威で、プッサン、ワトー、フラゴナール、シャルダンなどの研究者として著名であり、ラ・トゥールについても詳しく、著書も多い。本書はヨーロッパからアメリカに流出した著名な画家の作品の中から100点を選び出したものだ。

 「なぜこの本を書いたか」と題する紹介で、彼は次のようにいう。 第二次大戦後、アメリカの美術館は、そこを訪れたヨーロッパからの人々にとってひとつの驚くべき啓示のように思えた。ヨーロッパからの訪問者は二つのことを感じた。

 ひとつはアメリカの美術館がなしとげた成果への劣等感ともいうべきものだった。収集品の質の高さと美術館の建物や展示の素晴らしさに驚かされた。他方で、優越感も抱いた。作品はアメリカに移ったとはいえ、皆ヨーロッパの画家たちの作品ではないかという思いである。

 ロザンベールが最初にアメリカの美術館巡りを始めたのは、1962年であり、グレイハウンド・バスで主要都市をめぐって美術館を見たという。私自身それから数年後に同じようなこ経験をしたことがあり、懐かしい思いがした。今はどうなっているか知らないが、当時は99ドルでアメリカ全土乗り放題というプランがあった。  

 さて、ロザンベールの著書は、アメリカの美術館が所蔵する全部で100枚の絵画(実際は98枚の油彩画と2枚のパステル画)を選んだものだ。作品が制作された時期についてみると、期間は15世紀から1912年にわたっている。 100枚のヨーロッパ絵画というのもかなり恣意的だとピエールは言う。南米、アジア、オーストラリア、アフリカなどの作品は当初から除外されている。美術館としてもカナダのトロント美術館など優れた作品を所蔵する北米の美術館も対象外だ。もちろん、アメリカの画家も含まれていない。

 100枚というのも厳しすぎ、200―300枚ぐらいがよかったとも言う。本書を読んでみて、なるほどそうだなと思う。100枚では到底選びきれないほど素晴らしい作品がアメリカ各所に所蔵されている。選択された作品は、それぞれの画家の傑作という基準でもない。「傑作」といっても、見る人によって大きく異なるからだ。そういう意味ではロザンベールの好みで選んだ100枚といってよい。

 色々と興味深いことが頭をよぎる。とてもここには書き記せない。その中でいくつかこのブログにも関連することを記してみよう。ロザンベールといえども、アメリカのどの美術館が、いかなる画家の作品を所蔵しているか、知り尽くしているわけではない。そのため、多くの学芸員、研究者などの意見を求めている。協力者たちが最も好んで挙げたのは、テル・ブルッヘンの「イレーヌと従者によって介抱される聖セバスティアヌス」Ter Brugghen at the Allen Memorial in Oberlin だった。ロザンベールは同じ画家の「キリストの磔」の方にご執心であったようだが、多数にしたがって、前者を選んだ。結局、これが本書の表紙にも採用されている。両者ともに、このブログでとりあげている。管理人も好きな作品の一枚だ。

 ロザンベールもごひいきのラ・トゥールは当然選ばれているが、「女占い師」であり、私の好みの「ファビウスのマグダラのマリア」(ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵)ではない。もっとも、アメリカでラ・トゥールの作品を所蔵している美術館は少なくも9館はあるのだから、選択は難しい。

  選ばれた100枚の作品は、最初は
Robert Campin, Known as the Master of Flémalle
Valenciennes of Tournai(?), c. 1375/1379-Tournai, 1444
The  Annunciation with Saint Joseph and Couple of Donors,
or  The Mérode Triptych
Wood, Central panel 64.1 x 63.2, Wings 64.5 x 27.3
C.1425-30
New York, The New York Metropolitan Museum of Art


という大変美しい3連の祭壇画から始まり

Marcel Duchamp
Blainville, 1887-Neuilly-sur-Sseine, 1968
Nude Descending a Staircase n.2
Canvas H.146 x 89.2 cm
Philadelphia, Philadelphia Museum of Art


という現代の抽象画で終わっている。当然jなじみ深い作品もあれば、初めて見る作品も入っている。

 印象派の時代では、管理人も好きなゴッホの「雨」(上掲)なども入っており、アメリカという新大陸におけるヨーロッパ絵画の受容の歴史を展望することができる。本書を読みながら、さまざまなことを思い浮かべた。いずれ、その断片を記すこともあるかもしれない。

 ともすれば、ヨーロッパの美術館だけに目を向けがちなヨーロッパ美術の愛好者にとって、アメリカの美術館にある作品がどれだけ素晴らしいものであるかを考えさせる興味深い一冊だ。





 Pierre Resenberg. Only in America: One Hundred Paintings in American Museums Unmatched in European Collections. Milano: SKIRA, 2006.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壁を高めるアメリカ

2010年08月18日 | 移民政策を追って

 異常気象がもたらした酷暑が続く中でも、世界は止まることなく動いている。移民・外国人労働者もそのひとつだ。少しでも光の見える地域を求めて、彼らの動きは絶えることがない。他方、彼らが目指す先進国は経済停滞に悩んでおり、移民受け入れ制限など保護主義的動きに走っている。かつて開放政策を掲げていた国が次々と受け入れ制限に動いている。アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリアなど、主要受け入れ国の方針転換は特筆に値する。

 移民(出入国管理)政策の問題は変化が激しく、視座をしっかり確保しておかないと、根幹が見えなくなる。日本は特に問題だ。グローバルな変化の中で、日本がどこへ行くのか、国民にはほとんど見えていない。国民が気づかないうちに、事実だけが積み重ねられているとしか思えない。この点、国民が議論形成に参加し見つめる中で、政策が形成されている国々とはかなり異なっている。憂慮すべきことは、政策立案に携わる人たちが問題を正しく捉えていないことだ。悪名高い硏修・技能実習制度にしても、最初からボタンを(意図して)掛け違えたままだから、いくら表面を糊塗してみても、人権無視、劣悪労働などの違反事件も絶えることがない。根幹を直すことをしない制度は歪むばかりだ。

  世界最大の移民受け入れ国アメリカにも、ある変化が起きつつある。オバマ大統領就任後の政策実行度について、移民法改革は最も国民の評価が低い。実際、就任後ほとんどさしたる対応をしてこなかった。アフガニスタン、イラク派兵問題、国内の雇用悪化、メキシコ湾原油流出事件など、新たな問題も生まれた。また、亡くなったテッド・ケネディ上院議員のように移民法改革に熱意と政治力を持つ議員もいなくなった。結果として、オバマ大統領は選挙活動中の発言とは異なり、今日まで成り行きに任せてきた感があった。

 その間、アリゾナ、ユタ州など国境周辺州で、不法移民に対する厳しい保護主義的動きが起こり、国民もこうした動きを支持するようになってきた。オバマ大統領の移民に関する対応への批判も高まってきた。  

 これまで手をこまねいていたオバマ大統領だが、この動きをみて急遽上院に国境警備強化法の検討・決議を促し、8月13日に大統領が署名、成立させた。大統領はなにもしていないという評判が拡大することを恐れたのだ。この対応で、オバマ政権は移民改革に無為無策であるという批判をとりあえず回避し、近づく中間選挙へアッピールしようとの考えのようだ。

 施策の主要点は、およそ6億ドル(516億円)を投じ、アメリカ、メキシコ国境の警備を強化する方針だ。監視用の無人飛行機や通信設備の追加、州兵1200人、国境パトロール1000人の増加、その他関連要員の増加などを含んでいる。大統領はこれらの施策は、人身売買、麻薬貿易、武器密売などの犯罪防止にもつながるとしている。しかし、実体はブッシュ政権以来の路線を踏襲したものにすぎない。難しい問題はさしおいて、国境の穴をなんとか埋めようとする動きだ。ブッシュ政権の政策と基本的に変わるところがない。

 最も対応が難しい1100万人近い国内不法滞在者のアメリカ市民への組み入れについては、今のところなにも対応がなされていない。オバマ大統領としては、自らの支持層としてヒスパニック系に期待しているため、彼らの利害を損なうような政策には着手できないでいる。これについては共和党などに、不法滞在者送還などの厳しい政策をとるべきだとの批判もあり、選挙戦での論点になる可能性もある。しかし、民主、共和両党ともに、選挙中に不利になりそうなことはあえて触れたがらない。

 他方、国境の南側メキシコでは、国境の障壁が高まるにつれて、経済的停滞が深刻化してきた。たまたま聞いたBBC(August 18, 2010)のレポートでは、ブエノ・ヴィスタという町の状況が報じられていた。この町では、働き手の多くは国境を不法に越えてアメリカに職を求め、残った家族は、彼らの送金に頼って生活している。しかし、このところ急速に送金額が厳守し、生活が困窮化した家庭が増えているという。町の失業率は30%を越えている。町にはさしたる働き場所がない。

 かつて華々しく掲げられたNAFTA(北米自由貿易協定)推進の話は、ほとんど聞かれなくなってしまった。さらに、この度の不法移民阻止に関わる人件費などの対策費、総額六億ドル(約520億円)費用は、アメリカが合法的に受け入れている熟練度の高いIT技術者など専門技術者の入国に必要なヴィザ(H1B)の申請料を引き上げで徴収することでまかなうとされている。日本人などの駐在員ヴィザ(L1)についても適用されるようだ。これについては、インド政府、IT業界などから強い反対の声が上がっている。

 移民希望者に高額な入国負担を求めるという考えは、最近シカゴ大学のノーベル経済学賞受賞者のゲーリー・ベッカーなどの提案の影響もあり、アメリカ、イギリスなどで議論が浮上している。しかし、移民政策には政治的な力も強く働き、一筋縄では行かない難しさがある。グローバルな変化を辛抱強くウオッチすることを通して、少しでも行方を見定めたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の最期

2010年08月13日 | 午後のティールーム

  「所在不明高齢者」というおぞましい言葉が、今年の流行語になりそうだ。この国の荒廃ぶりは日々実感しているが、ここまで進行していることに改めて言葉を失う。厚生労働省は年金を受給している所在不明の100歳以上の高齢者に確認の手紙を送り、返信のない人には年金の支払いを停止する措置をとるとしている。大きな違和感を覚える。確かに所在不明者の発見には必要な手段ではあろう。しかし、この問題、単なる所在不明の高齢者の確認や年金支払い中止の問題にとどまるものではないはずだ。国家として、これまでこの国にかくも長く生きて、それぞれに貢献してきた人々の最後をいかに遇するかという問題ではないか。  

 こんなことを考えている時、「死の質」The Quality of Deathという見出しに出会った。いったいなんのことかと一瞬考えた。「生活の質」The Quality of Life あるいは「労働の質」The Quality of Work などの概念は、これまでさまざまに議論もされてきた。さらに、全国的あるいは国際的次元でも検討されてきた。かなりなじみのある言葉となっている。

 しかしこれまで「死の質」という問題を正面から考えたことはなかった。このThe Quality of Death(QOD) という聞き慣れない言葉は、シンガポールのあるフィランソロピックな研究機関が、その概念と具体的充実をイギリスの著名な研究機関に依頼し生まれたものであった。(以下では理解を助けるために「死にかかわる質」と呼ぶことにする。)  

 経済的には大変繁栄している国でも、すべての人がその人生の最後を過ごす時、苦痛なく平穏に残された日々を送ることができるとは限らない。最後を看取る人もいない孤独死、幸い入院していても多数のチューブや機械でがんじがらめになって、人生の最後を迎えるのは、望ましい人生の最後といえるだろうか。それでも、医療施設でその時に可能なかぎりの治療を受けられれば、有り難いと思うべきかも
しれない。しかし、人間らしい最後の迎え方とはいかなる形が望ましいか。それがどれだけ国民の間で共有されているかというのが、この聞き慣れない概念の本質だ。

 病気によっては病状の進行とともに厳しい苦痛が避けがたいものもある。緩和ケアといわれる特別の配慮も必要だ。ある統計では、世界で一億人を越える患者とその家族たちが緩和ケアの充実を求めているが、そのうちわずか8%がそれを受けることができるにすぎないといわれる。
 
 高齢化社会となってから、人生の終末段階における個人レベルでの心の持ち方などを主題とする議論は多い。死は多くの人にとって最大の不安でもあり恐怖の源でもあるからそれも必要ではある。しかし、国として国民全体のレベルで見るならば、なすべき議論は別のところにあるように思う。

 もっと多くの人々が、家族や愛する人たちと、平穏に来し方を語らい、次の世での再会を約し、この世に別れを告げることはできないだろうか。大事なことは、一部の富める人たちだけが、こうした緩和ケア、終末期ケアといわれる看護・介護の機会を持てることではなく、国家が国民にどれだけ分け隔てなく、そうした環境を準備できているいるかということがポイントなのだ。 在宅終末医療の勧めにも共感する点は多い。しかし、国民の間にそれを可能とする条件・基盤がどれだけ準備されているか。「所在不明高齢者」の問題は、図らずもその不在を示したのだ。 

 「死に関わる質」指標 The Quality of Death Index という観点から、国際比較調査を行った結果を見て、深く考えさせられた。指標の内容は今後、さらに改善・充実される可能性はあるが、今回の調査では4つのカテゴリについて、24の計測可能、質的評価を含めた指標が適用された。対象とされた国々は40カ国である。

 参考までに上位5カ国は、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、ベルギーであり、下位5カ国は下からインド、ウガンダ、ブラジル、中国、メキシコであった。アメリカ、カナダは同率の9位、シンガポールは18位である。ちなみに、日本のランクは23位である。世界第三位の経済大国というイメージとは、あまりに落差が大きすぎるのではないか。それも「所在不明高齢者」が社会問題化する以前に評価された結果がこれである。

 これからの日本が「生きるに値する未来のある国」であるためには、いかなることがなされねばならないか。死は人間が誕生した時から始まっている。「人生の質」の維持・向上のために、政治はなにをなさねばならないか。これこそ超党派で考えねばならない問題ではないかと思う。国家の行く末をしっかり考え直さないかぎり、日本の後退はさらに進む。



 The Quality of Death index 詳細については、下記ウェッブサイトを参照。
 
www.qualityofdeath.org

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎮魂の月

2010年08月10日 | 午後のティールーム
 記録破りの酷暑が続く。8月は日本にとって、そして個人的にも鎮魂の思いが強い月である。  

  酷暑の下では、手にする読み物も変わってくる。専門書の類は、襲ってくる夏の疲れと眠気が災いして、なかなか最後まで到達できない。別に軽い読み物をという意味ではないのだが、一冊の詩集を手にした。長田治『死者の贈り物』(みすず書房、2003年)だ。この詩人の作品は、これまでにまとまったものは読んだことはない。  

 今回手にしたのは、書店で内容を確認する前に、表紙の画像が最初に目に入ってしまったことにある。著者に対して申し訳ない気がするが、この画像が使われていたから、この詩人と作品に出会うことができたともいえる。  

 書籍の実物を手にして内容を確認できるというのは、ネット書店のヴィジュアル画面では期待できない大きな楽しみだ。本の内容もさることながら、装丁、紙の質感などもかなり重要な判断材料だ。今の私は、特定の図書館、品揃えの多い大書店、音楽ホール、美術館、そしてしばしの時を過ごす喫茶コーナーが近くにない町には住めなくなっている。かなり以前からのことだ。人生最後のささやかな贅沢だ。図書館の使用ウエイトはかなり低下した。読みたいと思うやや特別な部類の書籍、資料類を保有している図書館が日本には少ないからだ。他にいくら美しく魅力的な所があっても、この世を去るまで、他へ移り住むことはないだろう。  

 閑話休題。上に掲げた表紙の画像、このブログの読者ならばご存じかもしれない。多少、その出自・来歴などを記したことがある。この画像の作品はかなり愛好者が多く、これを表紙にした内外の書籍で何冊か見たことがある。この話は別の機会に残したい。  

 さて、本詩集のカバー見返しには 「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(聖歌隊の少年) 1645年頃)と記されている。しかし、この作品は、ラ・トゥール研究者の間では画家の真作とされていないことが多い。その経緯は以前に記した通りだが、もしラ・トゥールとつながりがあるとしたら、ジョルジュあるいは息子エティエンヌの工房で製作されたのではないかと推定されている。しかし、私自身は真作、コピーなどにかかわる論争はほとんど意に介していない。美術館や画商あるいは美術史家にとっては、大きな問題であるかもしれないが。

 作品自体はきわめて美しく、好感が持たれる。ひとりの少年が左手に楽譜を持ち、右手にかざした蝋燭で、読みながら歌っている。楽譜の上に蝋燭の光が見える。詩人が自著の表紙になぜこの画像を選んだか、あまり定かではない。私の念頭に浮かぶのはラ・トゥールが作品で目指した神、あるいは死せる者との「直接の対話」である。  

 「聖歌隊の少年」には、ラ・トゥールという画家が体現していた資質が発揮されているようにも見えるが、この画家の他の作品と比較して、モデルの表情や衣装に多少の違和感もある。しかし、美しい作品であることには、まったく異論がない。鑑定の世界は別の俗界なのだ。  

 視点が右往左往したが、長田治という一人の詩人の片鱗に触れることができた。この詩集は、詩人に関わる人々への鎮魂の譜だ。それだけに、心に響くものを多数含んでいる。しかし、読む者との共感の場が微妙にずれてしまう作品も多い。詩人が対する故人とのつながりがそうさせるのだろう。そうした作品の中から、共感したある断片を記しておこう。

草稿のままの人生

本棚のいちばん奥に押し込んだ
一冊の古い本のページのあいだに
四十年前に一人、熱して読んだことばが
のこっている。大いなる髯の思想家が
世界に差しだした問いが、草稿のままに
遺された小さな本。―――たとえば、
なぜわれわれは、労働の外で
はじめて自己のもとにあると感じ、
そして、労働のなかでは自己の外にあると
感じるのか。労働をしていないときに
安らぎをもてないのか。

[以下略]
(長田弘、前掲書28-29ページ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗い世に光を

2010年08月06日 | 絵のある部屋

マティアス・ストーメル『羊飼いの礼拝』 1637 年頃 油彩 カンヴァス 129x181cm、
Matthias Stomer  Adorazione dei pastori
*上掲作品は今回の『カポティモンテ美術館展』に出品された作品とは、ヴァージョンが異なるものである。出品作は聖母の衣装の色が鮮やかな赤色であり、右端の人物は上半身には衣装をまとっていない。こちらを選択したのは、出展作よりよく描かれていると思った管理人の好みにすぎない。


 『カポディモンテ美術館展』には、前回話題としたエル・グレコの作品以外に、管理人の視点からは、いくつか注目を引いた作品が出展されていた。興味深い点があるので、前回に続き記しておこう。

 知る人ぞ知ることだが、この美術館が位置するナポリは、今では日本でもかなり知られるようになった17世紀の革新的画家カラヴァッジョときわめて縁の深い地であった。ローマで殺人を犯したカラヴァッジョは、逃走の途中2度(1606-97年と09-10年)にわたってナポリに滞在した。カラヴァッジョは、それまでマニエリスムの風潮が強かった、この地の画壇にリアリズムに基づく新風を吹き込んだ。

 今回の『カポティモンテ美術館展』に出品された『羊飼いの礼拝』を制作したストーメルという画家自体は、あまり知られた画家ではない。出自、来歴がほとんど分からない。このこと自体は、この時代の画家として珍しいことではないのだが。推定されるところでは、ストーメルは、自分より先に北方の地からローマに来ていて、カラヴァッジョの影響を受けた画家テル・ブリュッヘンとホントホルストの影響を強く受けている。たとえば、ホントホルストも同じ主題で制作し、作品も今日まで継承されている。

 「羊飼いたちの礼拝」は、この当時好まれた主題であり、ストーメルにとってもお気に入りのテーマだったようで、いくつかの異なったヴァージョンで制作している。制作年次の確定は年譜もなく、きわめて難しいのだが、1630年代末頃ではないかと推定されている。

  ストーメルの作品を見ると、幼子イエスの誕生のために集い、それを喜び合う羊飼いたちの嬉々とした、しかし畏敬をこめた表情がきわめてリアリスティックに描かれている。 この主題では後述するように、ラ・トゥールもほぼ同じ構図で描いている。しかし、ストーメルとラ・トゥールの作品の印象はかなり異なっている。

 ストーメルの画家としての来歴はほとんど不明である。ローマ、ナポリ、シチリアそしてイタリア北部で画業修業を行ったらしいことは推定されている。本作は画家のナポリ滞在中の末期1637年頃の作品と見られる。マリアと思われる女性の顔は光り輝いており、幼子は明るい光の中で手足を躍動させている。しかし、ストーメルが好んだ蝋燭はなく、光源は不明である。しかし、見るからに カラヴァジェスキの面目躍如たるものがある。 

 他方、ラ・トゥールの作品(下掲、ルーブル美術館所蔵)は、ほぼ同様な構図でありながらも、全体に色彩も抑えられ、静謐な空気の中に幼子の誕生を祝う素朴な農民(羊飼い)たちの姿が描かれている。ラ・トゥールらしく、身近にいる農民たちがモデルとして描かれていると思われるが、五人の男女が中央に眠る幼子イエスを畏敬の念をもって見ている光景がやや狭い空間に独特の緊迫感を持って描かれている。リアリズムで知られるこの画家だが、それに固執することなく、一定の様式化を維持し、独特の雰囲気を醸し出している。光源は右側のヨセフと考えられる男性が掲げる蝋燭の光だ。ちなみに原作はより大きなキャンヴァスであったが、後になんらかの理由で切断・縮小されている。描かれた人物の中で、マリアだけが両手を合わせ、祈っている。羊飼いが連れてきた子羊の頭部だけが、イエスをのぞき込むように描かれていて微笑ましい。

 中央に眠る幼子イエスの姿は「新生」Le Nouveau-Né、the Nativityの場合と同様に、たとえようもなく可愛い。ラ・トゥールは幼子を描くために最大の力を振り絞ったのだろう。全体として、クラシックで素朴とも思われる印象が画面から伝わってくる。両者を比較すると、太陽の光に溢れ、当時の文化の先進地であったイタリア、ナポリでこの作品を描いたと思われる画家と、暗く深い森や林が残り、曇天の日々も多く、文化的にもローマやパリに遅れていたロレーヌの画家の心象風景が反映されているような思いもする。

 ラ・トゥールの作品の抑制された画風は、画家が意図したと思われる厳粛かつ静粛な雰囲気の中に、思いもかけない将来を担うことになった幼子の誕生を祝福するという望ましい効果を上げている。この作品は、1926年頃、アムステルダムで発見され、ヘルマン・フォスによって直ちにラ・トゥールの真作と鑑定された。画家の晩年に近く、1644年頃ラ・トゥールの作品の熱心な愛好家であったラフェルテにリュネヴィル市から寄贈されたものではないかと考えられる。17世紀当時のヨーロッパにおけるこうした様式の伝播の道、範囲などについてはきわめて興味あるデーマなのだが、ここでは到底記しえない。

Georges de La Tour. L'Adoration des Bergers, oil on canvas, 107 x 137 cm. Musée du Louvre, Paris.

 さて、ほぼ同時代に同じ主題を描いたこの二枚の作品、それぞれに魅力的なのだが、皆さんはどちらがお好みでしょう。

 

 

 ちなみに今回出展された作品も掲示しておこう。かなり印象が異なると思うのですが。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする